「あなたは公爵夫人にふさわしくない」と言われましたが、こちらから願い下げです

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 それは夜会から帰宅し、翌朝になってすぐのことだった。
 カトリーナが私のドレスを狙うように画策している、という噂を侍女が教えてくれた。
 どうやら夜会で成功しなかった代わりに、もっと露骨な仕掛けを準備しているらしい。

「また子供じみた嫌がらせなのかしら……」

 私はうんざりとした気分で呟いた。
 とはいえ、彼女がどんな手段を使うかは分からない以上、油断は禁物だ。
 万一、公共の場でドレスを大きく汚されれば、私が無様に見えてしまうのは避けられない。
 もっとも、社交界の人々はそれを面白おかしく噂にするだろう。

 それでも、私はあまり深刻に考えなかった。
 もしドレスが汚れても洗えば済むし、本当にひどい場合は新しいものを仕立てればいいだけのことだ。
 カトリーナの狙いは、きっと私を慌てさせ、取り乱す姿を見たいのだろう。
 それならば、まったく動揺しない姿を貫くのが一番の対抗策だ。

 そんな思いを抱えながら身支度を整えていると、偶然にも王都にいるお父様からの連絡が入った。
 どうやら、監査結果を踏まえて、グランツ公爵家を王宮で審問することが決まったというのだ。
 準備が整い次第、私とお父様は王宮へ出向き、正式に証拠を提示する場が設けられるらしい。

「いよいよ、決着が見え始めましたね……」

 私は呟き、部屋の鏡に映る自分を見つめる。
 もうすぐレオナルドが築いてきた権力の土台は揺らぎ、いずれ破綻に至る可能性が高い。
 そう思うと、心の奥にあった何かが一つ晴れていくような感覚がした。

 その日の午後、私はあえて社交界の集まりに足を運んだ。
 嫌がらせをすると噂されているなら、逆に堂々と姿を見せてしまえばいい、と考えたからだ。
 そして案の定、カトリーナは派手な赤いドレスをまとい、甲高い声で私を見つけると喜々として近づいてきた。

「リリー、随分と余裕そうね。今日はその可愛いドレスを着て、ご機嫌かしら?」

 周囲の視線を一身に浴びながら、私に向かって嫌味を投げかけてくる。
 私は軽く微笑んで返した。

「そうね、どんなことがあっても私は大丈夫だから。あなたは余裕がなくて大変でしょう?」

「だ、誰が余裕ないっての? あたしはレオナルド様と絶好調よ」

 その言葉に説得力は感じられなかった。
 私に向ける嫉妬混じりの目が、どれほど彼女の内心の不安を物語っていることか。

 カトリーナはちらりと侍女に視線を送り、何か合図をするように指を鳴らす。
 すると、私の背後から不自然に歩み寄ってきた給仕が、ワイングラスを落とすフリをして私のドレスにぶつかってきた。

 しかし、私は事前にそういう手段を使ってくるかもしれないと読んでいた。
 少し身をひねるだけで、ワインはスカートの端にかすかについただけで済んだ。
 深い赤ワインのシミが裾にほんの少しついただけだから、これで大騒ぎする必要もない。

「あら。ちょっと飛び散ってしまったわね。大丈夫よ、洗えば落ちるでしょうし」

「な、何よ……あなた、驚かないわけ?」

 カトリーナは明らかに拍子抜けした様子で、目を見開いている。
 周囲の視線も「あれ、わざと落としたんじゃないの?」と疑いを含んだ目つきに変わり、給仕のほうが逆に慌て始めた。
 カトリーナは自分の計画が失敗したのだと悟ったのだろう、見る見るうちに顔が赤く染まる。

「ほ、ほんとに汚いわね。それがリリーにお似合いだわ」

「そうかしら。もともと裾のカラーが淡い色だから、シミが浮き立つけれど……まあ、すぐに替えのドレスもあるし。気にするほどのことでもないわ」

 私があくまで冷静な反応をしてみせると、カトリーナは苛立ちを抑えきれなくなる。
 その派手な赤いドレスに負けないくらい、顔も真っ赤だ。

「くっ……! リリー、覚えてなさいよ!」

 怒りを露わにしたまま、カトリーナは足音荒く会場の隅へと去っていった。
 周りの令嬢たちが苦笑いでこちらをちらちらと見ているが、私は気にする様子もなく給仕に声をかける。

「あなた、服の洗い方には気をつけたほうがいいかもしれないわね。次はもう少し上手に演技しないと」

「す、すみません……」

 きっと誰かに命じられての行動なのだろうけれど、私はそれ以上責めるつもりはない。
 ここで騒ぎ立てれば、思う壺になるだけだ。

 そして、偶然にもその場にアレクシス殿下が現れた。
 どこからか私の姿を見つけたのか、軽やかな足取りで近づいてくると、ワインのシミに目を留めて心配そうな顔をした。

「大丈夫? 今さっき、何やら騒ぎになっていたようだけど」

「ほんの些細なことです。少しワインがついただけで、すぐに洗えると思います」

「そっか……それならいいけど、嫌がらせが過ぎるようなら王宮に相談してもらって構わないよ」

 彼はもう一度、私が怪我していないかを確かめるように視線を送ってくる。
 その気遣いが伝わり、私は小さく微笑んで首を振った。

「ありがとう、殿下。ご心配をおかけしてすみません」

 殿下と会話をする私たちに、周囲の貴族たちは一瞬戸惑いの表情を見せる。
 だけど、すぐに皆それぞれの会話に戻っていく。
 以前なら、カトリーナの煽りもあって、私が殿下と親しくすることを面白がる人も多かったが、今の私はもう動じない。

 その後は特に大きな出来事もなく、私は早々に退出することにした。
 屋敷へ戻ると、侍女たちが手際よくドレスを脱がせてくれ、シミがついた部分を確認する。

「思ったよりも広がってますが、これなら綺麗に落とせるかもしれません」

「任せるわ。ごめんなさいね、手間をかけさせて」

 侍女たちは慣れた手つきでドレスを扱いながら、控えめに微笑んでくれる。
 こうした日常の些細な支えに、私は心から感謝した。

 すると、廊下を急ぎ足で歩く家令が私の部屋をノックする。
 お父様が監査結果を王宮から持ち帰ったという報告だった。

「お父様が戻られたの?」

「はい、今まさに屋敷に到着されました。今晩にも大事なお話があるそうです」

 私は思わず心を引き締める。
 ついに監査の正式な結果が出て、王宮で審問が行われるということは……レオナルドとグランツ公爵家が追い詰められる日も近いということだ。

 多少ドレスを汚されたところで、私の心は揺るがない。
 いよいよ、これまで積み上げてきた証拠や事実が、彼らを裁く時がやってくる。
 ワインのシミを見ながら、私は胸の奥にひそかにわき上がる期待を噛みしめていた。

「さあ、私も急いで行かなくては。お父様のお話、しっかりと聞かなければ」

 そう言って部屋を出ようとしたとき、まるで何かが終わり、何かが始まる予感を感じた。
 長かった陰の時間が終わり、私の新しい道が少しずつ姿を現すのかもしれない。
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