58 / 60
58
しおりを挟む
堀口たちが再び警察に連行されて数日が経ち、博覧会の最終日を迎えた。
あの混乱から一夜明けた会場は、一時的にセキュリティを強化したため、入場手続きがやや厳しくなったものの、大きなトラブルは起こらなかった。
私の心配も少しずつ和らぎ、今は純粋に最後の商談や展示に集中できている。
「綾乃さん、フランスとイギリスの百貨店数社から本契約の申し出がありました!
すぐに具体的な条件交渉に入りたいそうです」
ラウレンス氏が駆け寄ってきて興奮気味に教えてくれる。
遠い異国の地で、父の研究がこうも評価されるなんて――私が歩んできた道を振り返ると、本当に信じられない気持ちだ。
「はい、ありがとうございます。
最後まで気を抜かず、きちんと取りまとめましょう」
そう返事すると、ラウレンス氏は「もちろんです」と頼もしく頷いた。
控室で商談相手を待ちながら、私は資料を整理し、条件や納期の希望などを把握していく。
量産体制を整えるには、日本の職人たちとさらに連携が必要になる。
そのためには、葉室家の状況を安定させるだけでなく、海外流通を円滑にするシステム構築が欠かせない。
「父様……ここまでくるの、長かったわ」
心の中でそっとつぶやくと、帯留めが暖かく感じる。
堀口との離縁が成立していなければ、この場にすら立てていなかったかもしれない。
不遇な時期が長かった分、いまの幸福が際立って思える。
商談が終わると、私たちはブースに戻り、最終日の展示を締めくくる準備を行う。
立ち寄ってくれた来場者たちと笑顔で写真を撮り、アンケートに応える。
その姿を見た周囲からは「日本の新しい才能が世界に羽ばたいた」と称賛され、取材のカメラが向けられることも増えてきた。
夕方、閉場のアナウンスが流れ、いよいよ博覧会が幕を閉じる。
名残惜しそうに会場を後にする人々の姿を見ながら、私はラウレンス氏やスタッフたちとブースの撤収作業に取りかかった。
装飾を外し、展示台やサンプルを梱包し、出荷準備を進めていく。
「いやあ、本当にお疲れさまでした。
綾乃さんにとって、初めての欧州進出がこんなにも成功するなんて、私も誇らしい気持ちですよ」
ラウレンス氏が笑顔で声をかけてくれる。
私は「ありがとうございます」と返しながら、積み上げられた段ボールの山を見つめる。
最初にこの企画の話を聞いたときは、まさかここまでの成果を得られるとは思いもしなかった。
博覧会の主催者側からは「優秀賞」に近い評価を受け、その表彰式に顔を出した際も、多くの人から祝福の声をかけられた。
私は慣れないフラッシュやインタビューに緊張しつつ、「父の研究があってこその功績です」と謙虚に答え続ける。
堀口が起こした混乱は一部メディアに取り上げられたが、最終的には私たちの成功が大きく報じられたようだ。
夜には、各国のバイヤーや出展者が集う小さな打ち上げパーティが開かれた。
そこでも私は祝福を受け、藤堂様がさりげなく私をエスコートしてくれる。
「堀口の件は、現地の警察が厳重に取り扱うとのことです。
しばらくは保釈も認められないかもしれませんね」
打ち上げ会場の片隅で、藤堂様がそんな話をしてくれた。
私はグラスを握りしめ、ゆっくりと視線を下に向ける。
「そうですか……。
正直、もう彼の存在を忘れたいんです。
あの頃の自分に戻るのは嫌だから……」
声が震えそうになりながらも、本心を口にする。
堀口との人生は、苦しい思い出しか浮かんでこない。
でも、それも過去のこと。
私は遠く日本を離れ、ここで新たな道を歩み始めているのだ。
「あなたはもう、あの頃とは違いますよ。
堂々と自分の夢を語る顔は、本当に頼もしい」
藤堂様の言葉に、胸が熱くなる。
彼は私の過去を知りながら、それを決して蔑ろにせず、むしろ今の私を認めて支えてくれる。
いつしか私の心は、彼の存在に安らぎだけでなく、特別な感情を宿してしまっているのかもしれない――そう思うと、顔が少し熱くなるのを感じた。
打ち上げが終わる頃には、すっかり夜も更けていた。
私は宿へ戻り、荷物整理を続けながら、ふとこれからの予定を考える。
ラウレンス氏の提案通り、欧州にもう少し滞在して契約を詰めるのも一つの手だ。
しかし、日本に戻ってからの量産体制や新ブランドの立ち上げ戦略を練る必要もある。
「いずれにしても、ここがゴールじゃないのよね」
自問自答するように口に出すと、自然に笑みがこぼれた。
博覧会が終わっても、私の挑戦はこれから続く。
離縁したあの苦しさがあるからこそ、今の幸せをもっと輝かせることができる気がする――そう思うと、疲れた体が少しだけ軽く感じられた。
あの混乱から一夜明けた会場は、一時的にセキュリティを強化したため、入場手続きがやや厳しくなったものの、大きなトラブルは起こらなかった。
私の心配も少しずつ和らぎ、今は純粋に最後の商談や展示に集中できている。
「綾乃さん、フランスとイギリスの百貨店数社から本契約の申し出がありました!
すぐに具体的な条件交渉に入りたいそうです」
ラウレンス氏が駆け寄ってきて興奮気味に教えてくれる。
遠い異国の地で、父の研究がこうも評価されるなんて――私が歩んできた道を振り返ると、本当に信じられない気持ちだ。
「はい、ありがとうございます。
最後まで気を抜かず、きちんと取りまとめましょう」
そう返事すると、ラウレンス氏は「もちろんです」と頼もしく頷いた。
控室で商談相手を待ちながら、私は資料を整理し、条件や納期の希望などを把握していく。
量産体制を整えるには、日本の職人たちとさらに連携が必要になる。
そのためには、葉室家の状況を安定させるだけでなく、海外流通を円滑にするシステム構築が欠かせない。
「父様……ここまでくるの、長かったわ」
心の中でそっとつぶやくと、帯留めが暖かく感じる。
堀口との離縁が成立していなければ、この場にすら立てていなかったかもしれない。
不遇な時期が長かった分、いまの幸福が際立って思える。
商談が終わると、私たちはブースに戻り、最終日の展示を締めくくる準備を行う。
立ち寄ってくれた来場者たちと笑顔で写真を撮り、アンケートに応える。
その姿を見た周囲からは「日本の新しい才能が世界に羽ばたいた」と称賛され、取材のカメラが向けられることも増えてきた。
夕方、閉場のアナウンスが流れ、いよいよ博覧会が幕を閉じる。
名残惜しそうに会場を後にする人々の姿を見ながら、私はラウレンス氏やスタッフたちとブースの撤収作業に取りかかった。
装飾を外し、展示台やサンプルを梱包し、出荷準備を進めていく。
「いやあ、本当にお疲れさまでした。
綾乃さんにとって、初めての欧州進出がこんなにも成功するなんて、私も誇らしい気持ちですよ」
ラウレンス氏が笑顔で声をかけてくれる。
私は「ありがとうございます」と返しながら、積み上げられた段ボールの山を見つめる。
最初にこの企画の話を聞いたときは、まさかここまでの成果を得られるとは思いもしなかった。
博覧会の主催者側からは「優秀賞」に近い評価を受け、その表彰式に顔を出した際も、多くの人から祝福の声をかけられた。
私は慣れないフラッシュやインタビューに緊張しつつ、「父の研究があってこその功績です」と謙虚に答え続ける。
堀口が起こした混乱は一部メディアに取り上げられたが、最終的には私たちの成功が大きく報じられたようだ。
夜には、各国のバイヤーや出展者が集う小さな打ち上げパーティが開かれた。
そこでも私は祝福を受け、藤堂様がさりげなく私をエスコートしてくれる。
「堀口の件は、現地の警察が厳重に取り扱うとのことです。
しばらくは保釈も認められないかもしれませんね」
打ち上げ会場の片隅で、藤堂様がそんな話をしてくれた。
私はグラスを握りしめ、ゆっくりと視線を下に向ける。
「そうですか……。
正直、もう彼の存在を忘れたいんです。
あの頃の自分に戻るのは嫌だから……」
声が震えそうになりながらも、本心を口にする。
堀口との人生は、苦しい思い出しか浮かんでこない。
でも、それも過去のこと。
私は遠く日本を離れ、ここで新たな道を歩み始めているのだ。
「あなたはもう、あの頃とは違いますよ。
堂々と自分の夢を語る顔は、本当に頼もしい」
藤堂様の言葉に、胸が熱くなる。
彼は私の過去を知りながら、それを決して蔑ろにせず、むしろ今の私を認めて支えてくれる。
いつしか私の心は、彼の存在に安らぎだけでなく、特別な感情を宿してしまっているのかもしれない――そう思うと、顔が少し熱くなるのを感じた。
打ち上げが終わる頃には、すっかり夜も更けていた。
私は宿へ戻り、荷物整理を続けながら、ふとこれからの予定を考える。
ラウレンス氏の提案通り、欧州にもう少し滞在して契約を詰めるのも一つの手だ。
しかし、日本に戻ってからの量産体制や新ブランドの立ち上げ戦略を練る必要もある。
「いずれにしても、ここがゴールじゃないのよね」
自問自答するように口に出すと、自然に笑みがこぼれた。
博覧会が終わっても、私の挑戦はこれから続く。
離縁したあの苦しさがあるからこそ、今の幸せをもっと輝かせることができる気がする――そう思うと、疲れた体が少しだけ軽く感じられた。
1
お気に入りに追加
107
あなたにおすすめの小説
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています




【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。
五月ふう
恋愛
リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。
「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」
今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。
「そう……。」
マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。
明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。
リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。
「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」
ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。
「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」
「ちっ……」
ポールは顔をしかめて舌打ちをした。
「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」
ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。
だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。
二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。
「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

辺境伯へ嫁ぎます。
アズやっこ
恋愛
私の父、国王陛下から、辺境伯へ嫁げと言われました。
隣国の王子の次は辺境伯ですか… 分かりました。
私は第二王女。所詮国の為の駒でしかないのです。 例え父であっても国王陛下には逆らえません。
辺境伯様… 若くして家督を継がれ、辺境の地を護っています。
本来ならば第一王女のお姉様が嫁ぐはずでした。
辺境伯様も10歳も年下の私を妻として娶らなければいけないなんて可哀想です。
辺境伯様、大丈夫です。私はご迷惑はおかけしません。
それでも、もし、私でも良いのなら…こんな小娘でも良いのなら…貴方を愛しても良いですか?貴方も私を愛してくれますか?
そんな望みを抱いてしまいます。
❈ 作者独自の世界観です。
❈ 設定はゆるいです。
(言葉使いなど、優しい目で読んで頂けると幸いです)
❈ 誤字脱字等教えて頂けると幸いです。
(出来れば望ましいと思う字、文章を教えて頂けると嬉しいです)


【完】夫に売られて、売られた先の旦那様に溺愛されています。
112
恋愛
夫に売られた。他所に女を作り、売人から受け取った銀貨の入った小袋を懐に入れて、出ていった。呆気ない別れだった。
ローズ・クローは、元々公爵令嬢だった。夫、だった人物は男爵の三男。到底釣合うはずがなく、手に手を取って家を出た。いわゆる駆け落ち婚だった。
ローズは夫を信じ切っていた。金が尽き、宝石を差し出しても、夫は自分を愛していると信じて疑わなかった。
※完結しました。ありがとうございました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる