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ある晴れた昼下がり、伯爵家が開いた小さな展示会に招かれた私と中瀬執事は、洋風の応接室で落ち着いた雰囲気を味わっていた。
そこにやって来たのは、噂に聞いていた欧州の呉服バイヤーであるラウレンス氏。
彼は青い瞳をきらきら輝かせながら、海外の商社マンらしく流暢な日本語で挨拶をしてくれた。
「初めまして。あなたが葉室 綾乃さんですね。
伯爵からお話は伺いましたが、新素材による和装の開発を主導されているとか」
彼の持つ異国の空気感と、日本語の上品な響きに少しだけ圧倒されながらも、私は深く一礼して答える。
「はい、父が遺した研究を形にするべく、呉服事業を進めております。
まだ国内での展開が中心ですが、ゆくゆくは海外への輸出も視野に入れているところです」
ラウレンス氏は興味津々という様子で、私の説明を一言も漏らさないように聞いている。
そして、手元の書類に何やらメモをとった後、柔らかく微笑んだ。
「素晴らしい。
実は、私が暮らすロンドンでは、ジャポニズムへの関心が高まりつつあります。
とりわけ軽くて丈夫、そして美しい染めが施された衣服は、大変魅力的に映るでしょう。
あなたの呉服が欧州の社交界を彩る日が来るかもしれませんね」
その言葉を聞いた瞬間、私は胸が高揚するのを感じる。
欧州の華やかな社交界で和装が受け入れられるというのは、正直言って想像がつかない面もある。
けれど、それだけ大きな市場に挑戦できるという事実が、私を駆り立てる。
早速、ラウレンス氏は用意していたサンプル帳を開いて、私たちの新素材の特徴を再度確かめ始めた。
軽量なのに高い耐久性、光沢を損なわない染めの発色、そして扱いの容易さ。
どれも、海外市場にアピールするには十分な材料だという。
「もし、あなたの呉服をロンドンで披露する機会を設けられれば、相当な反響が見込めると思います。
ただ、一点だけ懸念があります。
和装を着こなすためには、それ相応の知識が必要ですから、現地の人々が着やすい形にアレンジするなどの工夫も必要になるでしょう」
「なるほど。
帯の結び方や着付けの手順などは、確かに欧州の方にはなじみが薄いかもしれませんね」
私は頬に手を当てて考え込む。
日本国内ですら、和装離れが進みつつある時代だ。
ましてや海外の人が簡単に着こなせるようになるには、何らかの新しいデザインやサポートシステムが必要だろう。
しかし、それこそが「新時代の呉服」に求められる発想なのかもしれない。
「技術的な工夫を加えて、欧州の方にもアレンジしやすい形に……。
日本の伝統を損なわずに、新しい価値を生み出すことが大切ですね」
ラウレンス氏は嬉しそうに笑みを深め、小さく拍手をしてみせる。
「まさに、その通りだと思いますよ。
それに、あなたの呉服は素材が優秀だからこそ、いろいろな挑戦ができるはず。
デザインや形を少し変えるだけで、まったく違う市場を掴む可能性もあります」
彼の言葉に、私の胸はわくわくと弾む。
父の研究を、さらに新しい形で世界に示せるのではないか。
離縁を果たして自由を得た今だからこそ、私は思う存分この挑戦に打ち込める。
和装の概念を「守る」だけでなく、世界へ「広げる」時代が来たのだと思うと、身震いするような高揚感に包まれた。
その日のうちに、ラウレンス氏との間で簡単なデモンストレーション企画の話がまとまった。
ロンドンで開かれる「国際産業博覧会」のような催しに、サンプルを持ち込めないかという話だ。
伯爵家がサポートする形で実現すれば、私たち葉室家の呉服が欧州にお披露目される機会となるだろう。
「この話が順調に進めば、あなたの呉服は欧州で一気に注目を浴びるかもしれません」
そう言ってラウレンス氏が微笑む姿は、自信に満ち溢れていた。
私も胸を張り、父の帯留めに触れながら決意を新たにする。
堀口家という苦しみを乗り越えた今、私たちにはもう障害はない。
父の研究を背負って、葉室 綾乃としての新しい道を切り開くのだ。
帰りの馬車の中で、中瀬執事は目を輝かせながら私に言う。
「お嬢様、欧州進出なんてすごい話ですね。
先代も海外に興味をお持ちでしたから、まさに悲願が叶うことになります」
「ええ、そうね。
きっと父も喜んでくれるわ」
小さく笑みを漏らしながら、私は車窓の外を見つめる。
青く澄んだ空が広がり、遠くの山並みが穏やかに横たわっている。
まるで、新しい時代へ踏み出す私たちを祝福してくれているように見えた。
堀口家との縁が切れた今、香織や姑が何をしていようと私には関係ない。
父が叶えたかった未来を追い求めるうえで、私は思う存分に動けるのだから。
呉服の新しい可能性を探しながら、欧州バイヤーとの接触を足掛かりに、葉室家はさらに大きく飛躍しようとしていた。
そこにやって来たのは、噂に聞いていた欧州の呉服バイヤーであるラウレンス氏。
彼は青い瞳をきらきら輝かせながら、海外の商社マンらしく流暢な日本語で挨拶をしてくれた。
「初めまして。あなたが葉室 綾乃さんですね。
伯爵からお話は伺いましたが、新素材による和装の開発を主導されているとか」
彼の持つ異国の空気感と、日本語の上品な響きに少しだけ圧倒されながらも、私は深く一礼して答える。
「はい、父が遺した研究を形にするべく、呉服事業を進めております。
まだ国内での展開が中心ですが、ゆくゆくは海外への輸出も視野に入れているところです」
ラウレンス氏は興味津々という様子で、私の説明を一言も漏らさないように聞いている。
そして、手元の書類に何やらメモをとった後、柔らかく微笑んだ。
「素晴らしい。
実は、私が暮らすロンドンでは、ジャポニズムへの関心が高まりつつあります。
とりわけ軽くて丈夫、そして美しい染めが施された衣服は、大変魅力的に映るでしょう。
あなたの呉服が欧州の社交界を彩る日が来るかもしれませんね」
その言葉を聞いた瞬間、私は胸が高揚するのを感じる。
欧州の華やかな社交界で和装が受け入れられるというのは、正直言って想像がつかない面もある。
けれど、それだけ大きな市場に挑戦できるという事実が、私を駆り立てる。
早速、ラウレンス氏は用意していたサンプル帳を開いて、私たちの新素材の特徴を再度確かめ始めた。
軽量なのに高い耐久性、光沢を損なわない染めの発色、そして扱いの容易さ。
どれも、海外市場にアピールするには十分な材料だという。
「もし、あなたの呉服をロンドンで披露する機会を設けられれば、相当な反響が見込めると思います。
ただ、一点だけ懸念があります。
和装を着こなすためには、それ相応の知識が必要ですから、現地の人々が着やすい形にアレンジするなどの工夫も必要になるでしょう」
「なるほど。
帯の結び方や着付けの手順などは、確かに欧州の方にはなじみが薄いかもしれませんね」
私は頬に手を当てて考え込む。
日本国内ですら、和装離れが進みつつある時代だ。
ましてや海外の人が簡単に着こなせるようになるには、何らかの新しいデザインやサポートシステムが必要だろう。
しかし、それこそが「新時代の呉服」に求められる発想なのかもしれない。
「技術的な工夫を加えて、欧州の方にもアレンジしやすい形に……。
日本の伝統を損なわずに、新しい価値を生み出すことが大切ですね」
ラウレンス氏は嬉しそうに笑みを深め、小さく拍手をしてみせる。
「まさに、その通りだと思いますよ。
それに、あなたの呉服は素材が優秀だからこそ、いろいろな挑戦ができるはず。
デザインや形を少し変えるだけで、まったく違う市場を掴む可能性もあります」
彼の言葉に、私の胸はわくわくと弾む。
父の研究を、さらに新しい形で世界に示せるのではないか。
離縁を果たして自由を得た今だからこそ、私は思う存分この挑戦に打ち込める。
和装の概念を「守る」だけでなく、世界へ「広げる」時代が来たのだと思うと、身震いするような高揚感に包まれた。
その日のうちに、ラウレンス氏との間で簡単なデモンストレーション企画の話がまとまった。
ロンドンで開かれる「国際産業博覧会」のような催しに、サンプルを持ち込めないかという話だ。
伯爵家がサポートする形で実現すれば、私たち葉室家の呉服が欧州にお披露目される機会となるだろう。
「この話が順調に進めば、あなたの呉服は欧州で一気に注目を浴びるかもしれません」
そう言ってラウレンス氏が微笑む姿は、自信に満ち溢れていた。
私も胸を張り、父の帯留めに触れながら決意を新たにする。
堀口家という苦しみを乗り越えた今、私たちにはもう障害はない。
父の研究を背負って、葉室 綾乃としての新しい道を切り開くのだ。
帰りの馬車の中で、中瀬執事は目を輝かせながら私に言う。
「お嬢様、欧州進出なんてすごい話ですね。
先代も海外に興味をお持ちでしたから、まさに悲願が叶うことになります」
「ええ、そうね。
きっと父も喜んでくれるわ」
小さく笑みを漏らしながら、私は車窓の外を見つめる。
青く澄んだ空が広がり、遠くの山並みが穏やかに横たわっている。
まるで、新しい時代へ踏み出す私たちを祝福してくれているように見えた。
堀口家との縁が切れた今、香織や姑が何をしていようと私には関係ない。
父が叶えたかった未来を追い求めるうえで、私は思う存分に動けるのだから。
呉服の新しい可能性を探しながら、欧州バイヤーとの接触を足掛かりに、葉室家はさらに大きく飛躍しようとしていた。
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