上 下
21 / 24

第21話:偽りの囁き

しおりを挟む
 夜の王都は、人々の喧騒が落ち着きを見せ始める頃、かえって別の活気が生まれるものだ。
 灯火がともる裏通りでは、昼間は表に出ないような商人たちが集い、密やかな取引が行われる。
 また、闇に紛れた人間たちは思惑を抱え、じっと獲物を窺うように街をさまよっている。

 そんな裏通りの一角で、フードを深く被った男が佇んでいた。
 夜目にも分かる黒ずくめの装い――リリアーナを執拗に狙っている男。
 彼は周囲を警戒しつつ、誰かを待っているらしい。

「……遅いな」

 低く呟いた瞬間、もう一人の人影が闇から姿を現す。
 そちらはフードこそ被っていないものの、素性を隠すかのように身を丸め、こそこそと歩み寄ってきた。

「ようやく来たか。手間取らせやがって」

「……分かってる。だがこれ以上は危険だ。王宮も彼女の一行も、以前よりずっと警戒している。下手な動きをすれば捕まるのがオチだぞ」

 男たちの低い声は、夜の暗がりに溶けていくようだ。

「それでも、レオン王子のご命令は絶対だ。このままだとリリアーナを皇太子に取られてしまう。何としても手を打つ必要がある」

「そう焦るな。実際、彼女は王子を拒み続けているんだろう? なら、まだ余地はあるはずだ」

「余地なんてものはない。彼女が王子を拒む限り、レオン王子の立場はますます悪くなる。王として即位するためには、外聞でも“正統な伴侶”が必要なのだ。その候補として彼女が最有力……というか、唯一なのさ」

「分かったよ。だが、これ以上露骨に近づけば、今度こそ帝国の兵にも見つかりかねない。皇太子フリックスは相当優秀らしい。奴に動きを悟られたら面倒だ」

 ◇

 闇の中、男たちはさらに声を潜めて話し込む。
 どうやらリリアーナを取り戻す――もしくは“利用する”――ために、王宮の一部と結託しているようだ。

「具体的にはどうする? リリアーナが自らレオン殿下のもとへ帰ってくるように仕向けなければ、意味がないだろう」

「そうだ。奴が嫌がるなら、脅しでもなんでも使えばいい。彼女の家族や周囲の者を人質に取る手もある……が、侯爵家は警備が厳重。あれは難しい」

「くそ……なら、彼女自身を捕まえるしかないのか? だが、迎賓館も帝国の護衛が固くて近づきにくい。焦りは禁物だろうが……」

「それより、レオン殿下から“あの品”を預かっている。あれを使えば、リリアーナが殿下を拒めない状況を作り出せる……と聞いたが、本当か?」

「……ああ。どうやら、“従順の薬”だとか何とか言っていたな。昔から王宮の裏で研究していた連中がいるらしい。対象の意思を弱め、一時的に従順にさせる、とか……真偽は分からんが」

「ふん、ともかく手段を選ぶ状況じゃない。時間もあまり残されていない。レオン殿下は追い詰められているんだ……」

 男たちはにやりと笑い合う。
 この国の未来がかかった“駆け引き”――だが、そのやり方は陰湿で卑劣。

「では、近いうちに動くとしよう。あの迎賓館へ引き込むか、もしくは外の街で誘拐する手もある。どうせ皇太子には『彼女が自由意志で王子に戻った』と思わせればいいんだ。薬さえ使えば、どうにでもなる」

「分かった。俺も周りに手を回して協力者を増やしておく。失敗は許されないからな。絶対に彼女を王子の手に取り戻させる……それが、この国を支配する近道だ」

 ◇

 ひそやかな密談が終わると、男たちは再び闇夜に姿を消す。
 その場には冷たい空気だけが残され、月の光が薄く路地を照らしていた。

 ――こうして、リリアーナへと迫る魔の手が、さらに強い毒を伴って動き出したのだ。

 ◇

 一方、そんな計略とは露知らず、リリアーナは迎賓館の自室で休息を取っていた。
 先日、街中で黒ずくめの男を見かけたことで心は落ち着かないが、フリックスや侯爵家の支援を信頼しているため、無用な恐怖に怯えることはない。

「これから、どうなるのかしら……。でも、皇太子様が一緒にいてくれるだけで、私はもう以前のように何も言えずに従うだけの存在ではないわ」

 そう自分に言い聞かせるように小さく呟き、ベッドに身を横たえる。
 明日も王宮での会合や侯爵家との連絡調整が詰まっている。
 忙しくとも、リリアーナの心は覚悟が決まっているぶん、迷いは少なかった。

 ◇

 しかし、夜の闇は静かに忍び寄る。
 部屋の窓には分厚いカーテンが下ろされているが、その向こう側では、一瞬だけ小さな光が閃いたようにも見えた。
 まるで、彼女を覗き見る視線があるかのように――。

 リリアーナは気づかずに夢の中へ落ちていく。
 その寝顔を守るように、扉の外では護衛の騎士が厳戒態勢を続けているが、果たしてそれがどこまで通用するのか。

「……なにがあっても、リリアーナ様を守らねば」

 騎士たちはそう誓いながら、迎賓館の廊下を巡回し続ける。
 だが、敵は王家の内部、つまりこの国の力と繋がっている可能性がある。
 外部の騎士の警戒をかいくぐり、どうにかしてリリアーナを手中に収めようとする動きが本格化するのは、時間の問題だった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私のことを追い出したいらしいので、お望み通り出て行って差し上げますわ

榎夜
恋愛
私の婚約も勉強も、常に邪魔をしてくるおバカさんたちにはもうウンザリですの! 私は私で好き勝手やらせてもらうので、そちらもどうぞ自滅してくださいませ。

女官になるはずだった妃

夜空 筒
恋愛
女官になる。 そう聞いていたはずなのに。 あれよあれよという間に、着飾られた私は自国の皇帝の妃の一人になっていた。 しかし、皇帝のお迎えもなく 「忙しいから、もう後宮に入っていいよ」 そんなノリの言葉を彼の側近から賜って後宮入りした私。 秘書省監のならびに本の虫である父を持つ、そんな私も無類の読書好き。 朝議が始まる早朝に、私は父が働く文徳楼に通っている。 そこで好きな著者の本を借りては、殿舎に籠る毎日。 皇帝のお渡りもないし、既に皇后に一番近い妃もいる。 縁付くには程遠い私が、ある日を境に平穏だった日常を壊される羽目になる。 誰とも褥を共にしない皇帝と、女官になるつもりで入ってきた本の虫妃の話。 更新はまばらですが、完結させたいとは思っています。 多分…

最後に笑うのは

りのりん
恋愛
『だって、姉妹でしょ お姉様〰︎』 ずるい 私の方が可愛いでしょ 性格も良いし 高貴だし お姉様に負ける所なんて ありませんわ 『妹?私に妹なんていませんよ』

交換された花嫁

秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
「お姉さんなんだから我慢なさい」 お姉さんなんだから…お姉さんなんだから… 我儘で自由奔放な妹の所為で昔からそればかり言われ続けてきた。ずっと我慢してきたが。公爵令嬢のヒロインは16歳になり婚約者が妹と共に出来きたが…まさかの展開が。 「お姉様の婚約者頂戴」 妹がヒロインの婚約者を寝取ってしまい、終いには頂戴と言う始末。両親に話すが…。 「お姉さんなのだから、交換して上げなさい」 流石に婚約者を交換するのは…不味いのでは…。 結局ヒロインは妹の要求通りに婚約者を交換した。 そしてヒロインは仕方無しに嫁いで行くが、夫である第2王子にはどうやら想い人がいるらしく…。

7年ぶりに帰国した美貌の年下婚約者は年上婚約者を溺愛したい。

なーさ
恋愛
7年前に隣国との交換留学に行った6歳下の婚約者ラドルフ。その婚約者で王城で侍女をしながら領地の運営もする貧乏令嬢ジューン。 7年ぶりにラドルフが帰国するがジューンは現れない。それもそのはず2年前にラドルフとジューンは婚約破棄しているからだ。そのことを知らないラドルフはジューンの家を訪ねる。しかしジューンはいない。後日王城で会った二人だったがラドルフは再会を喜ぶもジューンは喜べない。なぜなら王妃にラドルフと話すなと言われているからだ。わざと突き放すような言い方をしてその場を去ったジューン。そしてラドルフは7年ぶりに帰った実家で婚約破棄したことを知る。  溺愛したい美貌の年下騎士と弟としか見ていない年上令嬢。二人のじれじれラブストーリー!

公爵夫人は愛されている事に気が付かない

山葵
恋愛
「あら?侯爵夫人ご覧になって…」 「あれはクライマス公爵…いつ見ても惚れ惚れしてしまいますわねぇ~♡」 「本当に女性が見ても羨ましいくらいの美形ですわねぇ~♡…それなのに…」 「本当にクライマス公爵が可哀想でならないわ…いくら王命だからと言ってもねぇ…」 社交パーティーに参加すれば、いつも聞こえてくる私への陰口…。 貴女達が言わなくても、私が1番、分かっている。 夫の隣に私は相応しくないのだと…。

異世界転移聖女の侍女にされ殺された公爵令嬢ですが、時を逆行したのでお告げと称して聖女の功績を先取り実行してみた結果

富士とまと
恋愛
公爵令嬢が、異世界から召喚された聖女に婚約者である皇太子を横取りし婚約破棄される。 そのうえ、聖女の世話役として、侍女のように働かされることになる。理不尽な要求にも色々耐えていたのに、ある日「もう飽きたつまんない」と聖女が言いだし、冤罪をかけられ牢屋に入れられ毒殺される。 死んだと思ったら、時をさかのぼっていた。皇太子との関係を改めてやり直す中、聖女と過ごした日々に見聞きした知識を生かすことができることに気が付き……。殿下の呪いを解いたり、水害を防いだりとしながら過ごすあいだに、運命の時を迎え……え?ええ?

継母と妹に家を乗っ取られたので、魔法都市で新しい人生始めます!

桜あげは
恋愛
父の後妻と腹違いの妹のせいで、肩身の狭い生活を強いられているアメリー。 美人の妹に惚れている婚約者からも、早々に婚約破棄を宣言されてしまう。 そんな中、国で一番の魔法学校から妹にスカウトが来た。彼女には特別な魔法の才能があるのだとか。 妹を心配した周囲の命令で、魔法に無縁のアメリーまで学校へ裏口入学させられる。 後ろめたい、お金がない、才能もない三重苦。 だが、学校の魔力測定で、アメリーの中に眠っていた膨大な量の魔力が目覚め……!?   不思議な魔法都市で、新しい仲間と新しい人生を始めます! チートな力を持て余しつつ、マイペースな魔法都市スローライフ♪ 書籍になりました。好評発売中です♪

処理中です...