【完結保証】愛妾と暮らす夫に飽き飽きしたので、私も自分の幸せを選ばせてもらいますね

ネコ

文字の大きさ
上 下
13 / 60

13

しおりを挟む
 香織と手下たちが研究室で捕まった一件は、社交界や軍内部にもすぐに知れ渡った。
 なにしろ、伯爵家が動いている以上、下手な隠蔽やもみ消しは通用しない。
 堀口中尉は必死に上官や知人を頼って事態の緩和を図っているらしいが、周囲からは「お前は何をやっているんだ」と厳しい目を向けられているようだ。

「軍上層部に掛け合ったらしいけど、伯爵家との対立を避けようって動きが強くて、誰も真面目に相手にしてくれないそうだよ」

 使用人たちから漏れ聞こえる噂話を耳にすると、私は少しだけ溜飲が下がる思いだった。
 これまで軍の威光を盾に、葉室家に多大な苦難を強いてきた堀口中尉。
 そんな彼が一度でも挫折を味わうのは、当然の報いというものかもしれない。

 香織は拘留が短期間で解かれたものの、身内からも厄介者扱いされているようだ。
 聞けば、堀口家の母親までもが「一族の面子を潰すとは何事だ」と頭を抱えているらしい。
 まさに、彼らの悪行が表沙汰になってしまった証拠だろう。

「綾乃様、これで堀口家も少しは大人しくなるでしょうか?」

 女中さんが心配げに尋ねてくるが、私は首を横に振る。

「どうでしょう。あの人たちが一度や二度の失敗で引き下がるとは思えません。むしろ、追いつめられて焦りが増す可能性もあります」

 実際、軍での立場が危うくなればなるほど、堀口中尉は強引な手段に訴えかねない。
 葉室家からさらに金を巻き上げる手段を探ったり、新素材の情報を不正に得ようと画策したり……考えただけでも嫌になる。

 それでも、これまで一方的に押さえつけられてきた状況からは確実に変化が生まれた。
 社交界では「堀口家が何かしでかしたらしい」と噂が立ちはじめ、それが軍全体の面子を潰しかねないという話にまで発展している。

「葉室家は大変ね。でも、かの伯爵家が付いているなら、そう簡単につぶれはしないんじゃないかしら」
「堀口中尉が余計なことをして、軍上層部も困っているらしい」

 そんな声が、町の至るところで聞こえるようになった。
 私は耳を塞ぎたくなる一方で、正直な気持ちとしては少しだけ安心感もあった。
 ついに、堀口家の悪行を公の場で指摘する流れが生まれたのだから。

 なにより、私は自分の事業を拡大するための準備を着々と進めている。
 新素材の試作品は伯爵家からの資金援助もあって生産が軌道に乗り始め、デザインや仕立てを手がける職人も徐々に増やせるようになった。

「綾乃様、次の反物のサンプルが上がりました。ご確認をお願いできますか?」

 葉室家の旧呉服職人が、わざわざ離れに足を運んでそう告げてきた。
 かつては閑古鳥が鳴くばかりだった葉室家の工房も、新素材の魅力を耳にした若手の職人が集い、活気を取り戻しつつある。

「もちろん、見せてください。染めの仕上がり具合や手触りを確認しましょう」

 その場でサンプルを広げて触れてみると、確かに色も鮮やかで軽さと柔軟性が増しているのがわかる。
 老職人や中瀬も「これはイケるぞ」と目を輝かせる。

「まだ改良の余地はありそうですが、以前に比べれば格段にレベルが上がっています。このまま量産できれば、各地の織物商や着物店も興味を示すでしょう」

 私はうなずきながら、父が生前に書き残したノートの一節を思い出す。
 そこには「常に改良を重ね、手を抜くな」と書かれていた。
 まるで今の私に、その言葉を送り続けてくれているようにも感じる。

「父様、あなたが築いてくれた土台が、こうして花開こうとしています」

 心の中でそっと語りかけると、胸の奥にこみ上げてくるものがあった。
 これまでの苦労が報われるのは、まだ少し先かもしれない。
 それでも前にはっきりと道筋が見えている。

 そうして新たな呉服のデザインや量産準備で気持ちが高揚している私とは対照的に、堀口家の人々は疑心暗鬼に苛まれているようだ。
 堀口中尉は軍で孤立し始め、香織は拘留から解放されたものの、周囲から後ろ指をさされる立場になった。
 社交界でも「堀口家を相手にすると厄介に巻き込まれる」と敬遠され、彼らが持ち上げられていた時代はもう終わったのだろう。

「綾乃様、敵の勢いが弱まった今こそ、チャンスかと存じます。どうか、この機を逃さずに事業を拡大されてください」

 中瀬が私の耳元でそう囁いてきた。
 私もそれには同意見だ。
 今こそ一気に売り込みを強化し、葉室家のブランドイメージを回復させるのだ。
 もちろん、その裏で堀口中尉が何を仕掛けてくるかわからないという不安はあるけれど、もはや私は怖じ気づいている場合ではない。

 こんな形で溜飲が下がっても、まだ終わりではない。
 いつか本当の意味で、私が「自由」な立場を手に入れられたときにこそ、心から安堵するのだろう。
 けれど、今はこの流れを最大限に活かして葉室家を立ち直らせるのが先決だ。

 戸外に出ると、冬の冷たい風が着物の裾を揺らす。
 思えば、暗いトンネルの中にずっといたような気がするけれど、出口の光が見え始めている実感がある。
 軍の威光がゆっくりと翳りを帯びていく堀口中尉。
 その先には、いずれ決定的な破綻が待ち受けているように思えてならない。

「まずは葉室家の事業拡大。焦らず確実に、やっていきましょう」

 自分に言い聞かせながら、私はまた次のステップへ足を踏み出す。
 同時に、薄く微笑まずにはいられなかった。
 堀口家が社交界で蔑まれるようになる日が来るなんて、ほんの少し前までは想像もしなかったからだ。

 その夜、離れに戻った私は、一人静かに呉服の仕上がりを思い浮かべる。
 父が夢見た新しい技術が生かされれば、私たちの暮らしも、葉室家という家そのものも、きっと生き返るに違いない。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

辺境伯へ嫁ぎます。

アズやっこ
恋愛
私の父、国王陛下から、辺境伯へ嫁げと言われました。 隣国の王子の次は辺境伯ですか… 分かりました。 私は第二王女。所詮国の為の駒でしかないのです。 例え父であっても国王陛下には逆らえません。 辺境伯様… 若くして家督を継がれ、辺境の地を護っています。 本来ならば第一王女のお姉様が嫁ぐはずでした。 辺境伯様も10歳も年下の私を妻として娶らなければいけないなんて可哀想です。 辺境伯様、大丈夫です。私はご迷惑はおかけしません。 それでも、もし、私でも良いのなら…こんな小娘でも良いのなら…貴方を愛しても良いですか?貴方も私を愛してくれますか? そんな望みを抱いてしまいます。  ❈ 作者独自の世界観です。  ❈ 設定はゆるいです。  (言葉使いなど、優しい目で読んで頂けると幸いです)  ❈ 誤字脱字等教えて頂けると幸いです。  (出来れば望ましいと思う字、文章を教えて頂けると嬉しいです)

朝起きたら同じ部屋にいた婚約者が見知らぬ女と抱き合いながら寝ていました。……これは一体どういうことですか!?

四季
恋愛
朝起きたら同じ部屋にいた婚約者が見知らぬ女と抱き合いながら寝ていました。

【完結】旦那様は、妻の私よりも平民の愛人を大事にしたいようです

よどら文鳥
恋愛
 貴族のことを全く理解していない旦那様は、愛人を紹介してきました。  どうやら愛人を第二夫人に招き入れたいそうです。  ですが、この国では一夫多妻制があるとはいえ、それは十分に養っていける環境下にある上、貴族同士でしか認められません。  旦那様は貴族とはいえ現状無職ですし、愛人は平民のようです。  現状を整理すると、旦那様と愛人は不倫行為をしているというわけです。  貴族の人間が不倫行為などすれば、この国での処罰は極刑の可能性もあります。  それすら理解せずに堂々と……。  仕方がありません。  旦那様の気持ちはすでに愛人の方に夢中ですし、その願い叶えられるように私も協力致しましょう。  ただし、平和的に叶えられるかは別です。  政略結婚なので、周りのことも考えると離婚は簡単にできません。ならばこれくらいの抵抗は……させていただきますよ?  ですが、周囲からの協力がありまして、離婚に持っていくこともできそうですね。  折角ですので離婚する前に、愛人と旦那様が私たちの作戦に追い詰められているところもじっくりとこの目で見ておこうかと思います。

【完】夫に売られて、売られた先の旦那様に溺愛されています。

112
恋愛
夫に売られた。他所に女を作り、売人から受け取った銀貨の入った小袋を懐に入れて、出ていった。呆気ない別れだった。  ローズ・クローは、元々公爵令嬢だった。夫、だった人物は男爵の三男。到底釣合うはずがなく、手に手を取って家を出た。いわゆる駆け落ち婚だった。  ローズは夫を信じ切っていた。金が尽き、宝石を差し出しても、夫は自分を愛していると信じて疑わなかった。 ※完結しました。ありがとうございました。

見た目の良すぎる双子の兄を持った妹は、引きこもっている理由を不細工だからと勘違いされていましたが、身内にも誤解されていたようです

珠宮さくら
恋愛
ルベロン国の第1王女として生まれたシャルレーヌは、引きこもっていた。 その理由は、見目の良い両親と双子の兄に劣るどころか。他の腹違いの弟妹たちより、不細工な顔をしているからだと噂されていたが、実際のところは全然違っていたのだが、そんな片割れを心配して、外に出そうとした兄は自分を頼ると思っていた。 それが、全く頼らないことになるどころか。自分の方が残念になってしまう結末になるとは思っていなかった。

処理中です...