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新ブランドの披露会は、当初の予想を上回る成功を収めた。
老舗織物商や外国人バイヤーからも好意的な反応をいただき、実際に注文を検討しているという声さえ上がったのだ。
展示会が終わった後、私は中瀬や職人たちと共に料亭の片隅でひと息つく。
胸は熱い高揚感で満たされ、父の夢を形にできたことを改めて感じる時間でもあった。
しかし、すべてが順風満帆というわけではない。
気になる話が耳に入ってきたのは、私たちが展示会の片づけをしていた夕刻頃のこと。
現れたのは伯爵家の護衛の一人で、少し緊張した面持ちで私に報告をしてきた。
「綾乃様、実は先ほどの披露会の最中、軍関係の方々が裏で動いていたようです。
どうやら『この新素材を軍事物資に流用できないか』と検討しているらしく、堀口中尉を通じて情報を探っている可能性があります」
それを聞いた瞬間、私は少しだけ身震いする。
今までも堀口中尉が軍の地位を使って新素材を奪おうとしていたのは知っているが、軍内部のもっと大きな勢力が動き始めたとなると厄介だ。
せっかく伯爵家の支援でここまで来たのに、軍部が本腰を入れれば、呉服目的ではなく軍事目的で利用される危険もある。
「……わかりました。
引き続き警戒をお願いします。
この開発を軍に渡すつもりはありません」
護衛の方はうなずき、私に向かって深く頭を下げた。
「はい、藤堂様のご指示もありますので、最大限にお守りいたします。
もし何か具体的な動きが出たら、すぐにご連絡します」
私の心は少しだけざわつく。
華やかな成功の裏には、やはり堀口中尉の影がちらついているのだと痛感する。
軍が欲しがるとなれば、彼もそこに便乗して功績を取り戻そうと躍起になるだろう。
夜になって葉室家の屋敷に戻ると、母や使用人たちから「披露会は大成功だったのですね、おめでとうございます」と出迎えられる。
疲れが一気に押し寄せてきたけれど、みんなの明るい顔を見ると安堵が湧く。
「お嬢様、これで葉室家は完全に立ち直れそうですね。
先代もきっとお喜びでしょう」
そんな言葉をかけられながら部屋へ向かおうとすると、突然母が青ざめた表情で私を呼び止めた。
「綾乃……ちょっと話があるの。
堀口家の使いの者が来て『軍の式典に協賛しなければ、葉室家が破滅する』と言い張っていてね。
私は詳しいことがわからないから、そのまま帰ってもらったのだけど」
何という強引な脅し方だろう。
軍が式典を開くときに協賛金を募ること自体は珍しくないのかもしれないが、堀口中尉がこのタイミングで絡んでくるとなると、嫌な予感しかしない。
私が夫を拒み続けているのを承知で、焦って金を巻き上げようとしているのだろうか。
「軍の式典……前にも言われたけれど、私たちは資金を出す気はありません。
お母様はどうか気にしないでください」
母が不安げに眉を寄せる。
私が強く断る姿勢を貫いているのは理解してくれているが、どこか申し訳なさそうに見えるのは、葉室家が再び危機に巻き込まれないか心配だからだ。
「……わかったわ。
でも、もし本当に軍が動くとなると、私たちだけではどうにもならないんじゃないの?」
たしかに、軍という大きな力が本格的に妨害してきたら、私たちの経営だけでは対抗しきれない可能性もある。
ただ、伯爵家という強力な後ろ盾がいる今、そう簡単には屈しない自信もあるのだ。
「母様、藤堂様や弁護士の方々が動いてくれています。
万が一、軍が強引に出てきても、私たちは法的にも正当性を主張できますから」
母は心配げな表情のままだが、私の言葉に少しだけうなずき、奥へと下がっていく。
使用人たちも気まずそうに目を伏せるが、私は彼らに向けて明るい声で言った。
「大丈夫、私が責任を持って対処します。
お騒がせしました。
みなさんは今まで通り、お仕事をお願いします」
その夜、部屋に戻って一人になったとき、披露会の成功と軍の暗い影とが頭の中で交錯し、落ち着かない気分になる。
父の研究を守り抜くため、私は逃げずに立ち向かう決意をしたものの、大きな権力を持つ軍を相手にするのは正直気が重い。
「でも、引き下がるわけにはいかない」
呟きながら、小箱に入った資料を再度確認する。
父がここまで執念を燃やした新素材は、決して軍の金儲けや不正蓄財の道具に成り下がらせてはいけない。
私の使命は、葉室家と職人たちを守りながら、この技術を正しい形で広めることなのだから。
外から聞こえる風の音が少し冷たい。
押し寄せる不安に負けないよう、私は帯留めを手に取り、深呼吸する。
堀口中尉が最後の悪手に出る前に、こちらも準備を整えておかなくては。
伯爵家の協力を仰ぎながら、かつての私では想像もできないほど強くなった自分を信じたいのだ。
そうして、披露会で得た成功を噛みしめつつも、軍による妨害が今まさに動き出そうとしていることを感じ、私は眠れぬ夜を過ごすことになった。
老舗織物商や外国人バイヤーからも好意的な反応をいただき、実際に注文を検討しているという声さえ上がったのだ。
展示会が終わった後、私は中瀬や職人たちと共に料亭の片隅でひと息つく。
胸は熱い高揚感で満たされ、父の夢を形にできたことを改めて感じる時間でもあった。
しかし、すべてが順風満帆というわけではない。
気になる話が耳に入ってきたのは、私たちが展示会の片づけをしていた夕刻頃のこと。
現れたのは伯爵家の護衛の一人で、少し緊張した面持ちで私に報告をしてきた。
「綾乃様、実は先ほどの披露会の最中、軍関係の方々が裏で動いていたようです。
どうやら『この新素材を軍事物資に流用できないか』と検討しているらしく、堀口中尉を通じて情報を探っている可能性があります」
それを聞いた瞬間、私は少しだけ身震いする。
今までも堀口中尉が軍の地位を使って新素材を奪おうとしていたのは知っているが、軍内部のもっと大きな勢力が動き始めたとなると厄介だ。
せっかく伯爵家の支援でここまで来たのに、軍部が本腰を入れれば、呉服目的ではなく軍事目的で利用される危険もある。
「……わかりました。
引き続き警戒をお願いします。
この開発を軍に渡すつもりはありません」
護衛の方はうなずき、私に向かって深く頭を下げた。
「はい、藤堂様のご指示もありますので、最大限にお守りいたします。
もし何か具体的な動きが出たら、すぐにご連絡します」
私の心は少しだけざわつく。
華やかな成功の裏には、やはり堀口中尉の影がちらついているのだと痛感する。
軍が欲しがるとなれば、彼もそこに便乗して功績を取り戻そうと躍起になるだろう。
夜になって葉室家の屋敷に戻ると、母や使用人たちから「披露会は大成功だったのですね、おめでとうございます」と出迎えられる。
疲れが一気に押し寄せてきたけれど、みんなの明るい顔を見ると安堵が湧く。
「お嬢様、これで葉室家は完全に立ち直れそうですね。
先代もきっとお喜びでしょう」
そんな言葉をかけられながら部屋へ向かおうとすると、突然母が青ざめた表情で私を呼び止めた。
「綾乃……ちょっと話があるの。
堀口家の使いの者が来て『軍の式典に協賛しなければ、葉室家が破滅する』と言い張っていてね。
私は詳しいことがわからないから、そのまま帰ってもらったのだけど」
何という強引な脅し方だろう。
軍が式典を開くときに協賛金を募ること自体は珍しくないのかもしれないが、堀口中尉がこのタイミングで絡んでくるとなると、嫌な予感しかしない。
私が夫を拒み続けているのを承知で、焦って金を巻き上げようとしているのだろうか。
「軍の式典……前にも言われたけれど、私たちは資金を出す気はありません。
お母様はどうか気にしないでください」
母が不安げに眉を寄せる。
私が強く断る姿勢を貫いているのは理解してくれているが、どこか申し訳なさそうに見えるのは、葉室家が再び危機に巻き込まれないか心配だからだ。
「……わかったわ。
でも、もし本当に軍が動くとなると、私たちだけではどうにもならないんじゃないの?」
たしかに、軍という大きな力が本格的に妨害してきたら、私たちの経営だけでは対抗しきれない可能性もある。
ただ、伯爵家という強力な後ろ盾がいる今、そう簡単には屈しない自信もあるのだ。
「母様、藤堂様や弁護士の方々が動いてくれています。
万が一、軍が強引に出てきても、私たちは法的にも正当性を主張できますから」
母は心配げな表情のままだが、私の言葉に少しだけうなずき、奥へと下がっていく。
使用人たちも気まずそうに目を伏せるが、私は彼らに向けて明るい声で言った。
「大丈夫、私が責任を持って対処します。
お騒がせしました。
みなさんは今まで通り、お仕事をお願いします」
その夜、部屋に戻って一人になったとき、披露会の成功と軍の暗い影とが頭の中で交錯し、落ち着かない気分になる。
父の研究を守り抜くため、私は逃げずに立ち向かう決意をしたものの、大きな権力を持つ軍を相手にするのは正直気が重い。
「でも、引き下がるわけにはいかない」
呟きながら、小箱に入った資料を再度確認する。
父がここまで執念を燃やした新素材は、決して軍の金儲けや不正蓄財の道具に成り下がらせてはいけない。
私の使命は、葉室家と職人たちを守りながら、この技術を正しい形で広めることなのだから。
外から聞こえる風の音が少し冷たい。
押し寄せる不安に負けないよう、私は帯留めを手に取り、深呼吸する。
堀口中尉が最後の悪手に出る前に、こちらも準備を整えておかなくては。
伯爵家の協力を仰ぎながら、かつての私では想像もできないほど強くなった自分を信じたいのだ。
そうして、披露会で得た成功を噛みしめつつも、軍による妨害が今まさに動き出そうとしていることを感じ、私は眠れぬ夜を過ごすことになった。
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