ご自慢の聖女がいるのだから、私は失礼しますわ

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 面会室に入ると、そこにはまるで舞踏会のように豪奢な装飾をまとったアレクサンドル殿下が立っていた。
 髪は焦げ茶色で後ろに束ねられ、緑の瞳にはどこか貪欲な光が宿っているように見える。
 以前お会いした時と雰囲気が違いすぎて、私は思わず息を呑んだ。

「よく来たね。……いや、これで最後かもしれないが」
 そう言って殿下は、まるで人を試すような嘲笑を浮かべる。

 私は長いドレスの裾を掬い上げ、丁寧に一礼する。
 王族に対する礼儀は幼い頃から叩き込まれているし、どんな場面でも失礼を犯さぬよう振る舞うのが私の務めだからだ。
 けれど、この場に漂う空気はあまりに険悪で、冷や汗が背を伝う。
 ふと見ると、アレクサンドル殿下の隣には女性が一人立っていた。

 その女性――聖女と呼ばれる方なのだろうか――は、青白い肌と長い銀髪を持ち、儚げで神秘的な印象を与える容姿だった。
 私は伯爵令嬢として礼を示すべきか悩んだが、その女性からは一瞥すら与えられない。
 とても不思議な雰囲気だ。
 だが、その視線にはどこか軽蔑めいたものが感じられる。

「君は僕の婚約者だったはずだが、もう用はない。新たに“聖女”こそが真の花嫁だと決まったからね」
 アレクサンドル殿下の言葉に、私の胸は強く締めつけられた。
 それは突然で、そして予想通りだったとも言える。
 周囲の噂はやはり正しかったのだ。

「私が……要らない、ということですか」
 自分の声が少し震えているのがわかる。
 けれど、私には何も過ちを犯した覚えはないし、理由すら聞かされていない。
 まるで私が“偽物”だったと決めつけるように、一方的に断罪される理不尽さに、失意よりも怒りが込み上げてきた。

「聖女は神の奇跡を起こす存在だ。王位継承にはふさわしい妃が必要だろう? 君にはその神聖なる力も何もない。要は、ただの飾りだったってことさ」
 周囲の取り巻きらしき貴族たちが、あからさまにクスクスと笑う。
 私を見下し、嘲るような視線。
 その場にいる誰もが聖女を称賛し、私に対しては冷笑を送っているように思えた。

 これ以上、何を言われるのだろう。
 私はぎゅっと拳を握る。
 けれど、伯爵家の令嬢として、ここで泣いたり取り乱したりするわけにはいかない。
 どんなに悔しくても、礼儀と矜持を忘れてはならないのだ。

「あなたが聖女を選ばれるというのであれば、どうぞお好きになさって」
 静かにそう口を開いた私に、アレクサンドル殿下は一瞬目を見開いたようだったが、すぐに鼻で笑った。

「ならば今すぐ婚約を破棄しろ。こちらからも手続きを進めるが、君からも正式に要請するんだ」
「……わかりました。私からそのように申し上げましょう」

 この瞬間、私がどんな思いでその言葉を発したか、殿下には伝わっていないのだろう。
 周囲の貴族たちから、まるで面白い余興を見物したかのように拍手と嘲笑が混じった声が上がる。
 私はそれを聞き流しながら、深く一礼する。

 こうして一方的に突きつけられた婚約破棄。
 だけど、奪われるよりも先に、私からすべてを放棄することができたのは、ある意味で救いかもしれない。
 望まれない相手と共にあるのは、私にとっても屈辱だったから。

 次の瞬間、部屋を出て行こうとした私に向けて、嘲りに満ちた言葉が飛んだ。
「君みたいな“偽物の婚約者”がでしゃばらなくて助かる。もう王宮に顔を出す必要はないだろう?」
 私は振り返らなかった。
 ただ、心の奥に強い決意が生まれた。
 どうせこの場には私の居場所などない。
 ならば、自ら見切りをつけて退場してやる。

 私は足早に面会室を後にして、寒々しい廊下を抜ける。
 そのまま伯爵家へ戻り、正式に婚約破棄の書類をまとめようと決心した。
 もう二度と、あの不当な扱いに耐える必要はないのだから。
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