王太子妃よりも王弟殿下の秘書の方が性に合いますので

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 その日、私が廊下を急ぎ足で移動していると、一人の男性が小走りで近づいてきた。
 王弟殿下の親衛隊を指揮する隊長で、名をエヴァンスという壮年の騎士だ。
 鋭い眼光を持ちながらも、普段は穏やかな表情を浮かべている人で、クラウス殿下を長く支えてきた存在だと聞いている。

「シルヴィア様、少々お時間をよろしいでしょうか」

 彼の瞳には、どこか真剣な色が宿っていた。
 私はその場で足を止めると、エヴァンス隊長は人の目を気にしつつ、私の耳元に小声でささやく。

「殿下が、あなた様のことをとても大切に思われているようです。
 以前の殿下は、ここまで感情を露わにされることはありませんでした」

 急にそんなことを切り出され、私は思わず息をのむ。
 私たちは確かに共に仕事をする間柄ではあるが、殿下が私に向ける気持ちがどの程度のものか、正面から考えたことはなかった。
 エヴァンス隊長は少し微笑んで、まるで親心のように続きを語る。

「もちろん政治的な意味でも、シルヴィア様の補佐は必要とされている。
 ですがそれ以上に、殿下はあなたを人として信頼し、そばにいてほしいと感じておられるようです」

 その言葉は、私の胸にじんわりと響く。
 あの誠実な態度は、単なる仕事仲間以上の感情があってこそなのだろうか。
 そう思うと、不思議と頬が熱くなるのを感じ、私は言葉を見つけられなくなる。

「はっ……あの、そんな、私など……」

 動揺のあまり、思わず口ごもってしまう。
 しかしエヴァンス隊長は声を立てずに笑い、「殿下のために、これからも力を貸していただけますね」と問いかけた。
 その問いは、殿下と私の関係を後押しするようにも聞こえる。

「ええ、もちろんです。
 殿下のお力になれるよう、私にできる限りのことをいたします」

 なんとかそれだけはっきり答えると、エヴァンス隊長は満足そうに頷き、再び騎士の厳しい表情に戻った。
 彼を見送ったあと、私はしばらくその場で佇む。
 胸の奥が熱くて、上手く心の整理がつかないままだ。

 アルトとの形だけの婚約時代とは全く違う、温かい感情が芽生えていることを、私自身も徐々に自覚し始めていた。
 それが恋心と言えるかどうかはまだわからない。
 ただ、クラウス殿下が私を必要としてくださるなら、喜んで力を尽くしたい。
 そう思う気持ちは、時を追うごとに大きくなっている。

 その後、私は執務室へ向かい、殿下とともに一連の政務打ち合わせを行った。
 殿下の落ち着いた声を聞きながら、ふと横顔に目をやると、エヴァンス隊長の言葉が思い出される。
 誠実さと柔らかな雰囲気をまとった姿は、見る者を安心させるものだ。

「シルヴィア、今度の外交使節について君の見解を聞かせてくれるかな」

 クラウス殿下が私の名を呼び、話を振ってくださる。
 私は一瞬だけ胸の高鳴りを感じながら、できるだけ平静を装って答えた。
 だが、先ほどエヴァンス隊長から聞いたばかりの言葉が頭をよぎり、自然と声が上ずりそうになるのをこらえる。

 それに気づいたのか、殿下は小さく首をかしげて私を見つめた。
 何かを言いたげだったが、結局は何も言わず、ただ穏やかな微笑を返してくれる。
 まるで「大丈夫」という無言の合図のようで、私の心はさらに揺れ動く。

 打ち合わせが終わり、殿下が席を立つとき、少しだけ私の肩に手を置いて小声で言った。

「いつもありがとう、シルヴィア。
 君がいてくれると、心から頼もしいよ」

 それだけの言葉に、どうしてこんなに胸が高鳴ってしまうのだろう。
 アルトからは決してもらえなかった優しい眼差しに、私は戸惑いながらも幸福を感じていた。
 これがもし、情に流されていると誰かに言われても、それでも私は構わないと思えるほどに、クラウス殿下の存在は大きくなりつつあるようだ。
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