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10 迷宮を解除する

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 ラントに会いに王都に行った日、思ったよりも早くラントに家を追い出され(ラントは徹夜明けで眠りたかったみたいだ)、ブライズは東の砦にとんぼ返りした。

 夜には寄宿舎に着き、馬を休ませるとブライズはまた塔の窓が見える場所に行き、ぼうっとそこを眺めた。

 相変わらず窓には仄かな光が灯っている。時折ゆらゆらと動く影が見え、今あそこにいるんだなと、会えないバドへの想いが募る。

 この前は精気を分けてと言われ手を差し出すと、指を咥えられてしまった。
 ブライズからは何をされたかは見えなかったが、指を吸い上げつつまとわりつくあのぬめぬめとした感触。
 指を咥えたのだと気づいた時には、驚いて腰を抜かしかけた。

 休暇はまだ残っている。明日は塔の迷宮に行くつもりだ。

 ラントからは結局目新しい情報を得られなかったが(ラントが聞くと怒るだろうな)、迷宮は幻覚解除するしか攻略方法はないという自分の考えは肯定されたので、もうその路線でなんとかするしかない。

 ラントも、もしかするとスイッチのような仕掛けがあるのかもとは言っていたし、まだブライズが見つけられていないだけで解除の方法はあるかもしれない。希望は捨てていない。

 それに例え幻覚であっても、壁の後ろに通路などが実際に存在するのであれば、壁を叩く音で分かるかもしれない。怪しい場所があれば、物理的に壁を破壊すれば良い話だ。


 ブライズは残り2日の休暇、ここには戻らず迷宮攻略にすべて使うつもりだ。

 野営の準備もしてある。多少なり腕に覚えもあるので、いざとなったら迷宮内でのモンスター討伐も覚悟の上だ。

 絶対にバドに会う! その思いを胸に、ブライズは明日の迷宮入りに自分を奮い立たせた。



△△△



 朝早く、ブライズは塔の前に立った。


 まだ日は昇りかけで辺りは薄暗い。


 塔のてっぺんを見上げたが、バドは淫魔だしたぶんまだ寝ているだろうと、今日は手を振らなかった。


 ちなみにこの前貰った腕輪はサイズが小さくて腕に食い込むので、外して懐にいれてある。

 せっかくお揃いなのに、付けていないことでバドががっかりするといけない。

 会えるときになったら着けるつもりだ。

 腕輪を確認するように懐に手をやりつつ、ブライズは簡素な木製の扉を開け、迷宮の入り口に立つ。


 背後でバタンッと扉が閉まる音がし、胸がドキッとするが、深呼吸し落ち着かせ、目の前に広がる広大な迷路のごとく迷宮を見た。

 ゴクリと息を呑むと、よしっと気合を入れ直した。

 まだ何も始まっていないのにここでビビる必要はないんだ。

 慎重に階段を下りると、そこは薄暗いようで歩くには不自由のない程度には明るい不思議な空間。

 遠くからは何かのざわめきが絶えず聞こえるこの不気味さ。心の中がぞわぞわする。

 とりあえず壁伝いに歩きつつ、壁に何か異物はないか都度確認する。

 心配になり振り返ると、まだ入り口はすぐそこにありブライズはホッとした。

 でも外に出入りするなら、絶対に出入り口近くに何か仕掛けがありそうなんだよなーと、近場から探っていくことにした。

 壁に耳をつけて音を聞いたり、手でペタベタ触ったり、剣で叩いて音に変化がないか確認したり、やれることはすべてやってみた。

 しかしやはり入り口付近は何もない。

 段差や突起物どころか、壁にはなんの変化も感じない。


「うーん。スイッチみたいなものはやっぱりないのか」


 入り口付近左右どちらも確認したが、3m程度の距離には何もなかった。

 ブライズはバタンと床に倒れて天井を見た。


「天井はあるんだよなぁ」


 壁の上に這い上がろうとしたが、低く見える壁も幻視なんだろう。手が届くようで届かない。そして壁は剣でえぐることなどできないくらい頑丈だ。

 これはすべて幻覚なんだと言い聞かせるが、感触から何もかも本物のように感じ、やはりラントに来てもらうべきだったなと後悔してしまう。

 そうやって天井をみながらぼんやり考えていると、急に視界がブレた。


「へ!?」



ブライズは慌てて立ち上がったが、もう遅かった。


————迷宮は動いた。


 それは一瞬のことで、ブライズのいる位置はもう入り口付近ではなくなっていた。


「しまったああああ!」


 どうやら時限式でこの迷宮は動くらしい。長く中にいるべきではなかったのだ。それに気がつくのが遅れたブライズは、迷宮に閉じ込められてしまった。

 あまりのことにブライズはしばし呆然とし、ドカッと床に座り込む。

 耳を澄ますが、モンスターの唸り声は聞こえない。ブライズはとりあえずほうっと息をつき安堵した。


「うーん。どうすっかな。ここはどの位置だろ」


 とりあえず周囲を探ろう。

 自分の長所は、あまり深く考えないところだと思っている。絶望するにはまだ早い。絶望は餓死するその時までするつもりはなかった。

 床を掘り、壁を探り、あちこち探索してみたが、今いる位置にはとくに何もない。またバタリと床に倒れて、天井を見る。

 そうしているとまた迷宮が動き、位置が変わる。

 5度目にそれが行われたとき、ブライズは携帯食料を鞄から取り出し、口に入れた。

 ブライズは一時間ごとに迷宮は動くと仮定して、密かに時間を計っていた。

 定期的に水を飲み、食料を齧りつつ探索をする。20回、30回と迷宮が動き、40回を過ぎたあたりでブライズは疲れて倒れ込んでしまった。

 体力バカのブライズでも徹夜状態で動き続けると、さすがに疲れがくる。

 モンスターの声は遠くに聞こえるものの、何度動いても近づくことはない。だから安心して野営できるだろう。

 鞄から毛布を取り出し体に巻くと、鞄を枕にし目をつむった。


 ————どれくらい寝ただろうか、生臭いものが鼻につき、目が覚めた。

 ブライズは飛び起きた。

 これはまずい!

 慌てて剣を構え左右を確認する。寝ているうちに迷宮は動いたらしい。

 ハァハァという人間のものとは到底思えない息遣いが聞こえるが、姿は見えない。

 しばらく左右を警戒していたが、ハッと上を見ると天井にそのモンスターはいた。


「おい、うっそだろ!? あいつらは天井行けるのかよ!?」


 モンスターとの睨み合いが続き、相手が天井を蹴って落ちてきた瞬間、ブライズが剣を振り上げ薙ぎ払った。

 モンスターは悲鳴をあげ床に転がったが、首らしき箇所が切り裂かれてはいるもののまだ動いていた。

 落ちてきたモンスターをブライズは凝視したが、今までこんなモンスターはみたことがない。

 獣のようで獣でなし。虫のようで虫でもない。


「……なんだこれは」


 こういうものが他にもいるのか?

 あの魔導士はモンスターすら作り上げたのか?

 さすがのブライズも怖気が立ち、背筋が震えた。

 動揺し狼狽えているところで、また迷宮が動いた。


「あああ! 鞄!!」


 気がつくと、即戦闘態勢に入ったせいで床に投げていた鞄と毛布がない。


 モンスターから離れられたのは良かったが、鞄を床に置いていたせいで、野営に必要な道具すべてを失ってしまった。


「なんだよ! 身につけていないと持ってこれないのかよ!!」


 ブライズは駄々っ子のように思わず床に倒れ込んだ。

 剣だけは持って来られたのは幸いだった。あんなものがいるなら、剣がないと命が危ない。

 しかし今いるここはモンスターがいないのか、シーンと静かだ。さきほどのやつは深手を負ったのか、追いかけてきている感じもない。

 仰向けになり、じっと天井を見ていると、ふと懐にある腕輪を思い出した。

 役に立たないものが残っちゃったなあと、懐から取り出して腕に嵌め、金色に光る腕輪を眺めた。


「ん? あれ?」


 金の腕輪を眺めていると、目の端に見えていた壁が消えていることに気がついた。


 迷宮が動いたのはついさっきのこと。

 次に動くにはまだかなり早い。


 慌てて起き上がり、周囲を見回すと、遮っていた壁すべてがすっかり消え去り、そこはもう迷宮などではなく、ただのがらーんとした石造り壁の建物の中だった。

 ブライズはそこでぽつんと1人座り込んでいた。
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