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第十三話:境界を巡る不穏な動き
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それから数日が経過しても、祖国であるスティーナ公爵家の動きは収まるどころか徐々に活発化しているようだった。
アーヴェスト公国の北西にある国境付近では、見慣れぬ馬車が頻繁に目撃されているとの報告が騎士団に寄せられ、城下でも不穏な噂が絶えない。
リアナたちが暮らす王城の周辺では、一見穏やかな日常が続いているように見えるものの、裏では騎士団長カトリーンや近衛隊のセバスたちが警戒を強めていた。
リアナ自身も、毎朝のように城内を巡回する近衛たちに挨拶をするたび、その張り詰めた空気を肌で感じる。
自分がここに来たことをきっかけにして、公国と祖国との対立に拍車がかかっているのではないか――そう考えると、彼女は申し訳ない思いとともに、ますます自分ができることを模索するようになっていた。
この日も、リアナは王城の一室に用意された“公国魔術研究室”を訪れていた。
ここはアーヴェスト公国の少数の魔術師や学者が利用するための施設で、攻撃魔法の研究というよりは、生活魔法や植物栽培技術などの開発を中心に行っている。
公国に来てから自分の浄化魔法をもっと活かしたいと思い始めたリアナは、最近この研究室で実験を繰り返し、浄化の応用方法を探っていた。
大小さまざまな瓶に入った薬草や鉱石、そして魔道具の材料となる結晶石が並ぶ室内は、少し蒸し暑い。
試験管やフラスコがずらりと並び、書棚には魔術理論の書物がぎっしり詰まっている。
そんな中で、リアナは研究員の一人と小声で言葉を交わしながら、ある調合液に浄化魔法を注ぎ込む実験を行っていた。
「これで濁りが取れたら、毒素や呪いを軽減できる薬の基礎になるんじゃないかしら……」
そう呟きながら、リアナは薄青色の液体が入ったフラスコに両手をかざす。
穏やかな光がフラスコに注がれると、液体がゆっくりと澄んでいく。
「うん、浄化自体は問題なくできた。でも、これだと抽出に時間がかかりすぎるかもしれないわね。もし実戦で使うなら、もっと即効性を高めたいところ……」
研究員の男性がタブレット状の魔道メモにデータを書き込みながら、感嘆の声を漏らす。
「驚くべき成果ですよ、リアナ様。毒消し薬の強化や、呪詛の解除に応用できる余地が見えました。普通の魔術師なら相当に高度な魔力制御が必要になるのに、あなたの浄化魔法は自然に作用が行き渡る。これは大きな発見です」
「そう言っていただけると励みになります。でも、やはり私の魔力は大きくないので、広範囲や瞬時の効果を狙うのは難しそう……。それでも、少しずつでも改良できれば、きっと何かの役に立つと思います」
「はい。殿下や騎士団長も、この研究にはかなり期待を寄せています。王城にいる皆が、あなたの浄化魔法を心強く感じているんですよ」
リアナはその言葉に小さく微笑む。
つい少し前までは、自分の魔力を恥ずかしいものだと感じていたのに、この国に来てからは毎日のように「必要とされている」という実感が芽生えていた。
そうして研究を進めている最中、部屋の扉がノックされる。
入ってきたのは騎士団長のカトリーンだった。
赤髪をきりりと束ねた彼女は、どこか急ぎ足で、室内に入るなりリアナへ視線を向ける。
「リアナ様、お疲れのところ悪いのだけれど、殿下が早急に会いたいと仰っているの。近衛隊のセバスも控えているから、今すぐ王の執務室に来てくれないかしら」
「アルフォンスが? ……わかりました、すぐに伺います」
リアナはフラスコを置き、軽く身支度を整える。
カトリーンの顔には微妙な緊張感が浮かんでいて、ただの雑談やお茶会の誘いではないことがすぐに分かった。
二人は研究室を出て、城の回廊を歩き始める。
カトリーンは先を急ぐように足早で、リアナもそれに合わせて歩調を早める。
このときの王城は静かな昼下がりで、窓から差し込む陽光がやわらかい。
しかし、心中に漂う不安は晴れないままだった。
「カトリーン……何かあったの?」
リアナが恐る恐る尋ねると、カトリーンは唇をかみながら言葉を選んだ。
「実は、国境付近にスティーナ公爵家の兵が集結し始めているとの情報が入ったの。正式な軍勢というより、どうやら私兵のようなんだけど……何にせよ穏やかじゃないわ」
「私兵……? つまり、シルヴェスター王子が、個人的に動かしている兵士たちってことよね。まさか、本格的に争いになるなんて……」
「まだ確証はないわ。けれど、シルヴェスター王子が“形だけでも軍を動かす”ことでプレッシャーをかけ、アーヴェスト公国に譲歩を迫ろうとしているのかもしれない。交渉の材料として、あなたを取り戻すという条件を提示する可能性は高いわね」
リアナは思わず息を呑む。
確かに、少し前までは自分のような“地味な魔力”に興味を示さなかった祖国が、今になってこれほど執着する理由は何だろう。
おそらく、彼らも浄化魔法の価値に気づき、他国で評価されるのが面白くないのだろう。
「でも、私はもう帰りたくない。ここで生きていくって決めたのに」
「わかっているわ、リアナ様。だからこそ、殿下はあなたをどう守るかを急いで決めたいの。……さあ、急ぎましょう」
そう言ってカトリーンは、さらに足を速めた。
王の執務室に到着すると、すでに近衛隊のセバスがドアの前で待機していた。
扉を開け、リアナとカトリーンが中へ入ると、そこにはアルフォンスをはじめとした数名の公国重臣たちが地図を囲んで立っている。
部屋の中央のテーブルには、祖国と公国の境界線を描いた大きな地図が広げられ、その周囲に赤い駒がいくつも置かれていた。
「リアナ、来てくれてありがとう。いま話を聞いたかもしれないけれど、祖国の兵力が国境付近に集まり始めているという情報が入った。まだ正式な宣戦布告や越境行為は確認されていないが、このまま放置はできない」
アルフォンスの声には焦りがにじむ。
普段穏やかな彼が、こうして強い口調になるのは珍しいことだった。
「シルヴェスター王子は、私を連れ戻すために、こうやって圧力をかけるつもりなのでしょうか……」
「その可能性は十分ある。公国に対して何らかの要求を突きつけるつもりかもしれない。例えば“リアナを返さないと越境する”などとね。もちろん、そうなればこれは明確な侵略行為だから、国としては防衛せざるを得ない」
「本当に戦いになるかもしれないの……?」
「私たちはそれを何としても避けたい。祖国とは領土的な問題でもめているわけではないし、もともと大戦争に発展する理由が見当たらないんだ。シルヴェスター王子さえ引かなければ、衝突は避けられないにしても、なんとか説得したい……」
アルフォンスは真剣な表情で地図を見つめる。
公国の兵力は決して多くはないが、防御陣地となる山岳や渓谷をうまく活用すれば大軍を退けることは可能だと軍師が言っている。
だが、あくまでそれは有事の話。平和を重んじる公国としては、できるだけ戦いを避けたいのだ。
「……でも、シルヴェスター王子は自分の意に沿わないとわかったら、強行手段を取るタイプだと思います。私も昔はそこまでじゃないと信じていたけれど、最近の言動はどうも様子が違う。もう誰の言葉も聞かないかもしれません」
リアナがそう伝えると、周囲の重臣たちは顔をしかめる。
「ならば、こちらの態度を明確にしておかないといけない。リアナは公国の客人であり、我が国にとってなくてはならない存在だ。彼女を一方的に奪い返すなどという行為は断じて許さない。私たちはこの意志を、正式な外交ルートを通じて王子に通告しようと思っている」
アルフォンスの言葉に、リアナは深くうなずく。
守ってくれると約束してもらえるのは何よりありがたいが、やはり彼や公国の人々に余計な苦労をかけているのではないかという後ろめたさは拭えない。
「私も、できる限り公国のために尽くしたいです。どうか私が邪魔にならない方法を考えてください。もし何か手伝えることがあるなら、何でも言ってくださいね」
その言葉に、アルフォンスは小さく笑みを浮かべる。
「リアナ、君が居てくれるだけで助けになっているよ。実は……先日話していたように、君を“正式に公国の王子妃候補”とするか否かを、そろそろ決めないといけない。シルヴェスター王子の軍事的な威圧が本格化してきた今こそ、私たちも国としての立場をはっきりさせる必要があるんだ」
一瞬、場が静まる。
婚約という重大な選択を、リアナがどのように受け止めるのか。
カトリーンやセバスも、息を潜めるように彼女の表情を伺っている。
「私……正直、心の準備ができているとは言えないわ。でも、アルフォンスの気持ちを疑っているわけではないの。あなたが私を守ろうとしてくれていることも、私のことを愛おしいと言ってくれたことも、本当に嬉しい。だから――もう一度だけ、時間をくれないかしら。きちんと自分の気持ちをまとめて、答えを出したいの」
リアナの瞳は揺らいでいたが、その奥には真剣な決意が見える。
アルフォンスは穏やかにうなずき、彼女の手をそっと握る。
「わかった。君が納得するまで待つよ。だけど、近いうちに公国としての声明を出すかもしれない。そのときは、私個人の意思として“いずれリアナと婚約するつもりだ”という立場を示すことになる。それでも構わないかな?」
「ええ……構わないわ。むしろ、私を守ろうとしてくれることは心強いもの。少なくとも、あなたを拒否したいわけじゃないってことは、わかっていてほしいの」
「もちろんだよ。ありがとう、リアナ」
二人のやり取りを見守っていたカトリーンが、そっと咳払いをする。
「殿下、すみません。話の途中で恐縮ですが、実はもう一件、報告がありまして……。昨夜、王城の警備をしていた者が、不審な人影が城壁をよじ登るのを目撃したそうです。捕捉はできず取り逃がしたのですが、彼らは内部構造を探っている可能性があります」
「城内にまで忍び込もうとしている……? それは見過ごせない。やはり、リアナを狙っているのか」
「断定はできませんが、他に目的が見当たらないのも事実です。私たちはすでに城内の巡回を強化しましたが、リアナ様も外出の際は十分注意してほしいです」
そう言いながらカトリーンはリアナをまっすぐ見つめる。
リアナは先日の夜に感じた“気配”を思い出し、胸がざわつくのを感じた。
やはりあれは気のせいではなかったのだろう。
「わかりました。外出時には必ず護衛をつけるようにします。……私ももう少し気を張っておきますね」
アルフォンスは渋い顔で地図を睨み、そしてリアナに優しく言葉をかける。
「怖い思いをさせて申し訳ない。だけど、私たちは最後まで君を守る。だから心配しすぎないで、いつも通り過ごしてほしいんだ。……いや、こういう状況だからこそ、いつも通りにいてくれるとみんなが安心する」
「うん。ありがとう、アルフォンス。私、負けないよ。せっかくここで見つけた大事な居場所と、自分らしくいられるこの幸せを守りたいから」
そう言って、リアナは強く微笑む。
祖国の脅威は確実に迫っている。
それでも、もう後ろを向きたくない。
アルフォンスや公国の皆とともに、堂々と立ち向かうと決めたのだ。
二人が見つめ合う視線の奥にある決意は、暗雲立ち込める情勢の中で強く光っている。
この先、どんな困難が待ち受けていても、必ず乗り越える――そう信じたリアナの胸には、かつて感じたことのないほどの自信と意志が宿り始めていた。
アーヴェスト公国の北西にある国境付近では、見慣れぬ馬車が頻繁に目撃されているとの報告が騎士団に寄せられ、城下でも不穏な噂が絶えない。
リアナたちが暮らす王城の周辺では、一見穏やかな日常が続いているように見えるものの、裏では騎士団長カトリーンや近衛隊のセバスたちが警戒を強めていた。
リアナ自身も、毎朝のように城内を巡回する近衛たちに挨拶をするたび、その張り詰めた空気を肌で感じる。
自分がここに来たことをきっかけにして、公国と祖国との対立に拍車がかかっているのではないか――そう考えると、彼女は申し訳ない思いとともに、ますます自分ができることを模索するようになっていた。
この日も、リアナは王城の一室に用意された“公国魔術研究室”を訪れていた。
ここはアーヴェスト公国の少数の魔術師や学者が利用するための施設で、攻撃魔法の研究というよりは、生活魔法や植物栽培技術などの開発を中心に行っている。
公国に来てから自分の浄化魔法をもっと活かしたいと思い始めたリアナは、最近この研究室で実験を繰り返し、浄化の応用方法を探っていた。
大小さまざまな瓶に入った薬草や鉱石、そして魔道具の材料となる結晶石が並ぶ室内は、少し蒸し暑い。
試験管やフラスコがずらりと並び、書棚には魔術理論の書物がぎっしり詰まっている。
そんな中で、リアナは研究員の一人と小声で言葉を交わしながら、ある調合液に浄化魔法を注ぎ込む実験を行っていた。
「これで濁りが取れたら、毒素や呪いを軽減できる薬の基礎になるんじゃないかしら……」
そう呟きながら、リアナは薄青色の液体が入ったフラスコに両手をかざす。
穏やかな光がフラスコに注がれると、液体がゆっくりと澄んでいく。
「うん、浄化自体は問題なくできた。でも、これだと抽出に時間がかかりすぎるかもしれないわね。もし実戦で使うなら、もっと即効性を高めたいところ……」
研究員の男性がタブレット状の魔道メモにデータを書き込みながら、感嘆の声を漏らす。
「驚くべき成果ですよ、リアナ様。毒消し薬の強化や、呪詛の解除に応用できる余地が見えました。普通の魔術師なら相当に高度な魔力制御が必要になるのに、あなたの浄化魔法は自然に作用が行き渡る。これは大きな発見です」
「そう言っていただけると励みになります。でも、やはり私の魔力は大きくないので、広範囲や瞬時の効果を狙うのは難しそう……。それでも、少しずつでも改良できれば、きっと何かの役に立つと思います」
「はい。殿下や騎士団長も、この研究にはかなり期待を寄せています。王城にいる皆が、あなたの浄化魔法を心強く感じているんですよ」
リアナはその言葉に小さく微笑む。
つい少し前までは、自分の魔力を恥ずかしいものだと感じていたのに、この国に来てからは毎日のように「必要とされている」という実感が芽生えていた。
そうして研究を進めている最中、部屋の扉がノックされる。
入ってきたのは騎士団長のカトリーンだった。
赤髪をきりりと束ねた彼女は、どこか急ぎ足で、室内に入るなりリアナへ視線を向ける。
「リアナ様、お疲れのところ悪いのだけれど、殿下が早急に会いたいと仰っているの。近衛隊のセバスも控えているから、今すぐ王の執務室に来てくれないかしら」
「アルフォンスが? ……わかりました、すぐに伺います」
リアナはフラスコを置き、軽く身支度を整える。
カトリーンの顔には微妙な緊張感が浮かんでいて、ただの雑談やお茶会の誘いではないことがすぐに分かった。
二人は研究室を出て、城の回廊を歩き始める。
カトリーンは先を急ぐように足早で、リアナもそれに合わせて歩調を早める。
このときの王城は静かな昼下がりで、窓から差し込む陽光がやわらかい。
しかし、心中に漂う不安は晴れないままだった。
「カトリーン……何かあったの?」
リアナが恐る恐る尋ねると、カトリーンは唇をかみながら言葉を選んだ。
「実は、国境付近にスティーナ公爵家の兵が集結し始めているとの情報が入ったの。正式な軍勢というより、どうやら私兵のようなんだけど……何にせよ穏やかじゃないわ」
「私兵……? つまり、シルヴェスター王子が、個人的に動かしている兵士たちってことよね。まさか、本格的に争いになるなんて……」
「まだ確証はないわ。けれど、シルヴェスター王子が“形だけでも軍を動かす”ことでプレッシャーをかけ、アーヴェスト公国に譲歩を迫ろうとしているのかもしれない。交渉の材料として、あなたを取り戻すという条件を提示する可能性は高いわね」
リアナは思わず息を呑む。
確かに、少し前までは自分のような“地味な魔力”に興味を示さなかった祖国が、今になってこれほど執着する理由は何だろう。
おそらく、彼らも浄化魔法の価値に気づき、他国で評価されるのが面白くないのだろう。
「でも、私はもう帰りたくない。ここで生きていくって決めたのに」
「わかっているわ、リアナ様。だからこそ、殿下はあなたをどう守るかを急いで決めたいの。……さあ、急ぎましょう」
そう言ってカトリーンは、さらに足を速めた。
王の執務室に到着すると、すでに近衛隊のセバスがドアの前で待機していた。
扉を開け、リアナとカトリーンが中へ入ると、そこにはアルフォンスをはじめとした数名の公国重臣たちが地図を囲んで立っている。
部屋の中央のテーブルには、祖国と公国の境界線を描いた大きな地図が広げられ、その周囲に赤い駒がいくつも置かれていた。
「リアナ、来てくれてありがとう。いま話を聞いたかもしれないけれど、祖国の兵力が国境付近に集まり始めているという情報が入った。まだ正式な宣戦布告や越境行為は確認されていないが、このまま放置はできない」
アルフォンスの声には焦りがにじむ。
普段穏やかな彼が、こうして強い口調になるのは珍しいことだった。
「シルヴェスター王子は、私を連れ戻すために、こうやって圧力をかけるつもりなのでしょうか……」
「その可能性は十分ある。公国に対して何らかの要求を突きつけるつもりかもしれない。例えば“リアナを返さないと越境する”などとね。もちろん、そうなればこれは明確な侵略行為だから、国としては防衛せざるを得ない」
「本当に戦いになるかもしれないの……?」
「私たちはそれを何としても避けたい。祖国とは領土的な問題でもめているわけではないし、もともと大戦争に発展する理由が見当たらないんだ。シルヴェスター王子さえ引かなければ、衝突は避けられないにしても、なんとか説得したい……」
アルフォンスは真剣な表情で地図を見つめる。
公国の兵力は決して多くはないが、防御陣地となる山岳や渓谷をうまく活用すれば大軍を退けることは可能だと軍師が言っている。
だが、あくまでそれは有事の話。平和を重んじる公国としては、できるだけ戦いを避けたいのだ。
「……でも、シルヴェスター王子は自分の意に沿わないとわかったら、強行手段を取るタイプだと思います。私も昔はそこまでじゃないと信じていたけれど、最近の言動はどうも様子が違う。もう誰の言葉も聞かないかもしれません」
リアナがそう伝えると、周囲の重臣たちは顔をしかめる。
「ならば、こちらの態度を明確にしておかないといけない。リアナは公国の客人であり、我が国にとってなくてはならない存在だ。彼女を一方的に奪い返すなどという行為は断じて許さない。私たちはこの意志を、正式な外交ルートを通じて王子に通告しようと思っている」
アルフォンスの言葉に、リアナは深くうなずく。
守ってくれると約束してもらえるのは何よりありがたいが、やはり彼や公国の人々に余計な苦労をかけているのではないかという後ろめたさは拭えない。
「私も、できる限り公国のために尽くしたいです。どうか私が邪魔にならない方法を考えてください。もし何か手伝えることがあるなら、何でも言ってくださいね」
その言葉に、アルフォンスは小さく笑みを浮かべる。
「リアナ、君が居てくれるだけで助けになっているよ。実は……先日話していたように、君を“正式に公国の王子妃候補”とするか否かを、そろそろ決めないといけない。シルヴェスター王子の軍事的な威圧が本格化してきた今こそ、私たちも国としての立場をはっきりさせる必要があるんだ」
一瞬、場が静まる。
婚約という重大な選択を、リアナがどのように受け止めるのか。
カトリーンやセバスも、息を潜めるように彼女の表情を伺っている。
「私……正直、心の準備ができているとは言えないわ。でも、アルフォンスの気持ちを疑っているわけではないの。あなたが私を守ろうとしてくれていることも、私のことを愛おしいと言ってくれたことも、本当に嬉しい。だから――もう一度だけ、時間をくれないかしら。きちんと自分の気持ちをまとめて、答えを出したいの」
リアナの瞳は揺らいでいたが、その奥には真剣な決意が見える。
アルフォンスは穏やかにうなずき、彼女の手をそっと握る。
「わかった。君が納得するまで待つよ。だけど、近いうちに公国としての声明を出すかもしれない。そのときは、私個人の意思として“いずれリアナと婚約するつもりだ”という立場を示すことになる。それでも構わないかな?」
「ええ……構わないわ。むしろ、私を守ろうとしてくれることは心強いもの。少なくとも、あなたを拒否したいわけじゃないってことは、わかっていてほしいの」
「もちろんだよ。ありがとう、リアナ」
二人のやり取りを見守っていたカトリーンが、そっと咳払いをする。
「殿下、すみません。話の途中で恐縮ですが、実はもう一件、報告がありまして……。昨夜、王城の警備をしていた者が、不審な人影が城壁をよじ登るのを目撃したそうです。捕捉はできず取り逃がしたのですが、彼らは内部構造を探っている可能性があります」
「城内にまで忍び込もうとしている……? それは見過ごせない。やはり、リアナを狙っているのか」
「断定はできませんが、他に目的が見当たらないのも事実です。私たちはすでに城内の巡回を強化しましたが、リアナ様も外出の際は十分注意してほしいです」
そう言いながらカトリーンはリアナをまっすぐ見つめる。
リアナは先日の夜に感じた“気配”を思い出し、胸がざわつくのを感じた。
やはりあれは気のせいではなかったのだろう。
「わかりました。外出時には必ず護衛をつけるようにします。……私ももう少し気を張っておきますね」
アルフォンスは渋い顔で地図を睨み、そしてリアナに優しく言葉をかける。
「怖い思いをさせて申し訳ない。だけど、私たちは最後まで君を守る。だから心配しすぎないで、いつも通り過ごしてほしいんだ。……いや、こういう状況だからこそ、いつも通りにいてくれるとみんなが安心する」
「うん。ありがとう、アルフォンス。私、負けないよ。せっかくここで見つけた大事な居場所と、自分らしくいられるこの幸せを守りたいから」
そう言って、リアナは強く微笑む。
祖国の脅威は確実に迫っている。
それでも、もう後ろを向きたくない。
アルフォンスや公国の皆とともに、堂々と立ち向かうと決めたのだ。
二人が見つめ合う視線の奥にある決意は、暗雲立ち込める情勢の中で強く光っている。
この先、どんな困難が待ち受けていても、必ず乗り越える――そう信じたリアナの胸には、かつて感じたことのないほどの自信と意志が宿り始めていた。
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