お飾り婚約者は卒業させていただきます

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 その一週間後に開かれたのは、規模こそ中程度ながらも、王宮が正式に後援する夜会だった。
 国内の主要貴族たちが集まるため、政治や経済に大きな影響を与えるとされている。
 セレナ・グランディールも、すでに公爵家との取引実績が評価されていることもあり、招待状を受け取っていた。

 会場は気品ある装飾で統一され、王宮直属の音楽隊が優雅な調べを奏でている。
 貴族たちはシルクやベルベットなど高級生地の衣装に身を包み、きらびやかなアクセサリーをまとっていた。
 セレナはいつものように上質な布地のドレスを選び、髪を後ろでまとめ、胸元には母のペンダントを飾っている。

 エドガー・ルーウェンスもまた、公爵家の嫡子として当然この夜会に出席しており、セレナを見つけると軽く微笑んで近づいてくる。

「お越しいただけて嬉しいです。セレナ様が来られるなら、王宮の方々もあなたの存在感を再認識するでしょう」

「ありがとうございます。少し緊張しているのですが、エドガー様がいてくださるなら心強いです」

 二人がそんな言葉を交わしていると、会場の入り口付近がなんとなくざわつく気配があった。
 振り返ると、派手な衣装に身を包んだヘリオット・シュヴァルツが、堂々とした足取りで入ってくるのが見える。
 しかし、その表情にはどこか狂気じみた光が宿っていた。

 周囲の貴族たちが距離を取るようにして避けていくなか、ヘリオットはまっすぐにセレナのもとへ向かう。
 彼の頬はこけ、目の下には隈ができている。
 だが、その瞳はまるで何かを決心したかのようにぎらついていた。

「セレナ……今度こそ、はっきりさせようじゃないか」

 いきなり聞こえた声に、セレナは身を強張らせるが、エドガーがさりげなく彼女の前に立ちはだかり、落ち着いた態度で問いかける。

「ヘリオット様、これ以上セレナ様を困らせるのはおやめください。あなたがどう言おうと、彼女の意思は変わりません」

 そのとき、ヘリオットは表情を歪め、エドガーを睨むように言い放つ。

「お前こそ、しゃしゃり出るな。公爵家の力を笠に着て、俺の婚約者を奪おうって魂胆か?」

「婚約者というのならば、もう正式に破棄の手続きが進んでいます。あなたがどんなに主張しても、既に多くの書類が王宮に提出されているはずです」

 エドガーが冷静に告げると、ヘリオットの苛立ちは頂点に達する。
 会場の視線が一斉に集まり、重苦しい沈黙が漂った。
 誰もが止めることをためらい、けれど事態の深刻さを悟っている。

「セレナ、お前は俺を見捨てるのか? このまま行けば、侯爵家は破滅の一途をたどることになる!」

「……何度も言っています。私とあなたはもう他人です。あなたを救う義理はありません」

 セレナが毅然と答えると、ヘリオットは発狂したかのように声を上げる。

「ふざけるな! お前は俺の婚約者だったんだぞ。数年も一緒にいたのに、今さら恩知らずな真似をして……!」

 その罵声に、周囲から冷めた囁きが漏れる。
 そしてエドガーは、隣に立つセレナを守るように身を寄せ、しっかりとした声で言う。

「あなたこそ、セレナ様のことを踏み台にしていただけではありませんか? すでに社交界の誰もが知っています。あなたが彼女を“お飾り”と呼び、粗末に扱ってきたことを」

「黙れ、黙れぇぇ……!」

 ヘリオットの叫びは、夜会の華やかな音楽を掻き消すほど大きく響いた。
 会場の人々は息を飲み、さらに遠巻きに身を引く。
 やがて彼は手当たり次第にテーブルをひっくり返しそうな勢いで暴れ出そうとするが、数人の衛兵が慌てて駆け寄り、抑えにかかる。

 セレナはその光景を冷ややかに見つめながら、意を決して言葉を発した。

「これで私たちの関係は、完全に終わりです。王宮に提出した婚約解消の書類は、間もなく承認されるでしょう。あなたには二度と私を利用させません」

 その一言は、夜会に集う全員の耳に届くようなはっきりとした声だった。
 周囲の貴族たちは、一斉にセレナへ賛同や同情の視線を向け、逆にヘリオットには呆れや軽蔑の目を向ける。

「お前……お前ぇ……!」

 拘束されながらも、ヘリオットは憎悪の叫びを上げる。
 だが、衛兵に腕を取られ、そのまま会場の外へと連れ出されていった。
 その姿を目で追う者はいても、誰一人として手助けしようとはしない。

 こうして夜会の場で、セレナとヘリオットの縁は公衆の面前で断ち切られた。
 セレナはエドガーの支えも借りながら、落ち着いた足取りで会場の中心を離れる。
 胸の奥に湧き上がるのは、ほのかな悲しみと大きな安堵。

(こんな最悪な形になってしまったけれど、これで本当に決着がついたんだわ)

 夜会は一時騒然となったが、主催者の必死な収拾により、すぐに何事もなかったかのように音楽が再開される。
 だが、そこにいる大半の人間は、今の出来事を目撃してしまった。
 侯爵令息ヘリオット・シュヴァルツが、婚約者を蔑ろにして自滅した姿を。

 セレナは深く息を吐き、エドガーの方へ目をやる。
 彼は静かに微笑み、セレナを労わるように軽く頭を下げた。

「もう大丈夫です。あなたが自由になる日が、すぐそこまで来ています」

 その声に、セレナは微かに微笑みながら応える。

「ありがとうございます。私……ようやく、前に進めそうな気がします」

 夜会はその後も続いたが、ヘリオットの話題は尽きなかった。
 誰もが「あれで侯爵家は終わりだろう」と口々に囁き、セレナが今後どのように輝いていくのかを期待している。
 第二の大きな決裂が起きたその夜――セレナにとっては、新たな未来への扉が開かれた瞬間でもあった。
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