上 下
34 / 36
第4章

『帝王降臨』

しおりを挟む

「のんびりし過ぎたー!」

 ランチタイムに、女子会にまぜて勇志は、本人も気付かぬうちに浮かれていたのだろう。考えてみれば、絶世の美女4人、途中に顔を出した莉奈も加えれば、5人もの美女と共に過ごしたのだから、当然と言えば当然だろう。
 その際に周りにいた特に男子の「羨まけしからん」と言う、妬みの視線はそれはもう巨大な一つの怨念として勇志に降り注いでいたが、当の本人が気付くわけもなかった。

 さて、試合前の準備として欠かせないことがある。勇志は道中にあったトイレに駆け込み、空いている小便器に向かって用を足すために、ユニフォームのパンツに手をかけた。

「ふぅー……」

 どんなに急いでいても、これだけは欠かしてはならない。何故なら試合中に席を外すなど本来であれば御法度なのだから。
 勇志は先程、自分が試合中にドロップアウトしたことも忘れて、能天気にそんなことを考えながら用を足していた。
 そんな勇志の隣で、同じく用を足している人物が1人。その人物は自分の用は済んだのに、隣にいる能天気な人物に、終始睨みを効かせていた。流石のスーパー鈍感人間の勇志も、トイレで、しかも至近距離で睨まれ続けたら嫌でも気付く。
 勇志は、気付いていて気付いていないフリを貫いていた。
 
「おいッ!」

 痺れを切らしたようにその人物からついに声が掛かった。

「えー、何か?」

 このまま無視を続けたら、それこそもっと面倒くさそうなので、仕方がなく首だけ横に向けて言葉を返した。
 
「お前、六花大附属の入月勇志だろ!?」

 突然、名前を呼ばれたことに、訝しげに相手の顔を観察する。
 
「そうですが、どちら様でしょうか?」

 見れば見るほど、見覚えのない顔に戸惑いながら、今度は全身を見回す。
 ユニフォームの上にジャージを羽織っただけの姿な所を見ると、大会に参加している他校の生徒なのだろう。しかし、紫色の短髪に、耳にはピアスを付けていて、見るからにヤンキー風のその男に、全く覚えがなかった。
 
「とぼけんじゃねえぞ! 俺だよ俺!」
(何だ?新手のオレオレ詐欺かなんかか?)

 更に勇志は、訝しげな表情を強めて相手を見回した。

「う~ん……存じ上げませんね」
「テメェ!どこまでも人をおちょくりやがってぇッ!」

 激昂と同時に、相手の手が勇志のジャージの胸倉を掴んだ。いつもなら容易く避けられるが、この時ばかりは、されるがままに相手の方へと引き寄せられてしまった。

「中学ん時、バスケ部で一緒だった村崎拓海だろ?覚えてねぇって、お前の頭はハッピーセットかよ!?ア゛ァん!?」
「ああー、村崎か! 随分とガラが悪くなってて、全然わからなかったぜー、久しぶり!」

 言われてみれば、何となくだが当時の面影が見える気がする。しかし、勇志の記憶では、村崎拓海はいつもナヨナヨしていて、影の薄い人物だったはずだ。
 (これが所謂、『高校デビュー』ってやつか……上手くやったんだな村崎……良かったね!)

 勇志は心の中で村崎にサムズアップする。
 
「ハァ?馴れ馴れしく口利くんじゃねぇよ!?」
「え?話しかけて来たの、そっちじゃん……」
「うるせぇ!調子乗んじゃねぇぞ!」

 (とんでもないキレキャラだけど、よくそれで高校デビューできたなー……キャラメイクをミスったんじゃないの……?)

「ところでさ、申し訳ないんだけど……」
「ア?なんだよ?」
「さっきから、お前の足に俺のお小水が掛かってるからな?」
「ア゛ァーーーーーッ!!!?」

 急いで突き放すが、時すでに遅し。村崎のバスケシューズは半分以上、聖水没してしまっていた。

「いや、お前が悪いんだよ? 用を足してるのに掴みかかってくるから……」
「くッソ!なんて事しやがるッ!?」

 懸命に足を振って落とそうとするが、染み渡る水を止める事は出来ない。

「あっ……生暖かい……」
「だろうね……」

 村崎が青冷めていく、そして訪れる静寂。
 
「それじゃあ、俺は試合あるから行くけど……その……何かごめんな……」
「いや!俺も試合だしッ!」
「そうなんだ、頑張ってな……」

 そう言いながら、勇志は洗面台で手を洗い、その場を後にしようと村崎に背を向ける。

「待て!しれっとフェードアウトしてんじゃねぇ!」
「いや、もうこれ以上、試合に遅刻したら不味いし……じゃあ、また何処かでー!」
「ちょ!待てよ!?おい!てめぇ、覚え――」
 
 村崎が発狂していたが、あんな状態では動けるわけもなく、勇志はトイレから難なく逃げ出したのだった。






「村崎のやつ、まだ帰って来ないのか?もう試合始まるぞ?」

 華園学園、男子バスケ部のベンチにはウォーミングアップを済ませた生徒たちがズラリと並ぶ。その姿は、高校生とは思えない程、大柄で堅いの良い選手ばかりであった。

石頭セキトウ先生、良かったら俺が探して来ましょうか?」

 熊倉慎が気を利かせて、顧問に声を掛けた。
 石頭と呼ばれたこの男は、華園学園男子バスケ部の顧問である。華園学園男子バスケ部を全国大会に導いた立役者として、高校バスケ界ではちょっとした有名人であり、そのことから顔が広く、中学強豪校から優秀な人材をどんどん引き抜いて集めている。
 今では部員数100人を越え、その精鋭たる一軍の強さは、今年こそ全国を制覇できるのでは、とも噂されていた。

「いや、別にいい。最初から3軍を先発で出すつもりだったしな」
「了解です!」
「所詮は地区大会、本気で相手なんかしたら一生拭えないトラウマになるかも知れんしな……」

 石頭は相手校のベンチをチラリと見てから、自軍のベンチに座る4番のユニフォームを着た生徒を手招きした。

「お呼びですか?」
「池谷、この試合、お前が指示を出してみないか?」
「俺がですか?しかし、キャプテンの俺が試合に出ずに大丈夫ですか?」
「地区大会の1試合目、しかも、相手は無名校だ……心配は要らん」
「分かりました」
「じゃあ、後のことは頼んだぞ」

 そう言って、ベンチを後にしようとする石頭を池谷が呼び止める。

「先生、何処か行かれるんですか?」
「ちょっと協会の方々に挨拶して回ってくる」
「分かりました」

 石頭は、この試合を単なる通過儀礼としか考えていない。それは池谷も、ここにいる全員も同じだった。
 池谷はクルリとベンチの方へ向き直ると、メンバーたちに一通り目配せをしてから声を上げた。

「そう言うわけだから、この試合は俺の指示に従ってもらう!異論のある奴はいるか!?」
「…………」
「よし、じゃあ……」
「ちょいと待ってくれねぇか?」

 全員が異議なしとなった後に、ベンチの端に座っていた1番大柄な男が、ゆっくりと立ち上がって池谷を見下ろした。

「何だ服部はっとり、言いたい事があるのか?」

 頭半分背の高く、目つきの悪い男に見下ろされながらも、全く臆する様子もなく池谷が応じる。

「いや、アンタが指示することに文句はねえんだが、この試合も俺が出る幕じゃねえだろ?」

 この服部と呼ばれた男は、華園学園バスケ部でも指折りのプレイヤーなのだが、訳あって一軍にも二軍にも属していない。

「できれば、俺はお前とプレーしたいんだけどな……」
「おいおい、泣かせてくれるじゃねぇかー!そんなこと言ってくれるのは池谷だけだぜ?」

 そう言いながら、服部は自陣のベンチを不敵な笑みを浮かべながら見回す。
 ベンチに座る部員たちは、目を合わせないように下を向いたり、手を動かして気付かないフリをしていた。

「池谷は、俺が皆んなに何て呼ばれてるか知ってるか?」
「ああ、知っている。自分で分かっているなら日頃の行いを改めればいいだろ!そんな事しなくても、お前は十分に……」
「ふふぁははははは!冗談じゃないッ!」

 服部は、血走った目で池谷を睨みつける。

「こんなに楽しいことを、俺がそう簡単にやめるわけないだろ?」
「俺の目が黒い間は全力でお前を止めるからな……」
「そうでもしてくれねえと抑えられないんだよ……ほと走るパトスがッ!あ~……早く壊し甲斐のある奴と戦いてぇな~……」
「お前が敵じゃなくて良かったと、心底思うよ……」

 池谷がボソっと溢した思いは、池谷だけでなく、華園学園の部員たち全員の総意だった。

「というわけで、出番のない俺は女子の試合を観に行くぜ?良いよな?」
「構わないが、節度は守れよ?」
「はいはい、莉奈ちゃんのユニフォーム姿なんて滅多に見れないからな~、早く行かないと良い席取られちまうぜ」

 やけに大きな独り言を漏らしながら、服部は通路の奥へと姿を消した。

 『整列!各チームのスターティングメンバーはコートへ!』

 丁度、審判から開始前の合図が掛かる。同時に六花大附属と、華園学園の先発メンバースタメンがコートに整列し、互いに向かい合った。

 六花大附属は審判の手前から、4番『小畑良介』、5番『陸組睦りくぐみむつみ』、6番『土戸理庵つちどりあん』、14番『林田真純』15番『入月勇志』の順に並んでいた。

「なあ真純」
「ん、どうした?」

 勇志は審判が話をしている間にも関わらず、隣に立つ真純に小声で話しかけていた。

「相手チーム、何か覇気がないんだけど、本当に全国大会出場の常連チームなのか?」
「その筈なんだけど、どうやらレギュラーメンバーの殆どがベンチにいるみたいだな……」
「ははーん、もしかして完全に舐められているのでは?」
「仕方ないだろ、相手は公式戦で一勝もした事がない無名の学校だぞ?」
「でも、もう3試合目よ?」
「首の皮一枚のギリギリで、だけどな……」
「その都度は大変ご迷惑をお掛けしましたッ!」

 勢いよく頭を下げる勇志に、審判が顔を顰める。
 それと同時に、観客席からも「しっかりやれ!」と野次が飛ばされ、その後にブーイングが続いた。
 観客の殆どが、全国制覇の期待がかかる華園学園を見に来ていて、観客からして見ても、この試合は消化試合にしか考えていないのだ。
 
『ジャンプボール! 位置について!!』

 両チームがセンターサークルを囲むようにスタート位置に着き、勇志もゆっくりと腰を落とした。

《ピィーーーー!!!》

 審判のホイッスルとともに投げられたボールが最高点に達した時、真純と、やや遅れて相手選手がジャンプする。

「もらったッ!」

 ジャンプボールを制したのは真純。叩いたボールの先は小畑の正面。

「ほらよッ!」

 叩きつけられたボールの反動を利用し、小畑は一直線にゴールに向かってパスを送る。

「はやまったのか!?」
「バカか!?誰もいないぞー?」

 何処からかそんな声が聞こえて来る。
 しかし、その直後にボールが突然軌道を変え、吸い寄せられるようにゴールリングを抜けて、静かにネットを揺らした。
 ゴールの下には、シュートを終えて着地する勇志の姿が残った。
 それは、まるで流星スピードスターのような、目で追うのがやっとの速さスピードだった。

「…………」
 
 会場が一気に静まり返る。
 
 「う……嘘だろ……?」
「得点入ったのか……?」
「誰か、誰か今の見えてた人いる……!?」
 
 六花大附属は、たったワンプレーで、会場の空気をガラリと変えてしまった。
 
「あんなのまぐれに決まってる!」
「華園学園を舐めるなよ!?」

 華園学園は激昂し、エンドラインからボールを受け取ると、相手を睨みつけようと後ろを振り向くが……

「――馬鹿ッ!」
「は?」
 
 仲間からの叱責を受けるが、その謂れがない。取り敢えず、ボールをハーフラインまで運ぼうとドリブルをしようとすると……

「ボールが……ない……!?」
「後ろだ!守れーッディフェンス!!」

 振り向いた時には、ボールは再びリングをくぐり抜けた後だった。

「そんな……馬鹿な……!?」
「気持ち切り替えろ!まだ始まったばかりだろ!」

《ピィーーー!!!》

 審判の長いホイッスルが響く。
 
『タイムアウト!華園学園!』

 華園学園のベンチに大人しく座っていられなくなった池谷の顔が厳しく歪む。まさか、こちらが試合開始から僅か1分程でタイムアウトを取らされることなど、想像もしていなかったからだ。

「すまないがメンバーを全員入れ替える!1軍の3人と、2軍から2人だ!出し惜しみはなしだ!全力で行く!」
「――池谷!」

 池谷が2軍からメンバーを選抜していると、息を切らした村崎拓海がベンチに飛び込んできた。

「俺を、俺を試合に出してくれ!」
「試合に遅刻して来て謝罪もなしに、何言ってるのか分かっているのか?」
「す、すまねえ……!」

 村崎は周りの目も気にする様子なく、深々と池谷に頭を下げた。
 
「それで、何か理由があるんだろ?試合に出たい理由が……」
「どうしても、ぶっ潰したい奴がいる……!」

 村崎は深々と頭を下げたまま、池谷の質問に答えた。しかし、その目は闘志で激っていた。

「どうして、うちのチームはこう、血の気が多い奴ばかりなんだ……」
「頼むッ!」

 池谷は大きく溜息を吐くと、2軍メンバー枠として、村崎拓海と熊倉慎を指名した。

「相手のペースに乗せられるな、俺たちが主導権を握る!頼んだぞ!」

 池谷は、仲間に檄を飛ばしてコートへ送り出した。


 ☆


「思ったより反応早かったな」
「そうだな……」

 六花大附属はベンチに戻ると、冷静に状況を見極めていた。

「おっ、メンバー総入れ替えじゃーん」
「向こうの指揮官は、中々に頭が切れるみたいだな」
「だな!でも、指示してる奴は監督じゃなくて、生徒っぽくね?監督っぽいおっさんが、さっきまでベンチに座ってなかったっけか?」
「あー、それはきっと……泣く泣くトイレにでも行ってるんじゃないか!?色々あって……!」
「そっかー……生理現象には逆らえねーからなー!」

 まだ試合開始1分も経っていないのに、相手の高校に「舐められてる」という真実を打ち明けていたら、小畑はきっと後先考えずフルスロットルで突っ込んでいくだろう。
 勇志は咄嗟に起点を利かせて、苦し紛れの渇いた笑いを浮かべた。

「ハハハハ……」
「何だよ勇志、笑ってんのかよ!?余裕だな~!ハハハハッ!!」

 ドアホウで本当に良かったと、勇志は小畑から見えない位置でほっと安堵した。
 
 まだまだ余裕のある小畑と、勇志。何と言っても、2人は前の2試合に参加していない。他の部員たちに比べて元気なのは当然であった。

「2人とも、散々待たせたツケは払ってくれるんだろうね?」

 スポーツドリンクを口に含み、潤すように喉に通した真純が、期待の眼差しを2人に向ける。

「当ったり前だろ!なあ、勇志!?」
「それが俺、まだ本調子じゃないんだよね……」
「嘘だろッ!?」

 小畑のツッコミと同時に、タイムアウト終了のブザーが鳴る。

「なあ……だ、大丈夫だよな……?」

 小畑は、自分の悪い予感が的中しないことを願って、コートに戻る4人の後に続いた。

 勇志は、相手チームの総入れ替えで変わった自分の相手マークスマンを確認する。

(えーと、10番で良かったよな?)

 そして、華園学園の10番の顔を確認すると……

「げっ……!?」
「やっと……この手でお前をブチのめせるぜ!なあ勇志!?」

 勇志の相手は、先程トイレでイチャモンをつけて自爆した、『村崎拓海』だった。

「村崎……そんなことよりお前、ちゃんとバスケシューズ変えて来たか……?」
「あ?」
「若干、まだ臭うような気が……」
「わざわざ、近くのスポーツ店行って、新しいバスケ用靴バッシュ買って来たわッ!」
「あー!それで遅くなったのか、お疲れ様です……」
「ふざけんなよ、テメェ!?」

 村崎が話すと同時に、小畑から勇志へボールが渡る。

「なあ村崎、ここはコートの中だぜ?言いたい事があるならさ……」

 その瞬間、村崎は目の前にいた筈の勇志の姿を見失った。

「――プレーで語ってくれよ?」

 その言葉が聞こえたのは背後から、振り向いた時には、勇志はゴール前の2人の守備ディフェンスを抜けて、シュートを決める瞬間だった。

「なっ……!?」

 圧倒的な力の差を見せ付けられ、村崎の動きが止まる。いや、その場にいた全員が、息をするのも忘れる程に勇志のプレーに心を奪われていた。

「「「うぉおおおおお!!!」」」

 思い出したかのような大歓声が会場を包む。華園学園が主力メンバーを投入しても、その点差は縮まるどころか、更に大きく突き放されている。
 誰も予想していなかった試合展開に、観客たちの注目が集まり、いつの間にか、六花大附属と華園学園が試合するコートの周りは、多くの観客で溢れかえっていた。

「すげー、何なんだあの六花大附属の15番!?」
「いや、4番と、14番も半端ねえって!」
「華園が手も足も出ないじゃん……」
「本当に無名校なのか……?」
「すげー……!こんなハイレベルな試合、初めて見たぜ……」

 試合開始前は華園学園を贔屓ひいきにしていた観客たちも、既に六花大附属の方へ気持ちが傾いていた。
 
「クソッ!どいつもこいつも!おい慎!俺にボール回せ!」

 会場の雰囲気と、格下相手に手も足も出ない状況に、村崎のフラストレーションがピークに達していた。

「無茶すんな村崎!ここは一旦立て直して……」
「るっせえ!早く寄越せッ!!」

 共に戦っている筈の仲間からボールを奪い、目の前の勇志に一対一で勝負を挑む。

「良い気になんなよ、勇志の分際でぇッ!!」

 村崎は、半ば強引に身体を入れて、勇志を抜こうと前に出る。体格差を活かし、多少ぶつかって来ても吹き飛ばすくらいの力強いドリブル。
 勇志は、突っ込んでくる村崎に当たらないように少し右側に身を引いてしまった。

「――ここだッ!!」

 村崎は勇志が引いて出来た空いた空間エンプティースペースを見逃さず、つかさず身体を割り込ませて勇志を抜き去った。

「見たかッ!所詮お前は俺の足元にも……!?」

 しかし、村崎が抜けたその先には、六花大附属の不動の14番、林田真純が立ち塞がっていた。

お前真純なんか相手にするかよ!」

 村崎は真純を更に右から抜こうと、ドリブルの姿勢をもう一度低くした。しかし、鉄壁の守りを容易く抜くことは出来ず、ジリジリとエンドラインへ追い詰められてしまう。

「クソッ!なら反対側逆サイドから抜いてやる!」

 それこそが、巧妙に仕掛けられた罠だった。
 村崎は身体を入れ替え、真純の左側からゴールを狙うが……

「ここでお前も来るのか!?勇志ぃ~!!」

 身体を入れ替えた先に、勇志が立ちはだかり、行く手を塞がれた拍子でボールを持ってしまった。
 この状態から軸足が浮いてしまうと『トラベリング』となり、相手のボールになってしまう。
 しかし、通常であればその状態からでもパスを出したり、シュートを決めるのは容易なのだが……

「いつの間に、こんな端に追いやられた!?」

 村崎が気付いた時には、ゴールを狙うには角度があり過ぎて、パスのコースも限定される場所、コートの四隅に追い込まれていた。
 真純と勇志に前方と左側を塞がれ、すぐ右側にはエンドライン、後方はサイドラインで完全に四方を囲まれた状態で身動きは取れない。

「村崎、パスだ!パスを回せッ!!」
「わーってるけど、出せねぇんだよ!?」

 こういう時の悪足掻きが村崎にはあった。

「なら、コレでも喰らえッ!!」

 村崎は、ボールを故意に相手ディフェンスにぶつけてコートの外に出しすことで、改めてスローインから攻撃オフェンスをやり直すという、悪足掻きを勇志に向かって繰り出した。

「――よッと!」

 しかし、勇志は自分の左足目掛けて飛んできたボールを軽く足を下げて躱すと、そのままボールをキャッチして、反対側のゴールに向かって放り投げた。 

「小畑ー、走っれー!」
「バッキャロウ!もっとパスに愛を込めろっての!」

 文句を言いながらだが、小畑が勇志のパスを見事にキャッチし、そのままボールをゴールへと導く。
 同時に、タイマーが第一クォーター終了の合図を大きく鳴らした。

「まさか……ワザと俺に抜かれたのか……!?」

 お互いにベンチへ戻ろうと、すれ違った勇志に、村崎が話し掛けた。

「強引に突っ込んで来たら危ないだろ?だから、動きを止めさせてもらったんだよ……」
「俺が……俺がお前に負けるはずがない!今の俺は、全盛期のお前より遥かに強いはずだッ!」
「いつから自分が強いと錯覚していた?」
「何……!?」
「1人で何でもできると思っているなら、いつまで経ってもお前は俺には勝てないよ……絶対に……」
 
 そう言ってベンチに戻っていく勇志に、何故か村崎は、それ以上することが反論できなかった。
 ベンチに戻ると、まだ試合の1/4が過ぎただけだというのに、既に決着が付いてしまったかのような敗北感が漂っていた。
 無理もない。格下相手に、まるで赤子の手を捻るように、こちらが相手をされているのだから。
 
「クソッ……どいつもこいつもしけた顔しやがって……!」

 村崎が悪態を吐きながらベンチに座るのを、何人かが睨むような視線を送る。
 六花大附属がここまで強いということは、もちろん予想外だが、ここまで苦戦を強いられているのは、村崎が勇志に対して敵意剥き出しで突っ込み、玉砕していることが、主な原因であったからだ。
 
「――誰のせいでこんな事になってると思ってんだよ……」
「あ?誰だ、今言った奴は!?」

 村崎が問い詰めるも、誰も目を合わせようとせず、皆揃って口を塞ぐ。それは、その言葉がここにいる全員の総意であると同義だった。

「村崎、交代だ……お前は少し頭を冷やせ」

 池谷が村崎を嗜めながら、自分のジャージを脱ぎ出した。

「いや!俺はまだやれる!」
「これ以上、チームの輪を乱されたくない!下がって頭を冷やせ!」
「くッ……それで、俺の代わりは誰が出るんだ?」

 池谷は最後に眼鏡を外して、マネージャーに手渡すと、「石頭先生を呼んできてくれないか?」と伝えて、そのままコートの中に入っていった。

「第2クォーターからは俺が出る。15番の相手は俺が務めよう……」

 池谷がコートに入るや否や、大歓声が会場を包み込んだ!

「マジか!?池谷が出て来たぞ!」
「地区大会の初戦から池谷が出張ってくるなんて珍しいんじゃないか……?」
「いや、初めてだな……」
「キャー!池谷くーん!!」

 眼鏡を外して、さらに強調された眼光の鋭さには、見るものを惹きつける妖美さと、力強さを兼ね備えている。
 流石に纏っているオーラが違う。六花大附属の全員が、池谷を見てゆっくりと息を呑んだ。

「メンバー変わったぞ、相手マークスマン確認しろよ!」

 小畑がチームに注意するよう声を掛けながら、相手の力量を見定めようと目を凝らす。しかし、小畑の目に映ったのは、池谷の奥、客席から黄色い声援を送っている女子たちのその数の多さだった。

「池谷くーん!頑張ってー!」
「こっち向いてー!」
「「L・O・V・E池谷!L・O・V・E池谷!!」」

 段々と小畑の顔が般若のそれに変わっていく。

「おい、勇志」
「ん?どした?」
「あの場違いで生意気なヤツは何だ……?」
「いや~、凄い人気だな……あれはビジュアルだけでなく、プレーも相当凄いとみた」
「そういうことを言ってるんじゃねぇんだよ!?神聖なバスケの試合を何だと思ってるんだということを言いんたいんだよ、俺はッ!?」
「いや、いつも女子の身体ジロジロ見てるお前が言うか?それ……」
「とにかく!アイツは俺が相手マークするから代わってくれ!」
「お好きにどうぞ……」
「目に物見せてくれるわッ!」

 第2クォーターが開始し、六花大附属がボールを得る。小畑がボールを運ぶガードのポジションに入ったが、池谷は小畑にマークせず、勇志の方にディフェンスに入っていた。

「ぐぬぬぬ……!俺のことは眼中にないってかッ!?」

 そんな小畑の内心とは裏腹に、池谷は久しぶりの好敵手ライバルと出会えた事に、喜びを感じていた。

六花大附属彼らの機動力である15番彼の脚を止めてしまえば、あとはどうにでもなる)
(こいつ、見た目と違って中々嫌らしい守備ディフェンスしてくるな……)

 勇志の方は、扱いやすかった村崎とは違って、隙のない構えで徹底してマークを外さない池谷に阻まれ、中々ボールを貰えないでいた。

(パスが……出せねぇ……!?)
「小畑!ボール狙われてるぞ!」
「――なッ!?」

 躊躇っている小畑のボールを、華園学園相手選手奪うスティール。そして、池谷にボールが渡り、簡単にシュートを決められてしまった。

「「「キャーーー!!」」」
「池谷くん素敵~!」
「そのまま逆転よー!」

 飛び交う黄色い声援と、満更でもない池谷。
 そして、小畑のフラストレーションがいよいよ限界を迎えようとしていた。

「華園学園の4番さんよ……次は止めちゃうからな?」

 池谷がボールを貰ったタイミングで、小畑が池谷を挑発する。

「君が、俺を?」
「そうだよ!」
「さっきから、俺の相手マークスマンが、どうして15番の彼ではないのか、疑問に思っていたんだが……」

 その瞬間、左右にフェイントを掛けて揺さぶりを掛けてきた池谷が、小畑の視界から一瞬消えた。

「――くッ、そ!」

 急いで背後を振り返った時には、池谷は3ポイントラインの外から、華麗にシュートを放つ瞬間だった。
 審判が指を3本高く上げる。そして、ボールはアーチを描きながら、吸い込まれるようにリングをくぐり抜けた。そして、審判が勢いよく3本の指を、腕ごと振り下ろした。

「「「ワーーーーーッ!!!」」」
 
 見事なシュートに会場が沸き、流れが完全に華園学園に傾いた瞬間だった。

「――残念だが、小畑じゃ役不足だな」
「…………」
「俺を止めるという意気込みは買うが、忠告しておこう……君のそのちっぽけなプライドが、チームを敗北に導くんだよ……」

 プツンと、小畑の中で何かが切れる音がした。

「――ふっ、フフフフフフフッ……」

 突如として笑い出す小畑に、その場にいる全員が注目する。

「おい……どうした小畑?変なもんでも食ったのか……?」

 勇志が、いよいよ小畑がおかしくなったかと心配そうに近寄る。

「初めてですよ……」
「は……?」
「ここまで私をコケにしたおバカさんは……」

 ふと、顔を上げた小畑に、いつもの陽気な気配はなく、それはまるで、『宇宙の帝王』その者だった……

「僕にホコリをつけたのは、親以外では君が初めてだよ……!」
しおりを挟む

処理中です...