【完結保証】愛妾と暮らす夫に飽き飽きしたので、私も自分の幸せを選ばせてもらいますね

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 翌朝、開場前の会場に足を運び、ブースの点検や試作品の整備を進めていると、急に会場スタッフが慌ただしく動き始めた。
 どうやらどこかのブースでトラブルがあったらしい。
 私は最初、軽い設備不備か何かだろうと思っていたが、スタッフ同士の会話から、どうやら「日本人が出展者に絡んでいる」という話が漏れ聞こえてきた。

 まさか……と思った瞬間、嫌な予感が脳裏をよぎる。
 私はラウレンス氏と目を合わせ、「行ってみましょう」と言葉を交わすと、トラブルのあったブースへ足を運んだ。

 そこには堀口らしき男と、怒鳴り合いを続ける現地スタッフらの姿があった。
 堀口は服装も乱れ、目が血走っていて、すでに正気を失っているように見える。

「金を出せ!
 俺はこの博覧会の権利を買い取りたいんだ!
 日本の技術は俺が支えてやるって言ってるのに……!」

 支離滅裂な言葉に、周囲の者も戸惑いを隠せない。
 私は小さく息をのみ、心臓の鼓動がやけに早くなるのを感じながら彼に近づく。

「堀口……何をしているのですか。
 これ以上、場を乱すのはやめてください」

 私が声をかけると、堀口ははっとしたようにこちらを振り返った。
 その瞬間、彼の顔が憎悪に満ちた表情へと変わる。

「綾乃……!
 お前か……お前さえ俺を見捨てなければ、こんなことにはならなかったのに。
 何が呉服だ、何が海外進出だ……!
 お前だけ、いい思いをしやがって……!」

 言葉にならないほどの負の感情が、堀口の全身からにじみ出ている。
 だが、その歪んだ姿は、もはや私が知っていた男とは別人のようにも思える。

「堀口、落ち着いてください。
 あなたと私は、もう何の関係もありません」

 できるだけ冷静にそう告げると、堀口は怒りのあまりか、壁を拳で殴りつけるような仕草をした。
 スタッフたちが身を引く中、ラウレンス氏が私の前に立ちはだかり、彼を制止する。

「彼女に危害を加えるな。
 警備を呼ぶぞ」

「黙れ!
 俺がどれだけ苦しんできたと思ってるんだ!
 金も地位も仲間も失って……俺には何も残ってない!
 お前らには分からないだろう!」

 その絶叫に、周囲は言葉を失う。
 私も一瞬、彼のあまりにも追い詰められた姿に胸がざわつくものを感じたが、それ以上に今は身の危険を感じて動けなくなっている。

 すると、堀口が私に近づき、弱々しい声で唸った。

「綾乃……頼む……もう一度だけ、俺を助けてくれ。
 軍を戻る当てもない。
 香織も出て行った。
 お前だけが俺を救えるんだ。
 昔みたいに、家の金を工面してくれればいい。
 そうすれば、俺はやり直せる。
 なあ……?」

 その瞬間、私の中で何かが決定的に切れた気がした。
 いくらなんでも、そこまで自己中心的な発想ができるのか――恐怖よりも、呆れと怒りが込み上げてくる。

「言い方を変えれば、あなたは私をただの金づるとしか思っていなかったということですね。
 いい加減にしてください。
 これ以上私に近づかないで」

 私が厳しい口調で言い放つと、堀口はまるで子供のようにしゃがみ込んで頭を抱え、「うるさい……うるさい……!」と繰り返す。
 その様子に警備員たちがようやく駆けつけ、堀口を取り押さえた。

 彼は暴れる余力もないようで、ぐったりと抵抗をやめる。
 その背中はひどく小さく見え、私は複雑な思いで視線を逸らした。

「申し訳ありません、皆さん。
 私の知人がご迷惑をおかけして……」

 ラウレンス氏がスタッフたちにペコリと頭を下げ、私も浅く会釈をする。
 どうにか事態は収束したが、堀口の絶望的な姿を目の当たりにして、私の心はざわめきから逃れられない。

「綾乃さん、行きましょう。
 あなたは悪くないのですから、ここは私に任せてください」

 ラウレンス氏がそう言うのを聞いて、私は一度深呼吸をしてからうなずいた。
 悲惨な堀口の姿は、私にとって何の救いにもならない。
 寂しいとも思わないし、哀れに思うことすらできないほどに、あまりにかけ離れてしまった存在だと痛感するだけだ。

 今はただ、自分に与えられた使命をまっとうすること。
 父の残してくれた研究を、海外での成功へつなげること。
 その道をゆがめてはいけない――そのためには、あの男との関わりを断ち切るしかないのだ。

 私は最後に、取り押さえられている堀口へ静かに目を向ける。
 彼は私を恨めしそうに見上げていたが、その表情に言葉をかけるつもりはなかった。

 誰もが生きる道を選ぶ自由がある。
 堀口が選んだのは、裏切りと不正と暴力の日々だったのだろう。
 もう、そのしっぺ返しを受けるのも本人の責任だ――そう思いながら、私は踵を返した。

「綾乃さん、あまり気に病まないでくださいね」
 
 ラウレンス氏の優しい声が、いつもより心強く耳に届いた。
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