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2 馬車の中

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「あー……まさかこんなことになるとは……」

 サルース領に行く道中、馬車の中でローレントは、王族特有のその美しい金の頭を抱え、項垂れた。

「しかも相手はあの獣辺境伯って……」

 絶望するローレントを、侍従ラミネットはチラと横目で見ただけで、澄ました顔でまた窓に視線を戻した。

「殿下、素が出てますよ。いつものキラキラ宝石王子はどこに行ったんですか。いい加減になさいませ」
「ラミネット! これが絶望せずにいられるか!? 僕はハルカと一緒になるはずだったんだ。それなのに……。ハルカと離れ離れになっただけではなく、そのハルカが、今どこでどうなっているか知ることすらできないなんて……!」
「殿下がしでかしたことでしょう。本当に無責任にもほどがあります。このラミネット、呆れてものも言えません」

 ラミネットはわざとらしく眉を寄せ、悲しげな顔でローレントを見た。

「言ってるじゃないか! ……ああできるなら今すぐにでもこの馬車を止めて、ハルカを探しに行きたい。それなのに今の僕はこんなにも無力だ……」
「悲劇のヒロインぶるのはおやめください。そもそも、なぜそんなにもあの娘のことを気になさるのですか。どこかの貴族令嬢というわけでもない、素性の分からぬ怪しげな娘。あの娘で人生を棒に振るだなんて、私には理解ができません」
「ハルカは異世界から来たんだ。見たことのない衣服に身を包み、人々を治癒をする姿はあまりにも神秘的だ。それにあの艷やかな黒髪に、愛らしい笑顔。一目見たら誰もが虜になる。事実虜になっていた。それにハルカは本物の聖女だ。偽物はマリアーナのほうで、だから追放すべきはマリアーナで、聖女として迎えいれるのはハルカのほうだ」

 堂々たる宣言。あれだけ王に偽物はハルカのほうだと糾弾され、さらにこんなことになったというのに、ローレントの考えはいまだに揺るがない。

「しかしマリアーナ嬢が戻ったことで、瘴気は祓われ、魔獣の被害が減ったではありませんか」
「あれにはきっと理由がある。異世界から来たハルカが本物の聖女だ。お前だって見ただろう。彼女が傷病者を治したところを。あの聖なる力が聖女のものでないなら、なんだと言うんだ」

 たしかにラミネットも、ローレントの治療院視察へ付き添った際、ハルカが目の前でやすやすと怪我人の傷を治したのを見た。それはまごうことなき事実であり、ローレントの言うことが間違っていないことを知っている。
 人を治癒するなど、そんな力はこの世の中に存在するはずがなく、あるとしたらまさしく伝説の聖女の力だ。

「マリアーナは魔を祓う浄化の力はあるかもしれないが、治癒の力はない」

 だがそれは言い換えれば、〝ハルカには治癒の力はあるが、魔を祓う力がなかった〟ということにならないだろうか。だから国にこのような惨劇がおきたのだと。この国に必要なのは治癒の力ではなく、瘴気を、魔を祓う浄化の力だ。それが分からぬ王子でもあるまい。

 いつから私の主はこんな腑抜けになってしまったのだろうか。ラミネットは深い溜め息を吐いた

「ハルカ嬢は元気で朗らかで愛嬌のある少女でしたが、マリアーナ嬢のほうが、信心深く儚げで、聖女らしい令嬢でしたよ」
「……マリアーナは裏で何を考えているのか分からない」

 普段女性を悪く言うことのないローレントが、マリアーナに対してだけ厳しい物言いをする。
 実際マリアーナがハルカに意地悪をしたという証拠はなく、ローレントをたらしこむためハルカによる自演だったのではないか、とまで言われたのに。ローレントはまだハルカのことを信じているようだ。

 なぜそこまでハルカという娘に傾倒してしまったのだろうか。不思議でならない。ハルカの呪縛から逃れられない以上、何を言っても無駄。そう考えたラミネットは話題を変えた。

「殿下。そんなことより、サルース領について、しっかり頭に入れたのですか」

 ラミネットは、ローレントの膝に開いて置いてある書物を指で、トントンと指し示した。

「今読んでいるところだ。その昔、独立国だったサルースを占領し、我が国の領地となったのは僕も知っている。当時の王族が絶えて以降、場所が場所なだけに領地を管理する者がおらず、放置となっていたはずだ。だがこの報告書を読む限りでは、辺境伯が領主となってからは、随分と開発が進んだようだ」

 このサルース領は、王都からは早馬でも5日ほどかかるような僻地だ。
 かつてはここに小さな国があったのだが、ローレントの曽祖父が戦で占領し、以後は属国としたが、サルースの王族が絶えた後は、アストラレイリア王国の領地となっていた。
 
 辺境かつ瘴気が多く、あまり人が住みたがらず、これまで放置となっていたのだが、当時無名だった現在のサルース辺境伯が戦で名を挙げ、その褒美として辺境伯の爵位とともにこの地を与えたのだ。

「我が国のために尽力した者に、こんな未開の地を与えるなど、父上も人が悪い。あれか? 蛮族だからと嫌がらせか」

 サルース辺境伯は、かつてこの国にいた獣人一族の末裔なのだという。その体は巨人の如く大きく、髪は燃えるように真っ赤に逆立ち、目は獲物を狙う獣のように鋭い金色。気性も激しく粗暴な獣のような男だと、社交界でもっぱらの噂だ。
 
 滅多に人前に姿を現さないため、体中に獣の毛が生えているとか、人間の耳ではなく獣の耳がついているとか、それどころか顔自体が獣面であるとか、妄想だけが膨らみ言いたい放題だ。
 
 辺境伯自身は元々は平民で、それも王都の貧民街で暮らしていたような人物だ。貧民街の治安の悪さを見かねた辺境伯が一族郎党で貧民街の自警団を始め、それが傭兵団と進化し、負け戦となるはずの戦争を勝利へと導くまでとなった。

「勇猛果敢で、大剣を振るう姿は鬼神の如く、か。そんなに強い者であれば、他国に寝返ったら困るものな。適当に領地を与えて、この国に縛り付けておこうって算段か」
「王は、殿下よりももっと深く考えておいでですよ」
「だったら僕をそこに追いやるのも、なにか考えがあってのこと、とでもいうのか? 獣に『不要になった息子を食い殺せ』と言っているようなものだろう」
「考えすぎですよ、殿下」
「女領主に婿に出すなら分かる。だが嫁に出すってなんだよ!? 俺に子を成すなってことだろ!? そしてそれを相手にも強いるとは。獣人の血を絶やせと言っているようなものだ」
「殿下、言葉が悪いですよ! ……殿下は、サルース辺境伯が獣人だと信じるので?」
「……それは会ってみないと分からないが……」
「殿下は、辺境伯と一度もお会いしたことないのですか」
「辺境伯の爵位叙爵式のときは、僕はまだ王太子ではなかったから、参列できる立場にいなかった」
「なるほど。では今回がはじめてと。噂は噂。お会いしてみると、案外良い方かもしれませんよ」
「……だといいけどね……」

 侍従にたしなめられ、ぶつくさ文句を言いながらローレントは膝の書物に目を戻した。

 サルース辺境伯とはどのような人物なのだろうか。この書物に書かれた内容を見る限りでは、平民の出でありながらも立派に領主としての仕事をこなしているらしい。
 しかもこの地は瘴気も多く、魔物の出現も多い。それらの討伐もこなし、領主としての務めをしっかり果たしているのならば、噂のような無骨者ではなく、それなりに分別のある人物だとも思える。

 意外と話の分かる男であれば、この結婚も偽装結婚とできるのではないだろうか。もしそうならば、早々にハルカを探すよう協力を要請することもできる。相手だって女性と結婚したいだろうに決まっている。結婚したとみせかけ、お互い自分の好きな相手と暮らせばいいのだ。

 ローレントは一縷の望みをかけて、遥か辺境の地サルースへと向かった。
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