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第10話:王子の苛立ちと二人きりの応酬
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ダンスが終わり、一息ついたところで、ふいにリシャールがユリエの前に現れた。
その表情は普段の優雅さを失い、わずかに険しい。
「楽しそうだな、ユリエ。君はいつの間にそんなに舞踏が得意になったんだ」
無理に取り繕うような笑いを浮かべるが、その瞳はどこか焦っている。
周囲の貴族たちも興味津々で二人を囲むように視線を投げかける。
ユリエはあえて余裕の笑みを返す。
「ええ、ここ最近は時間がありましたので。踊りの練習をするくらいしか、やることがありませんでしたから」
ほんの少しの皮肉を混ぜ込んだ言い回し。
リシャールはそれを理解したのか、微かに眉を寄せる。
「そうか。確かに君には、もう王宮での公務も必要ないんだからな。暇だったことだろう」
「ええ、そうですね。けれど、そのおかげで今こうして楽しく踊ることができました。
そう思うと、私には却ってよかったのかもしれません」
まるで鋭い刃を隠し持つかのような会話。
セシルは少し離れた場所で、そのやり取りを固唾を飲んで見守っている。
自分が割って入るべきか否か迷うような表情だ。
やがて、リシャールは小さくため息をつき、周囲の目を気にするように声を潜める。
「……少し、話がしたい。ここは人目があるから、あちらへ来い」
そう言って案内されたのは、大広間を抜けた先にある小さな応接室。
案内する立場のはずのリシャールが、どこか浮き足立っているようにも見える。
扉が閉じられ、ユリエと王子の二人きりになると、彼は低い声で問い詰めてきた。
「君は何を考えているんだ。今さら舞踏会に姿を現すなんて……何を企んでいる?」
そのまっすぐな瞳に、ユリエは少しだけ胸を締めつけられるような感覚を覚える。
かつて、彼が自分を愛してくれたと信じていたころの記憶が、ほんのわずかに疼く。
だが、今の彼は“裏切った”王子だ。油断してはいけない。
「別に何も。私は招待されたから来ただけよ。
どんな意図があるかなんて、私が知るはずないじゃない」
「嘘をつくな。お前はこんなにも堂々としている。前のようにおとなしく引き下がる性格じゃないことはわかってる」
リシャールの声は苛立ちを帯びている。
それは、まるで自分の思い通りにならない状況に対する焦りのようだ。
「お前がまた聖女の座を狙っているとしたら、僕は黙って見過ごすわけにはいかない」
その言葉を聞き、ユリエは小さく笑みを漏らす。
「聖女の座? いいえ、私はその資格すら持っていないのでしょう?
あなたとセシル様の手のひらの上で、ふさわしくないと葬り去られたのが私なんですから」
痛烈な皮肉に、リシャールは顔を歪める。
「……君は変わったな、ユリエ。そんな皮肉を言うなんて、以前の君なら考えられない」
「そうかもしれないわね。だけど、あなたが私を変えたのよ。
今の私は、ただされるがままの令嬢ではないわ。
あなたがどんなに私を見下そうと、もう傷つかないし、屈しない」
ユリエの言葉は、凛としていて力強い。
まるで追いつめられるのは自分ではなく、相手のほうだと宣言するようだ。
そのとき、扉の向こうから人影が近づく気配がする。
リシャールが慌ててドアを開けると、そこにはセシルが立っていた。
「リシャール様、失礼いたします。お二人きりでどのようなお話を……」
セシルの目にはどこか不安の色が浮かんでいる。
リシャールは目線をそらすように応え、ユリエに一瞥をくれる。
「……大した話じゃない。戻るぞ、セシル」
「ですが……」
セシルはリシャールに寄り添いながら、ユリエを鋭く睨むように見る。
だが、ユリエは微動だにせず、その視線を正面から受け止めた。
「お二人の時間を邪魔してしまったようですね。私も戻ります。
夜会はまだ終わりませんし、どうか聖女様の華やかな姿をみなさまに存分に見せてあげてください」
さらりと挨拶をして部屋を出ていくユリエ。
彼女の背には、これまでとは違う威厳のようなものが感じられる。
それを見送るリシャールとセシルは、まるで追いかけることもできず立ち尽くすばかりだった。
大広間へ戻ったユリエは、そのまま馬車を呼び、マティルダ伯爵夫人に別れの挨拶をする。
「先に失礼いたしますわ。今夜は貴重な機会をいただき、ありがとうございました」
「もうお帰りになるの? まだパーティーは続いているのに」
心底残念そうなマティルダの声。
しかし、ユリエは微笑んで首を振った。
「このドレスで、あの方たちの前に立つという目的は果たしましたから。
十分満足です。今はむしろ、この余韻を大切にしたいと思いますの」
マティルダは意味ありげに笑みを浮かべ、優雅に手を振って見送る。
王宮の夜会から離れる馬車の中で、ユリエは静かに目を閉じる。
あの場に集まる視線、リシャールやセシルの動揺した表情。
すべてが、彼女の“失った自尊心”を取り戻す一歩になったと感じていた。
(これで終わりじゃない。まだ私は真実を手に入れていないし、王子やセシルを黙らせる手段もつかめていない。
でも、今の私には確かに力がある。必ず取り返してみせるわ)
夜の闇を行く馬車の振動は心地よく、ユリエの胸には揺るぎない決意が宿ったまま。
彼女が本当の聖女として、そして一人の誇り高き女性としてどこまで辿り着けるのか――。
その先には、きっとこれまで見たことのない光景が待っているはずだと確信していた。
その表情は普段の優雅さを失い、わずかに険しい。
「楽しそうだな、ユリエ。君はいつの間にそんなに舞踏が得意になったんだ」
無理に取り繕うような笑いを浮かべるが、その瞳はどこか焦っている。
周囲の貴族たちも興味津々で二人を囲むように視線を投げかける。
ユリエはあえて余裕の笑みを返す。
「ええ、ここ最近は時間がありましたので。踊りの練習をするくらいしか、やることがありませんでしたから」
ほんの少しの皮肉を混ぜ込んだ言い回し。
リシャールはそれを理解したのか、微かに眉を寄せる。
「そうか。確かに君には、もう王宮での公務も必要ないんだからな。暇だったことだろう」
「ええ、そうですね。けれど、そのおかげで今こうして楽しく踊ることができました。
そう思うと、私には却ってよかったのかもしれません」
まるで鋭い刃を隠し持つかのような会話。
セシルは少し離れた場所で、そのやり取りを固唾を飲んで見守っている。
自分が割って入るべきか否か迷うような表情だ。
やがて、リシャールは小さくため息をつき、周囲の目を気にするように声を潜める。
「……少し、話がしたい。ここは人目があるから、あちらへ来い」
そう言って案内されたのは、大広間を抜けた先にある小さな応接室。
案内する立場のはずのリシャールが、どこか浮き足立っているようにも見える。
扉が閉じられ、ユリエと王子の二人きりになると、彼は低い声で問い詰めてきた。
「君は何を考えているんだ。今さら舞踏会に姿を現すなんて……何を企んでいる?」
そのまっすぐな瞳に、ユリエは少しだけ胸を締めつけられるような感覚を覚える。
かつて、彼が自分を愛してくれたと信じていたころの記憶が、ほんのわずかに疼く。
だが、今の彼は“裏切った”王子だ。油断してはいけない。
「別に何も。私は招待されたから来ただけよ。
どんな意図があるかなんて、私が知るはずないじゃない」
「嘘をつくな。お前はこんなにも堂々としている。前のようにおとなしく引き下がる性格じゃないことはわかってる」
リシャールの声は苛立ちを帯びている。
それは、まるで自分の思い通りにならない状況に対する焦りのようだ。
「お前がまた聖女の座を狙っているとしたら、僕は黙って見過ごすわけにはいかない」
その言葉を聞き、ユリエは小さく笑みを漏らす。
「聖女の座? いいえ、私はその資格すら持っていないのでしょう?
あなたとセシル様の手のひらの上で、ふさわしくないと葬り去られたのが私なんですから」
痛烈な皮肉に、リシャールは顔を歪める。
「……君は変わったな、ユリエ。そんな皮肉を言うなんて、以前の君なら考えられない」
「そうかもしれないわね。だけど、あなたが私を変えたのよ。
今の私は、ただされるがままの令嬢ではないわ。
あなたがどんなに私を見下そうと、もう傷つかないし、屈しない」
ユリエの言葉は、凛としていて力強い。
まるで追いつめられるのは自分ではなく、相手のほうだと宣言するようだ。
そのとき、扉の向こうから人影が近づく気配がする。
リシャールが慌ててドアを開けると、そこにはセシルが立っていた。
「リシャール様、失礼いたします。お二人きりでどのようなお話を……」
セシルの目にはどこか不安の色が浮かんでいる。
リシャールは目線をそらすように応え、ユリエに一瞥をくれる。
「……大した話じゃない。戻るぞ、セシル」
「ですが……」
セシルはリシャールに寄り添いながら、ユリエを鋭く睨むように見る。
だが、ユリエは微動だにせず、その視線を正面から受け止めた。
「お二人の時間を邪魔してしまったようですね。私も戻ります。
夜会はまだ終わりませんし、どうか聖女様の華やかな姿をみなさまに存分に見せてあげてください」
さらりと挨拶をして部屋を出ていくユリエ。
彼女の背には、これまでとは違う威厳のようなものが感じられる。
それを見送るリシャールとセシルは、まるで追いかけることもできず立ち尽くすばかりだった。
大広間へ戻ったユリエは、そのまま馬車を呼び、マティルダ伯爵夫人に別れの挨拶をする。
「先に失礼いたしますわ。今夜は貴重な機会をいただき、ありがとうございました」
「もうお帰りになるの? まだパーティーは続いているのに」
心底残念そうなマティルダの声。
しかし、ユリエは微笑んで首を振った。
「このドレスで、あの方たちの前に立つという目的は果たしましたから。
十分満足です。今はむしろ、この余韻を大切にしたいと思いますの」
マティルダは意味ありげに笑みを浮かべ、優雅に手を振って見送る。
王宮の夜会から離れる馬車の中で、ユリエは静かに目を閉じる。
あの場に集まる視線、リシャールやセシルの動揺した表情。
すべてが、彼女の“失った自尊心”を取り戻す一歩になったと感じていた。
(これで終わりじゃない。まだ私は真実を手に入れていないし、王子やセシルを黙らせる手段もつかめていない。
でも、今の私には確かに力がある。必ず取り返してみせるわ)
夜の闇を行く馬車の振動は心地よく、ユリエの胸には揺るぎない決意が宿ったまま。
彼女が本当の聖女として、そして一人の誇り高き女性としてどこまで辿り着けるのか――。
その先には、きっとこれまで見たことのない光景が待っているはずだと確信していた。
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