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第4章

『邂逅』

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 ――六花大附属高等学校2年4組の教室にて

 授業の合間の休み時間に、勇志はある噂を聞きつけて時雨の元にやって来ていた。

「なあ橘、花沢さんを次の試合にレギュラーで出して欲しいんだけど、出来るかな?」
「おはよう入月くん、ろくに挨拶もなしに女の子に声を掛けるなんて、デリカシーがないんじゃないかしら?」
「ぐぬッ……」
「しかも、話す相手とは違う女の子の話題を振るなんて、これはしっかりと教育しないといけないかしらね?」

 ドス黒いオーラを纏い始めた時雨に、勇志は急いで挨拶からやり直して、事の経緯を説明した。

「――そういうこと。あなたが言いたいことは大体分かったわ」

 勇志が時雨に説明したのは、1年の花沢華について。聞けば、華は1度も試合にメンバーとして出たことがなく、ベンチにも入れていないということだった。
 普通に考えれば、1年生が上級生を差し置いてレギュラー入りするなんて、余程のことがない限りありえない。まして、県大会常連の女子バスケ部は大所帯、1年生という身でベンチ入りするのは奇跡に等しい。
 しかし、勇志は華に、「バスケ楽しい?」と、少し説教じみたことを言ってしまった手前、バスケの楽しさを分かってもらうためには、「取り敢えず試合に出ることではないか?」と、1人で閃いたらしい。

「けれど、だからと言って花沢さんをレギュラーにすることは出来ないわね」

 時雨は勇志から目線を逸らさずに、きっぱりと言い切った。

「女子バスケ部は誰もがレギュラーになりたくて血が滲む努力をしているわ。それを1人だけ御情けで融通することはできないし、それに、融通したところで、それを1番不快に感じるのは、花沢さん本人じゃないかしら?」
「う… 確かに……」

 目の前で正論を並べられ、見る見るうちに小さくなっていく勇志を見て、時雨は何か自分の中で新しい扉が開いていく感覚をグッと堪えた。

(何これ、可愛いッ!?私に言い包められて、入月くんがどんどん小さくなっていく!ちょっとヤダ、可愛すぎてヤバいッ……!)
「けどさ橘、何とか出来ないかな?橘だけが頼りなんだよ……?」
「――ハうッ!?」

 捨てられた仔犬の様な顔で自分を見上げる勇志に、理性が機能不全に陥りそうになる。自分でも知らなかった本性が、這いずり出て来るのを寸前で食い止めた。

「ん、どした?」
「――だ、大丈夫… 何でもないわ……(今のは危なかった……)」

 昼間から、しかもこんな教室の真ん中で醜態を晒すわけにはいかない。時雨は大きく呼吸を整えてから、勇志に向き直った。

「分かったわ、週末の練習試合の時に、相手方に1年生のみの新人戦をしてほしいと申し込んでみるけれど、確約はできないわよ?」
「よっしゃ!ありがとう橘!」

 そんな満面の笑みで喜ばれたら、自分まで嬉しくなってしまう。時雨は自分の抑えきれない笑みを、掌で必死に隠していた。

………………
…………
……


 ――練習試合当日。
 ホストは六花大附属高等学校ということもあり、勇志は最早行き慣れた体育館に、女子バスケ部の応援で駆けつけていた。
 勇志が到着した時には、既に対戦相手の高校も既に練習を始めていて、早速、勇志は敵城視察と、コート全体がよく見渡せる2階へと脚を運んだ。

 「相手チームは中々に強そうだ。それにうちの女子バスケ部に負けずと人数も多いな」

 バスケというスポーツに限らずだが、試合前のウォーミングアップの雰囲気を見れば、その学校チームの強さをある程度予想することができる。今回の対戦相手は、中学時代全国出場経験のある勇志から見ても「強そう」と思えるチームだった。

「これはうちの方にかなりプレッシャーがかかってそうだな~……」

 バスケの試合のウォーミングアップでは、一つのコートを半分に仕切って、それぞれのチームがシュート練習や連携の確認を行う。そのため、お互いの練習風景が嫌でも目に入る。対戦相手の方がムード作りが上手く、練習の質が高いと、その雰囲気に圧倒されてしまうことも少なくない。
 逆に言えば、試合前から相手チームにプレッシャーをかけることができる為、いつも以上に声を張り上げたり、気合いを入れて取り組むチームが多い。
 大抵の場合は招待する側ホームの方が有利なのだが、今回は相手アウェイに軍配が上がった。
 見事なパスワークからのミドルシュート、そこから守備ディフェンスをドリブルで突破してからのレイアップシュート。一人一人の練度の高さが一目で伺えた。そして、何よりチームメイトの応援が、何処ぞのコーラス隊でも連れて来たのかと思うくらい、寸分の狂いなく綺麗なハーモニーで調和されていた。

「いや~、うちの部も声を出してはいるけど、完全に飲み込まれちゃってるね」
「ん?」

 勇志が相手チームを観察していると、さも当然のように隣から声が発せられる。

 「おい愛也、お前は一体どっから湧いて出てきたんだ?」

 どこからともなく現れた『山崎愛也』が、いつの間にか勇志の隣で、一丁前に腕を組みながら、「最初からずっと居ました」みたいな顔で、それっぽいコメントしていた。

「嫌だなー、勇志くん。 まるで僕が虫とか幽霊みたいな言い方じゃないかー」
「同じようなもんだろ。それで、何しに来たんだよ?」
「ちょっとね、挨拶しに来たんだよ」
「誰に?別にわざわざ今日じゃなくても、登校日にすればいいんじゃないか?」
「わざわざ今日来たということは、今日にしか挨拶できない人がいるってことだよ」
「まさか相手のチームか?」
「ご名答!」
 
(コイツの顔の広さはどうなってるのかねー)と、勇志は心の中で呟いたが、さすがの愛也も心の中まで覗くことは出来ないと信じたい。

「それで、その相手って誰?」
「あら、ご存知ない?勇志くんにとっても縁のある人物なんだけどな~……」

 愛也は面白そうという顔をして、勿体ぶるだけ勿体ぶるつもりだ。

「ふむ… 今日はお前の親衛隊ファンはいないようだな。なら、俺の右手シャイニングフィンガーが火を吹くぜ?」

 そう言いながら、勇志は右手の関節をポキポキ鳴らせる。

「ごめんごめん!ちょっとしたスキンシップだよ!?」
「ほう?」
「えっと、今日来てるとこ、華園学園の女子バスケ部だよ」
「え!?華園ってお前!あのお嬢様学校の華園学園か!?」
「いや、どの華園か知らないけど、僕の知ってる限り、華園学園なんて1つでしょ?」

 勇志の中では華園学園イコール西野莉奈として結ばれている。一瞬、(莉奈も来ているのか)と考えたが、そんな偶然があるわけないかと、すぐに振り払った。

「それが来てるんだなー、西野莉奈さん」
「何で分かったんだ… そして、何で愛也が西野のこと知ってんだよ?」
「逆に聞きたいんだけど、何で僕が勇志くんの親しい人間関係を把握していないと思ってるの?」
「いや、普通に怖いわ」
「それ程でも……」
「褒めてないし……」

 勇志がそう言いながら華園学園のコート内を見回すと、一際目立つ金髪のセミロングを揺らしながら、今まさに3ポイントシュートを鮮やかに決めた西野の姿を発見した。

「はー、すごいなー……」
 
 第1印象から、運動神経が良いんだろうなと思っていたが、実際こうしてスポーツをしているところを見ると、動きのキレや、踏み込みの鋭さ、どれをとっても同年代の部員より頭一つ抜けている。

(いや、決して胸の抵抗が少ないからとか、そんなことは思ってないからな!)

 何故か心の中で自分自身に突っ込む勇志。

「西野莉奈さん、学校では男子女子問わず人気があって、すごく可憐なお嬢様って感じなんだって」
「へぇー……」

 勇志が目で莉奈の姿を追っていることを確認した愛也が、自分も莉奈を目で追いながら話し出した。

「それでいて運動神経は抜群で、色々な運動部から声が掛かってたんだけど、全部断ってるんだって。けど、最近になって突然、本人から助っ人ならって、申し込みがあったみたいで、結構騒ぎになったんだって」
「詳しいのな……」
「まあね~」

 改めて、愛也の情報網は伊達じゃないなと思い知った勇志は、秘密にしたいことはもっと慎重に隠す必要があるなと再確認した。
 
「あら入月くん、来てたの?」
「おう、お疲れ橘、皆んなの様子はどう?」

 試合前のウォーミングアップがひと段落して、時雨が勇志と愛也の方へと歩み寄ってきた。
 相変わらず、ロングヘアーをポニーテールに纏めたその髪は、揺れるたびにお花畑に迷い込んだような艶やかな香りを醸し出し、その汗が弾けるたびに、光の結晶が辺りを輝かせているようにも感じる。
 一方、時雨は、「来てたの?」とは言ったが、実際は勇志が体育館に来た直後に発見し、声をかけるタイミングをずっと伺っていたが、部長としての責務から、ウォーミングアップ中に抜け出す訳にいかず、あくまで「今気付いた」という程で声を掛けた次第だった。
 もちろん、当の本人はそんな時雨の照れ隠しに気付くわけもない。その隣の男は、もちろん気付いてニヤニヤしていたが……

「そうね、本番直前の最後の練習試合だから、皆んな気合が入っているわ。入月くんは応援に来てくれたのかしら? 休日は1日中、家に閉じこもっていると思っていたけれど、珍しいこともあるのね」

 つい嫌味のようなことを言ってしまうのも、時雨の一風変わった愛情表情であるが、これもまた当の本人が気付くわけがない。

「俺だってできれば閉じこもってたいんだけど……」

 勇志はその視線を六花大が自主練をするコート中、とある人物へと向ける。

 ただひたすらににシュートを放つその姿は、どこか『迷い』『葛藤』というものを振り払おうとしているようにも見える。

「花沢さんね、あなたが焚き付けるように彼女に言ったこと、彼女なりに真剣に考えているみたいよ」
「そっか、ちょっと言い過ぎたんじゃないかと思ってたから、安心した」

 努力が報われるという保証はない。けれど、その努力が無駄になることは、たぶんきっとないと信じたい。

「時雨先輩、こんにちは。喫茶店デート以来ですね」
「山崎くん、お久しぶり… あとその、あれはデートとかじゃないから……」
「あっ、そうだったんですか!僕ったらうっかり~(テヘペロ)」
(愛也のやつ、わざとらしいことしやがって…!)

 流石に、時雨の前では愛也をどうにかすることもできず、勇志は「頭をモジャモジャにしてやりたい」という気持ちをどうにか抑え込んでいた。
 
「そういえば入月くん、さっき私が来る前に、誰のことをジッと見詰めていたのかしら?」
「ぐぬ!そ、それは~……」

 勇志が体育館に来た時に既に気付いていた時雨は、勇志が自分ではなく、他校の女子に目を奪われていたことにも当然気付いていた。

「実は華園学園に知り合いがいて、そいつが練習アップしてたもんだから――」
「そ、ならいいわ……」

 時雨は勇志を問いただした所で、文句を言う資格もないし、勇志にとっても何かを言われる筋合いもないことだと思い直した。

(ほほう、これはこれは面白くなってきたぞ~!)

 そんな2人の姿を横目に、愛也は「今日は『修羅場』が見れるかもしれない!』と、心底期待していた。まあ、どれもこれも彼が仕組んだ巧妙なトリックなのだが、本人たちは全く気付いていないだろう。
 時雨が勇志を発見したことを、いち早く見抜いた愛也は、勇志の視線を西野莉奈に向けるように誘導していたのだ。

 「ねえ入月くん、襟元に何か付いてるわよ?」
「え、ほんと?」
「いいわ、取ってあげる」

(私が入月くんに文句を言う資格がないのなら、入月くんが私に文句を言う資格もないはずよね)

 時雨は勇志の耳元にそっと自分の口元を近付けて……

「――嘘よ」

 そう小さく囁いた。

「――なッ!?」

 周りが見れば、それはまるで時雨が勇志にキスをしているような、そう見間違えても仕方がないほどの行為。
 勇志は当然、声も出ないほど真っ赤な顔をしていたが、時雨の方も、今更になって全身が茹ってしまうほど真っ赤に染まった。

「橘部長と入月くんのペアって、何か素敵よね~」
「わかるー」
「ちょっとお互い初心うぶ過ぎる気はするけどね」
「それがいいんじゃない!」
「確かに!」

 和む女子部員たち。
 しかし、そんな平穏を脅かすように、華園学園のコートからこちらに向かって、まるでドタバタという効果音をつけたような勢いで迫ってくる者がいた。

「ちょっと勇志! この女誰よッ!?」
「のわッ!?」

 その凄まじい迫力に、体育館にいる全員の視線が集まる。

「いきなりやってきて大声出さないでくれよ西野、ビックリするだろ!?」

 息を荒げながら勇志に詰め寄ったのは、華園学園2年の『西野莉奈』だった。そして、その勢いは留まることを知らない。

「だッ、だって見たわよ!?この女が勇志のほっぺに、ききききキスッ、してたもん!」
「ききききききキスッ!?」
「そう、見られてしまったんなら仕方がないわね。そういうことだから、入月くんに付き纏うのはやめて貰えるかしら?」

 時雨は間髪入れずに莉奈を牽制する。先程のキスに見間違えてしまうような行為も、こうして泥棒猫を炙り出す作戦だったというわけだ。

「はあ!?別に付き纏ってなんかいません~!そっちこそ、こんな公衆の面前で、よくそんな端ない行為が出来るわね!?」
「ちょっ、2人とも落ち着いて――」
「「貴方あんたは黙ってて!!」」
「はい……」

 この見事までの三角関係の極みを、目を輝かせて見守る者が1人。

「うひょひょ~い!キタキタキタ!勇志くん修羅場な~うッ!!」

 3人から一歩下がった所で小躍りしている愛也小悪魔を見て、勇志はようやく察したのだった。(すべてはコイツの計画せいか……)
 気付いた所で時既に遅し、賽は投げられたのである。
 2人の血で血を洗う言葉の応酬は、周りの野次馬ギャラリーがドン引きするレベルまでヒートアップしている。

「そういえば、自己紹介がまだだったわね。私は六花大附属2年の橘時雨、入月くんとは同じクラスで、喫茶店でデートする仲よ?」
「それ、さっき自分で違うって言ってたよね!?」

 黙ってろと言われても、振り切ってしまった2人を止めない訳にもいかず、勇志は間に入って宥めようとするも、彼の性格なのか、ついツッコミを入れてしまうのはご愛嬌である。

「私は華園学園2年の西野莉奈、勇志とはちょっとした縁があって、入月家にお泊まりしたことだってあるんだから! 」
「今それ言う!?」
「――アハハハハ!勇志くんツッコミサイコー!」

 初めて飛行機を見て、大喜びしている男の子みたいな愛也を睨みつける。
 既にどうこうできるような状態ではなくなってしまったこの戦地で、この惨状を作り出した奴に怒りをの矛先を向ける以外に、勇志に出来ることは何もない。

「ふーん、そう? とりあえずこれ以上、入月くんに近付かないでくれるかしら?」
「はあ!?何で時雨にそんなこと言われないといけないの!?時雨は勇志の彼女なわけ!?」
「か、彼女… ではないけれど……」
「なら、時雨に文句を言われる筋合いはないわ!」
「その理屈なら、あなたも私に文句を言えないはずよね?」
「ムッカー!?もういいわ!こうなったら試合で決着つけてやるわよ!」
「望むところね」
「私が勝ったら、これ以上勇志に近付かないでくれる!?」
「いいわ。それで、私が勝ったらどうするつもりかしら?」
「時雨が勝ったら、勇志と今まで通り接してくれて構わないわ!」
「それ、私にメリットが何もないじゃない…… もしかして、負けるのが怖いのかしら?」
「ならいーわよ!もし、私が負けたら2度と勇志に近付かないって約束するわ!」
「――ねえ、お二人さん?当の本人の意思なんですけどね――」
「「うるさい!」」
「ですよねー……」

 スーパー鈍感男の勇志も、「これは自分の取り合いなのか」と思っていたが、ここまで邪険にあしらわれては、「一種の『縄張り争い』みたいなもんなのかな?」と、考えを改めざるを得なかった。
 相見あいまみえない2人の不毛な言い争い。それが今の勇志には、莉奈ドッグと時雨キャットの『ワンニャン戦争』に見え始めていた。

「フン!時雨、覚悟しときなさいよ!」
「望むところよ、吠え面をかかせてあげるわ」

 映画のワンシーンのような捨て台詞を吐いて、2人はそれぞれのコートへと戻っていった。

「でゅふフフフ、あーッ!楽しくなってきた~!」
「もう知らん…… ところで愛也、お前の知り合いって誰だったの?」

 一悶着あって忘れかけていた話題へと話を戻す。

「ああそれね、西野莉奈さんだよ」
「やっぱりね、もう驚かないわ」

 この話の流れだとそう来るだろうなと、予想していたため、勇志は顔色一つ変えずに言い放った。

「ちなみにこの間、莉奈さんに勇志くんの家を教えたの、僕だから」
「…………」
「どういたしまして」

 満面の笑みを浮かべる愛也に、勇志もニコッと笑いかけてから、飛び掛かった。

「こんのクルクルパーマのサイコパスがぁああッ!?おめぇの頭ん中もクルクルパー何じゃねぇのかぁッ!?この野郎ぉおおうい!?」
「や、やめて~ッ!?」

 その後、愛也の行方を知るものは、誰もいなかった。
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