お飾り婚約者は卒業させていただきます

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 ヘリオット・シュヴァルツの裁判が完全に終結し、すべての罪が確定してから数日後――王都には平穏な日常が戻りつつあった。
 シュヴァルツ侯爵家は事実上の消滅とみなされ、領地は王宮の管理下で再編が進められている。  
 愛人令嬢や取り巻きたちも散り散りに姿を消し、かつての“華やかな仲間”はもうどこにもいなかった。

 子爵家の商会では、セレナ・グランディールが新たな事業の計画書をまとめている。
 王宮や公爵家と協力し、海外との貿易ルートを拡大させる下準備だ。
 スタッフたちは活気に満ち、セレナの指示を仰いで次々と作業を進める。

「これで一通り、来期の計画が見えてきましたね。あとは船や倉庫の都合を最終的に確認すれば、出発の目処が立ちそうです」

 スタッフがうれしそうに報告すると、セレナは充実感を噛みしめるように微笑み、頷く。

「皆さんのおかげです。私一人では絶対にここまでできませんでした。  
 明日は公爵家へ行って、エドガー様と調整してきますね。新規の取引先との話も進めたいと思います」

 そう言って、彼女は書類をまとめ上げ、事務所をあとにする。
 ヘリオットから解き放たれた今、仕事への情熱は一層高まり、多くの人々の信頼を得ていると実感していた。

 その日の夕方、セレナは公爵家の離宮を訪ねた。
 エドガー・ルーウェンスが庭園で待っていると聞き、通されたのはかつて二人で歩いた花の咲き乱れる美しい空間だった。
 涼やかな風が吹き、花壇の彩りが優しく目を和ませる。

「セレナ様、よくいらっしゃいました。どうぞ、こちらへ」

 エドガーがガーデンテーブルを指し示し、セレナはそこへ腰を下ろす。
 差し出されたお茶を一口含むと、緊張がほどけるように気持ちが落ち着いていく。

「裁判のあと、ゆっくり休むようにと言われたのですが……結局、仕事を続けてしまいました」

 セレナは苦笑いを浮かべながら話すが、エドガーは暖かな眼差しで彼女を見つめる。

「仕事が好きなのですね。あなたの生きがいなのだから、無理に止めはしません。  
 ただ、そろそろ一度、ちゃんと息抜きをしてほしいとも思っています」

「そうですね……私もそうしたい気持ちはあるんです。けれど、やはり私が走り続けることで多くの人を支えられるのなら……」

 エドガーは優しい笑みを浮かべ、セレナの手元に軽く触れた。
 その動きに驚く彼女だったが、嫌な感じはまったくなく、むしろ安らぎを感じる。

「セレナ様、あなたはもう十分頑張った。そして今も頑張っている。  
 ヘリオットの裁判の件で、あなたは本当に苦しい思いをされましたが、最終的には多くの人を救うきっかけにもなりましたよね。領民の人々はあなたに感謝している」

「……私なんか、ただ事実を話しただけです。  
 それなのに……そう言ってもらえると、少し救われます」

 エドガーは深いブルーの瞳をセレナに向け、少し言葉を選んでいるように見えた。
 やがて、意を決したように口を開く。

「セレナ様、これからもあなたを支えたいと、僕は本気で思っています。  
 まだあなたにとって、恋愛や婚姻という言葉が重いのは承知していますが、いつかあなたが僕を頼ってくれる日が来るなら……それが僕の願いです」

 セレナの胸が大きく高鳴る。
 ヘリオットとの苦い経験があり、恋愛という言葉にはまだ戸惑いが残るものの、エドガーが示す誠実さと尊重はかつて体験したことのない心地よさだった。

「エドガー様……」

 彼女は一瞬、視線を落とす。
 この先、公爵家の嫡子と結ばれることは、子爵家という立場を超えてもなお大きな責任が伴う。
 だが、まったく不安がないわけではないが、彼ならば支え合える――そう思える感覚もある。

「まだ心の整理が完全についているわけではありません。  
 でも、あなたが言ってくださるように、ゆっくり進みたいです。一歩一歩、私の未来を一緒に築いてくださるなら……」

 エドガーの瞳が嬉しそうに微笑み、その手がセレナの手へそっと重なる。
 二人の手の温もりが伝わり、セレナは胸の奥で小さく震える幸福感を覚えた。

「もちろんです。焦らなくていい。あなたの歩幅に合わせます。  
 まずは、このビジネスを共に成功させましょう。それから、いつか本当に二人の未来を考えることになったときは……」

「ええ、私も、そのときは逃げずに向き合います」

 セレナの言葉に、エドガーは安心したように笑みを返す。
 ときめきと静かな決意が同時に胸を満たす中、二人はガーデンテーブルから立ち上がり、並んで庭園を歩き始めた。

 花壇のそばをゆっくり歩きながら、セレナは振り返る。
 過去に囚われていた日々は終わり、ヘリオットは自らの行いの報いを受けて消えていった。
 自分はもう二度と、あの不幸な婚約に苦しめられることはない。

 そしてこれからは、自分の意志で未来を切り開ける。
 公爵家との提携事業で世界へ羽ばたく夢も、エドガーと共に新たな人生を見つめる喜びも、すべてはセレナ自身の選択によって実現できるのだ。

「さあ、帰りましょうか。明日からまた忙しくなりますけど、今夜はちゃんと休みますね」

「ええ、ゆっくり休んでください。そしてまた明日の朝、笑顔で会いましょう」

 エドガーと別れを交わし、子爵家へ戻る馬車に乗り込んだセレナは、遠ざかっていく公爵家の離宮を窓から見つめながら、かすかに笑みを浮かべる。

(母の形見のペンダントも、ようやく今の私を見守ってくれるように思える。  
 ヘリオットという檻から解き放たれた今、私は好きな人と一緒に未来を紡いでいいんだ)

 そう胸に誓い、彼女は新しい一歩を踏みしめる。
 子爵家へ向かう道の先には、大きく広がる空と、どこまでも明るい光が待っているかのようだった。

 ――こうして、セレナ・グランディールは“お飾り婚約者”を卒業し、自らの手で幸せを掴むための道を歩み始める。
 過去の鎖は断ち切られ、これからの未来は真っ白な地図のように広がっている。
 いつかエドガーと心から寄り添う日が来るかもしれない。
 それはまだ先の物語だが、セレナの人生は間違いなく輝きを増し、彼女と共に歩む人々をも幸福へと誘うだろう。

 ――“お飾り婚約者”は、もうどこにもいない。
 自由を手にしたセレナが見つめる先には、紛れもなく希望に満ちた新しい世界が広がっていた。

――――――――――――――――――――――
【お知らせ】
アルファポリス様の投稿ガイドラインにおける「大量の作品の投稿」に該当したことにより、
2月17日に作品の一部が取り下げとなってしまいました。

運営様にご迷惑をかけてしまいましたニャ……。

読んでいた私の作品が非公開になったという方であったり、
最新作が読みたいという方は、カクヨムのほうでお楽しみ頂ければ幸いです。


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