上 下
10 / 21

第10話:王子の苛立ちと二人きりの応酬

しおりを挟む
 ダンスが終わり、一息ついたところで、ふいにリシャールがユリエの前に現れた。
 その表情は普段の優雅さを失い、わずかに険しい。

「楽しそうだな、ユリエ。君はいつの間にそんなに舞踏が得意になったんだ」

 無理に取り繕うような笑いを浮かべるが、その瞳はどこか焦っている。
 周囲の貴族たちも興味津々で二人を囲むように視線を投げかける。

 ユリエはあえて余裕の笑みを返す。

「ええ、ここ最近は時間がありましたので。踊りの練習をするくらいしか、やることがありませんでしたから」

 ほんの少しの皮肉を混ぜ込んだ言い回し。
 リシャールはそれを理解したのか、微かに眉を寄せる。

「そうか。確かに君には、もう王宮での公務も必要ないんだからな。暇だったことだろう」

「ええ、そうですね。けれど、そのおかげで今こうして楽しく踊ることができました。
 そう思うと、私には却ってよかったのかもしれません」

 まるで鋭い刃を隠し持つかのような会話。
 セシルは少し離れた場所で、そのやり取りを固唾を飲んで見守っている。
 自分が割って入るべきか否か迷うような表情だ。

 やがて、リシャールは小さくため息をつき、周囲の目を気にするように声を潜める。

「……少し、話がしたい。ここは人目があるから、あちらへ来い」

 そう言って案内されたのは、大広間を抜けた先にある小さな応接室。
 案内する立場のはずのリシャールが、どこか浮き足立っているようにも見える。
 扉が閉じられ、ユリエと王子の二人きりになると、彼は低い声で問い詰めてきた。

「君は何を考えているんだ。今さら舞踏会に姿を現すなんて……何を企んでいる?」

 そのまっすぐな瞳に、ユリエは少しだけ胸を締めつけられるような感覚を覚える。
 かつて、彼が自分を愛してくれたと信じていたころの記憶が、ほんのわずかに疼く。
 だが、今の彼は“裏切った”王子だ。油断してはいけない。

「別に何も。私は招待されたから来ただけよ。
 どんな意図があるかなんて、私が知るはずないじゃない」

「嘘をつくな。お前はこんなにも堂々としている。前のようにおとなしく引き下がる性格じゃないことはわかってる」

 リシャールの声は苛立ちを帯びている。
 それは、まるで自分の思い通りにならない状況に対する焦りのようだ。

「お前がまた聖女の座を狙っているとしたら、僕は黙って見過ごすわけにはいかない」

 その言葉を聞き、ユリエは小さく笑みを漏らす。

「聖女の座? いいえ、私はその資格すら持っていないのでしょう?
 あなたとセシル様の手のひらの上で、ふさわしくないと葬り去られたのが私なんですから」

 痛烈な皮肉に、リシャールは顔を歪める。

「……君は変わったな、ユリエ。そんな皮肉を言うなんて、以前の君なら考えられない」

「そうかもしれないわね。だけど、あなたが私を変えたのよ。
 今の私は、ただされるがままの令嬢ではないわ。
 あなたがどんなに私を見下そうと、もう傷つかないし、屈しない」

 ユリエの言葉は、凛としていて力強い。
 まるで追いつめられるのは自分ではなく、相手のほうだと宣言するようだ。

 そのとき、扉の向こうから人影が近づく気配がする。
 リシャールが慌ててドアを開けると、そこにはセシルが立っていた。

「リシャール様、失礼いたします。お二人きりでどのようなお話を……」

 セシルの目にはどこか不安の色が浮かんでいる。
 リシャールは目線をそらすように応え、ユリエに一瞥をくれる。

「……大した話じゃない。戻るぞ、セシル」

「ですが……」

 セシルはリシャールに寄り添いながら、ユリエを鋭く睨むように見る。
 だが、ユリエは微動だにせず、その視線を正面から受け止めた。

「お二人の時間を邪魔してしまったようですね。私も戻ります。
 夜会はまだ終わりませんし、どうか聖女様の華やかな姿をみなさまに存分に見せてあげてください」

 さらりと挨拶をして部屋を出ていくユリエ。
 彼女の背には、これまでとは違う威厳のようなものが感じられる。
 それを見送るリシャールとセシルは、まるで追いかけることもできず立ち尽くすばかりだった。

 大広間へ戻ったユリエは、そのまま馬車を呼び、マティルダ伯爵夫人に別れの挨拶をする。

「先に失礼いたしますわ。今夜は貴重な機会をいただき、ありがとうございました」

「もうお帰りになるの? まだパーティーは続いているのに」

 心底残念そうなマティルダの声。
 しかし、ユリエは微笑んで首を振った。

「このドレスで、あの方たちの前に立つという目的は果たしましたから。
 十分満足です。今はむしろ、この余韻を大切にしたいと思いますの」

 マティルダは意味ありげに笑みを浮かべ、優雅に手を振って見送る。
 王宮の夜会から離れる馬車の中で、ユリエは静かに目を閉じる。
 あの場に集まる視線、リシャールやセシルの動揺した表情。
 すべてが、彼女の“失った自尊心”を取り戻す一歩になったと感じていた。

(これで終わりじゃない。まだ私は真実を手に入れていないし、王子やセシルを黙らせる手段もつかめていない。
 でも、今の私には確かに力がある。必ず取り返してみせるわ)

 夜の闇を行く馬車の振動は心地よく、ユリエの胸には揺るぎない決意が宿ったまま。
 彼女が本当の聖女として、そして一人の誇り高き女性としてどこまで辿り着けるのか――。
 その先には、きっとこれまで見たことのない光景が待っているはずだと確信していた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

異世界転移聖女の侍女にされ殺された公爵令嬢ですが、時を逆行したのでお告げと称して聖女の功績を先取り実行してみた結果

富士とまと
恋愛
公爵令嬢が、異世界から召喚された聖女に婚約者である皇太子を横取りし婚約破棄される。 そのうえ、聖女の世話役として、侍女のように働かされることになる。理不尽な要求にも色々耐えていたのに、ある日「もう飽きたつまんない」と聖女が言いだし、冤罪をかけられ牢屋に入れられ毒殺される。 死んだと思ったら、時をさかのぼっていた。皇太子との関係を改めてやり直す中、聖女と過ごした日々に見聞きした知識を生かすことができることに気が付き……。殿下の呪いを解いたり、水害を防いだりとしながら過ごすあいだに、運命の時を迎え……え?ええ?

【短編】婚約破棄?「喜んで!」食い気味に答えたら陛下に泣きつかれたけど、知らんがな

みねバイヤーン
恋愛
「タリーシャ・オーデリンド、そなたとの婚約を破棄す」「喜んで!」 タリーシャが食い気味で答えると、あと一歩で間に合わなかった陛下が、会場の入口で「ああー」と言いながら膝から崩れ落ちた。田舎領地で育ったタリーシャ子爵令嬢が、ヴィシャール第一王子殿下の婚約者に決まったとき、王国は揺れた。王子は荒ぶった。あんな少年のように色気のない体の女はいやだと。タリーシャは密かに陛下と約束を交わした。卒業式までに王子が婚約破棄を望めば、婚約は白紙に戻すと。田舎でのびのび暮らしたいタリーシャと、タリーシャをどうしても王妃にしたい陛下との熾烈を極めた攻防が始まる。

私のことを追い出したいらしいので、お望み通り出て行って差し上げますわ

榎夜
恋愛
私の婚約も勉強も、常に邪魔をしてくるおバカさんたちにはもうウンザリですの! 私は私で好き勝手やらせてもらうので、そちらもどうぞ自滅してくださいませ。

記憶喪失の令嬢は無自覚のうちに周囲をタラシ込む。

ゆらゆらぎ
恋愛
王国の筆頭公爵家であるヴェルガム家の長女であるティアルーナは食事に混ぜられていた遅延性の毒に苦しめられ、生死を彷徨い…そして目覚めた時には何もかもをキレイさっぱり忘れていた。 毒によって記憶を失った令嬢が使用人や両親、婚約者や兄を無自覚のうちにタラシ込むお話です。

これでも全属性持ちのチートですが、兄弟からお前など不要だと言われたので冒険者になります。

りまり
恋愛
私の名前はエルムと言います。 伯爵家の長女なのですが……家はかなり落ちぶれています。 それを私が持ち直すのに頑張り、贅沢できるまでになったのに私はいらないから出て行けと言われたので出ていきます。 でも知りませんよ。 私がいるからこの贅沢ができるんですからね!!!!!!

許婚と親友は両片思いだったので2人の仲を取り持つことにしました

結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
<2人の仲を応援するので、どうか私を嫌わないでください> 私には子供のころから決められた許嫁がいた。ある日、久しぶりに再会した親友を紹介した私は次第に2人がお互いを好きになっていく様子に気が付いた。どちらも私にとっては大切な存在。2人から邪魔者と思われ、嫌われたくはないので、私は全力で許嫁と親友の仲を取り持つ事を心に決めた。すると彼の評判が悪くなっていき、それまで冷たかった彼の態度が軟化してきて話は意外な展開に・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

傲慢王太子に捨てられた私、隣国の騎士に守られます

昼から山猫
恋愛
優秀な魔法の才能を持ちつつも、周囲から嫉妬の的となっていた公爵令嬢アメリア。王太子の婚約者として華々しく輝くはずが、王太子による根拠のない罪の押しつけと共に婚約破棄を言い渡される。残酷な仕打ちに心を閉ざすアメリアを救ったのは、隣国の騎士団を率いる若き将軍ヴィクトール。冷静沈着な彼の支えを受けながら、アメリアは真実を暴き、自身を貶めた者たちを出し抜く準備を進める。その過程で彼女は、自分にしかできない新たな魔法の研究にも没頭していくが、同時にヴィクトールへの思いが募り始め――。

公爵夫人は愛されている事に気が付かない

山葵
恋愛
「あら?侯爵夫人ご覧になって…」 「あれはクライマス公爵…いつ見ても惚れ惚れしてしまいますわねぇ~♡」 「本当に女性が見ても羨ましいくらいの美形ですわねぇ~♡…それなのに…」 「本当にクライマス公爵が可哀想でならないわ…いくら王命だからと言ってもねぇ…」 社交パーティーに参加すれば、いつも聞こえてくる私への陰口…。 貴女達が言わなくても、私が1番、分かっている。 夫の隣に私は相応しくないのだと…。

処理中です...