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堀口家との離縁が成立してから、季節はゆるやかに移ろい、屋敷の庭にはわずかな春の気配が漂い始めていた。
冬の寒さが和らぎ、暖かな日差しが差し込むと、私の心も自然と軽くなる。
庭を歩けば、かすかに花の香りが鼻をくすぐり、父が愛した景色が鮮明によみがえってくるようだ。
この春を機に、葉室家としても大きなイベントを開こうと決めていた。
これまで主に商談や小さな展示会を中心にやってきたけれど、広く一般の人々に向けて「新素材の呉服」をお披露目する催しを開きたかったのだ。
そうすれば、欧州へ渡る前に国内での知名度を一気に高められるだろうし、和装離れが進む若者にもアピールできる。
まずは、伯爵家からの支援を受けて、都の大きな貸しホールの一部を借りる計画を立てる。
そこに職人が丹念に仕上げた新作をずらりと並べ、内覧会とファッションショーを合わせたような形にしたいというのが私のアイデアだった。
呉服は決して古い文化のままではなく、もっと洗練されて華やかで、かつ実用的になり得るのだと多くの人に感じてもらいたい。
「綾乃様、それはかなり斬新な試みですね。
呉服のファッションショーなど、聞いたことがありませんが、面白いかもしれません」
中瀬執事は目を輝かせ、私を後押ししてくれる。
職人たちも「まさか着物を舞台で披露するとは」と驚きながらも、面白がって手伝ってくれそうな様子だ。
老職人の中には「だが、これまでにない試みに、人々がどう反応するかはわからんぞ」と心配する声もある。
しかし、私はそれこそが新時代への挑戦だと思うのだ。
離縁を済ませ、堀口家の影響から完全に解き放たれた今こそ、私が自由な発想で動ける最大のチャンスだ。
「従来の呉服にとらわれないデザイン」や「欧州の要素を取り入れた帯結び」など、やりたいことは山ほどある。
単に伝統を守るだけでなく、新しい風を呼び込まなければ、和装が世界で生き残るのは難しいだろう。
そうして準備に追われる日々が続いていたある朝、母が嬉しそうな声で声をかけてきた。
「綾乃、見てごらん。こちらが今回仕上がった新作のサンプルよ」
差し出された反物は、まるで薄い花びらを重ねたような優しい色合いで、しかも私が触れた瞬間に「こんなに軽いの?」と驚くほどの感触だった。
染めの色は春を連想させる淡い桜色や若草色がメインで、一見シンプルながらも繊細なグラデーションが施されている。
まさに「春を告げる新作」にぴったりだと思った。
「すごいわ……まるで花びらをまとっているような感じ。
これなら、和装に慣れていない若い世代でも“かわいい”と思ってくれるかもしれない」
私が興奮気味に語ると、職人たちも誇らしげにうなずく。
この素材は父の研究をベースに、さらに改良を重ねて進化させたものだ。
今までは高級路線が主だったが、少し肩の力を抜いたデザインに仕上げることで、普段着にも使えるニーズを掘り起こせるかもしれない。
そして、これらの新作を集めて開かれる「春の新作展示会」は、次週にも開催を予定している。
広い会場を借りて、来場者に実際に反物や着付けを体験してもらうコーナーも設けるつもりだ。
若い女性だけでなく、外国人観光客や他の華族、商家の令嬢や新しい文化に興味を持つ人々が来てくれたら嬉しい。
伯爵家の藤堂様も「それは面白い。私も全面的に協力しますよ」と申し出てくださり、当日の警護や招待客へのアナウンスまで手配してくれるという。
かつては堀口中尉の軍服姿に嫌な思いをしていた私だが、今はこうして伯爵家が頼もしい支えとなっているのだから、世の中わからないものだ。
「お嬢様、春の展示会が成功すれば、欧州への輸出計画もさらに弾みがつくでしょうね」
中瀬執事の言葉に、私は大きく頷く。
そう、父が夢見た「世界に通じる呉服」を作り上げるためにも、この展示会は大事な足掛かりだ。
失敗は許されないけれど、私にとってはワクワクする新しい冒険でもある。
あれほど陰鬱だった冬が去り、私の心にも確かな春の訪れを感じる。
これまでの苦しみを糧にして、今こそ自分の力で大きく羽ばたくときだ。
毎日の準備は大変だけれど、離縁後の解放感がそれを凌駕するほどの活力を私に与えてくれる。
「もう、堀口家のことは気にしない。
香織がどうなろうと、姑が何を言おうと、私には関係ないわ」
呟きながら、手元にある淡い桜色の反物をそっと撫でる。
父が遺した研究をさらに磨き上げ、和装をもっと自由に、もっと美しく。
春の風が吹く中で、私はこの新作の花が大勢の人々の心を華やかに彩ると信じて疑わないのだった。
冬の寒さが和らぎ、暖かな日差しが差し込むと、私の心も自然と軽くなる。
庭を歩けば、かすかに花の香りが鼻をくすぐり、父が愛した景色が鮮明によみがえってくるようだ。
この春を機に、葉室家としても大きなイベントを開こうと決めていた。
これまで主に商談や小さな展示会を中心にやってきたけれど、広く一般の人々に向けて「新素材の呉服」をお披露目する催しを開きたかったのだ。
そうすれば、欧州へ渡る前に国内での知名度を一気に高められるだろうし、和装離れが進む若者にもアピールできる。
まずは、伯爵家からの支援を受けて、都の大きな貸しホールの一部を借りる計画を立てる。
そこに職人が丹念に仕上げた新作をずらりと並べ、内覧会とファッションショーを合わせたような形にしたいというのが私のアイデアだった。
呉服は決して古い文化のままではなく、もっと洗練されて華やかで、かつ実用的になり得るのだと多くの人に感じてもらいたい。
「綾乃様、それはかなり斬新な試みですね。
呉服のファッションショーなど、聞いたことがありませんが、面白いかもしれません」
中瀬執事は目を輝かせ、私を後押ししてくれる。
職人たちも「まさか着物を舞台で披露するとは」と驚きながらも、面白がって手伝ってくれそうな様子だ。
老職人の中には「だが、これまでにない試みに、人々がどう反応するかはわからんぞ」と心配する声もある。
しかし、私はそれこそが新時代への挑戦だと思うのだ。
離縁を済ませ、堀口家の影響から完全に解き放たれた今こそ、私が自由な発想で動ける最大のチャンスだ。
「従来の呉服にとらわれないデザイン」や「欧州の要素を取り入れた帯結び」など、やりたいことは山ほどある。
単に伝統を守るだけでなく、新しい風を呼び込まなければ、和装が世界で生き残るのは難しいだろう。
そうして準備に追われる日々が続いていたある朝、母が嬉しそうな声で声をかけてきた。
「綾乃、見てごらん。こちらが今回仕上がった新作のサンプルよ」
差し出された反物は、まるで薄い花びらを重ねたような優しい色合いで、しかも私が触れた瞬間に「こんなに軽いの?」と驚くほどの感触だった。
染めの色は春を連想させる淡い桜色や若草色がメインで、一見シンプルながらも繊細なグラデーションが施されている。
まさに「春を告げる新作」にぴったりだと思った。
「すごいわ……まるで花びらをまとっているような感じ。
これなら、和装に慣れていない若い世代でも“かわいい”と思ってくれるかもしれない」
私が興奮気味に語ると、職人たちも誇らしげにうなずく。
この素材は父の研究をベースに、さらに改良を重ねて進化させたものだ。
今までは高級路線が主だったが、少し肩の力を抜いたデザインに仕上げることで、普段着にも使えるニーズを掘り起こせるかもしれない。
そして、これらの新作を集めて開かれる「春の新作展示会」は、次週にも開催を予定している。
広い会場を借りて、来場者に実際に反物や着付けを体験してもらうコーナーも設けるつもりだ。
若い女性だけでなく、外国人観光客や他の華族、商家の令嬢や新しい文化に興味を持つ人々が来てくれたら嬉しい。
伯爵家の藤堂様も「それは面白い。私も全面的に協力しますよ」と申し出てくださり、当日の警護や招待客へのアナウンスまで手配してくれるという。
かつては堀口中尉の軍服姿に嫌な思いをしていた私だが、今はこうして伯爵家が頼もしい支えとなっているのだから、世の中わからないものだ。
「お嬢様、春の展示会が成功すれば、欧州への輸出計画もさらに弾みがつくでしょうね」
中瀬執事の言葉に、私は大きく頷く。
そう、父が夢見た「世界に通じる呉服」を作り上げるためにも、この展示会は大事な足掛かりだ。
失敗は許されないけれど、私にとってはワクワクする新しい冒険でもある。
あれほど陰鬱だった冬が去り、私の心にも確かな春の訪れを感じる。
これまでの苦しみを糧にして、今こそ自分の力で大きく羽ばたくときだ。
毎日の準備は大変だけれど、離縁後の解放感がそれを凌駕するほどの活力を私に与えてくれる。
「もう、堀口家のことは気にしない。
香織がどうなろうと、姑が何を言おうと、私には関係ないわ」
呟きながら、手元にある淡い桜色の反物をそっと撫でる。
父が遺した研究をさらに磨き上げ、和装をもっと自由に、もっと美しく。
春の風が吹く中で、私はこの新作の花が大勢の人々の心を華やかに彩ると信じて疑わないのだった。
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