お飾り婚約者は卒業させていただきます

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 王都におけるヘリオット・シュヴァルツの評判は、すでにどん底に落ちていた。
 それでも当の本人は「自分は誤解されているだけだ」と喚き、周囲に取り合ってもらえないまま苛立ちを募らせている。
 中でも、彼が今最もこだわっているのは「爵位の維持」と「セレナの奪還」。
 どちらも根拠のない願望にすがるかたちであり、まともな計画性は感じられなかった。

「こうなったら、王宮に直接弁明して、あの女に騙されたと証言するしかない……」

 ある朝、ヘリオットはそう息巻き、護衛の監視を振り払うようにして王宮正門へ向かう。
 王宮内では既に彼の動向を警戒しており、面会許可が簡単に下りるはずもない。
 正門の守衛に止められながらも、ヘリオットは激昂する。

「俺はシュヴァルツ侯爵家の当主だぞ! 王に直接話がしたい。セレナ・グランディールの陰謀を暴くためにも、早急に陛下と会わねばならん!」

 守衛は呆れた様子で眉をひそめ、淡々とした口調で応じる。

「お引き取りください。あなたは取り調べ対象であり、勝手に陛下に直訴できる立場ではありません。面会を望むなら、まずは正規の書類手続きを踏むべきでしょう」

「ふざけるな! 俺がどれほどの家柄か知らないのか!」

 ヘリオットが声を荒げると、その場を取り巻く人々が遠巻きに囁き合う。
 誰も彼の言葉を真に受ける様子はなく、むしろ「また醜態を晒している」と嘲る視線ばかりが集まる。

「もう、ヘリオット様……いい加減にしては」

 居合わせた取り巻きの一人が、小声で諫めようとするものの、ヘリオットは聞く耳を持たない。
 やがて騒ぎを聞きつけた王宮の衛兵隊が近づき、彼に退出を促した。
 もちろん「陛下と会う」などという話は通らない。

「王はご多忙だ。あなたのように疑惑を抱えたまま取り調べを受けている者を、みだりに取り次ぐわけにはいかない」

 衛兵が冷ややかにそう告げると、ヘリオットは一瞬怒りのあまり言葉を失う。
 すぐに歯ぎしりをして拳を握りしめるが、暴力に訴えればその場で拘束されるだけだ。

「くっ……あいつら……皆して俺を陥れようというのか……!」

 王宮から追い出されるようにして門の外へ放り出されるヘリオット。
 街行く人々は面白がるように彼を見つめ、中には失笑を漏らす者もいる。
 その光景は、彼がかつて社交界で注目を浴びていた姿とはまるで正反対だった。

 一方で、子爵家のセレナ・グランディールはその日の午後も忙しく公務や商会の業務に追われていた。
 ヘリオットが「王宮に直訴しようとした」との噂を耳にしても、反応は冷ややかだ。
 父と一緒に目を通す書類を並べながら、淡々と言葉を交わす。

「直訴なんて、面会が許されるわけないわ。前にも同じようなことをしようとして失敗していましたし。よほど追いつめられているのでしょうね」

「そうだな。まあ、結果として何の援助も得られず終わるだろう。周りがあれだけ警戒していてはな」

 父の言葉に、セレナは静かに同意する。
 王宮や公爵家といった公的機関は、既にヘリオットの財政破綻と不正の証拠を把握している。
 それを「セレナの陰謀だ」と騒いだところで、誰も信じないどころか、ますます呆れられるだけだ。

(あの方はもう、自分で立ち直る道を捨ててしまっているのね)

 セレナの胸に去来するのは、わずかな虚しさ。
 かつて自分の存在が少しでも彼を支える光になれたのなら、もっと別の未来があったのかもしれない。
 けれど、もうそんな憶測を抱いても仕方がない。

 エドガー・ルーウェンスから届いた手紙には、王宮の議員たちが「シュヴァルツ侯爵家の領地をどう再編するか」をすでに協議していると書かれていた。
 爵位が停止されれば、領地は一時的に王宮管理に置かれ、改めて適任の領主を選び直す方向になるという。
 もはやヘリオットに領主としての道は残されていない。

「セレナ様、どうかお気を煩わせず。あなたはあなたの未来を見据えて進んでください。王宮の裁きは必ず下されます」

 手紙の最後の文章を読み、セレナは微かに笑みを浮かべる。
 エドガーのそうした心遣いが、今のセレナにとって大きな支えになっているのは確かだ。
 不安定な気持ちになるたび、あの柔らかな瞳と声を思い出せば、すぐに自分を取り戻せる。

 王宮への直訴が失敗に終わり、ヘリオットの境遇はますます悪化する一方。
 彼が破滅を逃れる手段は、どこにも見つからない。
 追い詰められた孤独な姿が、いよいよ王宮からの最終的な制裁を招く時が近い――そんな予感が、セレナの耳にもじわじわと届き始めていた。
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