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第21話:偽りの囁き
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夜の王都は、人々の喧騒が落ち着きを見せ始める頃、かえって別の活気が生まれるものだ。
灯火がともる裏通りでは、昼間は表に出ないような商人たちが集い、密やかな取引が行われる。
また、闇に紛れた人間たちは思惑を抱え、じっと獲物を窺うように街をさまよっている。
そんな裏通りの一角で、フードを深く被った男が佇んでいた。
夜目にも分かる黒ずくめの装い――リリアーナを執拗に狙っている男。
彼は周囲を警戒しつつ、誰かを待っているらしい。
「……遅いな」
低く呟いた瞬間、もう一人の人影が闇から姿を現す。
そちらはフードこそ被っていないものの、素性を隠すかのように身を丸め、こそこそと歩み寄ってきた。
「ようやく来たか。手間取らせやがって」
「……分かってる。だがこれ以上は危険だ。王宮も彼女の一行も、以前よりずっと警戒している。下手な動きをすれば捕まるのがオチだぞ」
男たちの低い声は、夜の暗がりに溶けていくようだ。
「それでも、レオン王子のご命令は絶対だ。このままだとリリアーナを皇太子に取られてしまう。何としても手を打つ必要がある」
「そう焦るな。実際、彼女は王子を拒み続けているんだろう? なら、まだ余地はあるはずだ」
「余地なんてものはない。彼女が王子を拒む限り、レオン王子の立場はますます悪くなる。王として即位するためには、外聞でも“正統な伴侶”が必要なのだ。その候補として彼女が最有力……というか、唯一なのさ」
「分かったよ。だが、これ以上露骨に近づけば、今度こそ帝国の兵にも見つかりかねない。皇太子フリックスは相当優秀らしい。奴に動きを悟られたら面倒だ」
◇
闇の中、男たちはさらに声を潜めて話し込む。
どうやらリリアーナを取り戻す――もしくは“利用する”――ために、王宮の一部と結託しているようだ。
「具体的にはどうする? リリアーナが自らレオン殿下のもとへ帰ってくるように仕向けなければ、意味がないだろう」
「そうだ。奴が嫌がるなら、脅しでもなんでも使えばいい。彼女の家族や周囲の者を人質に取る手もある……が、侯爵家は警備が厳重。あれは難しい」
「くそ……なら、彼女自身を捕まえるしかないのか? だが、迎賓館も帝国の護衛が固くて近づきにくい。焦りは禁物だろうが……」
「それより、レオン殿下から“あの品”を預かっている。あれを使えば、リリアーナが殿下を拒めない状況を作り出せる……と聞いたが、本当か?」
「……ああ。どうやら、“従順の薬”だとか何とか言っていたな。昔から王宮の裏で研究していた連中がいるらしい。対象の意思を弱め、一時的に従順にさせる、とか……真偽は分からんが」
「ふん、ともかく手段を選ぶ状況じゃない。時間もあまり残されていない。レオン殿下は追い詰められているんだ……」
男たちはにやりと笑い合う。
この国の未来がかかった“駆け引き”――だが、そのやり方は陰湿で卑劣。
「では、近いうちに動くとしよう。あの迎賓館へ引き込むか、もしくは外の街で誘拐する手もある。どうせ皇太子には『彼女が自由意志で王子に戻った』と思わせればいいんだ。薬さえ使えば、どうにでもなる」
「分かった。俺も周りに手を回して協力者を増やしておく。失敗は許されないからな。絶対に彼女を王子の手に取り戻させる……それが、この国を支配する近道だ」
◇
ひそやかな密談が終わると、男たちは再び闇夜に姿を消す。
その場には冷たい空気だけが残され、月の光が薄く路地を照らしていた。
――こうして、リリアーナへと迫る魔の手が、さらに強い毒を伴って動き出したのだ。
◇
一方、そんな計略とは露知らず、リリアーナは迎賓館の自室で休息を取っていた。
先日、街中で黒ずくめの男を見かけたことで心は落ち着かないが、フリックスや侯爵家の支援を信頼しているため、無用な恐怖に怯えることはない。
「これから、どうなるのかしら……。でも、皇太子様が一緒にいてくれるだけで、私はもう以前のように何も言えずに従うだけの存在ではないわ」
そう自分に言い聞かせるように小さく呟き、ベッドに身を横たえる。
明日も王宮での会合や侯爵家との連絡調整が詰まっている。
忙しくとも、リリアーナの心は覚悟が決まっているぶん、迷いは少なかった。
◇
しかし、夜の闇は静かに忍び寄る。
部屋の窓には分厚いカーテンが下ろされているが、その向こう側では、一瞬だけ小さな光が閃いたようにも見えた。
まるで、彼女を覗き見る視線があるかのように――。
リリアーナは気づかずに夢の中へ落ちていく。
その寝顔を守るように、扉の外では護衛の騎士が厳戒態勢を続けているが、果たしてそれがどこまで通用するのか。
「……なにがあっても、リリアーナ様を守らねば」
騎士たちはそう誓いながら、迎賓館の廊下を巡回し続ける。
だが、敵は王家の内部、つまりこの国の力と繋がっている可能性がある。
外部の騎士の警戒をかいくぐり、どうにかしてリリアーナを手中に収めようとする動きが本格化するのは、時間の問題だった。
灯火がともる裏通りでは、昼間は表に出ないような商人たちが集い、密やかな取引が行われる。
また、闇に紛れた人間たちは思惑を抱え、じっと獲物を窺うように街をさまよっている。
そんな裏通りの一角で、フードを深く被った男が佇んでいた。
夜目にも分かる黒ずくめの装い――リリアーナを執拗に狙っている男。
彼は周囲を警戒しつつ、誰かを待っているらしい。
「……遅いな」
低く呟いた瞬間、もう一人の人影が闇から姿を現す。
そちらはフードこそ被っていないものの、素性を隠すかのように身を丸め、こそこそと歩み寄ってきた。
「ようやく来たか。手間取らせやがって」
「……分かってる。だがこれ以上は危険だ。王宮も彼女の一行も、以前よりずっと警戒している。下手な動きをすれば捕まるのがオチだぞ」
男たちの低い声は、夜の暗がりに溶けていくようだ。
「それでも、レオン王子のご命令は絶対だ。このままだとリリアーナを皇太子に取られてしまう。何としても手を打つ必要がある」
「そう焦るな。実際、彼女は王子を拒み続けているんだろう? なら、まだ余地はあるはずだ」
「余地なんてものはない。彼女が王子を拒む限り、レオン王子の立場はますます悪くなる。王として即位するためには、外聞でも“正統な伴侶”が必要なのだ。その候補として彼女が最有力……というか、唯一なのさ」
「分かったよ。だが、これ以上露骨に近づけば、今度こそ帝国の兵にも見つかりかねない。皇太子フリックスは相当優秀らしい。奴に動きを悟られたら面倒だ」
◇
闇の中、男たちはさらに声を潜めて話し込む。
どうやらリリアーナを取り戻す――もしくは“利用する”――ために、王宮の一部と結託しているようだ。
「具体的にはどうする? リリアーナが自らレオン殿下のもとへ帰ってくるように仕向けなければ、意味がないだろう」
「そうだ。奴が嫌がるなら、脅しでもなんでも使えばいい。彼女の家族や周囲の者を人質に取る手もある……が、侯爵家は警備が厳重。あれは難しい」
「くそ……なら、彼女自身を捕まえるしかないのか? だが、迎賓館も帝国の護衛が固くて近づきにくい。焦りは禁物だろうが……」
「それより、レオン殿下から“あの品”を預かっている。あれを使えば、リリアーナが殿下を拒めない状況を作り出せる……と聞いたが、本当か?」
「……ああ。どうやら、“従順の薬”だとか何とか言っていたな。昔から王宮の裏で研究していた連中がいるらしい。対象の意思を弱め、一時的に従順にさせる、とか……真偽は分からんが」
「ふん、ともかく手段を選ぶ状況じゃない。時間もあまり残されていない。レオン殿下は追い詰められているんだ……」
男たちはにやりと笑い合う。
この国の未来がかかった“駆け引き”――だが、そのやり方は陰湿で卑劣。
「では、近いうちに動くとしよう。あの迎賓館へ引き込むか、もしくは外の街で誘拐する手もある。どうせ皇太子には『彼女が自由意志で王子に戻った』と思わせればいいんだ。薬さえ使えば、どうにでもなる」
「分かった。俺も周りに手を回して協力者を増やしておく。失敗は許されないからな。絶対に彼女を王子の手に取り戻させる……それが、この国を支配する近道だ」
◇
ひそやかな密談が終わると、男たちは再び闇夜に姿を消す。
その場には冷たい空気だけが残され、月の光が薄く路地を照らしていた。
――こうして、リリアーナへと迫る魔の手が、さらに強い毒を伴って動き出したのだ。
◇
一方、そんな計略とは露知らず、リリアーナは迎賓館の自室で休息を取っていた。
先日、街中で黒ずくめの男を見かけたことで心は落ち着かないが、フリックスや侯爵家の支援を信頼しているため、無用な恐怖に怯えることはない。
「これから、どうなるのかしら……。でも、皇太子様が一緒にいてくれるだけで、私はもう以前のように何も言えずに従うだけの存在ではないわ」
そう自分に言い聞かせるように小さく呟き、ベッドに身を横たえる。
明日も王宮での会合や侯爵家との連絡調整が詰まっている。
忙しくとも、リリアーナの心は覚悟が決まっているぶん、迷いは少なかった。
◇
しかし、夜の闇は静かに忍び寄る。
部屋の窓には分厚いカーテンが下ろされているが、その向こう側では、一瞬だけ小さな光が閃いたようにも見えた。
まるで、彼女を覗き見る視線があるかのように――。
リリアーナは気づかずに夢の中へ落ちていく。
その寝顔を守るように、扉の外では護衛の騎士が厳戒態勢を続けているが、果たしてそれがどこまで通用するのか。
「……なにがあっても、リリアーナ様を守らねば」
騎士たちはそう誓いながら、迎賓館の廊下を巡回し続ける。
だが、敵は王家の内部、つまりこの国の力と繋がっている可能性がある。
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