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2巻
2-3
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ラナグはそんなことをのたまった後、鼻先を軽く邪竜のほうに向けて、クンクンと動かしてから、クルッと振り向いて眉間と鼻先にシワをよせた。またしてもウゲロゲロ的な顔である。
私は邪竜の残骸をざっと集めて亜空間に収納しておく。邪竜はすでに石像だったときのようにカチコチになって砕けていて、とくに匂いとかはない。化石のような状態だ。
おおむねしまい終わったところで、先ほどからずっとこちらに向かってきていた例の暗黒大神官氏の一行が到着した様子。そして開口一番、張り裂けんばかりの大声をあげた。
「じゃ、邪竜像が!? 邪竜オンディンダライライライが!?」
隊長さんと副長さんが壊してしまったあの邪竜、名前はオンディンダライライライというらしい。オンディンダ、ライ、ライ、ライ。名前の最後のほうが少しばかり長すぎるように思える。
長い。オンディンダライまでではダメだったのだろうか。
「ああ! オンディンダライライライよっ!!」
流石は暗黒大神官だというべきか。一度たりともライの数を間違えることなく、壊れた邪竜の小さな破片を大切そうにかき集めていた。
「く、ぐぅぅぅ、ここまで破壊されているうえに、破片のほとんどが消失させてあるとは。これではもはや元には……」
どうやら破片さえあればあの邪竜を復活させられるような口ぶりだった。
なるほど良かった、私としてはそこまで考えていたわけではないが、幸いにも破片のほとんどはすでに亜空間収納にしまい込んである。
牙などは黒曜石のように艶やかに暗く光っていてなかなかの逸品だし、妙にカラフルな表皮も面白い。
どちらも癖は強いが良質な武具の材料になるとグンさんが教えてくれた。たとえラナグが食べなくとも十分に使い道はありそうとのこと。帰ったら人間チームで分ける予定だ。
さて、暗黒大神官はキッとこちらに視線を向ける。
「貴様らはいったい何者か!? 神聖なるこの地へ土足で踏み入り、我らの研究成果を破壊してくれるとは」
どうやら彼らは今のところ、こちらの素性が分かっていないらしい。暗黒大神官などと呼ばれる大人物にしては、いまいち手ぬるいように思える。
さてこの邪竜だが、やはり彼らの研究成果だと言う。
あれは元々が石像で、それを依り代にして邪竜を召喚したものらしい。つまりは半分くらい人工的に造り上げた邪竜、そんな感じのようだ。
たしか彼らは人工神獣なるものの研究をしているはずなので、この邪竜像もその一環なのだろう。
昨日の千年桃の妖精さん達にしても、人工神獣の材料として連れ去られていた。
こうして地下大神殿の中を探知している今も、次々に囚われの精霊や妖精っぽい存在が見つかっていく。なかなかの数だ。
『これだから、神聖帝国の連中は気に食わんのだ』
ラナグはご立腹だった。思えば彼はこの国に来る前から、あまり神聖帝国が好きではないと言っていた。
暗黒大神官はこちらをじっと見ていたが、おもむろに一歩二歩と下がっていく。代わりに彼の後ろから武器を携えた緋色の衣の神官集団が前に進み出てきた。
どうやら彼らは、また別な研究成果を披露するつもりらしい。
暗黒大神官氏を囲むように布陣した男女の声が揃って響く。
「「「炎獣イフリタス、現れ出でて我が意に従え」」」
なんとも威勢の良い掛け声だった。
同時に、彼らの身体から炎が噴き上がる。そして、炎で形作られた怪物の姿が現れた。
怪物に表情はなく、意思も感じられない。ただ無差別に炎を撒き散らしていた。これが人工神獣研究の成果の一つらしかった。
その姿は神獣や精霊というよりも、自我なく暴れ狂う魔物によく似ていた。
『醜悪。哀れな魔物を生み出してなんとするのか』
我が家の神獣ラナグは、眉間に深くシワを刻んでグルゥと小さく喉を鳴らした。
人工神獣研究とはその名が示すとおり、人工的に神獣や精霊に近い存在を作り出す試みのようだ。
材料は妖精、精霊、神獣、またはその存在の一部。
本来は自然界に普通に存在するのが精霊や神獣達だ。例えば火の精霊ならば火の中に棲み、炎を自在に操るような魔力を持っている。
ただ基本的に彼らは自由奔放で人のことなど気にしないし、人に力を貸し与えるなんてこともめったにないそうだ。
精霊よりも上位の存在だという神獣の場合は、いくらか人間との接点もあるというが、それでも気まぐれだ。
直接人間に力を貸すのではなく、捧げ物や信仰心の見返りとして、間接的に加護や特殊な能力を人間に授けてくれるのだとか。結局彼らはほとんど人間の思ったようには動かない。
それならば、思いのままに動く神を自分達の手で創造し、それを信奉すべきである。
「それが崇高なる理。我らのあるべき信仰だ!!」
暗黒大神官は叫んだ。
ここまでひと通りのお話は、勝手に暗黒氏が演説を始めて教えてくれたものである。
ちなみに妖精、精霊、神獣という順番で、より上位の存在になっていくという。
祀るための神殿が建立されるのも、神獣だけだそうだ。
とすればだ。ラナグも風神さんも、それなりの立場にあるということになるが。
「うーん」
『どうかしたかリゼ? ここは空気が悪いから、そろそろ帰るか?』
神々しいほどのフワフワ感もあるが、おしゃべりをするととっても普通の犬さんだ。いまいち、偉い感じはない。
普通の犬はおしゃべりをしないという問題もあるかもしれないが、ともかくラナグのことは今は横に置いておいて話を戻そう。
この本来は自由奔放であるはずの精霊や妖精の、力だけを取り込んで新しい存在を組み上げてしまおうというのが、ここの人達の新技術。
むりやり精霊や妖精を別の器に取り込むのだそうだ。例えば宝石の中に封印してしまうとか、あるいは人の中に取り込んでしまうとか。
グンさんも目を細めて語る。
「はぁしかしとんでもないな。人工神獣はまだ新しい技術で、副作用も山盛りだという情報だったが、事実のようだ」
炎の人工神獣(実験中)の力を呼び出していた神官達は今や、自らの身体を焦がしながら襲い掛かってきている。ほとんど自爆のような形での突撃。逆巻く炎が吹き荒れている。
そんな彼らには、隊長さんと副長さんが応戦している。
魔力の流れを探知してみると、燃え燃えな神官達は、どこか別な場所にいる精霊から力を引き込んでいた。
ふむ、では私のほうはそちらを攻略しておくか。そう考えているとちょうど、
『リゼすまないが、囚われている若い精霊達を助けておきたい』
ラナグが歯がゆそうに言った。
以前に聞いたことがあるが、ラナグ達神獣の世界はなにかと制限が多いのだ。世界に大きな影響を与える力を持つから、管轄外のことは手を出しにくいとか。
私はラナグの柔らかな手触りの毛皮を撫でて答える。
「もちろん、このリゼさんに任せていただきましょう」
目の前の戦闘は隊長さん&副長さんにお任せすることにして、私は転移術士グンさんに保護者役をお願いし、飛んだ。
地下大神殿の奥、精霊達が詰め込まれているいくつかの部屋の一つへ。
どの部屋もかなり厳重というか、物理的には扉や窓の一つもない。完全に閉ざされた空間になっていた。部屋ごとに転移妨害という種類の結界も張られていた。
つまり普通の転移術では侵入不可能な造りになっている。
というわけで私は一度、亜空間に飛ぶことになった。
そう、いつもは倉庫として使っている、あの真っ暗な空間である。
基本的には生き物を入れるのは禁止な場所で、空気もなければ空も地面もないような意味不明な空間。
もしも本音を言わせてもらうのならば、入るのはちょっぴり怖かった。
なので、転移術のプロフェッショナルであるグンさんについてきてもらったわけである。
わざわざこんなおっかない方法をとらざるを得なかったのは、ひとえに結界をすり抜けるためである。
一般的な転移術というやつは、直線的に空間を飛び越えるイメージだが、これは途中に結界を張られると、基本的には通り抜けできない。
迂回が必要になるのだ。
そこで今回はまず亜空間へと渡った。そこからさらにまたいくつかの亜空間を渡り歩くと、上手くいけば目的地に出られる。上手くいかないと、とんでもない場所に繋がる場合もある。そんな荒業だった。
いつもなら怖い物はお饅頭くらいしかない私なのだが、今回ばかりはおっかなびっくりであったと白状しよう。
「アルラギア隊長にはとても言えん。リゼにこんな術をやらせたなんてなあ」
グンさんはグンさんで、別な心配をしている。
『ふふんリゼなら、これくらいなんてことない。最悪事故になっても、我がなんとかするしな』
ラナグはいつもどおりである。私がやること、なんでもかんでも大丈夫だと言うのではないかとすら思う。頼もしいやら、そうでもないやら。
なにはともあれこの方式だと、途中に結界があっても関係なく通り抜けられるそうだが、利点ばかりではない。渋い顔でグンさんが言った。
「言っておく。この方法は普通は高度かつ特殊すぎてできない。だからこそ妨害する側も対策してない場合がほとんどだ。そもそも下手にやると、亜空間に行ったっきり帰ってこれなくなるような事故までありえる」
つまり、とっても危ない。
グンさん曰く、このタイプの転移術に対しても、一応対策方法はあるようだ。それについても聞いてみるが。
「参ったな。すまんがそのレベルの結界を張るって話になると専門外で、俺のほうがリゼについていけなくなってくる。結界はブックのほうが詳しいからそっちに頼むよ。ホームの結界も、基本的にはあいつの管理だしな」
といった具合だった。そんな風に魔法トークに花を咲かせながら、密室へ侵入していった私達だった。
まずは一つ目の部屋。小さな真四角のお部屋に、炎の精霊数十名が詰め込まれていた。
力を封じられているのか炎はなく熱くもなく、黒い姿が燃えカスのようにプスプス。煙だけがただよっていた。彼らの瞳は怒りで見開かれていて、その怨嗟は突然の訪問者である私達に向けられていた。
すぐにラナグと風神さんが語りかける。
『静かにしておれよ、今この娘がおぬしらを解放する』
『暴れないでね~』
もし解放したら、すぐに私が黒焦げにされそうな雰囲気だったものが一転静まる。
私は炎の精霊達を拘束していた呪縛の鎖を断ち切った。
同時に、外の気配に異変を感じた。
様子を見に一度そちらに転移して戻ってみる。
ふむ、予定通り上手くいっているのではなかろうか。
例の神官達の身体から炎の魔物が抜け始めていた。炎が散り散りになり、霧のように消えさっていく。
宙にはただかすかに火の粉が残って舞った。同時に神官達は崩れ落ちる。
「なんだ? なんなのだ? 馬鹿な、人工神獣γ式の力が消えた? 神官どもの魂魄の奥底にまで刻み込んだ人工神獣の力が!?」
暗黒大神官氏は、何事が起きたのかと困惑しているようだった。
ということで、ようし。次のお部屋へレッツゴウである。
「しかし短距離転移に関しては、すでに俺よりリゼのほうが上だな。それでまだ魔法を使い始めて間もないっていうのだから恐れ入るよ。もう大国の宝物殿にだって気づかれずに侵入できるクラス。天下一の大泥棒にもなれる」
「グンさん、私はどちらかというと大泥棒より探偵のほうが好みです」
「ん? そりゃあそうだな、フフ」
それからしばしの間、各種の探知術を駆使して精霊達を探しては、亜空間経由タイプの転移術で移動を繰り返し、囚われの精霊達を解放して回る。
さて今、私の手元には行方不明の精霊リストがある。
今朝、ピンキー邸でお話をした精霊の方々からも、この話を頼まれていたのだ。たくさんのお悩み相談があったが、結局そのほとんどは、身内が攫われただとか、行方不明になっただとかの話だったのだ。
頼まれて動くからには捜し漏れがあってはいけない。そう思って特徴などを聞いてメモしてきたのだ。
偉い。私という人間は、実に真面目な仕事をする人物だと、内心で自画自賛する。
見つけては一名ずつチェックし、また別の部屋へ。
今度の部屋には大きなガラスの筒があった。試験管にも見える。
中は培養液のようなもので満たされていて、小さな生き物がフヨフヨと浮かんでいた。
中でなにかがうにょりんと動いているが、それ自体も透明なのか、形がよく分からない。
ラナグがガラスを破壊。ちゅるんとすべり出てきたそれは……半透明な子グマさん。
ゼリーっぽい質感の、可愛らしい子グマさんであった。
『くまぁ?』
くまぁと鳴く子グマさんがこちらを見ている。
どうやらこの子も精霊の一種ではあるらしい。
さてこの室内。隣にはもう一つ別な台があるので、そちらにも目を向ける。
台の上には細かな文様の彫られた器があり、その上でメラメラと炎が燃えている。炎の中には割れかけた卵があり、そこから雛鳥が顔を覗かせていた。
これまたこちらをじっと見ている。皿の周囲に張られていた結界を丁寧に取り除くと、卵のヒビが広がり始めた。中の生き物がパキパキと殻を割って出てくる。
と、それは可愛らしい子ガモさんであった。
子グマ&子ガモである。両者とも、中から出てきたのは良いが、なにをするでもなく、ただこちらを見つめていた。
そしてこの二名、リストには載っていないのだ。ウーンと思う。
ラナグ&風神さんに見てもらうと、どちらも精霊の一種ではあると断定してくれた。ならば他の精霊と一緒に、外に逃がすべきか。
一応、クマ&カモさん両人の意思確認もしてみる。
もしも彼らが望んでいないのに連れ出したりしたら、それこそこちらが誘拐犯だ。精霊攫いになりかねない。
二名ともまだ言葉が微妙で意思の疎通には難儀したけれど、どうやら、他の精霊達と外に行きたい様子。
そこで近くの精霊達と一緒に脱出することに。
私は皆さんをひとまとめにして千年桃の丘へと飛ばした。
さてこうして一仕事終えたので戻ってみると、そこではまだ隊長さん&副長さんが、暗黒大神官一派とバトルをしている真っ最中だった。バトルといっても、主に暗黒大神官が精霊の力を失った神官達を起こそうと必死になっているだけだが。
「貧弱な無能どもめ! なにを倒れておるか。ありえぬ。こんなことが起きてたまるものか」
可哀想に。彼らが用意していた研究成果の全てが、次から次へと消え去ってしまったらしい。
「あっ暗黒大神官様!! 申しわけございません、申しわけございませんっ!!」
するとそんな声と共に数名の神官達が、地下大神殿の奥からこちらに走って来た。
中にひとりだけ見慣れた人物もいるなと思って確認すると、昨日の古代神学研究所で、所員達を取り仕切っていたおじさんだ。
古代神学研究所はどうやらここの下部組織というか、フロント企業のようなものらしい。
おじさんは、ひたすら謝っているばかりだ。暗黒氏から早く本題を言えと促されて、それからしぶしぶといった様子で口を開いた。
「全ての精霊部屋から、精霊が消えました」
「なぁあぁん? 馬鹿を言うな。消えたとはなんだ? 襲撃でもあったのか?」
「いえそれが、まったく破壊の跡も侵入を試みた痕跡もないのですが、中身だけが消えているのです」
「ありえんわ! あそこは完全に隔離した密室だぞ? この私自らの手で完全なる封印を施してある場所だ! そんなことは絶対に起こりえん。超級破壊魔法で内部ごと壊すか、私が精霊どもを呼び出さん限りはありえんことだ。良く見たのか? お前達は間の抜けたマヌケばかりだからな」
「それが何度確認しても中はもぬけの空なのです。集めてきた全ての精霊が姿を消してしまったのです」
彼らは亜空間経由タイプの転移術についてはあまり知らないらしく、まるでちょっとした密室事件のような扱いになっていた。
密室事件か、なんとなく甘美な雰囲気のする言葉だなと思う。
実は私も、いつかどこかの名探偵のように颯爽と謎を解決してみたいものだと思いながら、日々を過ごしている。が、いっこうにチャンスがない。
世の中、そう簡単に事件もチャンスも転がってはいないのだ。
ましてや魔法のあるこの世界にきてしまっては、もはや密室事件なんて成立しうるのだろうか。
転移魔法とか空間操作とか、なんでもありにもほどがある。憧れの密室事件よ、我が前に現れたまえ。殺人とかはちょっとヘビーなので、できれば軽めの事件が望ましいです。
心中で秘かにそんな願いを呟いていると、ここで暗黒氏がこちらを見た。
「馬鹿者どもめが、いつまで妙な幼女にまで侵入を許している」
私のことらしい。微妙に失礼な言われようである。
「死なん程度に痛めつけろ、捕らえろ」
なんてことを言うのだろうか、これぞ真の乱暴者である。
彼は精霊の力を抜かれた部下達がバタバタ倒れていくせいで、ご機嫌ななめだった。
さらには自分が侵入者と直接戦うはめになったと言って激怒し始める暗黒氏。
周囲には普通の人間姿に戻った、ただの疲れた労働者達が大量に横たわっているばかりだ。
考えてみると、炎に焼かれながら戦わされるというのは、かなり劣悪な労働環境である。可哀想に。今日は安らかに眠るといい。
暗黒大神官はここにきて、ようやく自らバトルに参加し始めていた。
「全てに等しく滅びを与えん、降り注げ『暗黒流星群』」
必殺技っぽい魔法が発動しかける。
がしかし、アルラギア隊長の攻撃に邪魔をされて不発。その後もいなされる。暗黒氏は到底アルラギア隊長には歯が立ちそうにない。それでもなぜか隊長さんはとどめを刺さない。隊長さんにしては珍しく時間をかける。
恐らくだが、この地下大神殿の記録を撮っておくためだろう。そう思って眺めると、もうあからさまに時間稼ぎをしているのが見てとれた。
「グウウ、化け物かッ、なんてヤツラだ。次だッ、次を持ってまいれ。もはや温存はできぬぞ、ありったけ持ってくるのだ」
暗黒大神官の得意技は召喚魔法らしかった。
神官達がなにか特別な魔導具を持ち出してきては、悪魔っぽいのやら幽鬼、邪鬼っぽいのやら、不死系モンスターやらを次々に呼び出す。
暗黒大神官の見開いた眼は、煌々と赤黒い光を放っている。赤い瞳がぎょろりと動き、また私を見て、そしてラナグを見つめた。
「そうか、一連の出来事は、そこの神獣の仕業か」
『いや違うぞ。リゼと人間達だ』
律儀に答えるラナグだが、もちろん相手に声は聞こえていない。相手は話を続ける。
「そうか、おかしな幼女に付いているおかしな存在。報告にあった神獣の巫女と未知の神獣か。となれば他の人間は邪魔者の傭兵団ということになる。今朝ほど殲滅したという報告があったが、どうやらなにか手違いがあったらしい」
死んだふり作戦は、意外にもちゃんと効果があったことが判明。彼はまだまだしゃべる。けっこうおしゃべりな人のようだ。
「ふふん、かえって都合が良い。神獣様にも巫女様にも我らの実験材料になっていただこう。ここがどこだか分かっているだろうに。けっして幼女を連れて遊びに来るような場所ではないわ」
それはたしかにそう思う。世間一般の常識に照らし合わせて考えれば、幼女を連れてくるような場所ではなかった。もっとも私が無理を言ってついてきたのだけれど。
隊長&副長&グンさんは、気まずそうに顔を見合わせた。
ひと呼吸おいてから、
「どうにも、うちの幼女はお留守番なんてするようなタマじゃないらしくてな」
アルラギア隊長は首をクイッと傾げてそう答え、
「そうなりますね」
私は胸を張って同意した。
「……どちらでもいいわ。どのみち傭兵団如きが我々に刃向かってなにができる。名うての傭兵団だとは聞いているが、我々に対してここまでのことをすれば、もはや世界中どこに向かっても行き場所はない。それは覚悟の上だろうに」
「さあて、どうだかな。ところで、そっちはそんなものか? 他に手札がないようなら、そろそろあんたを倒してしまいにするんだが」
隊長さんはいつもどおり余裕綽々な雰囲気。挙げ句の果てに、もっとなにか見せてみろやいと煽りだす。
やはり、なるだけ記録をとっておきたいようだ。
いっぽう暗黒大神官は、普段はイエスマンばかりに囲まれているのかもしれない。煽り耐性が皆無であった。
怒りで目玉がボンッと飛び出してきて、同時に青紫色の涙を流す。どちらも比喩ではなく、本当に目玉が飛び出してきて青紫色の涙なのだ。ホラーなおじさんである。きゃあ怖い! とでも言って顔を背けたい気分だった。ただ、なんだかそういうのは上手くできない私なので、表情だけでも怖がっておく。
「リゼ、そう気持ち悪そうな顔をするな。あとで美味い肉を買ってやるから」
隊長さんが言った。今のは怖がっている淑女の表情であったのだが、微妙に伝わっていないらしい。残念でならない。
にしてもここで「美味い肉」を持ち出してくる隊長さんの神経の太さ(デリカシーのなさ)は流石である。この光景の中にあって美味い肉を食べたいとは思えないのが普通の人間だ。せめて柑橘系のシャーベットだろう。と思うのだけれど、それはべつとして、もし選べるのなら私は焼き魚が食べたいなとは思う。
考えてみればこちらに来てからまだ一度も食べていないのではないだろうか、焼き魚。私のこの窮状を隊長さんには申し伝えておく。
もし選べるのであれば、今日の晩ゴハンには美味しいお肉よりも白身の焼き魚を希望すると。
「よし、それなら今晩は焼き魚にしよう。どこで買って帰るかな」
「隊長、神聖帝国では、制限されているからこそ生臭物の取り扱いは豊富だそうですよ。港のほうに行けば店もあります。そうだグンさん、確か前に話していたあの店……」
「ああ、ラッキーフィッシュマンズ鮮魚店か。新鮮で上等な魚介が安く手に入るらしいな」
「「よし、そこにしよう」」
話は決まったようだった。帰りは鮮魚店に寄って、焼き魚に合った白身の魚を買う。そういう話に決まった。もしも可能であればなにか醤油のようなものも手に入ればありがたいけれど、それはあまりに贅沢が過ぎるというものだろうか。
そうこうしている間に、飛び出した目玉をラナグに弾かれて紛失してしまった暗黒大神官氏が、手下を沢山集めて大きな魔法陣を一生懸命に構築していた。
「これが本当の切り札だ」
暗黒氏の呟きとともに、その場はお祭りの如き盛り上がりを見せる。
米俵のようなものや、肉に魚に野菜類、海の幸も山の幸も山盛りになって魔法陣の真ん中に高く積まれていった。まるで年貢だ。これで年貢の納め時、そういう意思表示なのかもしれない。
そう思ったのも束の間、魔法陣が暗黒に輝き始める。
暗黒大神官と部下の人々の叫ぶ声を聞く限り、これで破壊神なる存在を召喚するつもりらしい。隊長さん達は、よしこい大歓迎という様子だった。
さて、まあ結果だけ言ってしまえば、その後に破壊神は召喚された。見事な破壊神だった。絵に描いたような立派な破壊神だった。が、すぐに倒された。
もちろん隊長さんによるもので、有無を言わさず破壊神を殴り飛ばしていた。
せめていつものナイフぐらいは使えばいいのにと思ったのだけれど、八九四二本もあるらしいナイフは、その一本も使われることがなく、隊長さんは拳一つでほとんど一瞬のうちに破壊神を破壊していた。
ある意味では、おおむねいつも通りの日常の光景だけれど、あまりに瞬間的な出来事だったために、召喚した本人はなにが起こったのか理解できていない様子。
「召喚失敗だと!? くそっこんなときに」
なんて言っていた。暗黒氏には破壊神が瞬時に倒されてしまったのが見えていなかったのだ。あまりに可哀想な光景だった。
「破壊神の召喚さえ順調にできていれば貴様らなどに遅れはとらぬぞ」
そうとも言っていた。
可哀想ではあるけれど、私は混乱に乗じて風神さんの羽衣も取り返す。これは仕方のないことだった。もともと風神さんのものなのだから。
思えば、そもそもこれが目的で来ただけなのに、えらい騒ぎになったものだ。
いよいよこの地下の光景も音声も情報も、必要なものは十分に記録に撮れたらしく、最後に神殿内部にあった違法薬物の製造設備なども破壊されていった。
というよりも、隊長&副長で破壊神を破壊したときにはすでに、地下大神殿の大部分も破壊されていた。破壊神もろとも神殿を破壊。それはもう破壊したほうが破壊神なのでは、なんて思わなくもない光景だった。
私は邪竜の残骸をざっと集めて亜空間に収納しておく。邪竜はすでに石像だったときのようにカチコチになって砕けていて、とくに匂いとかはない。化石のような状態だ。
おおむねしまい終わったところで、先ほどからずっとこちらに向かってきていた例の暗黒大神官氏の一行が到着した様子。そして開口一番、張り裂けんばかりの大声をあげた。
「じゃ、邪竜像が!? 邪竜オンディンダライライライが!?」
隊長さんと副長さんが壊してしまったあの邪竜、名前はオンディンダライライライというらしい。オンディンダ、ライ、ライ、ライ。名前の最後のほうが少しばかり長すぎるように思える。
長い。オンディンダライまでではダメだったのだろうか。
「ああ! オンディンダライライライよっ!!」
流石は暗黒大神官だというべきか。一度たりともライの数を間違えることなく、壊れた邪竜の小さな破片を大切そうにかき集めていた。
「く、ぐぅぅぅ、ここまで破壊されているうえに、破片のほとんどが消失させてあるとは。これではもはや元には……」
どうやら破片さえあればあの邪竜を復活させられるような口ぶりだった。
なるほど良かった、私としてはそこまで考えていたわけではないが、幸いにも破片のほとんどはすでに亜空間収納にしまい込んである。
牙などは黒曜石のように艶やかに暗く光っていてなかなかの逸品だし、妙にカラフルな表皮も面白い。
どちらも癖は強いが良質な武具の材料になるとグンさんが教えてくれた。たとえラナグが食べなくとも十分に使い道はありそうとのこと。帰ったら人間チームで分ける予定だ。
さて、暗黒大神官はキッとこちらに視線を向ける。
「貴様らはいったい何者か!? 神聖なるこの地へ土足で踏み入り、我らの研究成果を破壊してくれるとは」
どうやら彼らは今のところ、こちらの素性が分かっていないらしい。暗黒大神官などと呼ばれる大人物にしては、いまいち手ぬるいように思える。
さてこの邪竜だが、やはり彼らの研究成果だと言う。
あれは元々が石像で、それを依り代にして邪竜を召喚したものらしい。つまりは半分くらい人工的に造り上げた邪竜、そんな感じのようだ。
たしか彼らは人工神獣なるものの研究をしているはずなので、この邪竜像もその一環なのだろう。
昨日の千年桃の妖精さん達にしても、人工神獣の材料として連れ去られていた。
こうして地下大神殿の中を探知している今も、次々に囚われの精霊や妖精っぽい存在が見つかっていく。なかなかの数だ。
『これだから、神聖帝国の連中は気に食わんのだ』
ラナグはご立腹だった。思えば彼はこの国に来る前から、あまり神聖帝国が好きではないと言っていた。
暗黒大神官はこちらをじっと見ていたが、おもむろに一歩二歩と下がっていく。代わりに彼の後ろから武器を携えた緋色の衣の神官集団が前に進み出てきた。
どうやら彼らは、また別な研究成果を披露するつもりらしい。
暗黒大神官氏を囲むように布陣した男女の声が揃って響く。
「「「炎獣イフリタス、現れ出でて我が意に従え」」」
なんとも威勢の良い掛け声だった。
同時に、彼らの身体から炎が噴き上がる。そして、炎で形作られた怪物の姿が現れた。
怪物に表情はなく、意思も感じられない。ただ無差別に炎を撒き散らしていた。これが人工神獣研究の成果の一つらしかった。
その姿は神獣や精霊というよりも、自我なく暴れ狂う魔物によく似ていた。
『醜悪。哀れな魔物を生み出してなんとするのか』
我が家の神獣ラナグは、眉間に深くシワを刻んでグルゥと小さく喉を鳴らした。
人工神獣研究とはその名が示すとおり、人工的に神獣や精霊に近い存在を作り出す試みのようだ。
材料は妖精、精霊、神獣、またはその存在の一部。
本来は自然界に普通に存在するのが精霊や神獣達だ。例えば火の精霊ならば火の中に棲み、炎を自在に操るような魔力を持っている。
ただ基本的に彼らは自由奔放で人のことなど気にしないし、人に力を貸し与えるなんてこともめったにないそうだ。
精霊よりも上位の存在だという神獣の場合は、いくらか人間との接点もあるというが、それでも気まぐれだ。
直接人間に力を貸すのではなく、捧げ物や信仰心の見返りとして、間接的に加護や特殊な能力を人間に授けてくれるのだとか。結局彼らはほとんど人間の思ったようには動かない。
それならば、思いのままに動く神を自分達の手で創造し、それを信奉すべきである。
「それが崇高なる理。我らのあるべき信仰だ!!」
暗黒大神官は叫んだ。
ここまでひと通りのお話は、勝手に暗黒氏が演説を始めて教えてくれたものである。
ちなみに妖精、精霊、神獣という順番で、より上位の存在になっていくという。
祀るための神殿が建立されるのも、神獣だけだそうだ。
とすればだ。ラナグも風神さんも、それなりの立場にあるということになるが。
「うーん」
『どうかしたかリゼ? ここは空気が悪いから、そろそろ帰るか?』
神々しいほどのフワフワ感もあるが、おしゃべりをするととっても普通の犬さんだ。いまいち、偉い感じはない。
普通の犬はおしゃべりをしないという問題もあるかもしれないが、ともかくラナグのことは今は横に置いておいて話を戻そう。
この本来は自由奔放であるはずの精霊や妖精の、力だけを取り込んで新しい存在を組み上げてしまおうというのが、ここの人達の新技術。
むりやり精霊や妖精を別の器に取り込むのだそうだ。例えば宝石の中に封印してしまうとか、あるいは人の中に取り込んでしまうとか。
グンさんも目を細めて語る。
「はぁしかしとんでもないな。人工神獣はまだ新しい技術で、副作用も山盛りだという情報だったが、事実のようだ」
炎の人工神獣(実験中)の力を呼び出していた神官達は今や、自らの身体を焦がしながら襲い掛かってきている。ほとんど自爆のような形での突撃。逆巻く炎が吹き荒れている。
そんな彼らには、隊長さんと副長さんが応戦している。
魔力の流れを探知してみると、燃え燃えな神官達は、どこか別な場所にいる精霊から力を引き込んでいた。
ふむ、では私のほうはそちらを攻略しておくか。そう考えているとちょうど、
『リゼすまないが、囚われている若い精霊達を助けておきたい』
ラナグが歯がゆそうに言った。
以前に聞いたことがあるが、ラナグ達神獣の世界はなにかと制限が多いのだ。世界に大きな影響を与える力を持つから、管轄外のことは手を出しにくいとか。
私はラナグの柔らかな手触りの毛皮を撫でて答える。
「もちろん、このリゼさんに任せていただきましょう」
目の前の戦闘は隊長さん&副長さんにお任せすることにして、私は転移術士グンさんに保護者役をお願いし、飛んだ。
地下大神殿の奥、精霊達が詰め込まれているいくつかの部屋の一つへ。
どの部屋もかなり厳重というか、物理的には扉や窓の一つもない。完全に閉ざされた空間になっていた。部屋ごとに転移妨害という種類の結界も張られていた。
つまり普通の転移術では侵入不可能な造りになっている。
というわけで私は一度、亜空間に飛ぶことになった。
そう、いつもは倉庫として使っている、あの真っ暗な空間である。
基本的には生き物を入れるのは禁止な場所で、空気もなければ空も地面もないような意味不明な空間。
もしも本音を言わせてもらうのならば、入るのはちょっぴり怖かった。
なので、転移術のプロフェッショナルであるグンさんについてきてもらったわけである。
わざわざこんなおっかない方法をとらざるを得なかったのは、ひとえに結界をすり抜けるためである。
一般的な転移術というやつは、直線的に空間を飛び越えるイメージだが、これは途中に結界を張られると、基本的には通り抜けできない。
迂回が必要になるのだ。
そこで今回はまず亜空間へと渡った。そこからさらにまたいくつかの亜空間を渡り歩くと、上手くいけば目的地に出られる。上手くいかないと、とんでもない場所に繋がる場合もある。そんな荒業だった。
いつもなら怖い物はお饅頭くらいしかない私なのだが、今回ばかりはおっかなびっくりであったと白状しよう。
「アルラギア隊長にはとても言えん。リゼにこんな術をやらせたなんてなあ」
グンさんはグンさんで、別な心配をしている。
『ふふんリゼなら、これくらいなんてことない。最悪事故になっても、我がなんとかするしな』
ラナグはいつもどおりである。私がやること、なんでもかんでも大丈夫だと言うのではないかとすら思う。頼もしいやら、そうでもないやら。
なにはともあれこの方式だと、途中に結界があっても関係なく通り抜けられるそうだが、利点ばかりではない。渋い顔でグンさんが言った。
「言っておく。この方法は普通は高度かつ特殊すぎてできない。だからこそ妨害する側も対策してない場合がほとんどだ。そもそも下手にやると、亜空間に行ったっきり帰ってこれなくなるような事故までありえる」
つまり、とっても危ない。
グンさん曰く、このタイプの転移術に対しても、一応対策方法はあるようだ。それについても聞いてみるが。
「参ったな。すまんがそのレベルの結界を張るって話になると専門外で、俺のほうがリゼについていけなくなってくる。結界はブックのほうが詳しいからそっちに頼むよ。ホームの結界も、基本的にはあいつの管理だしな」
といった具合だった。そんな風に魔法トークに花を咲かせながら、密室へ侵入していった私達だった。
まずは一つ目の部屋。小さな真四角のお部屋に、炎の精霊数十名が詰め込まれていた。
力を封じられているのか炎はなく熱くもなく、黒い姿が燃えカスのようにプスプス。煙だけがただよっていた。彼らの瞳は怒りで見開かれていて、その怨嗟は突然の訪問者である私達に向けられていた。
すぐにラナグと風神さんが語りかける。
『静かにしておれよ、今この娘がおぬしらを解放する』
『暴れないでね~』
もし解放したら、すぐに私が黒焦げにされそうな雰囲気だったものが一転静まる。
私は炎の精霊達を拘束していた呪縛の鎖を断ち切った。
同時に、外の気配に異変を感じた。
様子を見に一度そちらに転移して戻ってみる。
ふむ、予定通り上手くいっているのではなかろうか。
例の神官達の身体から炎の魔物が抜け始めていた。炎が散り散りになり、霧のように消えさっていく。
宙にはただかすかに火の粉が残って舞った。同時に神官達は崩れ落ちる。
「なんだ? なんなのだ? 馬鹿な、人工神獣γ式の力が消えた? 神官どもの魂魄の奥底にまで刻み込んだ人工神獣の力が!?」
暗黒大神官氏は、何事が起きたのかと困惑しているようだった。
ということで、ようし。次のお部屋へレッツゴウである。
「しかし短距離転移に関しては、すでに俺よりリゼのほうが上だな。それでまだ魔法を使い始めて間もないっていうのだから恐れ入るよ。もう大国の宝物殿にだって気づかれずに侵入できるクラス。天下一の大泥棒にもなれる」
「グンさん、私はどちらかというと大泥棒より探偵のほうが好みです」
「ん? そりゃあそうだな、フフ」
それからしばしの間、各種の探知術を駆使して精霊達を探しては、亜空間経由タイプの転移術で移動を繰り返し、囚われの精霊達を解放して回る。
さて今、私の手元には行方不明の精霊リストがある。
今朝、ピンキー邸でお話をした精霊の方々からも、この話を頼まれていたのだ。たくさんのお悩み相談があったが、結局そのほとんどは、身内が攫われただとか、行方不明になっただとかの話だったのだ。
頼まれて動くからには捜し漏れがあってはいけない。そう思って特徴などを聞いてメモしてきたのだ。
偉い。私という人間は、実に真面目な仕事をする人物だと、内心で自画自賛する。
見つけては一名ずつチェックし、また別の部屋へ。
今度の部屋には大きなガラスの筒があった。試験管にも見える。
中は培養液のようなもので満たされていて、小さな生き物がフヨフヨと浮かんでいた。
中でなにかがうにょりんと動いているが、それ自体も透明なのか、形がよく分からない。
ラナグがガラスを破壊。ちゅるんとすべり出てきたそれは……半透明な子グマさん。
ゼリーっぽい質感の、可愛らしい子グマさんであった。
『くまぁ?』
くまぁと鳴く子グマさんがこちらを見ている。
どうやらこの子も精霊の一種ではあるらしい。
さてこの室内。隣にはもう一つ別な台があるので、そちらにも目を向ける。
台の上には細かな文様の彫られた器があり、その上でメラメラと炎が燃えている。炎の中には割れかけた卵があり、そこから雛鳥が顔を覗かせていた。
これまたこちらをじっと見ている。皿の周囲に張られていた結界を丁寧に取り除くと、卵のヒビが広がり始めた。中の生き物がパキパキと殻を割って出てくる。
と、それは可愛らしい子ガモさんであった。
子グマ&子ガモである。両者とも、中から出てきたのは良いが、なにをするでもなく、ただこちらを見つめていた。
そしてこの二名、リストには載っていないのだ。ウーンと思う。
ラナグ&風神さんに見てもらうと、どちらも精霊の一種ではあると断定してくれた。ならば他の精霊と一緒に、外に逃がすべきか。
一応、クマ&カモさん両人の意思確認もしてみる。
もしも彼らが望んでいないのに連れ出したりしたら、それこそこちらが誘拐犯だ。精霊攫いになりかねない。
二名ともまだ言葉が微妙で意思の疎通には難儀したけれど、どうやら、他の精霊達と外に行きたい様子。
そこで近くの精霊達と一緒に脱出することに。
私は皆さんをひとまとめにして千年桃の丘へと飛ばした。
さてこうして一仕事終えたので戻ってみると、そこではまだ隊長さん&副長さんが、暗黒大神官一派とバトルをしている真っ最中だった。バトルといっても、主に暗黒大神官が精霊の力を失った神官達を起こそうと必死になっているだけだが。
「貧弱な無能どもめ! なにを倒れておるか。ありえぬ。こんなことが起きてたまるものか」
可哀想に。彼らが用意していた研究成果の全てが、次から次へと消え去ってしまったらしい。
「あっ暗黒大神官様!! 申しわけございません、申しわけございませんっ!!」
するとそんな声と共に数名の神官達が、地下大神殿の奥からこちらに走って来た。
中にひとりだけ見慣れた人物もいるなと思って確認すると、昨日の古代神学研究所で、所員達を取り仕切っていたおじさんだ。
古代神学研究所はどうやらここの下部組織というか、フロント企業のようなものらしい。
おじさんは、ひたすら謝っているばかりだ。暗黒氏から早く本題を言えと促されて、それからしぶしぶといった様子で口を開いた。
「全ての精霊部屋から、精霊が消えました」
「なぁあぁん? 馬鹿を言うな。消えたとはなんだ? 襲撃でもあったのか?」
「いえそれが、まったく破壊の跡も侵入を試みた痕跡もないのですが、中身だけが消えているのです」
「ありえんわ! あそこは完全に隔離した密室だぞ? この私自らの手で完全なる封印を施してある場所だ! そんなことは絶対に起こりえん。超級破壊魔法で内部ごと壊すか、私が精霊どもを呼び出さん限りはありえんことだ。良く見たのか? お前達は間の抜けたマヌケばかりだからな」
「それが何度確認しても中はもぬけの空なのです。集めてきた全ての精霊が姿を消してしまったのです」
彼らは亜空間経由タイプの転移術についてはあまり知らないらしく、まるでちょっとした密室事件のような扱いになっていた。
密室事件か、なんとなく甘美な雰囲気のする言葉だなと思う。
実は私も、いつかどこかの名探偵のように颯爽と謎を解決してみたいものだと思いながら、日々を過ごしている。が、いっこうにチャンスがない。
世の中、そう簡単に事件もチャンスも転がってはいないのだ。
ましてや魔法のあるこの世界にきてしまっては、もはや密室事件なんて成立しうるのだろうか。
転移魔法とか空間操作とか、なんでもありにもほどがある。憧れの密室事件よ、我が前に現れたまえ。殺人とかはちょっとヘビーなので、できれば軽めの事件が望ましいです。
心中で秘かにそんな願いを呟いていると、ここで暗黒氏がこちらを見た。
「馬鹿者どもめが、いつまで妙な幼女にまで侵入を許している」
私のことらしい。微妙に失礼な言われようである。
「死なん程度に痛めつけろ、捕らえろ」
なんてことを言うのだろうか、これぞ真の乱暴者である。
彼は精霊の力を抜かれた部下達がバタバタ倒れていくせいで、ご機嫌ななめだった。
さらには自分が侵入者と直接戦うはめになったと言って激怒し始める暗黒氏。
周囲には普通の人間姿に戻った、ただの疲れた労働者達が大量に横たわっているばかりだ。
考えてみると、炎に焼かれながら戦わされるというのは、かなり劣悪な労働環境である。可哀想に。今日は安らかに眠るといい。
暗黒大神官はここにきて、ようやく自らバトルに参加し始めていた。
「全てに等しく滅びを与えん、降り注げ『暗黒流星群』」
必殺技っぽい魔法が発動しかける。
がしかし、アルラギア隊長の攻撃に邪魔をされて不発。その後もいなされる。暗黒氏は到底アルラギア隊長には歯が立ちそうにない。それでもなぜか隊長さんはとどめを刺さない。隊長さんにしては珍しく時間をかける。
恐らくだが、この地下大神殿の記録を撮っておくためだろう。そう思って眺めると、もうあからさまに時間稼ぎをしているのが見てとれた。
「グウウ、化け物かッ、なんてヤツラだ。次だッ、次を持ってまいれ。もはや温存はできぬぞ、ありったけ持ってくるのだ」
暗黒大神官の得意技は召喚魔法らしかった。
神官達がなにか特別な魔導具を持ち出してきては、悪魔っぽいのやら幽鬼、邪鬼っぽいのやら、不死系モンスターやらを次々に呼び出す。
暗黒大神官の見開いた眼は、煌々と赤黒い光を放っている。赤い瞳がぎょろりと動き、また私を見て、そしてラナグを見つめた。
「そうか、一連の出来事は、そこの神獣の仕業か」
『いや違うぞ。リゼと人間達だ』
律儀に答えるラナグだが、もちろん相手に声は聞こえていない。相手は話を続ける。
「そうか、おかしな幼女に付いているおかしな存在。報告にあった神獣の巫女と未知の神獣か。となれば他の人間は邪魔者の傭兵団ということになる。今朝ほど殲滅したという報告があったが、どうやらなにか手違いがあったらしい」
死んだふり作戦は、意外にもちゃんと効果があったことが判明。彼はまだまだしゃべる。けっこうおしゃべりな人のようだ。
「ふふん、かえって都合が良い。神獣様にも巫女様にも我らの実験材料になっていただこう。ここがどこだか分かっているだろうに。けっして幼女を連れて遊びに来るような場所ではないわ」
それはたしかにそう思う。世間一般の常識に照らし合わせて考えれば、幼女を連れてくるような場所ではなかった。もっとも私が無理を言ってついてきたのだけれど。
隊長&副長&グンさんは、気まずそうに顔を見合わせた。
ひと呼吸おいてから、
「どうにも、うちの幼女はお留守番なんてするようなタマじゃないらしくてな」
アルラギア隊長は首をクイッと傾げてそう答え、
「そうなりますね」
私は胸を張って同意した。
「……どちらでもいいわ。どのみち傭兵団如きが我々に刃向かってなにができる。名うての傭兵団だとは聞いているが、我々に対してここまでのことをすれば、もはや世界中どこに向かっても行き場所はない。それは覚悟の上だろうに」
「さあて、どうだかな。ところで、そっちはそんなものか? 他に手札がないようなら、そろそろあんたを倒してしまいにするんだが」
隊長さんはいつもどおり余裕綽々な雰囲気。挙げ句の果てに、もっとなにか見せてみろやいと煽りだす。
やはり、なるだけ記録をとっておきたいようだ。
いっぽう暗黒大神官は、普段はイエスマンばかりに囲まれているのかもしれない。煽り耐性が皆無であった。
怒りで目玉がボンッと飛び出してきて、同時に青紫色の涙を流す。どちらも比喩ではなく、本当に目玉が飛び出してきて青紫色の涙なのだ。ホラーなおじさんである。きゃあ怖い! とでも言って顔を背けたい気分だった。ただ、なんだかそういうのは上手くできない私なので、表情だけでも怖がっておく。
「リゼ、そう気持ち悪そうな顔をするな。あとで美味い肉を買ってやるから」
隊長さんが言った。今のは怖がっている淑女の表情であったのだが、微妙に伝わっていないらしい。残念でならない。
にしてもここで「美味い肉」を持ち出してくる隊長さんの神経の太さ(デリカシーのなさ)は流石である。この光景の中にあって美味い肉を食べたいとは思えないのが普通の人間だ。せめて柑橘系のシャーベットだろう。と思うのだけれど、それはべつとして、もし選べるのなら私は焼き魚が食べたいなとは思う。
考えてみればこちらに来てからまだ一度も食べていないのではないだろうか、焼き魚。私のこの窮状を隊長さんには申し伝えておく。
もし選べるのであれば、今日の晩ゴハンには美味しいお肉よりも白身の焼き魚を希望すると。
「よし、それなら今晩は焼き魚にしよう。どこで買って帰るかな」
「隊長、神聖帝国では、制限されているからこそ生臭物の取り扱いは豊富だそうですよ。港のほうに行けば店もあります。そうだグンさん、確か前に話していたあの店……」
「ああ、ラッキーフィッシュマンズ鮮魚店か。新鮮で上等な魚介が安く手に入るらしいな」
「「よし、そこにしよう」」
話は決まったようだった。帰りは鮮魚店に寄って、焼き魚に合った白身の魚を買う。そういう話に決まった。もしも可能であればなにか醤油のようなものも手に入ればありがたいけれど、それはあまりに贅沢が過ぎるというものだろうか。
そうこうしている間に、飛び出した目玉をラナグに弾かれて紛失してしまった暗黒大神官氏が、手下を沢山集めて大きな魔法陣を一生懸命に構築していた。
「これが本当の切り札だ」
暗黒氏の呟きとともに、その場はお祭りの如き盛り上がりを見せる。
米俵のようなものや、肉に魚に野菜類、海の幸も山の幸も山盛りになって魔法陣の真ん中に高く積まれていった。まるで年貢だ。これで年貢の納め時、そういう意思表示なのかもしれない。
そう思ったのも束の間、魔法陣が暗黒に輝き始める。
暗黒大神官と部下の人々の叫ぶ声を聞く限り、これで破壊神なる存在を召喚するつもりらしい。隊長さん達は、よしこい大歓迎という様子だった。
さて、まあ結果だけ言ってしまえば、その後に破壊神は召喚された。見事な破壊神だった。絵に描いたような立派な破壊神だった。が、すぐに倒された。
もちろん隊長さんによるもので、有無を言わさず破壊神を殴り飛ばしていた。
せめていつものナイフぐらいは使えばいいのにと思ったのだけれど、八九四二本もあるらしいナイフは、その一本も使われることがなく、隊長さんは拳一つでほとんど一瞬のうちに破壊神を破壊していた。
ある意味では、おおむねいつも通りの日常の光景だけれど、あまりに瞬間的な出来事だったために、召喚した本人はなにが起こったのか理解できていない様子。
「召喚失敗だと!? くそっこんなときに」
なんて言っていた。暗黒氏には破壊神が瞬時に倒されてしまったのが見えていなかったのだ。あまりに可哀想な光景だった。
「破壊神の召喚さえ順調にできていれば貴様らなどに遅れはとらぬぞ」
そうとも言っていた。
可哀想ではあるけれど、私は混乱に乗じて風神さんの羽衣も取り返す。これは仕方のないことだった。もともと風神さんのものなのだから。
思えば、そもそもこれが目的で来ただけなのに、えらい騒ぎになったものだ。
いよいよこの地下の光景も音声も情報も、必要なものは十分に記録に撮れたらしく、最後に神殿内部にあった違法薬物の製造設備なども破壊されていった。
というよりも、隊長&副長で破壊神を破壊したときにはすでに、地下大神殿の大部分も破壊されていた。破壊神もろとも神殿を破壊。それはもう破壊したほうが破壊神なのでは、なんて思わなくもない光景だった。
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