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第4章

『心の距離と物理的距離の反比例』

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「ただいまー……」

 女子バスケ部の応援を終えて無事に帰宅した勇志は、自分が何故、今日もこんなに疲労しているのかを思い返しながら洗面所へと向かった。
 女子バスケ部の練習試合の応援に行っただけなのに、愛也の『実況ごっこ』に付き合わされたり、放送部からインタビューを撮られたり、花沢さんが目の前で倒れて、各方面から責められたり……
「最近こんなことばっかだな……」と、大きく溜息をついた。
 
「これで明日から大会が始まるとか、嫌な予感しかしないよなー……」

 大きな声だが独り言である。

 入月家では、洗面所は脱衣所の中にあり、脱衣所には鍵が付いていない。端的に言えば、誰が入っていようと、誰でも入ることができるということである。
 そして、勇志が脱衣所に入ると、既に誰かが入浴中のようで、シャワーを浴びる音が聞こえてきた。しかし、勇志は「どうせ母さんか百合華のどちらかだろう」と、いつものように気にすることなく洗面所で手洗いうがいを済ませた。
 ふと視線を落とすと、綺麗に折り畳まれた服の上に、やけに可愛らしい花柄のパンツと、それに相対するようなセクシーな黒いブラジャーが、これもまた綺麗に畳んで置かれていた。

(ったく百合華のやつ、上下違う下着じゃないか)

 百合華の物と断定してパンツを手に取る。

(それに、この花柄の可愛らしいパンツはなんだ? 中3年にもなって、まだこんな可愛いパンツを履いているなんて、外見は成長しても中身はまだまだお子ちゃまだなー、まあそこが可愛いんだが!)

 パンツを眺めながら、染み染み可愛い妹のことを考えていると、風呂場の扉が突然開かれ、可愛い花柄のパンツの主と対面してしまった。

「え……!?」
 
 しかし、短い人生の中でも1番と言っても過言ではないほど勇志は驚愕した。そう、例えるなら、苦楽を共にした親友と戦場で、しかも敵対勢力として再会したような衝撃。
 そこに立っていたのは、勇志の可愛い妹、百合華ではなく……

「あ、歩美!?」
「きゃッ!勇志!?帰ってたの!?」
「ご、ごめん!!」

 咄嗟に身体を隠すように、風呂場の扉の影に隠れ、顔だけ覗かせた歩美。勇志も、直ぐに背を向けて謝罪した。
 この後、アニメやゲームでは「キャー!エッチぃー!!」と、罵倒されながら物を投げられたり、頬に紅葉を作るほどの平手打ちに合うのがお約束だが、現実にそんなことはあり得ない。
 歩美も驚きはしたが、故意ではないと分かっているからか、怒ったり責めたりすることはなかった。

「てっきり百合華が入ってるのかと思ってて!」
「ううん、私の方こそ勝手にごめんね!お風呂使わせてもらっちゃって……」

 歩美が入月家のお風呂に入るのは、別段珍しい事ではない。母親の陽毬も、妹の百合華も歩美のことは家族同然のように思っていて、何かと家に泊めようとするのだった。
 
「ということは、また母さんに無理矢理泊まってけって言われたんだろ?本当に迷惑掛けてごめんな」
「そんな無理矢理とかではないから!」

 歩美のお泊まりの頻度は日に日に増え、今では、もう勇志に何の連絡もなし決まっているため、勇志は困り果てていた。
 もちろん、陽毬も百合華も2人の秘めたる思いは気付いているので、歩美を家に泊めているのは言うまでもない。

「それに、家で1人でいるのは寂しいから、つい甘えたくなっちゃったのかな……」
「歩美……」

 歩美の家は、お屋敷のように豪華で大きな家だが、基本的に歩美が1人で住んでいる。父親は医者で仕事が忙しいのか、殆ど家に帰らないらしい。
 だから、陽毬もお節介を承知で半ば強引に、こうして入月家に招いているということも、本当は分かっていた。

「まあ、そのあれだ……ゆっくりして行ってくださいね?」
「ふふッ、何で敬語なの?」
「こういう時、何て言ったらいいか分からなくて……」

 背中越しに、扉一枚挟んで裸の幼馴染が顔を覗かせている状況で、冷静になれる方がおかしい。

「たしかにそうねー……ガップレの歌姫である私の裸を見ておいて、なにもコメントがないなんて失礼しちゃうわよね~」

 冗談のつもりで勇志を揶揄ったのに、自分で言っておいて恥ずかしくなったのか、さらに顔まで扉の後ろに隠してしまったが、勇志は背中を向けているため、そんな歩美の乙女心なぞ、全く気付かず、素直に答え始める。
 
「えっと、その…… すごく綺麗だったよ……本当に……」
「え゛っ!?」

 予想もしていなかった勇志の返答に、自分でも信じられないような変な声が出てしまう。
 勇志の方も、慣れない言葉を口にして恥ずかしくなったのか、「それじゃあ」と言って脱衣所を後にしようとした。
 しかし、その矢先、歩美から「ちょっと待って!」と、声が掛かかった。

「ど、どうした……?」
 
 意識しないようにはしていたが、歩美の一糸纏わぬ姿は想像以上に艶めかしくて美しい。これ以上長居していたら、自分の理性を保てる自信がなく、出来れば早く退散したい。

「その、ちょっと聞きにくいんだけど、その手に持っているもの何だけど……」
「へ?」

 勇志がいつの間にかその手で握りしめていた物。それを自分の顔の前で広げると、なんとも可愛らしい花柄の『パンツ』がヒラヒラと揺れていた。

「これはー…… その……パンツですね」
「誰の?」
「歩美さんのですかね?」
「私のパンツをどうするつもりだったのかな?」
「えー、僕にも分かりません」
「ふーん、勇志にそんな趣味があったなんてねー」
「いや、違うよ!?違うからね!」
「この前、私と一緒にお風呂入った時は手も出さなかったくせに、私のパンツには手を出すんだ?」
「だから!違うんだって!とにかく、ほんとごめんッ!!」

 勇志はパンツを服の上にそっと帰すと、逃げるようにその場を後にしたのだった。

「もうおバカなんだから……」

 歩美も、勇志が本気でパンツを持って行こうとしていたなんて思っていない。それよりも――

「何で勝負下着履いて来なかったんだろー……!もう、私のバカーッ!!」

 そう言いながら、歩美は冷えた身体とは対照的に火照った身体を治めるために、再び風呂場に戻って行った。



………………

…………

……


「もう、お兄ちゃんはコーヒーに牛乳と砂糖をドバドバ入れ過ぎで、一緒に外食する時、本当に恥ずかしい!歩美ちゃんもそう思いませんか!?」
「うーん……もう慣れたかな……」
「この前、お兄ちゃんにコーヒーは香りを楽しむもので、そんなに砂糖とミルク入れたら香りが分からなくなるよ?って言ったら何て言われたと思います!?」
「それなら私も聞いたことある、確か――」
「「そんなのただの『苦い汁』じゃん」」
「フフフッ――」

 夕食後の入月家の食卓では、乙女たちの笑い声が彩り、それだけでも食後のコーヒーのお茶請けとしては十分である。
 ここで話題にもなっている勇志の飲んでいるは、果たしてコーヒーというものに分類されるのかという疑問は、おそらく多くのコーヒー愛好家たちが頭を悩ませる難問ではないだろうか。
 しかし、今の勇志の脳内では『コーヒー界のリーマン予想』とは、全く別の問題に殆どの容量を持っていかれていた。

(だ、ダメだ!歩美を見るたびに、さっきの光景が頭に浮かんでくる!)

 振り払っても振り払っても、その光景は鮮明に、色鮮やかに、勇志の脳内に広がっていく。

「ねえ?お兄ちゃん、ちゃんと聞いてるの!?」

 それは『コーヒー風味の甘い牛乳』という答えが、本人の意見は全く尊重されないまま導き出されたときだった。
 顔をほんのり赤くさせながら、チビチビとコーヒー風味の甘い牛乳を飲んでいる兄に、百合華が文句を言ってやるつもりで、顔を覗き込んできたのだ。

「――え?ごめん、何だって?」
「うそ?聞いてなかったの!?」
 
 そもそも、食卓についたときから、兄の様子はおかしかった。何を聞いても上の空だし、せっかく歩美ゲストがいるというのに、話し掛けるどころか、目も合わせようとしない。
 それを歩美の方が気にして、何度か声を掛けてくれているのに、素っ気ない態度を取っている。
 そんな失礼な兄に、嫌味のつもりで『コーヒー風味の甘い牛乳』の話題を振ったというのに、それすらも意に返さない。普段なら、ツッコミの一つや二つ入れても良いところなのに……

「どっか頭でも打ったんじゃないの?」

 そう疑ってしまうほど、兄の態度は異常だった。

「いや、どこも打ってないけど……?」
「ふ~ん……」

 百合華は少し考えるような素振りをしてから、「もしかして」と口を開いた。

「――さっき、お風呂場で何かあった?」
「ブふぉッ!!?」

 盛大に『コーヒー風味の甘い牛乳』を吹き出した勇志は、何度か咳き込んでから百合華に向き直った。

「な、何も、何もなかったけども……?」

 牛乳を吹き出し、声も所々裏返っていて、それで信じろと言う方が難しい。

「何もなかった、ね~……」

 隣に座る兄を流し目で見つめる百合華。もちろんこれっぽっちも兄の無実を信じてはいない。

「歩美ちゃん!うちのムッツリスケベ兄に、一体どんな酷いことをされたんですか!?」

 突然、歩美の方へと向き直った百合華は、これでもかと歩美の身体を心配する素振りを見せる。本心ではヘタレの兄にそんな度胸はないと分かっている。「たまたま風呂を覗いてしまったくらいのハプニングだろう」と、考えていたのだが……
 
「え!?えーっと…… その…… 何というか…… で終わったから何もなかったかな……?」
「…………!?」

 一瞬の静寂の後……

「はーーーーッ!!!?」
「ファーーーッ!!!?」

 入月家は大パニックである。

「お兄ちゃん!本気で見損なったんだけどッ!?」
「ち、違っ!?百合華が思ってるようなことは絶対にないからな!?」

 百合華のこの迫真に迫る勢いは、間違いなく勇志が歩美と一線を越えようとしたと誤解しているに違いない。
 とにかく、勇志は誤解を解こうと、百合華を宥めるように、もう一度椅子へと座らせたが、背後からもう一人、黒いオーラを纏った人物が、いつになく恐ろしい剣幕で迫っていた。

「あらまあ……私にもその話、詳しく聞かせてもらっていいかしら?」
「母さんまで!?」

 いつもと変わらない笑顔のように見えるが、その下は怒りと狂気を孕んでいる。見れば、手にはよく研がれた包丁が握られているではないか!

「事と次第によっては、お父さんを呼び出して、歩美ちゃんのお父様にお詫びに行かないといけないかしら……?」
「首でも差し出すつもり!?」

 背中に冷たい汗が流れ落ちるのを感じながら、必死にこの場を乗り切る打開路を模索する。

「いや、だから違うんだって!歩美!?いや、歩美様!」

 ここはもう、本人に誤解を解いてもらうしかないと、歩美にSOSを送るが、考えてみれば誤解も何もないことに気付いた。
 脱衣所を覗き、歩美の裸を見て、パンツを持って行こうとしたのだ。これのどこに弁解の余地があるというのだ。
 しかも、これらのことに対して、歩美は殆ど怒っていない。歩美が怒っているのは、それからの勇志の対応だった。
 歩美からすれば勝手に人の裸を見て、自分のパンツを握られ、その後、気まずそうにするだけでなく、ろくに話もしてくれないとなれば、誰だって傷付く。

「――何でしょうか?」
「ぐぬ……」

 勇志は、あからさまに余所余所しい態度の歩美に一瞬面食らったが、それで引いてしまえば誤解は解けないまま、最悪、ここで命を落とすことになるかもしれない。

「歩美様からどうか誤解を解いてもらえないでしょうか!?」
「いやです」
「はい!?」

 プイとそっぽを向く歩美に、勇志は驚愕の表情を浮かべる。
 
「だって勇志、あれから全然私のこと見てくれないし、話し掛けてもくれないじゃない?」
「ぐぬ… それは……」

 出来るわけないだろ!と、喉元まで出かかった言葉をグッと飲み込んだ。
 今まで、辛うじて閉じ込めることができていた歩美への気持ちが、先の脱衣所での一件で、抑えが効かなくなってしまったのだ。
 もうこうなってしまったら最後、平常心ではいられない。歩美を見るたびに、自分の欲と罪が、内側から外に溢れ出していくような気がしてならない。
 しかし、それは歩美には関係のないこと。これは自分の中の悪、罪だ。こんな欲望を歩美に見られたくない。見せるわけにはいかない。

「……ごめん」

 たった一言謝っただけで、歩美の不安が取り除かれるわけもない。

「あんなことがあった後に、そんな態度をとられたら、私だって不安になるよ……」
「「!!?」」

 母娘の裏返った声が見事にシンクロする。

「歩美さん?もうちょっと言い方なんとかなりませんでした?」

 歩美の誤解を招くような表現を受け、母娘は戦闘体勢に移行する。
 百合華は軽蔑の眼差しを、陽毬は包丁を逆手持ちに持ち変えている。

「勇くん!!」「お兄ちゃん!!」
「待って!違うの!取り敢えず一旦落ち着いて!」
「問答無用!」「しっかりと教育し直さないとねぇ~!」
「あ…… アァアアアーッ!!」


………………
 
…………

……
 

 しばらく、母と妹にこっ酷く絞られた勇志は、満身創痍の身体を引き摺って、自室のベッドへと倒れ込んだ。
 この状態で明日の試合に臨まなければならないなんて、正気の沙汰とは思えない。
 今は一刻も早く休眠をと、湯船に浸かる時間も惜しんでシャワーだけで済まし、こうして布団に潜り込んだ次第である。

 「疲れた……」

 でも、良かったのかもしれない。先程の馬鹿騒ぎのお陰で疲労がピークに達し、いい具合に眠気も来ている。
 この重たい瞼を閉じれば、歩美に対する気持ちも、今だけは忘れて眠ることができそうだ。

 徐々に遠退いていく意識を心地よく感じながら、ゆっくりと瞼を閉じていく。
 そこから、どのくらい時間が経ったのかはわからない。ただ丁度自分の腕の中に、抱き心地の良いクッションがあるような感覚があり、夢見心地のまま強く抱き寄せた。

「う……」

 抱き寄せたクッションから、やけに色っぽい甘い声が漏れ出す。

(これはあれか?力を込めると音が鳴る類いのクッションなのか?)

 そんなクッション、家にあったかなと少し怪しみながら、再び抱き締める腕に力を込めた。

「あっ……」
「ん……?」

 いや、クッションがこんな人の声のように聞こえるものなのか?そんなわけがない!意識が徐々に覚醒していく。
 顎の下あたりにすっぽりと収まっているのは、どう見ても人の頭で、髪の毛が長く、いつも自分が使っているシャンプーと同じ匂いがした。
 そして、自分の両腕の間からはみ出した、クッションだと思っていた2つの大きな膨らみ。
 それが何かわかった時には、勇志は完全に現実の世界に引き戻されていた。

 「ご、ごめん!寝ぼけて勘違いして!」

 勇志は急いで身体を起こそうとしたが、胸の前にいる人物に腕を強く引かれて身動きが取れない。

「ダメ……もう少し、このままでいて……」

 強引に抜け出すこともできたが、何故かその選択肢はなく、勇志は再び同じ姿勢でベッドに身を預けた。

「……了解」
 
 勇志が抵抗をやめたのを確認すると、腕の拘束がスルりと解け、目の前の相手がこちらに寝返りを打つように向きを変えた。

「ゴメンね、起こしちゃって」

 宝石のような大きな瞳に月明かりが差し、星空のように澄んで輝いている。汚れなど知らず、ただ純粋に、美しく。
 
 『桐島歩美』
 
 その白い肌も、凛と整った鼻や唇も、妖艶な光を帯びていて、全てが芸術の域を超えて美しかった。
 けれど、いつまでも見入ることは出来ず、目を逸らしてしまった。きっと、自分の心を見透かされてしまう気がしたからだろう。

「いいよ別に、何か理由があるんだろ?」
「うん……」

 真っ直ぐで真剣な瞳を見れば、理由があることくらい容易に想像ができる。勇志は目を逸らしたまま、歩美の次の言葉を待った。

「最近、勇志がずっと遠くいるような気がして……」

 だから、『物理的に距離を縮めにきた』なんて言わないだろうなと考えながら、自分の見解を伝えてみることにした。
 
「確かに、バスケ部の助っ人を始めてから、お互いに下校は別々だけど、学校でもガップレでも、俺ん家でだって、こうして会ってるだろ?」

 そこまで深刻な話になる程、お互いに会っていないわけではない。
 幾ら幼馴染と言えど、恋人ではないのだし、男女の距離感としては間違っていないはずだと、心の中の自分に言い聞かせた。
 しかし、今日1日で、その距離感も大分おかしくなっている。
 現に今も、恋人でもない男女が同じシングルベッドで、半ば抱き合うように向かい合っているのが何よりもの証拠だろう。

「違うの、そういうことじゃなくて……うまく言えないけど、どこか距離を感じるの!」
「距離、か……」

 (こんなにピッタリくっ付いているのに!?)と、内心叫びそうになったが、ポーカーフェイスは崩さない。勇志とて、度重なる女難から日々成長しているのだ。

「あの日の約束、まだ憶えてる?」
「どの約束だ? いっぱいあり過ぎてわからん」
 「とぼけないで!」
「いてッ!?」

 歩美の言葉と同時に脇腹に軽い痛みが走る。どうやら軽くつねられたらしい。

「冗談だって、ちゃんと覚えてるよ……」

 満天の星空を背景に、哀しみを歌う少女の姿。
 聴く者のないその歌が、夜の闇に溶け込み、消えていくように、その少女もまた儚く消えてしまうような気がして、何とか繋ぎ止めるために『約束』という名の鎖で繋ぎ止めた。

 「『俺が歩美を歌わせてやる。悲しい唄じゃなくて、誰かを笑顔にする希望の歌を、俺が歩美に歌わせてやるから』って、私ね……その言葉が、本当にすごく嬉しかったんだよ?」

 絶望と虚無感、心が壊れる寸前の少女を救った約束は彼女の希望になり、今もまだ彼女を導いている。
 その本質は全く違うというのに……

「ねえ、ちゃんと聞いてるの!? 人が真面目な話をしてる時は、ちゃんと聞くの!」
「はい!ごめんなさい……」

 もう既に、寝静まっているのであろう家族のことを気遣って、最小限のボリュームで怒る歩美の声は、全く怒られている気がしないだけでなく、言いようのない可愛さがある。
 それでも怒られていることに変わりはないため、一応の反省はしつつ、緩んでしまいそうな口元をキュッと結びながら謝罪した。

 「ねえ、勇志……」
「ん?」
「私たち、これからもずっと一緒だよね?」
「…………」

 『一緒にいたい』と願うのは『約束』のためなのか?いつの間にか、その『約束』という名の希望が、形を変えて『依存』というものに、変わっているんじゃないか?
 もしそれが、あの時消えそうだった少女の心を保つ為のものだったとしたら、それは仕方ないのかもしれない。
 けれど、それはある意味で本来、当然在るべき『自由』を奪っているのではないかと、感じてならない。

「これからも一緒だよ、きっと俺たちは……」

『ずっと』とは言えなかった。 そして突き放すことも出来ない。歩美にとって『約束』が『依存』なら、勇志にとって『約束』は『贖罪』だからだ。

「うん、その言葉が聞けて、すごく安心した……」

 そのまま、歩美は勇志の胸の中にそっと顔を埋めた。
 
「なあ、歩美?」
「…………」

 返事の代わりに聞こえてきたのは、規則正しい呼吸音。「安心した」という言葉通り、そのまま眠ってしまったらしい。
 勇志は、静かに眠る歩美の髪を優しく撫で下ろしながら囁いた。

「俺はいつになったら自分自身を許すことが出来るかな……?」
 
優しく撫でていた手が突然止まる。

「こんな醜い自分生き物を、君は許してくれるだろうか……?」

 聞こえてくるのは規則正しい呼吸音だけ。
 勇志は自分の心の声を誰も聞いてなかったことに安堵し、再び眠りに着こうと、ゆっくり目を閉じた。

 ――が、改めて今の極限の状況下で落ち着いて眠れるはずもなく……

(ダメだ!眠れんッ!!)

 下腹部の辺りにある2つの『けしからんもの』が、否が応にも意識を覚醒させてくる。

(こんな状況で眠れるわけあるかァアアア!!?)
 
 必死に、無我の境地へと達しようという努力も虚しく、カーテンの隙間から朝日が差し込むまで、勇志は長い時間を己の欲望と戦い続けたのであった。
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