精霊守りの薬士令嬢は、婚約破棄を突きつけられたようです

餡子・ロ・モティ

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1巻

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 ひとつの王国の終わりの物語。一人の娘の始まりの物語。
 今これより滅び去る王国の宮殿の中に、後の世でアドリエルルの麗帝とたたえられる女がいた。



   〇婚約破棄


 華やかな祝賀パーティーの片隅に私は一人立っていた。
 ふと背中に不穏な空気を感じて振り向くと、会場中の視線がこちらに向かって突き刺さっていた。
 今日は王国の成立、一五〇年を祝う日だったはずだけれど。
 そこにはもう、お祝い事のムードはない。
 群衆の中。見覚えのある娘がこちらを睨みつけている。
 その指先はピンと伸び、私に向けられていた。彼女は叫んだ。

「私達は今、勇気をもって訴えねばなりません。先日確かに見たのです、そこのバケモノ女リーナ・シュッタロゼルが、恐ろしい魔物を飼いならしている姿を。そしてあろうことか今も、この輝かしい王宮の中で、光届かぬ物陰に黒い何かを呼び込んでいたのです」

 ワルツの音は止んでいた。貴族の子弟達は皆、足を止めて人だかりを作っている。
 人だかりが割れて、王太子殿下がカツカツとかかとを鳴らしながら歩み出てこられる。
 彼は私の婚約者。この国の王太子たるセイゼル殿下だ。
 そのひときわ冷たい目は、私に向けられると同時に、割れた氷のようにゆがんだ。

「ああ、お前は恐ろしい女だなぁ、リーナよ。その話、私も聞いてはいたぞ、バケモノ飼いの噂はな。しかしそれが現実に? 今この場でもだと?」

 しだいに熱がこもり、大きくなっていく殿下の声。

「この祝いの席で貴様ごときの話をだすのもはばかられたが、いやこれはじつに恐ろしいことだ。貴様いったい何をしていた? こちらの正義感に溢れたご令嬢方が、貴様のあさましき正体に気がつき、ついにはバケモノ飼いの正体を暴きだしてくれたらしいが。このまま放っておけば、我が国は貴様と化け物どもにいいように食い荒らされ、いずれは滅ぼされていたのかもしれん、なぁっ」

 周囲を取り巻いていた子息令嬢達は同調して、キンキンとした声を発し始める。
 私は様子をうかがっていた。これくらいのことならば、これまでにも何度もあった。
 けれど、今日の騒ぎはいくらか大きくなり始めていた。
 いよいよ追い出されるときが来たかと、私は覚悟をきめた。そう、これは当然の成り行きだ。
 あのバケモノ飼いの話とて、事実といえなくもないのだ。
 確かに、私は人ならざる者達に通じてはいるのだから。ただあの子達は、人間とは違うが、けっして化け物などではない。人に害成す悪性の魔物などでは断じてない。
 むしろ、この王国と人の暮らしを影ながら支えてきた者達だ。
 私は思い返す。ああして指差しているご令嬢の顔を。
 少し前の出来事。私は王都近くの小さな村に、古い火の精霊の塚を修繕しにいった。
 あのときあの場にいた娘だろう。村のあたりを治める領主の娘だ。
 精霊の姿は通常、人の目には見えないものだ。けれどあのときの精霊は暴走状態にあって不安定だった。
 そのせいで領主の娘の目にも、確かに何かしらが映ったのだろう。
 ただし今この瞬間の王宮の中。私はどんな存在も呼び出してはいないし、何も連れ込んでなどいない。その点については、彼女の言葉には偽りがある。それでも幾人いくにんもの男女が、私が暗い場所で邪悪なものを呼びこんでいたと証言を続けている。
 ざわめく会場には、たくさんの言葉が飛んでいた。

「泥かぶりのリーナ、光届かぬ暗い場所でうごめく悪魔め。正体を現すがいい!」
「バケモノ女、さあ言い逃れでもしてみせなさい」

 言い逃れ。しかし私はそんなものをするつもりはなかった。

「人目につかぬ陰でコソコソと汚らわしいまねをする怪物め」
「衛兵、何をしている、この悪魔を打ち据えて捕らえよ」

 そんな喧騒けんそうの合間に一瞬の静寂が訪れたとき、王太子殿下が手を掲げた。そして高らかに宣言された。まるで舞台の上で光を浴びる役者のような居住まいで。

「伯爵令嬢リーナ・シュッタロゼル。泥かぶりのリーナ。いいやバケモノ飼いのリーナ! 貴様との婚約は、この場で破棄せざるを得んな。しかし身の毛もよだつ思いよ、考えるだけで気色が悪い、お前のようなバケモノと一時でも婚約させられていたとはな」

 私は王太子殿下から婚約破棄を告げられていた。
 殿下はその口からつばも吐き、私は足にそれを浴びた。
 うわずった怒鳴り声の残響。鳴り止むのを待って、私はただ粛々しゅくしゅくと返答をした。

「セイゼル殿下、そのお言葉を、つつしんでお受けいたします」

 周囲には兵士が集まり、私のかたわらで白刃を抜きかけている。
 私はただ頭をうやうやしく垂れながら、殿下の言葉を受け入れていた。内心の喜びと共に。
 この婚約破棄こそは、私が望んだものだった。

「気味の悪い女。気色も悪ければ、つくづく可愛げも何もない女……じつにじつに反吐へどがでる。せめて哀れに泣くなりわめくなりでもして見せろ、恐ろしいバケモノ女め。少しは女らしく弱く可愛げのあるところでも見せるがいい。はぁ、まったく、何から何まで嘆かわしく哀れだな、貴様という女は」

 罵詈ばりを吐き出す口は、そこで一度止まる。
 止まり、視線は彼の隣に立つ女性に向けられた。殿下の口元が一転して緩んでいた。

「いいかこちらのヴィヴィア王女を見よ。これこそが女というものだ、真の女性だ、小国とはいえ一国の王女は流石さすがに違う。お前のような泥かぶりのバケモノ女とはまるで比べものにならない」

 殿下の隣には見目麗しい女性が立っていらした。
 彼のそばに寄り添うように。
 というよりは、身体にしなだれかかるという表現のほうがぴったりなのかもしれない。

「ああん、セイゼル殿下のお優し~い言葉、私などにはもったいのうございます~」

 可憐かれんはかなげな容姿と、甘ったるい話し方。それでいて目の奥には野心的な鋭さを秘めた女性。
 彼女の立ち居振る舞いは、身体の半分で殿下に吸い付くようですらある。
 王太子殿下の考える真の淑女とはこういうものなのかもしれない。
 先程まで騒いでいた領主の娘達は、あからさまにヴィヴィア王女の後ろに下がっていた。
 この女性、ヴィヴィア様は隣国アルシュタットの王女だ。
 領土面積こそ大きくはない国だけれど、とても野心的で、自国の発展のためには手段を選ばない気風がある。
 我が国の王太子殿下ときたら、そんな相手に公然と鼻の下を伸ばしておいでのようだった。

「ああ殿下ぁ、このバケモノ娘が私を怖い目で見るのですぅ。早く早く、どこか遠いところへ追放してくださいませぇ」

 ヴィヴィア王女の声はつけすぎた香水のように甘ったるいが、それはセイゼル殿下の頬を緩ませる。殿下は大きくうなずいた。

「うん、そうだなそうだな。おいバケモノのリーナ。当然お前のような女は婚約破棄くらいではなんとも思わぬだろうが、バケモノにはいつまでもこの地にいてもらっては困るぞ。安心しろ、貴様の血で王国を汚したくはないから、殺しはしない。ただしバケモノ飼いの嫌疑が完全に晴れるまで、今後は王都への出入りを一切禁止する。むろん、貴様がやっている宮廷魔導院での仕事も続けられはしない。今この瞬間に立ち去り、二度と顔を見せるでない。この寛大な処置には、最大限の感謝を示すがいいぞ」

 かつての婚約者は私に命じていた。
 仕事と住む場所を没収するから感謝をしろと。
 私は自分でも驚くほどに平穏な、あるいは冷ややかな心持ちでその言葉を聞いていた。


「かしこまりました。殿下にお会いできなくなるとは。これほどの悲しみはありませんが、致し方ありません。これ以上のお目汚しはしませぬよう、さっそく退席いたしましょう」

 もとより望んで婚約者になったものでもないし、初めから私などは大勢いる側妃候補の一人にすぎない。
 それが名誉だと言われても、私にはそうは思えなかった。
 たとえ泥かぶりと言われても、宮廷魔導院で薬草園の管理をしているほうが、ずっと素敵な時間に思えていた。
 それでも今までこちらからは断れる立場ではなかったのだから、向こうから破棄していただけるのならば、これは大歓迎な出来事ではあった。
 いつまでもここに留まる理由もない。
 いっぽうあちらのヴィヴィア王女。私とは違い将来の正妃候補。
 今夜のめでたいパーティーの席で正式な婚約発表がなされたところだ。
 一抹の不安もあるけれど、かえってよくお似合いの二人だとも感じられる。いずれにせよ、どうぞ仲良くやっていただくほかないのだろう。
 何せこの王太子殿下のご判断は、今唐突に成されたものではない。
 あらかじめ計画されたものなのだから。
 ただし立案して実行したのは殿下ではなく、ヴィヴィア王女のほうだろうとは思うけれど。
 彼女が最近何かを画策していたこと、そして私や、他にも邪魔になりそうな人間に探りを入れていたこと。その気配には気がついていた。
 私を追い出そうとしているのだろうとも予測はついた。
 ただそれを知った私は、むしろ喜んでしまっている自分に気がついた。
 そもそも私と殿下の婚約は国王陛下が強権的にお決めになったことで、私の意志ではなかったのだし。
 もう一年も前の出来事になるだろうか。あの日、国王陛下が私の勤める宮廷魔導院に久々にお越しになったのは。
 聞けば、王太子殿下の側妃候補を何名か探しているという話だった。高い魔力をもった女の血を王家の中に取り込みたいと、陛下は願っておられた。
 その昔から、そして今でも、国王陛下は王家の血統から魔法的才能が薄れつつあることを不安に思っていらっしゃるのだ。
 一年前のあの日。国王陛下の指示によって宮廷魔導院で作られたリストには、王国内で魔力量が最大の女として私の名前が記載された。
 幼少の頃から魔力が異常に高かった私は、それだけを理由として、この雑な手順で王太子殿下の側妃候補の婚約者になった。
 大勢いる中の一人なのだから、案外その程度の選び方なのかもしれない。
 けれど魔力値ランキング以外の私はどうだろうか。
 とても王太子殿下が気にいるような女ではなかったのだ。
 人ならざる存在を呼び寄せる体質。
 そんな能力が幼い頃から発現していて、しかも数年前までは力も安定していなくて、今以上に気味悪がられたものだった。
 今ではまがりなりにも研究者の一人として魔導院に在籍するようになったけれど。それでも薬草園と研究室に通うばかりの日常。人前に出ることもあまりない。
 こんな貴族令嬢としての教育もまともに受けていないような女なのだ。婚約しても王太子殿下が私を気に入るわけもないのは明らかだった。
 案の定、婚約が決まってからも王太子殿下と直接お会いする機会は多くなかったし、せっかくお会いできても、泥かぶり令嬢などとさげすまれただけで終わってしまう始末。
 泥まみれの土かぶり。そうでなければ化け物女だろうか。
 そう言われても私はこうして生きてきた。
 私の両親は幼い頃に既に他界していた。
 私を引きとったのは叔父夫婦で、そのまま彼らは、父上が継承していた伯爵家も引き継いだ。
 しかし、しばらくして私は家から放り出されてしまう。
 名目上は今でも叔父夫婦が私の義父母にはなったままではあるけれど。
 当時の私はまだ小さな子供。
 だから正確には覚えていないが、私の周りで起こったいくつかの出来事が叔父夫妻の気にさわったようだった。
 そのひとつはたしか叔母が主催した夜会での出来事だった。
 屋敷のまわりで意図せぬ奇妙な来客が発生したらしい。
 それが私のせいだったそうな。
 今思えば、きっと精霊の一種か何かだったのだと分かるけれど、当時は私にも何が何やら理解できなかった。
 そんなことが何度かあったあとに、しばらく私は石畳の地下室に閉じ込められた。今となっては懐かしく思い出す。
 夜会とは叔母にとって、この世の全てに勝るほどの価値を持ったものだ。
 同じように、叔父にとっては爵位と貴族としての名誉が世界の全て。いずれにせよ、この二人にとって私はそのときすでに不要な存在であったことは間違いない。
 何せ養子に迎え入れたすぐあとに、爵位は完全な形で叔父へと継承されていたのだから。もはや気色の悪い子供を手元に置いておく理由はなかった。
 本当のお父様とお母様との思い出がかすかに残されていた屋敷と庭と、静かな田舎町から私は出された。
 叔父の手配で、私は宮廷魔導院に送られることが決まっていた。
 貴族の中でも知力と魔力に優れた者が所属する研究機関、それが宮廷魔導院。
 六歳の私はそんな研究機関に、研究対象として送られた。
 珍奇な実験動物のような存在として。
 しかし人生とは分からないもので、とても幸いなことに、これが私にとって素晴らしい転機にもなった。
 世に賢者とうたわれる首席魔導士スース様が、私を手厚く保護してくださったからだ。
 それからは宮廷魔導院の中、スース様のもとで比較的平和な日々が訪れたのだった。
 ただし、魔導院に入っても相変わらず妙なことは続いていた。
 奇妙な訪問者達が日夜を問わず現れるのはいつものこと。
 それ以外にも、まだ幼かった私がたわむれに作って放置していた回復薬が、なぜか瀕死ひんしの騎士団長の傷を劇的に回復してしまう事件も起きた。
 あるいは、今の技術では栽培できないはずの希少な薬草が、私が使わせてもらっていた薬草園に勝手にえてきてしまったり。
 そのときに生み出した回復薬は、今でも定期的に騎士団の皆さんへ支給されている。
 ただし私が作っていることは多くの人には秘密にしてもらって。スース様にはそのようにお願いしてあるのだ。
 私のような泥かぶり娘が、あまり目立ったことをしても反感を買うだけだったからだ。
 いくつかの希少な薬草も、こっそり魔導院の皆さんの使う材料棚に忍ばせてもらっている。
 奇妙な出来事は私が少し大きくなってからも続いた。
 その頃王国をむしばんでいた毒の沼を、清らかなものに変えるポーションが偶然に生成されてしまったこともあった。
 ただしあれはまだ不完全で、作りたての新鮮なポーションを定期的に沼に投げ入れないと、すぐに毒は元通りに戻ってしまうのだけれど。
 土や風や水や火や、草花の精霊の声というのは、他の人には聞こえないのだと知ったのは、その頃のことだったろうか。
 この時期にはスース様と国王陛下の許可のもとで、中庭の薬草園においてのみ、精霊を住まわせるという話ができていた。
 私がたまに起こす奇妙な出来事をご存知だったのは首席魔導士スース様や国王陛下、ごく一部の人々だけ。
 ただやはり、陛下もあまりいい顔はなさらなかった。

「利益があるなら勝手にやっていろ、くれぐれも目立たぬようにな」

 陛下がスース様にそうお話しされているのを、私は近くで聞いていた。
 私はただ、薬草園で自由に遊ばせてもらっているのが好きだった。
 それが壊れ始めたのが、王太子殿下との婚約。
 あの日から私は面倒な作法や教育に多くの時間をとられてきた。
 どうせその先にあるのは華やかな宮廷生活とは無縁なものなのだと分かっているにもかかわらず。
 殿下にはののしられるばかりだったけれど、今は解放された清々しさが勝っている。胸の中には温かくりんとした何かが灯っている。

「失せろ失せろ泥かぶりのバケモノリーナ。土に埋もれて木の根でもかじって暮らすがよいっ!」

 背後から浴びせられる言葉と周囲のざわめき、そして嘲笑ちょうしょうの中。私は満天の星が輝く王宮の外へと立ち去った。



   〇宮殿より


 宮殿の中、残された人々のざわめきの中で物語は進む。
 祝宴はいまだ続いているようだった。
 話の輪の中にリーナの義父母もいた。
 実子ではないとはいえ血のつながりはある娘。それがバケモノ飼いの嫌疑がかけられ追放処分にあったというのに、我関せずという態度。
 いやむしろ先程までは、リーナを追い落とす側に立って声を上げてすらいた。
 この義父はもともと騎士として軍務に従事していた人物だが、今ではリーナの実父から引き継いだ領地、ナナケル伯爵領を所有している。
 彼はさも当然のことのように会話をしている。

「あの娘、殿下との婚約が成って、ようやく役に立ってくれるかと少しは期待したのだが、やはり出来損ないか。ヴィヴィア姫があらかじめ我らに根回しをしてくださらなければ、こちらにまでとばっちりがくるところであった。しかしまさか、こちらに帰ってくるなんて言い出さぬだろうな? もう何年もまともに顔も合わせていないのに、今さら血縁だよりで我が領地に訪問されるだけでも迷惑だ。そのうえ爵位は自分のものだなどと騒がれでもしたらかなわんぞ」
「そんな、悪い冗談ですわ、あなた。もし来ても追い返してくださいね。あの娘はただでさえ気持ち悪いのに、また汚らわしいことをやらかして、殿下のお怒りまで買ってしまって」

 そんな二人の会話に、また別の貴族が参加する。

「いやいやナナケル伯爵。そちらで引き取ってもらわなければ困りますぞ。殿下もお人が悪い。王都から追放なされたとて、結局は誰もあの娘を自領に受け入れたりはしないのではありませんかな? 王家に睨まれた泥かぶりのバケモノ令嬢など、誰にとっても迷惑でしかありませんから。おそらく、たらい回しにあってから路頭に迷う姿でも見ようというのでしょうかな」
「これはこれはシスナ卿。もちろんそうでしょうが、我が領地とて受け入れがたいのは同じこと。たとえ形式上は親子関係にあろうが、そのような些事さじは問題になりません。子供など自前のがいくらでもおりますからな、ハッハッ。あの娘はいっそのこと、このままどこか山奥にでも行ってのたれ死んでくれればありがたい」
「は~っはっは、まったくですな。ささっ、それよりもヴィヴィア王女にお目通りをお願いしなくては。未来の正妃様は流石さすがに輝いていらっしゃる」
「そうですな、では参りましょう」

 といった具合に、貴族達のほとんどが、そんな会話をしている中でのことだ。
 一人の眉目秀麗な青年が、外に出て行ったリーナの行く先を目で追っていた。
 美しくもたくましい青年だった。名をハイラスという。
 ただ彼一人だけがこのときこの場で、この娘の価値を見抜いていた。
 誰一人、王太子から嫌悪されて王都を追放されるような小娘を受け入れたいと望む領主がいない中で。

「バスティアノ。私は大変なものを見つけてしまったかもしれないぞ」
「ハイラス様? と申しますと? あの娘でございますか……。となるともしや……」
「ああ。この地の賢者にして王国の首席魔導士スース様が、以前我らに語ってくれたお話。あの娘なのではないか? 精霊りの薬士、泥にまみれた令嬢のお話だった。あのときの賢者様はただの与太話のように話されていたが、あるいは真実だったのかもしれん。だとすれば、これまで王国内で集めていた情報とも合致する。それに見たか、あの気高く美しい姿を。この状況で涙を流すどころかわめくこともせず、眉ひとつ動かさずにいたたたずまい。もはやこの私の鑑定眼を発動せずとも、あれほどの輝きなら見逃しはしない」
「これは珍しいですな。ハイラス様がそのようなことを口にするとは。では手を打たれますか?」
「もちろんだ、バスティアノ。彼女のような女性が他にいるものか。男としてもヴァンザ同盟を束ねる盟主としても、これを逃す手はないぞ。もはやこうしてはいられない。一足先に行って、彼女を見失わないようにしておいてくれ。彼女の安全確保もな。配下の者達をどれだけ動かしても構わない」
「はい、すぐに。それでハイラス様は?」
「私はこちら側の処理を先に済ませよう。すぐに追うからそれまでリーナ様のことは頼んだぞ」
「かしこまりました」

 バスティアノと呼ばれた従者は、外へと飛び出しリーナのあとを追った。
 いっぽうハイラスという名の青年は、その場で即座に王太子セイゼルに申し入れる。リーナ・シュッタロゼルの身柄を受け入れる旨を。
 ただし、あくまでリーナになどは興味がないふりをし、王太子殿下のために目障りな女を引き受けるのだというふうを装いながら。
 王太子セイゼルは興味もなさそうに、勝手にしろとだけ吐き捨てた。
 リーナという娘のことなど、もはや当の昔にどこぞに廃棄したとすら彼は思っていた。
 ハイラスはひと通りの根回しを済ませてから、星空の下にリーナの姿を追った。
 ハイラスの胸は高鳴っていた。ただしこの時点ではまだ、彼の胸中のときめきの多くは、ヴァンザ同盟の盟主としてのものだった。
 とてつもない人材を掘り出し物的に手に入れるチャンスである。
 頭の中ではそう考えていた。
 同時に、すでにその瞳の奥には彼女の姿が焼き付いて離れなかったのだが。



   〇星空の下のリーナ


 私は祝宴の会場をあとにして夜道を走っている。
 鼓動が高鳴っていた。
 宮廷魔導院の門を通り抜けて、自室に立ち寄る。身体を締め付けていた祝宴用のドレスを脱ぎ捨て、身体になじんだ服装へと着替えた。
 王太子殿下の婚約者には似つかわしくない、薬士用の仕事着だ。
 中庭へと急ぐ。王都から離れる前に、あそこにだけは立ち寄らなくてはならないから。
 私以外には訪れる者のないその場所の奥に、清廉せいれんな水と空気に守られた秘密の薬草園がある。精霊達が認める者でなければ、立ち入ることはおろか、場所を見つけることさえできない場所へ。

「みんないる? 急な話なんだけど、私はこれからどこか遠い場所へ行かなくてはならないの。ごめんね。それで前からお話はしていたけれど、この場所での管理はもう手助けしてあげられなくなってしまう。でも、もしも他の場所でもよければ……」
『おいおいリーナ。どこかに行くって言うならね、とうぜん俺達もそこに行くんだよ。当たり前のことじゃないか』


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