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8 ディー神官との密会
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約束の時刻、辺りはすでに暗くなっているにも関わらず、歓楽街はランプの灯りが煌々と照らされて、まるで光っているかのようだ。
そこから少し外れた場所で、アンバーひとり、待ち人の姿を目で探していた。
ここは歓楽街からの喧騒が漏れ聞こえてはいるが、人通りは少なく、遠くの歓楽街の灯りが少し眩しい。
しばらくその光を頼りに待ち人を探した。
少し待った頃に、神殿の方角に小さな明かりがぽつんと見えた。目を凝らすとフードを目深に被りランプを持った男が、こちらに向かって歩いて来るのが見える。
おそらくディー神官だ。
ディー神官と思しき男は、アンバーからは少し距離をおいて立ち止まると、しばし様子を見てから、声をかけてきた。
「アンバー様」
「……ディー神官殿か?」
「はい。お待ち頂き申し訳ありません」
暗がりでは本人かどうか分からないと、アンバーは彼に近寄りフードに手を掛けまくりあげる。フードの下から、浅黒い頬と切れ長の黒耀石の瞳が露わになった。
「戯れはおやめください」
ディー神官は慌てて手でフードを直した。
「申し訳ない、本人か確かめたかった。しかしこれでは顔が見られないが。フードは取れないのか」
「……ここではちょっと」
「ならば人通りの少ない所へ行こう」
二人はランプの灯りを頼りに歩き出した。後ろを気にすると、ディー神官は黙って後ろをついてきてくれている。
歓楽街の喧騒からはどんどん離れ、人の声よりもりーりーと鳴く虫の声の方が強くなってきたあたりで、アンバーは街外れにある湖のほとりにまで来ていたことに気がついた。
とりわけここを目指していたという訳ではないが、人気もなく都合もいいだろうとアンバーは足を止めた。
「ここなら良かろう」
黙って後を付いてきたディー神官を見やると、ディー神官は一拍おいて答えた。
「……フードは取らなくてはいけませんか」
「貴殿の顔が見たい」
躊躇いの後、ふうと吐息が聞こえたかと思うと、諦めたようにディー神官はフードを頭から外した。
アンバーは初めて顔をさらけ出すディー神官の頭のてっぺんから足の先までを、食い入るように見つめた。
フードの下に隠れて気になっていた髪は、耳が出るほど短く整えられ、髪の色は根元から毛先に向かって黒からシルバーへとグラデーションになっている。
神官といえば色素の薄い長い髪がシンボルのようなものだが、ディー神官の髪はアンバーよりも随分と短く、そして根元の色は濃い。
月明かりに照らし出された顔は、まるで陶器でできた人形の如く無駄がなく整っていた。
「何か」
「……いや、失礼した。なぜいつもフードを?」
「人前に出るときの決まりなのです。特に私はこのなりなので、フードは取らないよう仰せつかっています」
「リニ神官殿はフードをしてはいなかったが」
「……彼はまた特別なのです」
「ふむ」
ディー神官は長いローブをしっかりと着込み、体の線どころか下にどんな衣服を身に着けているのかさえも分からない。
「下は神官服か」
「はい。私的な理由での外出であっても神官服を着ること、それも決まりなのです。私はそれ以外の衣服を持っておりません」
敬虔な神の信徒に個人という概念は存在しないということか。
ディー神官は先程からずっと、アンバーが手を伸ばしてもギリギリ触れないくらいの距離を保っている。
アンバーを警戒してのことだろう。
「近くに来てくれ。それでは話がしづらい」
「……」
彼は押し黙ったまま動こうとはしない。
「俺が怖いか」
「……なんの為に私を呼んだのか、まだ分かりかねております」
「警戒心が強いな」
「……」
「……くくっ」
急にアンバーがぷっと吹き出すと、ははっと声をあげて笑った。
「貴殿のそういう所が好い! この街の者は何やら胡散臭くて好かん!」
ディー神官は急に笑いだしたアンバーに驚き拍子抜けしたようだ。先程までの警戒心が抜け、呆気にとられポカンとしている。
「まあいい。そのうち警戒も解かれよう。さあ、友人殿!話をしよう!」
アンバーは相好を崩し、にこやかに話しかけた。
ディー神官は狐につままれたように従うしかなかった。
△△△
「貴殿のことを知りたい。神官なのになぜ髪を短くしておられる」
「….これについては触れないでいただきたい。伸ばすことを禁じられている、とだけしかお答えできませんので」
「ふむ。では話しをかえよう。昨日の賊の男だが、あの賊は貴殿の知り合いか。何やら俺が口を挟まぬほうが良かったように見えたので何も言わなかったが、賊の癖に貴殿に対しやけに失礼であったな」
「淫売、という言葉が気になりましたか」
ディー神官は表情を変えずに言った。
それに対しアンバーが無言で頷く。
「本来であれば答える義務はありませんが、アンバー様にはご迷惑をおかけしておりますので……」
生真面目な上、義理堅いようだ。答えづらければ答えなくても良いものをと、アンバーは思ったが口には出さなかった。
「……あの男は実は私に懸想していたようでして。何度か治癒に訪れていたのですが、気持ちには応えてやれず。気がついたらあのように身を持ち崩しておりました。淫売というのも、治癒の際私が誰にでも触れることを厭うてのことでしょう」
勝手に思いを寄せられ、本人からしてみればいい迷惑だったのだろう。だが彼の言葉には好意や嫌悪どころか何の気持ちも含まれておらず、ただ淡々としていた。
それにしても神官に淫売とは。
「なんとも身勝手なことだな」
「慣れておりますゆえ」
そこまで話して、アンバーは地面に腰を下ろした。丈が低く密度の高い草が敷き詰められているので、地べたではあるが座り心地は悪くない。
正面の湖を見ると、月の光を反射し、きらきらと輝く湖面が何とも美しい。これが恋人との逢瀬であればなお良し、とアンバーは柄にもなく思い、内心苦笑した。
ふと見上げるとディー神官も立ったまま湖面を見つめている。
相変わらず表情は読めない。
「ディー神官殿。どうぞこちらへ」
アンバーは着ていた長衣を脱ぐと、地面に広げ、そこに座るよう促した。
「そのような気遣いはやめてください。アンバー様の衣服が汚れてしまいます。そういうことは恋人にして差し上げてください」
「気になさらずとも良い。もう広げてしまった。座ってもらえねば、汚した甲斐がない」
「……」
そこまで言われてしまうと座るしかなくなったのか、ディー神官は躊躇いつつもアンバーの横に腰を下ろした。
彼が横に座る瞬間、何とも言えぬ甘い芳香がアンバーの鼻をくすぐった。
それはほのかな匂いで、かなり近くでないと嗅ぐことは出来ないくらい淡い。
「神殿では香を焚いているのか」
「なぜです?」
「貴殿から甘い匂いがする」
「……気の所為でしょう」
ディー神官はそれ以上答えなかった。
甘く芳しい匂いの中、きらきらと揺れる湖面を揃って眺めていると、良からぬ気持ちが湧いてきそうになる。しかしこのような場所で雰囲気に流されるほどアンバーも初心ではないと冷静を保つ。
ディー神官の方をちらりと見るが、彼はこちらを見るでもなくぼんやりと湖面を見つめたままだ。
何か興味を惹きそうなものをと考えると、ふといつも持ち歩いている携帯食を思い出した。
いつ何時何があるか分からないので、アンバーは木の実やら干した果物やらを持ち歩いている。
以前の盗賊による襲撃の際、荷を捨てることになってもこいつのお陰で助かった。
胡座をかき、腰の袋から干した果物が入った小袋を取り出した。膝の上に小袋を解き広げると、いくつかの干した果物が現れた。
「ディー神官殿、腹は空いていないか」
こちらを振り返ったディー神官の口許に果物の1片を寄せると、彼は驚いて首を引き思わずアンバーの手を押さえた。
「ただの干した杏の実だ。甘くてうまいぞ。毒など入っていない。それとも神官殿はこのような物は食べないか」
彼は無言でくんっと匂いを嗅ぐと、そっとアンバーの手から干した杏の実を口に入れた。
一瞬唇がアンバーの指に触れたが、気にする様子もなくもぐもぐと咀嚼している。
手にはディー神官の節の目立つ細く長い指が添えられたままだ。
なんと無防備なのか。
警戒心が強いと思わせて、この無防備さは逆に心配になる。
「これは美味しいですね。干した果物は好物なのでよく食べますが、杏はこの辺りでは作っていないので初めて食べました」
ただ単に好物だから食べたかったという正直な答えに、アンバーの頬が緩む。
他にもあるぞと膝の上を見せると、無言でアンバーを見てくるので、ディー神官に好きなだけ食べろと促した。
彼はそろりと膝からまた杏の実を取ると口に入れる。その仕草が何かの小動物のようで愛らしい。
ディー神官が果物に気を取られている隙に、アンバーは足を少し崩して、彼に寄りかかるように腰を抱く姿勢をとった。
傍から見ていると恋人同士の逢瀬に見えるだろう。
ディー神官よりも背の高いアンバーが斜め上から覗き込むと、こちらに気づき顔を上げたディー神官とちょうど目が合った。
思いの外近接していたことにディー神官は驚き目を見開くと、ごくりと喉を鳴らした。
アンバーは吸い込まれるように口付けを落とすと、しまったとばかりに慌ててディー神官の唇を指で拭った。
しかしディー神官は眉根を寄せ、不快感を顕にした。
「私とそのようなことをするのが目的か」
「すまない、思わず」
「アンバー様に気を許しすぎました。やはりフードを脱ぐべきではなかった。これは私の落ち度です。申し訳ありませんが、私はもうこれで戻ります」
それだけ言うと、素早くアンバーの側から立ち上がりフードを被った。
そして早足で神殿の方角へと歩き出すのを、アンバーが慌てて後を追う。
これでは本当に痴話喧嘩のようではないか。本来の目的も達成できずでは、サーシャにまた嘲笑われてしまう。
「すまない、もうそんなことはしない」
「……いえ、謝らなくても宜しいのです。もう会わなければ良いのですから」
アンバーの謝罪に聞く耳も持たず、それどころかもう会わないと拒絶した。
これまでアンバーは拒絶することはあれど、されたことはなく、翻弄すべき相手に逆に翻弄され焦っていた。
それにしてもなぜこんなに自制がきかなかったのか。
手を掴み引き止めたいが、逆効果になりそうだ。糞っと内心苛立ちつつもなんとか策を考える。
しかし、もう遅い。
「アンバー様、私は神官です。遊びで手を出されてもお相手しかねます。どのようなお気持ちでされたかは分かりませんが、一時の気の迷いとして私のことはお忘れください」
それだけ言うと彼は神殿に向かい走り去った。
アンバーは為す術もなく、ただ呆然と、小さくなっていく背中を見送るしか出来なかった。
そこから少し外れた場所で、アンバーひとり、待ち人の姿を目で探していた。
ここは歓楽街からの喧騒が漏れ聞こえてはいるが、人通りは少なく、遠くの歓楽街の灯りが少し眩しい。
しばらくその光を頼りに待ち人を探した。
少し待った頃に、神殿の方角に小さな明かりがぽつんと見えた。目を凝らすとフードを目深に被りランプを持った男が、こちらに向かって歩いて来るのが見える。
おそらくディー神官だ。
ディー神官と思しき男は、アンバーからは少し距離をおいて立ち止まると、しばし様子を見てから、声をかけてきた。
「アンバー様」
「……ディー神官殿か?」
「はい。お待ち頂き申し訳ありません」
暗がりでは本人かどうか分からないと、アンバーは彼に近寄りフードに手を掛けまくりあげる。フードの下から、浅黒い頬と切れ長の黒耀石の瞳が露わになった。
「戯れはおやめください」
ディー神官は慌てて手でフードを直した。
「申し訳ない、本人か確かめたかった。しかしこれでは顔が見られないが。フードは取れないのか」
「……ここではちょっと」
「ならば人通りの少ない所へ行こう」
二人はランプの灯りを頼りに歩き出した。後ろを気にすると、ディー神官は黙って後ろをついてきてくれている。
歓楽街の喧騒からはどんどん離れ、人の声よりもりーりーと鳴く虫の声の方が強くなってきたあたりで、アンバーは街外れにある湖のほとりにまで来ていたことに気がついた。
とりわけここを目指していたという訳ではないが、人気もなく都合もいいだろうとアンバーは足を止めた。
「ここなら良かろう」
黙って後を付いてきたディー神官を見やると、ディー神官は一拍おいて答えた。
「……フードは取らなくてはいけませんか」
「貴殿の顔が見たい」
躊躇いの後、ふうと吐息が聞こえたかと思うと、諦めたようにディー神官はフードを頭から外した。
アンバーは初めて顔をさらけ出すディー神官の頭のてっぺんから足の先までを、食い入るように見つめた。
フードの下に隠れて気になっていた髪は、耳が出るほど短く整えられ、髪の色は根元から毛先に向かって黒からシルバーへとグラデーションになっている。
神官といえば色素の薄い長い髪がシンボルのようなものだが、ディー神官の髪はアンバーよりも随分と短く、そして根元の色は濃い。
月明かりに照らし出された顔は、まるで陶器でできた人形の如く無駄がなく整っていた。
「何か」
「……いや、失礼した。なぜいつもフードを?」
「人前に出るときの決まりなのです。特に私はこのなりなので、フードは取らないよう仰せつかっています」
「リニ神官殿はフードをしてはいなかったが」
「……彼はまた特別なのです」
「ふむ」
ディー神官は長いローブをしっかりと着込み、体の線どころか下にどんな衣服を身に着けているのかさえも分からない。
「下は神官服か」
「はい。私的な理由での外出であっても神官服を着ること、それも決まりなのです。私はそれ以外の衣服を持っておりません」
敬虔な神の信徒に個人という概念は存在しないということか。
ディー神官は先程からずっと、アンバーが手を伸ばしてもギリギリ触れないくらいの距離を保っている。
アンバーを警戒してのことだろう。
「近くに来てくれ。それでは話がしづらい」
「……」
彼は押し黙ったまま動こうとはしない。
「俺が怖いか」
「……なんの為に私を呼んだのか、まだ分かりかねております」
「警戒心が強いな」
「……」
「……くくっ」
急にアンバーがぷっと吹き出すと、ははっと声をあげて笑った。
「貴殿のそういう所が好い! この街の者は何やら胡散臭くて好かん!」
ディー神官は急に笑いだしたアンバーに驚き拍子抜けしたようだ。先程までの警戒心が抜け、呆気にとられポカンとしている。
「まあいい。そのうち警戒も解かれよう。さあ、友人殿!話をしよう!」
アンバーは相好を崩し、にこやかに話しかけた。
ディー神官は狐につままれたように従うしかなかった。
△△△
「貴殿のことを知りたい。神官なのになぜ髪を短くしておられる」
「….これについては触れないでいただきたい。伸ばすことを禁じられている、とだけしかお答えできませんので」
「ふむ。では話しをかえよう。昨日の賊の男だが、あの賊は貴殿の知り合いか。何やら俺が口を挟まぬほうが良かったように見えたので何も言わなかったが、賊の癖に貴殿に対しやけに失礼であったな」
「淫売、という言葉が気になりましたか」
ディー神官は表情を変えずに言った。
それに対しアンバーが無言で頷く。
「本来であれば答える義務はありませんが、アンバー様にはご迷惑をおかけしておりますので……」
生真面目な上、義理堅いようだ。答えづらければ答えなくても良いものをと、アンバーは思ったが口には出さなかった。
「……あの男は実は私に懸想していたようでして。何度か治癒に訪れていたのですが、気持ちには応えてやれず。気がついたらあのように身を持ち崩しておりました。淫売というのも、治癒の際私が誰にでも触れることを厭うてのことでしょう」
勝手に思いを寄せられ、本人からしてみればいい迷惑だったのだろう。だが彼の言葉には好意や嫌悪どころか何の気持ちも含まれておらず、ただ淡々としていた。
それにしても神官に淫売とは。
「なんとも身勝手なことだな」
「慣れておりますゆえ」
そこまで話して、アンバーは地面に腰を下ろした。丈が低く密度の高い草が敷き詰められているので、地べたではあるが座り心地は悪くない。
正面の湖を見ると、月の光を反射し、きらきらと輝く湖面が何とも美しい。これが恋人との逢瀬であればなお良し、とアンバーは柄にもなく思い、内心苦笑した。
ふと見上げるとディー神官も立ったまま湖面を見つめている。
相変わらず表情は読めない。
「ディー神官殿。どうぞこちらへ」
アンバーは着ていた長衣を脱ぐと、地面に広げ、そこに座るよう促した。
「そのような気遣いはやめてください。アンバー様の衣服が汚れてしまいます。そういうことは恋人にして差し上げてください」
「気になさらずとも良い。もう広げてしまった。座ってもらえねば、汚した甲斐がない」
「……」
そこまで言われてしまうと座るしかなくなったのか、ディー神官は躊躇いつつもアンバーの横に腰を下ろした。
彼が横に座る瞬間、何とも言えぬ甘い芳香がアンバーの鼻をくすぐった。
それはほのかな匂いで、かなり近くでないと嗅ぐことは出来ないくらい淡い。
「神殿では香を焚いているのか」
「なぜです?」
「貴殿から甘い匂いがする」
「……気の所為でしょう」
ディー神官はそれ以上答えなかった。
甘く芳しい匂いの中、きらきらと揺れる湖面を揃って眺めていると、良からぬ気持ちが湧いてきそうになる。しかしこのような場所で雰囲気に流されるほどアンバーも初心ではないと冷静を保つ。
ディー神官の方をちらりと見るが、彼はこちらを見るでもなくぼんやりと湖面を見つめたままだ。
何か興味を惹きそうなものをと考えると、ふといつも持ち歩いている携帯食を思い出した。
いつ何時何があるか分からないので、アンバーは木の実やら干した果物やらを持ち歩いている。
以前の盗賊による襲撃の際、荷を捨てることになってもこいつのお陰で助かった。
胡座をかき、腰の袋から干した果物が入った小袋を取り出した。膝の上に小袋を解き広げると、いくつかの干した果物が現れた。
「ディー神官殿、腹は空いていないか」
こちらを振り返ったディー神官の口許に果物の1片を寄せると、彼は驚いて首を引き思わずアンバーの手を押さえた。
「ただの干した杏の実だ。甘くてうまいぞ。毒など入っていない。それとも神官殿はこのような物は食べないか」
彼は無言でくんっと匂いを嗅ぐと、そっとアンバーの手から干した杏の実を口に入れた。
一瞬唇がアンバーの指に触れたが、気にする様子もなくもぐもぐと咀嚼している。
手にはディー神官の節の目立つ細く長い指が添えられたままだ。
なんと無防備なのか。
警戒心が強いと思わせて、この無防備さは逆に心配になる。
「これは美味しいですね。干した果物は好物なのでよく食べますが、杏はこの辺りでは作っていないので初めて食べました」
ただ単に好物だから食べたかったという正直な答えに、アンバーの頬が緩む。
他にもあるぞと膝の上を見せると、無言でアンバーを見てくるので、ディー神官に好きなだけ食べろと促した。
彼はそろりと膝からまた杏の実を取ると口に入れる。その仕草が何かの小動物のようで愛らしい。
ディー神官が果物に気を取られている隙に、アンバーは足を少し崩して、彼に寄りかかるように腰を抱く姿勢をとった。
傍から見ていると恋人同士の逢瀬に見えるだろう。
ディー神官よりも背の高いアンバーが斜め上から覗き込むと、こちらに気づき顔を上げたディー神官とちょうど目が合った。
思いの外近接していたことにディー神官は驚き目を見開くと、ごくりと喉を鳴らした。
アンバーは吸い込まれるように口付けを落とすと、しまったとばかりに慌ててディー神官の唇を指で拭った。
しかしディー神官は眉根を寄せ、不快感を顕にした。
「私とそのようなことをするのが目的か」
「すまない、思わず」
「アンバー様に気を許しすぎました。やはりフードを脱ぐべきではなかった。これは私の落ち度です。申し訳ありませんが、私はもうこれで戻ります」
それだけ言うと、素早くアンバーの側から立ち上がりフードを被った。
そして早足で神殿の方角へと歩き出すのを、アンバーが慌てて後を追う。
これでは本当に痴話喧嘩のようではないか。本来の目的も達成できずでは、サーシャにまた嘲笑われてしまう。
「すまない、もうそんなことはしない」
「……いえ、謝らなくても宜しいのです。もう会わなければ良いのですから」
アンバーの謝罪に聞く耳も持たず、それどころかもう会わないと拒絶した。
これまでアンバーは拒絶することはあれど、されたことはなく、翻弄すべき相手に逆に翻弄され焦っていた。
それにしてもなぜこんなに自制がきかなかったのか。
手を掴み引き止めたいが、逆効果になりそうだ。糞っと内心苛立ちつつもなんとか策を考える。
しかし、もう遅い。
「アンバー様、私は神官です。遊びで手を出されてもお相手しかねます。どのようなお気持ちでされたかは分かりませんが、一時の気の迷いとして私のことはお忘れください」
それだけ言うと彼は神殿に向かい走り去った。
アンバーは為す術もなく、ただ呆然と、小さくなっていく背中を見送るしか出来なかった。
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※現在、コウとセイドリックの話『失恋した神兵はノンケに恋をする』を新作として公開しています。閑話コウの受難の続きでセイドリック視点で始まります。コウの受難の続きが気になっていた方がいればぜひ。
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