上 下
9 / 36
第1章

『名実ともに最低な男』

しおりを挟む
「ごめんなさい! 深く反省しております!」

 ライブが終わり控え室に戻ったユウは、そこで待ち構えていた鬼の形相をした沙都子に、冷たい床の上で正座をさせられていた。
 他のメンバーが見守る中、ユウはただひたすら沙都子に説教されている最中だった。

 「どうして最後の曲の後にもう1曲演奏するのよ! 打ち合わせになかったでしょ!?」
「はい……」
「曲の変更は許したけど、曲の追加は許してません!」
「はい……」
「しかも、練習もしてない新しい曲をやるって本当にどういうことよ!?」
「はい……」
「裏で、私もスタッフさんも、皆んな大慌てだったのよ!わかってる!?」
「本当に、ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした!」

 怒涛の連続攻撃に対して勇志は全身全霊の『土下座』で何とか凌いでいる。元々、精神メンタル紙装甲の勇志は、ギリギリ首の皮一枚で繋がっている状態だ。しかし、追撃の手は緩むことはない。

「他のメンバーも聞いてなかったようだし、すぐに皆んなが上手いことユウに合わせてくれたから良かったけど、もし失敗していたらどうするつもりだったのよ!?」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 鬼と化した沙都子は、何人たりとも止めることはできない。流石の猛攻に歩美や真純が静止を促すが、檻を開けたが最後、勇志を喰らい尽くすまでやめられない、止まらない。

「水戸さん!」
「あ゛んッ!?」

 いよいよ此処までかと覚悟を決めた時、歩美が勇志と沙都子の間に割って入り、その背に庇うように沙都子と対峙した。

「勇志も反省していますし、今回はこれくらいで許してくれませんか……?」

 鬼の形相が歩美を捉える。今にも全身から蒸気が噴き出てきそうなほど、身体を震わせ、肩で呼吸をしている。
 無言の圧力、それでも歩美は屈しなかった。怪しく光るその両眼を、視線を外すことなく見据える。

「――わかったわ、今回はこの辺で許してあげましょう……」

 先に折れたのは沙都子だった。

「ありがとうございまーすッ!」
「で! も! 次やったらどうなるか…… わかってるでしょうね!?」
「――は、はい」

 今にも祟らんと、血赤の両眼が勇志を睨む。それはそれは、全身の毛が逆立つような『恐怖』に震え上がることしか出来なかった。

(水戸さん、超恐いよ…… マジやべーよ……)

 勇志はニ度と沙都子を怒らせまいと、そう心に誓った瞬間だった。

「それにしても最後のあの曲、すごく良かったな!よく咄嗟にあんな曲歌えたよな」

 沙都子の説教がひと段落したところで、真純がフレッシュな話題を提供する。
 しれっと勇志の方へウインクなんてするもんだから、恐らく話題転換と場の空気を良くする為に一役買って出てくれたのだろう。

「私もびっくりした! だって、曲が終わったらそのまま歌い出すんだもん。しかも、あんな素敵なバラード曲」

 真純と歩美が『限りない蒼の世界』の後に歌った曲を、感心した様子で褒めてくれる。普段からあまり褒められ慣れていない勇志は、それだけで顔を赤くしてしまう。

「あれは『限りない蒼の世界』のアンサーソングですな?」

 翔平がドヤ顔で会話に割り込む。
 誤解しないでほしいのだが、ライブ後で気持ちが高まっているわけでもなければ、説教を喰らっていた勇志に気を利かせて、敢えて変な言葉遣いをしているでもない。空気が読めず、変な喋り方をしてしまうのが彼の標準スタンダードなのだ。

「まあ、そうなるのかな……  あの時、自然と曲が思い浮かんだというか……」

 『限りない蒼の世界』は物語の主人公たちの内側、精神世界だ。そこで自分自身の心の闇と対峙し、覚醒し、無茶苦茶に強くなる。
 その世界観を謳った曲だったが、自分自身と向き合っても前に進めない者もいるはずだ。向き合うだけが正解でもなければ、誰しもが強くなれるわけでもない。
 この曲を好きだと言ってくれた橘の横顔は、『強さ』ではなく、向き合いたいけど向き合えない、『弱さ』を孕んでいるような。
 そして、その瞳には見覚えがあった。忘れもしない、あの満点の星空の下、その星の光を映すことのできない瞳……

 だから、きっとあの曲が産まれたのだろう。誰もが物語の主人公のように強くない。だからその苦しみ、痛みを分かち合う相手がいてもいいはずだと、1人ではないと思い知らせる為に……

「確かに、あの曲をこのまま埋もれさせてしまうのは勿体無いわね……」

  もう一度、先程のライブの光景を思い浮かべながら、沙都子は冷静に新曲について考察を始めた。
 突然の予告無しの新曲披露ではあったが、ユウの歌唱力とギターの旋律、暖かい励ましの歌詞。それぞれが高い水準で調和し、今までのガップレにはなかった世界観を表現していた。

(あとは他のメンバーたちがぶっつけ本番の即興じゃなく、本気の伴奏をしたら……  これはもしかしたら凄い事になるかもしれないわね)

 沙都子が自分の口元に手を置き、真剣な顔で何やら考えているのが、勇志には嫌な予感しかしない。一体何を企んでいるのだろうと思わずにはいられなかった。

「それじゃあ早速、次のスタジオ練習で仮録音したらどう?」

 愛也も他のメンバーと同じ意見のようで、サクッと解決案を提示しながら、自分のスケジュール帳を取り出して予定を確認している。
 勇志は以前、このスケジュール帳を愛也の背中越しからチラッと見てしまったことがあったのだが、そこには何故か愛也自分だけでなく、勇志のスケジュールまでびっしり書き込まれていて、「何も見なかった」ということにしようと決めたのは記憶に新しい。

「じゃあ各自、次の練習までに自分のパートを考えておこうか」と真純が提案し。
「私、あの曲は勇志のボーカルとピアノメインのアレンジがいいと思う!」と歩美が前のめりで応答する。
「じゃあ僕はウッドベースとか弾いてみようかなー、一回弾いてみたかったんだよ」と愛也がウキウキして。
「流石にあの曲に、僕ちんの超絶早弾きギターは似合わないですな。何か違うアプローチでいくのですぞ」と翔平がギターを取り出す。

 当の本人を置き去りにして、メンバーの間で新曲の話がどんどん先に進んでいく。
 最近のガップレは連日のライブ続きで、新曲なんて考える余裕もなかったから、久々にこうしてメンバー同士、お互い意見を言い合って、より良い曲を作り上げようとする雰囲気が少し懐かしい気がした。

「それでユウ、新曲のタイトルは決まってるの?」

 そう歩美に聞かれるまで、曲のタイトルのことなどすっぽり頭から抜け落ちていた勇志は、頭を抱えながら考える。

「えーと、じゃあー……  『INイン』っていうのはどうかな?」

 ――心の扉の前に立ち、君の名前を呼び続けている人がいる。
――扉を開けて入ることはできる、けどしない。自分の心の扉を開いて中に招き入れるのは自分自身。
 深い哀しみと嘆きに寄り添うメロディーは、最終的に聴くものの心の中でこそ完結する……

「――いいんじゃないか?」
「すごく…… いい!」
「異議なし」
「僕ちんもですぞ!」
「じゃあ、新曲のタイトルは『IN』で決定!!」
「ほへーぇ……」

 真純、歩美、愛也、翔平の順に同意し、最後に沙都子がOKを出す。珍しくすんなり決まったことに、勇志は少し驚いてしまった。いつもであれば、その場では決まらず、次回集合までに各自持ち寄りでタイトルを考えてくることが殆どだったからだ。

「はいはい!」と、沙都子が手を叩きながらメンバー全員に順番に視線を送る。

「では、話もまとまったところで、この後すぐサイン会よ! 皆んな準備してー!」
「「「はーい」」」

 休憩する間もなく次の現場へ。「メジャーデビューしたとはいえ、下積みは大事よ」と、沙都子が口を酸っぱくしてメンバーたちに言い聞かせていることが、今日もハードスケジュールとして反映されている。
 とはいえ、学生としての身分はしっかり守ってくれているので、良心的とも言えなくもないか。

 勇志もサイン会のために身支度を整えていると、ふと何か大事なことを忘れている気がして、作業の手が止まる。

「あ……!(しまった、橘のことをすっかり忘れてた~!)」

 このままでは時雨に、『ライブ中にずっとトイレに篭っていたという哀れな男』と思われると、急いでライブ会場に向かったが、時雨の姿はもう既にそこには見られなかった。

「ふっ…… これで俺も名実ともに最低な野郎になってしまったぜ……」

 勇志の目には、キラリと塩っぱい水が浮かんでいた。
しおりを挟む

処理中です...