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2巻
2-2
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「それでリゼ、方角はこっちで合っているよな?」
「ええ大丈夫ですよ」
アルラギア隊長は、中央大神殿という場所の真下に行ってみるつもりらしい。
昨日潜った古代神学研究所の地下から、さらに進むとそこに繋がっている。
途中にも細々とした部屋があるが、そこは素通りする。
移動は隊長さんの土魔法。これによって全自動で神聖帝国の地中を進み始めた私達である。
これは楽ちんである。しかし掘っている間の待ち時間が発生して、やや暇だ……
そこで私は桃を煮ることにした。
「ああ~リゼ? 今度はなにをしてるんだ?」
「なにってもちろん、桃を煮ているんですよ?」
幸いにも鍋と白ワインと甘味料くらいの日常的に使う物品ならば、私は持ってきているのだ。
収納魔法は本当に便利。こんなときにこんな場所、ちょっとしたすき間時間にお料理を楽しめるのだから。
もちろん今日のはお料理なんて大それたものではない。白ワインと砂糖っぽい甘味料で、皮を剥いた千年桃を軽く煮るだけだ。
折角なので、私はまず生で、ほんの小さな角切りをひとかけら食べさせていただいた――
どれどれ、ん? モグモグ、おや? あれ? そんなに美味しいものではない?
いやいや待てよ。たしかこれは煮たほうが美味しい桃なのだ。ならばグツグツしようではないか。
張り切って煮る。
ところが結局その後、甘く煮てもそんなに……、格別美味しいとかはなかったのだ。
味が弱いというかぼけているというか。
そうか、これが千年桃、そうかそうなのか……
つまりは私が最も恐れていたことがついに現実となってしまったというわけだ。
とっても希少なものだから美味しいに違いないという現実離れした淡く儚い期待は、結局のところ夢物語のお笑い種だったのだ。
期待していたほどの味ではなかった千年桃、今はただ悲しそうにシロップの海に揺れているばかりだった。
しかしそんな私の横で、はしゃいで煮た桃に喰らいつく影が二つ。
『はぁああ~、しっみわたるぅ。これこれ、これよね千年桃』
『久しぶりに食ったが、腹はそれなりに膨れるな。しかも今回はリゼの手で調理された分だけ格別なものになっているしな』
千年桃は神獣さんチームにはそこそこ好評らしい。えっ、そうなの? と私は思う。
『ま、年経た神獣にとっての滋養強壮剤のようなものだからな。風神クラスの神獣が、生のまま未調理で食しても腹が膨れるレベルの食材は希少だ。もっとも、人には無用の長物かもしれぬが』
そういう食材らしい。人間にとってはわざわざ育てて食べるほどの味でもなく、収穫量も極端に少ないし、あとは少々の回復効果がある程度。
超希少な食材のはずが放置されぎみな果物。それが人にとっての千年桃。
『一般的に神獣って、神殿に行って神託を下して、捧げ物として食べ物を持ってきてもらうの。それが一つの生き方で、捧げ物を食べると力が出る。そんな感じなのよね。でもこの桃はその工程なしでも満たされるくらい格が高いのよ。ドラゴンとかも似たような食材ね』
オコジョっぽい姿のまま桃のワイン煮にかぶりつく風神さん。こちらを見上げてため息を一つ、気だるそうに言葉を続けた。
『ふぅ。この神託っていうのがまたくせ者でね。通じづらいのよね~。とくに大きい神殿の人間ほど通じない。あれはきっと、身分が高いだけで神託を受け取る力なんてない人間が、上の立場にいたりするからね。困っちゃう』
『まったく面倒だが、神託もこの世界の理でな。大きな力を持つ年経た神獣はその分、他の生き物からの承認がないと存在を維持しにくくなるようにできているのだ』
『そうなの。立派な神殿を建ててもらったり、信仰や供物を捧げてもらったりしないとならない。食事もその一つね』
ふうん、大変だと私は思った。煮桃くらいなら、いつでも作ってあげたいが、風神さんはあちこち飛び回って、一か所に定住しない生活らしい。郵送でもしないとなかなか難しそうだ。
今日使った桃は丸々二個分。一つは風神さんのかじりかけだったから一・八個分というほうが正確だろうか。これを風の子も含めた神獣さんチーム全員で食したので、あっという間にペロリであった。
お鍋にはもはや桃シロップも残ってはいない。
桃の風味が付いたトロリと甘い汁。言っておくが、私はこういったシロップは大好きである。甘すぎてどうのという意見も認めるには認めるが、それでも私は好きなのだ。炭酸で割って飲みたいものである。がしかし、私は偉いので、今回はハラペコでハラペコで仕方ない風神さんに譲った。
『はぁぁ満たされるぅぅ』
好物らしいし、なにより色々な話を聞かされたせいで、流石に譲らないわけには……いかなかったのだ。繰り返すが、私の人としての偉さは、こういうところにあると思う。
『えっと、ありがとうございます。僕達の桃をこんなに堪能していただいて』
一方桃の生産者さんはそう語った。生産というか桃本人というか、千年桃の苗木の妖精さんである。
にしてもこの妖精さん。いつの間にやら凄くハッキリとおしゃべりできるようになっていた。どうやら他の千年桃達から祝福を受けて送り出された関係で成長しているらしい。
あんなに弱々しくて、ほとんど消えかけていたくらいだったのに。喜ばしい限りだ。
しかし……この彼には未だ名前というものがない。
一緒に来ることになったのにいつまでもただ妖精さんと呼ぶのも微妙である。なにか呼び名が必要ではないかと提案すると。
『えっ、名前を付けてくださるんですか? 嬉しいです!』
その眼差しはキラキラであった。是非お願いしますと言われてしまう。
こうなると必然的にもう一名、風の子さんのほうも同じような展開になる。
この子にもまだ名前はない状態だから、やはりこちらからも、キラキラした眼差しで名づけを希望されてしまった。
ふうむ、しかしどうしたものか。
名前か……そんなすぐには、私の踏ん切りがつかないではないか。こちらの世界では、精霊や妖精にどんな名前を付けるのが良いのやら。
しばし考えさせてくれと言うと、それならせめて仮契約だけでもできませんかと、二名並んで私を見つめてくる。
契約?? それはなんぞ? どうやら、契約というのを精霊や妖精と結ぶと、互いの力を分け与えられるようになったり、その他にも便利でお得な特典がいっぱいあったりするらしい。
ラナグに聞いてみても、それは事実のようだった。デメリットもとくにないそうだが、そもそも精霊達からの信頼が相応に高くなければ仮契約すらできないものだとか。
というわけで仮契約の儀式をラナグから教わる。
それから言われた通りに私は指を立てて、名を名乗り、この二名に契約を申し出た。桃さんと風さんが指を掴むと、繋いだ指が明るく光った。契約成立だ。良かった。
やってみたら信頼度が低すぎて契約失敗でしたなんてことにでもなったら、あまりにも悲しいではないか。心中密かに恐れていた私だが、上手くいってひと安心。
桃さん&風の子さんも喜んでくれている様子。
名づけをすればさらに強い繋がりができるそうだが、それはまたいずれ。しばし考えさせていただこう。
「そろそろ目的地が近い。鍋がひっくり返らんように」
隊長さんが皆に目配せをした。どうやら到着らしい。
私は、イイズナ姿の風神さんによってしっかり舐め尽くされた鍋を、水魔法で洗浄してから収納魔法で懐にしまった。残念ながら桃パーティーはここまでらしい。
「到着だ」
地下大神殿
地中を突き進んだ先には、いかにも邪神かなにかが祀られていそうな地下空間があった。
巨大な円柱が立ち並んでいて、奥には地下にそびえる巨大神殿の威容が見える。
神殿のほうを探知魔法で探ってみると……ううむ、やや判別しづらいが……かねてから私達が捜していた風神さんの羽衣らしきアイテムも発見できた。
どうやら私達が今立っているここは巨大空間の端っこのようだ。下水道のような狭い通路の一つで、薄暗い。
近くには、一見すれば荘厳かつ神聖で美しい建造物がいくつか並んでいる。けれど、致命的に違和感のある場所も目につく。
例えば地面の溝を這うように流れている液体だ。それは煌びやかだが毒々しい色鮮やかさをしていた。
人によっては美しい景色だと思うかもしれないが、見方しだいでは陰鬱で毒々しくも思えるだろう。そんな景色だった。
神殿のほうから流れてきたカラフルな液体は、ここを通り過ぎてさらに下のほうへと続いている。
「魔導炉かなにかからの排水ですかね。垂れ流しにもほどがあるけれど」
ロザハルト副長は剣の先でカラフル物質をつついて、クンクンと臭いを嗅いだ。好ましくない香りだったらしく顔を顰めている。
なぜだろうか、なぜ剣先でそんなねっちょり物質を触るのだろうか。刃先にあれを塗り付けて、ポイズンソードにでもするつもりなのだろうか。
隊長さんもそう思ったのか隣で顔を顰めている。
「おいおいロザハルト、剣が汚れるだろ。そんなもんに触れたら、すぐにちゃんと浄化魔法とコーティングを掛けなおすべきだな」
「隊長って、武器だけにはえらく細かいですよね」
「いやいや普通だろ。こんな混ざりに混ざった魔導廃液に浸したら、剣に流し込む魔力に僅かとはいえ干渉するぞ」
「どんだけシビアな取り扱いをするつもりです、それ。そんなの0.001%以下の魔法伝導率の話じゃないですか」
絡んでくるアルラギア隊長にロザハルト副長は適当な相槌をうちながら、どこからか取り出した透明なビンやら白い皿やら、試験管のようなものにカラフルねっちょり物質を採取し始めた。それを観察したり、薬品と混ぜてみたり、小剣の先をヘラのようにして使って、粉末の薬品と混ぜて、ペースト状のカラフルななにかを作り出したりと楽しそうだ。
「剣をそういうふうに使うかね。ロザハルトって実は大雑把だよな。信じられんな。ああ~信じられん」
「煩いですね隊長はもう。今ちょっと調べ物してますからお静かに願いますよ。それにですね、世界中の大雑把さを煮詰めて生成したような隊長にだけは言われたくありませんからね。大雑把だなんてね。そもそも隊長の場合はただ単に武器マニアなだけですし。無駄にピカピカに磨いておいて、全然使ってない武器をどれだけストックしてあるのかって話ですよ」
「ふふん、それを聞くか。ならば答えよう。八九四一本ある」
隊長さんは、まったく迷いを見せずに断言した。どうやら所有している八千を超える武器の数を正確に覚えているらしい。
ロザハルト副長はというと、「そっ、そんなに持ってたのかっ!?」とでもいうような顔と仕草を派手に展開していた。
ここで隊長さんはさらに畳みかけてくる。おそるべき追撃である。
「実は昨晩、もう一本買ったという事実も付け加えておこうか。八九四二本目は今、店でオプションを付けてカスタマイズ処理をしてもらっている最中だ」
「ば、馬鹿な!? さらにもう一本買っただと? そんなもの、もはやどうやって使うというのか。毎日一本ずつ使いつぶしたって、八九四二日かかるということですよ」
「そりゃそうだろうよ。もちろん一日で八九四二本を使いつぶせば、一日しかかからないって計算なわけだが」
「そんなの詭弁だ!」
「そんなことはない。現にこうして、こうすれば、一度に千本くらいなら扱えるわけだしな」
隊長さんは語りながら、どこからともなく取り出した千のナイフを、どうやっているのか分からない方法で投げつけた。
投げた先はこの地下空間の奥にある大神殿の、その隣にそびえる長大な邪竜の石像。
高速で投げつけられた千のナイフによって石像は粉々に破壊される。
ただし石像とはいっても『中身』がちゃんと入っていた。邪悪な殺気をプンプンと発散させているし、石像の下には人の骨らしきものまで転がっている。
石像の中から姿を現したのはカラフルな竜。いや、竜というにはやや微妙か。毒々しいほどに美しい色をした蛇のようだった。
ラナグによると、邪竜の一種だとのこと。
なんとも巨大で異様で恐ろしい姿のモンスターだったけれど、出てきてすぐにグラリと体勢を崩し、千本のナイフが突き刺さった体を地面に打ち付け、そのまま動かなくなった。
その巨体の近くから今度は別の小さなモンスターが大量に湧く。あまり美しいとは言えない光景が続いていた。私はどんどん帰りたくなってくる。
隊長さんと副長さんの二人は嬉々として突撃。発生する先からモンスターを蹴散らしていく。
まるで踊るように。あらかじめ決められた振り付けや殺陣が存在するかのように二人は動く。背中合わせでアイコンタクトもないままに、0.1ミリの誤差も許されないような精緻な舞踏を披露していた。
一方転移術士のグンさんはグンさんで、短距離転移術をちょこちょこ発動しながらなにかをやっている。
よくよく注意して周囲を観察してみると、どうやら彼はそこかしこに記録用の魔導具を隠して設置している様子だ。
この地下施設での出来事を映像や音声や、魔力の痕跡として残しているらしい。
恐らくは、今朝のあの王様っぽい人達への提出用なのだろう。
「まぁ、こういうのも大事な仕事だからな」
暴れん坊傭兵団なアルラギア隊の中でトップクラスの顔の厳つさを誇るグンさんだけれど、実は細かいお仕事が好きだ。
私はいまいち手が空いているし、その装置にも少々興味が湧いたので、一つお借りして見せていただいていた。
「ほうほう、これはこれは。こんなものもあるのですね」
「こんな道具がなくても、似たようなことができる術はあるんだが。ただ客観的な証拠品にするにはこっちのほうが向いてるからな。記録として残しやすい」
「なるほどなるほど」
教えていただきながら観察を続ける。
この先端部分はガラスレンズではなく、水晶玉が使われているのか。
記録を行う部分はフィルムなんかでもなければ、もちろんデジタルデータでもない。映像や音を光や風の魔力に変換して保存する仕組みか。
しかしここが地下でかなり暗い場所だということもあって、記録された映像は微妙な映り具合だ。画質に関してはお世辞にも上等とはいえない。現代地球の科学技術が優勢か。
それにしても魔力痕の撮影機能というのは面白かった。邪竜像のあたりが禍々しい色味で渦を巻いている様子が映し出されている。
それからあとは……ズーム機能はないらしい。やはりやや物足りなく感じてしまう部分もある。
ふうむ、この光を集めている部分が丸い水晶玉だけれども、ここは球体よりはレンズ、それも複合レンズにしてやれば、映せる範囲やズーム、明るさ調整などの性能に改良の余地もあるかもしれない。
あるいは、暗視カメラも良い。赤外線を使ったカメラだ。
以前やったレーダー式探知術の応用でできそうな気もする。上手くいけば、暗い場所でももっと綺麗に撮影できるアイテムになるのだが。
流石に魔導具は特殊な機器だ。今この場で私のような素人が手を加えるのは難しいだろう。魔法ならば個人の感覚でいくらでも応用が利くのだが。また機会を見て……
そんなことを思いながら、グンさんと魔導具談義をしていると。
「ちょい、ちょいとリゼちゃん。今そこのデカイのと話しながら考え込んでいたこと、私にも聞かせてみな、いや是が非でも聞かせてもらわなくちゃあ困るね」
参戦してきたのはピンキーお婆さんである。
求められるがままに、ここがこうでアレがああでと説明してみると。
「よし、私に弄らせてもらうよ。リゼちゃんの話を聞いてたら久しぶりにワクワクしてきちまったね」
「久しぶりに? ですか」
「私の家は代々魔導具屋なんだ。今でこそ店に出ちゃいないけどね、私も少しはかじってる」
唐突に張り切りだしたピンキーお婆さんだった。
流石に高精度の複合レンズをこの場で作るのは難しいだろうけど、どうだろうか。
私は彼女に知っていることを伝え、二人であれやこれやと試してみる。
すると赤外線方式の暗視カメラについては、恐るべきことにすぐ試作品が完成した。驚く。このお婆さん、なにげに本当に凄い人である。
一方、お婆さんはお婆さんで驚いていた。
「はぁぁぁあ。こいっつは驚いたね。ほんとにできちまったじゃないか……。うーん……こいつは……」
そして僅かな沈黙のあと、ピンキーお婆さんは一転してにゃんにゃんとした猫撫で声を発した。
「ああ~リゼちゃんそれでねぇ、ものは相談なんだけどね、こいつはうちの、スイートハニー家の商会で権利をとって売り物に……、ああもちろんそれなりの対価は払うよ? なにも横取りしようってわけじゃないんだから。そうじゃなくて、一緒にさ、ちゃんとした商売にしようじゃないかって話なんだけどね」
急に、ご商売の話が始まっていた。
またしても激しく勧誘される。彼女からは今朝、弟子にこいという誘いも受けたばかりだが、あのときの比ではないほどに熱烈な誘いが私を襲っていた。
「お願いお願い! リゼちゃんお願い!」
私としては前世の記憶をちょろりとお話ししたに過ぎないので、この仕組みは好きに使ってもらっても構わなかった。
しかし、そのあたりはスイートハニー商会の面子をかけてきちんとやりたいらしい。
グンさんが言うには、この商会はたしかに立派なものだとか。
ピンキーリリーお婆さんは私の手をガッシと掴む。
「損はさせないよ。一人でやるより、ウチと組んだほうが絶対に得さ」
彼女は熱を帯びた視線でこちらを見つめていた。
私としては、協力するのは全くもってかまわない。そもそも一人でそんな仕事を始めるつもりもない。
やはり商売などというものは、販路があって信用があってブランド力があって、職人がいて売る人がいて事務仕事があって成り立つものだろうとは思う。
というわけで、ならば詳しい話を詰めましょうか、という方向に話が進む。
「いよっしゃあ。まあ具体的な契約内容はこれから決めようかね。それじゃあさっそくだが、うちの店に来てもらって……」
「ちょっと待てちょっと待て、婆さんと幼女で商魂たくましいこったが、今はその前にここの記録をちゃんととりたいんだがな」
気がつけば隊長さんがこちらに戻ってきていた。魔物達とのバトルを終えたらしい。
「なに言ってんだいアルラギア。ったく野暮天だね。この新型の技術革新はあんたじゃ分からんね。こいつは商人ギルドも真っ青だ。ったくこれだから野蛮な傭兵団どもはいけないよ。そもそもだ、すこしは婆さんの忠告を聞かなきゃバチがあた……」
「分かった分かった、話はあとで聞くさ。ただすまんがこっちの仕事も片付けさせてくれ」
そう言ったアルラギア隊長が指す方向。邪竜がいたあたりに目をやると。色鮮やかな竜は粉々に砕かれていたし、溢れていた魔物も今はもう掃討されていた。
すっかり脱線したが、今は魔導具開発を楽しんでいる場合ではないのだ。
そう、あの毒々しい色の邪竜、あれは、大神殿の奥にいる偉い人が、奥の手として用意していた怪物だったと私は思うのだ。
私はたいそうなしっかり者なので、魔導具談義に興じつつも、裏では並行してそのあたりの調査もしていた。地下大神殿の中を探知魔法で探り、そこに悪の大神官ぽい雰囲気の老人を見つけた。
俺様は邪悪だぞと言わんばかりの雰囲気。実際、その偉そうな老人は周囲の人々から「暗黒大神官様」と呼ばれている。
重要そうな人物なので、行動を見守っている最中だ。
暗黒大神官様は、見た目もしっかりと暗黒大神官感がある。
彼の指の全てには、巨大な宝石のついた禍々しいほど荘厳な指輪がはめられている。
黒く尖った爪。フードの奥では眼も赤く光り、挙げ句の果てに、口からはフシュルフシュルと黒いガスを噴出させている。人間をやめていそうな感じがする。
このお爺さん、日常生活はどうなっているのだろうか?
本当に別にどうでもいいのだけれど、ついつい彼の生活について考えてしまう。
買い物のときとかは黒いガスの呼吸はやめるんだろうなとは思う。
表に出るときには、神聖大神官などに変身するのだろうか。あるいは一般人か。
まだしばらく彼の様子を見ていたい衝動にも駆られるけれど、しかし私はそんな無駄なことをするためにこんな地下にまで来たわけではないと思い出す。
そう、まずは風神さんの羽衣の奪還とか、その他諸々……、色々あってきたのだ。
現にこうして今も羽衣捜しは続けているわけだし。なにも暗黒お爺さんをただ眺めていたわけではない。
なんと羽衣は暗黒大神官が隠し持っていたのだ。流石私だなと感心する。目の付け所が適切だ。
私はとりあえず、ここまでに探知した暗黒大神官と彼の周囲の動向を隊長さん達にも伝える。親玉っぽい方がこちらに向かってきていますよと。
どうやら暗黒氏は竜の石像が破壊されたのを感じとって、こちらに急行しているらしい。
私は彼の到着を待ちつつ、引き続き大神殿内部を探知していく。奥へ、そこからぐぐっと上のほうへと探知範囲を拡大していく。
地表のほうまで見てみると、実に真っ当そうな巨大神殿に続いていた。
白亜の宮殿。ドーム天井の付近では、白の大理石で作られた天使像が優雅に羽を動かしてクルクルと舞い飛んでいる。
とにかく彫刻として秀逸だった。もしもあんな出来の良い動く石像を地球のお年寄りに見せたならば、千パーセントの人がここに入信してしまうのではないだろうか。そう思えるほどの出来栄えだった。
一事が万事その調子で、地上にある白い大神殿は圧巻の超建築だった。
建物の名称は白の大神殿。トップはおそらく光の大神官という人物。どうやら暗黒大神官と対をなす存在なのではと推察できる。
二人は装備品も良く似ていて色違い。内在している魔力は光と闇で反対だ。
「暗黒大神官か。本当にいたんだな。都市伝説だって話だったが」
見たものを伝えるとグンさんがポツリとつぶやいた。曰く、暗黒大神官という存在は一部の人々の間ではまことしやかに噂されていたのだとか。
様々な逸話の黒幕として囁かれるような謎の人物らしい。
そんな話をしつつ私達は地下大神殿に近づく。壊れた邪竜像の前を通り過ぎる。ふと思う。
「そういえばラナグ。この邪竜っぽいものって、食べないの?」
以前からちゃんとした竜が食べたい食べたいと言っていたラナグだから、まっさきに喰らいつきに行くかなと思っていたのだが、いっこうにそんな気配はないのだ。
それで聞いてみたのだが、ウゲロゲロ、みたいな顔をされる。
食べないらしい。えええ、せっかくの本物の竜だというのに。あんなに食べたがっていた本物クラスの竜らしいのに。なぜだろうか。
『あれは邪竜。邪竜は美味くない』
味の問題らしかった。
「でもつまり美味しくないということは、食べられはすると?」
『ま、まあな。食べられなくはない。不味いがな』
「ふうむ、それなら……」
『ま、まさかリゼ。食べろとは言わぬよな? あれは本当に不味いぞ。考えてもみるのだ、あれはアンデッドモンスターを大量に湧き上がらせ、支配するようなやつなのだ。とてもではないがアンデッド臭くて食べられたものではない。しかも今回のやつは石像に憑依させた半端物。身が少ない。だからリゼ、そんなものは拾わなくていいぞ』
「ああ大丈夫。念のために一応とっておくだけだよラナグ。灰汁抜きとかしたら意外といけるかもしれないし、もしくはなにか別なことにも使えるかもしれないし。念のため」
そんな話をしながら回収をしに行く。
『わ、我は絶対に喰わぬからな。いくらリゼでもアレは美味くならんと思う』
「そんなに警戒しなくても。念のため、念のため。どちらにしても竜なんて貴重なものには違いないでしょ? 邪竜であろうと地竜であろうと」
『わふう。まあな。人間にとっては相当なレア素材ではあるだろうな。我は好かぬが。全然好かぬが。ちっとも好かぬが。なあ我は炎竜とかが好きだぞリゼ。焼けるような刺激がたまらぬのだ。胃の中がカッカとしてきてな。高ぶってくるのだ。そこに氷雪系の魚介魔獣でクッと喉を冷やしてやるのが暑い時期には最高なのだ』
「ええ大丈夫ですよ」
アルラギア隊長は、中央大神殿という場所の真下に行ってみるつもりらしい。
昨日潜った古代神学研究所の地下から、さらに進むとそこに繋がっている。
途中にも細々とした部屋があるが、そこは素通りする。
移動は隊長さんの土魔法。これによって全自動で神聖帝国の地中を進み始めた私達である。
これは楽ちんである。しかし掘っている間の待ち時間が発生して、やや暇だ……
そこで私は桃を煮ることにした。
「ああ~リゼ? 今度はなにをしてるんだ?」
「なにってもちろん、桃を煮ているんですよ?」
幸いにも鍋と白ワインと甘味料くらいの日常的に使う物品ならば、私は持ってきているのだ。
収納魔法は本当に便利。こんなときにこんな場所、ちょっとしたすき間時間にお料理を楽しめるのだから。
もちろん今日のはお料理なんて大それたものではない。白ワインと砂糖っぽい甘味料で、皮を剥いた千年桃を軽く煮るだけだ。
折角なので、私はまず生で、ほんの小さな角切りをひとかけら食べさせていただいた――
どれどれ、ん? モグモグ、おや? あれ? そんなに美味しいものではない?
いやいや待てよ。たしかこれは煮たほうが美味しい桃なのだ。ならばグツグツしようではないか。
張り切って煮る。
ところが結局その後、甘く煮てもそんなに……、格別美味しいとかはなかったのだ。
味が弱いというかぼけているというか。
そうか、これが千年桃、そうかそうなのか……
つまりは私が最も恐れていたことがついに現実となってしまったというわけだ。
とっても希少なものだから美味しいに違いないという現実離れした淡く儚い期待は、結局のところ夢物語のお笑い種だったのだ。
期待していたほどの味ではなかった千年桃、今はただ悲しそうにシロップの海に揺れているばかりだった。
しかしそんな私の横で、はしゃいで煮た桃に喰らいつく影が二つ。
『はぁああ~、しっみわたるぅ。これこれ、これよね千年桃』
『久しぶりに食ったが、腹はそれなりに膨れるな。しかも今回はリゼの手で調理された分だけ格別なものになっているしな』
千年桃は神獣さんチームにはそこそこ好評らしい。えっ、そうなの? と私は思う。
『ま、年経た神獣にとっての滋養強壮剤のようなものだからな。風神クラスの神獣が、生のまま未調理で食しても腹が膨れるレベルの食材は希少だ。もっとも、人には無用の長物かもしれぬが』
そういう食材らしい。人間にとってはわざわざ育てて食べるほどの味でもなく、収穫量も極端に少ないし、あとは少々の回復効果がある程度。
超希少な食材のはずが放置されぎみな果物。それが人にとっての千年桃。
『一般的に神獣って、神殿に行って神託を下して、捧げ物として食べ物を持ってきてもらうの。それが一つの生き方で、捧げ物を食べると力が出る。そんな感じなのよね。でもこの桃はその工程なしでも満たされるくらい格が高いのよ。ドラゴンとかも似たような食材ね』
オコジョっぽい姿のまま桃のワイン煮にかぶりつく風神さん。こちらを見上げてため息を一つ、気だるそうに言葉を続けた。
『ふぅ。この神託っていうのがまたくせ者でね。通じづらいのよね~。とくに大きい神殿の人間ほど通じない。あれはきっと、身分が高いだけで神託を受け取る力なんてない人間が、上の立場にいたりするからね。困っちゃう』
『まったく面倒だが、神託もこの世界の理でな。大きな力を持つ年経た神獣はその分、他の生き物からの承認がないと存在を維持しにくくなるようにできているのだ』
『そうなの。立派な神殿を建ててもらったり、信仰や供物を捧げてもらったりしないとならない。食事もその一つね』
ふうん、大変だと私は思った。煮桃くらいなら、いつでも作ってあげたいが、風神さんはあちこち飛び回って、一か所に定住しない生活らしい。郵送でもしないとなかなか難しそうだ。
今日使った桃は丸々二個分。一つは風神さんのかじりかけだったから一・八個分というほうが正確だろうか。これを風の子も含めた神獣さんチーム全員で食したので、あっという間にペロリであった。
お鍋にはもはや桃シロップも残ってはいない。
桃の風味が付いたトロリと甘い汁。言っておくが、私はこういったシロップは大好きである。甘すぎてどうのという意見も認めるには認めるが、それでも私は好きなのだ。炭酸で割って飲みたいものである。がしかし、私は偉いので、今回はハラペコでハラペコで仕方ない風神さんに譲った。
『はぁぁ満たされるぅぅ』
好物らしいし、なにより色々な話を聞かされたせいで、流石に譲らないわけには……いかなかったのだ。繰り返すが、私の人としての偉さは、こういうところにあると思う。
『えっと、ありがとうございます。僕達の桃をこんなに堪能していただいて』
一方桃の生産者さんはそう語った。生産というか桃本人というか、千年桃の苗木の妖精さんである。
にしてもこの妖精さん。いつの間にやら凄くハッキリとおしゃべりできるようになっていた。どうやら他の千年桃達から祝福を受けて送り出された関係で成長しているらしい。
あんなに弱々しくて、ほとんど消えかけていたくらいだったのに。喜ばしい限りだ。
しかし……この彼には未だ名前というものがない。
一緒に来ることになったのにいつまでもただ妖精さんと呼ぶのも微妙である。なにか呼び名が必要ではないかと提案すると。
『えっ、名前を付けてくださるんですか? 嬉しいです!』
その眼差しはキラキラであった。是非お願いしますと言われてしまう。
こうなると必然的にもう一名、風の子さんのほうも同じような展開になる。
この子にもまだ名前はない状態だから、やはりこちらからも、キラキラした眼差しで名づけを希望されてしまった。
ふうむ、しかしどうしたものか。
名前か……そんなすぐには、私の踏ん切りがつかないではないか。こちらの世界では、精霊や妖精にどんな名前を付けるのが良いのやら。
しばし考えさせてくれと言うと、それならせめて仮契約だけでもできませんかと、二名並んで私を見つめてくる。
契約?? それはなんぞ? どうやら、契約というのを精霊や妖精と結ぶと、互いの力を分け与えられるようになったり、その他にも便利でお得な特典がいっぱいあったりするらしい。
ラナグに聞いてみても、それは事実のようだった。デメリットもとくにないそうだが、そもそも精霊達からの信頼が相応に高くなければ仮契約すらできないものだとか。
というわけで仮契約の儀式をラナグから教わる。
それから言われた通りに私は指を立てて、名を名乗り、この二名に契約を申し出た。桃さんと風さんが指を掴むと、繋いだ指が明るく光った。契約成立だ。良かった。
やってみたら信頼度が低すぎて契約失敗でしたなんてことにでもなったら、あまりにも悲しいではないか。心中密かに恐れていた私だが、上手くいってひと安心。
桃さん&風の子さんも喜んでくれている様子。
名づけをすればさらに強い繋がりができるそうだが、それはまたいずれ。しばし考えさせていただこう。
「そろそろ目的地が近い。鍋がひっくり返らんように」
隊長さんが皆に目配せをした。どうやら到着らしい。
私は、イイズナ姿の風神さんによってしっかり舐め尽くされた鍋を、水魔法で洗浄してから収納魔法で懐にしまった。残念ながら桃パーティーはここまでらしい。
「到着だ」
地下大神殿
地中を突き進んだ先には、いかにも邪神かなにかが祀られていそうな地下空間があった。
巨大な円柱が立ち並んでいて、奥には地下にそびえる巨大神殿の威容が見える。
神殿のほうを探知魔法で探ってみると……ううむ、やや判別しづらいが……かねてから私達が捜していた風神さんの羽衣らしきアイテムも発見できた。
どうやら私達が今立っているここは巨大空間の端っこのようだ。下水道のような狭い通路の一つで、薄暗い。
近くには、一見すれば荘厳かつ神聖で美しい建造物がいくつか並んでいる。けれど、致命的に違和感のある場所も目につく。
例えば地面の溝を這うように流れている液体だ。それは煌びやかだが毒々しい色鮮やかさをしていた。
人によっては美しい景色だと思うかもしれないが、見方しだいでは陰鬱で毒々しくも思えるだろう。そんな景色だった。
神殿のほうから流れてきたカラフルな液体は、ここを通り過ぎてさらに下のほうへと続いている。
「魔導炉かなにかからの排水ですかね。垂れ流しにもほどがあるけれど」
ロザハルト副長は剣の先でカラフル物質をつついて、クンクンと臭いを嗅いだ。好ましくない香りだったらしく顔を顰めている。
なぜだろうか、なぜ剣先でそんなねっちょり物質を触るのだろうか。刃先にあれを塗り付けて、ポイズンソードにでもするつもりなのだろうか。
隊長さんもそう思ったのか隣で顔を顰めている。
「おいおいロザハルト、剣が汚れるだろ。そんなもんに触れたら、すぐにちゃんと浄化魔法とコーティングを掛けなおすべきだな」
「隊長って、武器だけにはえらく細かいですよね」
「いやいや普通だろ。こんな混ざりに混ざった魔導廃液に浸したら、剣に流し込む魔力に僅かとはいえ干渉するぞ」
「どんだけシビアな取り扱いをするつもりです、それ。そんなの0.001%以下の魔法伝導率の話じゃないですか」
絡んでくるアルラギア隊長にロザハルト副長は適当な相槌をうちながら、どこからか取り出した透明なビンやら白い皿やら、試験管のようなものにカラフルねっちょり物質を採取し始めた。それを観察したり、薬品と混ぜてみたり、小剣の先をヘラのようにして使って、粉末の薬品と混ぜて、ペースト状のカラフルななにかを作り出したりと楽しそうだ。
「剣をそういうふうに使うかね。ロザハルトって実は大雑把だよな。信じられんな。ああ~信じられん」
「煩いですね隊長はもう。今ちょっと調べ物してますからお静かに願いますよ。それにですね、世界中の大雑把さを煮詰めて生成したような隊長にだけは言われたくありませんからね。大雑把だなんてね。そもそも隊長の場合はただ単に武器マニアなだけですし。無駄にピカピカに磨いておいて、全然使ってない武器をどれだけストックしてあるのかって話ですよ」
「ふふん、それを聞くか。ならば答えよう。八九四一本ある」
隊長さんは、まったく迷いを見せずに断言した。どうやら所有している八千を超える武器の数を正確に覚えているらしい。
ロザハルト副長はというと、「そっ、そんなに持ってたのかっ!?」とでもいうような顔と仕草を派手に展開していた。
ここで隊長さんはさらに畳みかけてくる。おそるべき追撃である。
「実は昨晩、もう一本買ったという事実も付け加えておこうか。八九四二本目は今、店でオプションを付けてカスタマイズ処理をしてもらっている最中だ」
「ば、馬鹿な!? さらにもう一本買っただと? そんなもの、もはやどうやって使うというのか。毎日一本ずつ使いつぶしたって、八九四二日かかるということですよ」
「そりゃそうだろうよ。もちろん一日で八九四二本を使いつぶせば、一日しかかからないって計算なわけだが」
「そんなの詭弁だ!」
「そんなことはない。現にこうして、こうすれば、一度に千本くらいなら扱えるわけだしな」
隊長さんは語りながら、どこからともなく取り出した千のナイフを、どうやっているのか分からない方法で投げつけた。
投げた先はこの地下空間の奥にある大神殿の、その隣にそびえる長大な邪竜の石像。
高速で投げつけられた千のナイフによって石像は粉々に破壊される。
ただし石像とはいっても『中身』がちゃんと入っていた。邪悪な殺気をプンプンと発散させているし、石像の下には人の骨らしきものまで転がっている。
石像の中から姿を現したのはカラフルな竜。いや、竜というにはやや微妙か。毒々しいほどに美しい色をした蛇のようだった。
ラナグによると、邪竜の一種だとのこと。
なんとも巨大で異様で恐ろしい姿のモンスターだったけれど、出てきてすぐにグラリと体勢を崩し、千本のナイフが突き刺さった体を地面に打ち付け、そのまま動かなくなった。
その巨体の近くから今度は別の小さなモンスターが大量に湧く。あまり美しいとは言えない光景が続いていた。私はどんどん帰りたくなってくる。
隊長さんと副長さんの二人は嬉々として突撃。発生する先からモンスターを蹴散らしていく。
まるで踊るように。あらかじめ決められた振り付けや殺陣が存在するかのように二人は動く。背中合わせでアイコンタクトもないままに、0.1ミリの誤差も許されないような精緻な舞踏を披露していた。
一方転移術士のグンさんはグンさんで、短距離転移術をちょこちょこ発動しながらなにかをやっている。
よくよく注意して周囲を観察してみると、どうやら彼はそこかしこに記録用の魔導具を隠して設置している様子だ。
この地下施設での出来事を映像や音声や、魔力の痕跡として残しているらしい。
恐らくは、今朝のあの王様っぽい人達への提出用なのだろう。
「まぁ、こういうのも大事な仕事だからな」
暴れん坊傭兵団なアルラギア隊の中でトップクラスの顔の厳つさを誇るグンさんだけれど、実は細かいお仕事が好きだ。
私はいまいち手が空いているし、その装置にも少々興味が湧いたので、一つお借りして見せていただいていた。
「ほうほう、これはこれは。こんなものもあるのですね」
「こんな道具がなくても、似たようなことができる術はあるんだが。ただ客観的な証拠品にするにはこっちのほうが向いてるからな。記録として残しやすい」
「なるほどなるほど」
教えていただきながら観察を続ける。
この先端部分はガラスレンズではなく、水晶玉が使われているのか。
記録を行う部分はフィルムなんかでもなければ、もちろんデジタルデータでもない。映像や音を光や風の魔力に変換して保存する仕組みか。
しかしここが地下でかなり暗い場所だということもあって、記録された映像は微妙な映り具合だ。画質に関してはお世辞にも上等とはいえない。現代地球の科学技術が優勢か。
それにしても魔力痕の撮影機能というのは面白かった。邪竜像のあたりが禍々しい色味で渦を巻いている様子が映し出されている。
それからあとは……ズーム機能はないらしい。やはりやや物足りなく感じてしまう部分もある。
ふうむ、この光を集めている部分が丸い水晶玉だけれども、ここは球体よりはレンズ、それも複合レンズにしてやれば、映せる範囲やズーム、明るさ調整などの性能に改良の余地もあるかもしれない。
あるいは、暗視カメラも良い。赤外線を使ったカメラだ。
以前やったレーダー式探知術の応用でできそうな気もする。上手くいけば、暗い場所でももっと綺麗に撮影できるアイテムになるのだが。
流石に魔導具は特殊な機器だ。今この場で私のような素人が手を加えるのは難しいだろう。魔法ならば個人の感覚でいくらでも応用が利くのだが。また機会を見て……
そんなことを思いながら、グンさんと魔導具談義をしていると。
「ちょい、ちょいとリゼちゃん。今そこのデカイのと話しながら考え込んでいたこと、私にも聞かせてみな、いや是が非でも聞かせてもらわなくちゃあ困るね」
参戦してきたのはピンキーお婆さんである。
求められるがままに、ここがこうでアレがああでと説明してみると。
「よし、私に弄らせてもらうよ。リゼちゃんの話を聞いてたら久しぶりにワクワクしてきちまったね」
「久しぶりに? ですか」
「私の家は代々魔導具屋なんだ。今でこそ店に出ちゃいないけどね、私も少しはかじってる」
唐突に張り切りだしたピンキーお婆さんだった。
流石に高精度の複合レンズをこの場で作るのは難しいだろうけど、どうだろうか。
私は彼女に知っていることを伝え、二人であれやこれやと試してみる。
すると赤外線方式の暗視カメラについては、恐るべきことにすぐ試作品が完成した。驚く。このお婆さん、なにげに本当に凄い人である。
一方、お婆さんはお婆さんで驚いていた。
「はぁぁぁあ。こいっつは驚いたね。ほんとにできちまったじゃないか……。うーん……こいつは……」
そして僅かな沈黙のあと、ピンキーお婆さんは一転してにゃんにゃんとした猫撫で声を発した。
「ああ~リゼちゃんそれでねぇ、ものは相談なんだけどね、こいつはうちの、スイートハニー家の商会で権利をとって売り物に……、ああもちろんそれなりの対価は払うよ? なにも横取りしようってわけじゃないんだから。そうじゃなくて、一緒にさ、ちゃんとした商売にしようじゃないかって話なんだけどね」
急に、ご商売の話が始まっていた。
またしても激しく勧誘される。彼女からは今朝、弟子にこいという誘いも受けたばかりだが、あのときの比ではないほどに熱烈な誘いが私を襲っていた。
「お願いお願い! リゼちゃんお願い!」
私としては前世の記憶をちょろりとお話ししたに過ぎないので、この仕組みは好きに使ってもらっても構わなかった。
しかし、そのあたりはスイートハニー商会の面子をかけてきちんとやりたいらしい。
グンさんが言うには、この商会はたしかに立派なものだとか。
ピンキーリリーお婆さんは私の手をガッシと掴む。
「損はさせないよ。一人でやるより、ウチと組んだほうが絶対に得さ」
彼女は熱を帯びた視線でこちらを見つめていた。
私としては、協力するのは全くもってかまわない。そもそも一人でそんな仕事を始めるつもりもない。
やはり商売などというものは、販路があって信用があってブランド力があって、職人がいて売る人がいて事務仕事があって成り立つものだろうとは思う。
というわけで、ならば詳しい話を詰めましょうか、という方向に話が進む。
「いよっしゃあ。まあ具体的な契約内容はこれから決めようかね。それじゃあさっそくだが、うちの店に来てもらって……」
「ちょっと待てちょっと待て、婆さんと幼女で商魂たくましいこったが、今はその前にここの記録をちゃんととりたいんだがな」
気がつけば隊長さんがこちらに戻ってきていた。魔物達とのバトルを終えたらしい。
「なに言ってんだいアルラギア。ったく野暮天だね。この新型の技術革新はあんたじゃ分からんね。こいつは商人ギルドも真っ青だ。ったくこれだから野蛮な傭兵団どもはいけないよ。そもそもだ、すこしは婆さんの忠告を聞かなきゃバチがあた……」
「分かった分かった、話はあとで聞くさ。ただすまんがこっちの仕事も片付けさせてくれ」
そう言ったアルラギア隊長が指す方向。邪竜がいたあたりに目をやると。色鮮やかな竜は粉々に砕かれていたし、溢れていた魔物も今はもう掃討されていた。
すっかり脱線したが、今は魔導具開発を楽しんでいる場合ではないのだ。
そう、あの毒々しい色の邪竜、あれは、大神殿の奥にいる偉い人が、奥の手として用意していた怪物だったと私は思うのだ。
私はたいそうなしっかり者なので、魔導具談義に興じつつも、裏では並行してそのあたりの調査もしていた。地下大神殿の中を探知魔法で探り、そこに悪の大神官ぽい雰囲気の老人を見つけた。
俺様は邪悪だぞと言わんばかりの雰囲気。実際、その偉そうな老人は周囲の人々から「暗黒大神官様」と呼ばれている。
重要そうな人物なので、行動を見守っている最中だ。
暗黒大神官様は、見た目もしっかりと暗黒大神官感がある。
彼の指の全てには、巨大な宝石のついた禍々しいほど荘厳な指輪がはめられている。
黒く尖った爪。フードの奥では眼も赤く光り、挙げ句の果てに、口からはフシュルフシュルと黒いガスを噴出させている。人間をやめていそうな感じがする。
このお爺さん、日常生活はどうなっているのだろうか?
本当に別にどうでもいいのだけれど、ついつい彼の生活について考えてしまう。
買い物のときとかは黒いガスの呼吸はやめるんだろうなとは思う。
表に出るときには、神聖大神官などに変身するのだろうか。あるいは一般人か。
まだしばらく彼の様子を見ていたい衝動にも駆られるけれど、しかし私はそんな無駄なことをするためにこんな地下にまで来たわけではないと思い出す。
そう、まずは風神さんの羽衣の奪還とか、その他諸々……、色々あってきたのだ。
現にこうして今も羽衣捜しは続けているわけだし。なにも暗黒お爺さんをただ眺めていたわけではない。
なんと羽衣は暗黒大神官が隠し持っていたのだ。流石私だなと感心する。目の付け所が適切だ。
私はとりあえず、ここまでに探知した暗黒大神官と彼の周囲の動向を隊長さん達にも伝える。親玉っぽい方がこちらに向かってきていますよと。
どうやら暗黒氏は竜の石像が破壊されたのを感じとって、こちらに急行しているらしい。
私は彼の到着を待ちつつ、引き続き大神殿内部を探知していく。奥へ、そこからぐぐっと上のほうへと探知範囲を拡大していく。
地表のほうまで見てみると、実に真っ当そうな巨大神殿に続いていた。
白亜の宮殿。ドーム天井の付近では、白の大理石で作られた天使像が優雅に羽を動かしてクルクルと舞い飛んでいる。
とにかく彫刻として秀逸だった。もしもあんな出来の良い動く石像を地球のお年寄りに見せたならば、千パーセントの人がここに入信してしまうのではないだろうか。そう思えるほどの出来栄えだった。
一事が万事その調子で、地上にある白い大神殿は圧巻の超建築だった。
建物の名称は白の大神殿。トップはおそらく光の大神官という人物。どうやら暗黒大神官と対をなす存在なのではと推察できる。
二人は装備品も良く似ていて色違い。内在している魔力は光と闇で反対だ。
「暗黒大神官か。本当にいたんだな。都市伝説だって話だったが」
見たものを伝えるとグンさんがポツリとつぶやいた。曰く、暗黒大神官という存在は一部の人々の間ではまことしやかに噂されていたのだとか。
様々な逸話の黒幕として囁かれるような謎の人物らしい。
そんな話をしつつ私達は地下大神殿に近づく。壊れた邪竜像の前を通り過ぎる。ふと思う。
「そういえばラナグ。この邪竜っぽいものって、食べないの?」
以前からちゃんとした竜が食べたい食べたいと言っていたラナグだから、まっさきに喰らいつきに行くかなと思っていたのだが、いっこうにそんな気配はないのだ。
それで聞いてみたのだが、ウゲロゲロ、みたいな顔をされる。
食べないらしい。えええ、せっかくの本物の竜だというのに。あんなに食べたがっていた本物クラスの竜らしいのに。なぜだろうか。
『あれは邪竜。邪竜は美味くない』
味の問題らしかった。
「でもつまり美味しくないということは、食べられはすると?」
『ま、まあな。食べられなくはない。不味いがな』
「ふうむ、それなら……」
『ま、まさかリゼ。食べろとは言わぬよな? あれは本当に不味いぞ。考えてもみるのだ、あれはアンデッドモンスターを大量に湧き上がらせ、支配するようなやつなのだ。とてもではないがアンデッド臭くて食べられたものではない。しかも今回のやつは石像に憑依させた半端物。身が少ない。だからリゼ、そんなものは拾わなくていいぞ』
「ああ大丈夫。念のために一応とっておくだけだよラナグ。灰汁抜きとかしたら意外といけるかもしれないし、もしくはなにか別なことにも使えるかもしれないし。念のため」
そんな話をしながら回収をしに行く。
『わ、我は絶対に喰わぬからな。いくらリゼでもアレは美味くならんと思う』
「そんなに警戒しなくても。念のため、念のため。どちらにしても竜なんて貴重なものには違いないでしょ? 邪竜であろうと地竜であろうと」
『わふう。まあな。人間にとっては相当なレア素材ではあるだろうな。我は好かぬが。全然好かぬが。ちっとも好かぬが。なあ我は炎竜とかが好きだぞリゼ。焼けるような刺激がたまらぬのだ。胃の中がカッカとしてきてな。高ぶってくるのだ。そこに氷雪系の魚介魔獣でクッと喉を冷やしてやるのが暑い時期には最高なのだ』
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