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8話
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「ユハどうした?食べないのか?」
スプーンを握ったまま固まって動かなくなっているユハの様子を訝しんで男児のうちの一人が聞いた。
「え?いや……食べるよ」
そう答えユハは今日の食事に目をやった。今日の食事は肉や野菜の切れ端やパンなどのごっちゃ煮のシチューのようなもので、夜回りで回収してきた肉や野菜やパンの切れ端を適当に切って消毒の為に煮込んだものだった。ユハはほぼ毎日これを食べてきたが、これの名前を知らなかった。きっと名前何てないのだろう。
「ケチャップ使わないの?」
男児の一人が聞いた、味付けなんてしていないので後から調味料を加えて味を付ける。調味料は貴重なので皆で分け合って大切に使うのだが、余りが出た場合は争奪戦になる。冷蔵庫がないので保存しておけないからだ。
「どうぞ……」
いつもなら自分の分け前を人に譲ることはないのだが、今日は違った。昼回りでの出来事が頭をもたげて食欲がわかなかった。
「これ……本当にもらっていいの?」
ユハは目の前におかれたチーズバーガーとポテトを前にたじろいでいた。チーズバーガーなぞ廃棄品の形でしか見たことのないユハにとっては出来たてのそれは高級食材に等しい。給仕しれたばかりでまだ温かいそれらからはポテトの香ばしい香りと、パティの肉汁の匂いが漂っておりユハの食欲をそそった。脇に置かれたコーラからは炭酸のはじけるかすかな音がしている。
ユハとアヨウは二人が最初に会ったカフェテリアに来ていた。できることならすぐにノートを返してほしかったユハだが、どうしてもお礼がしたいというアヨウの頼みを断り切れずアヨウのおごりで昼食を食べることになった。
「もちろん。昨日のお礼とお詫びだ。遠慮なんかしなくていいぜ」
ミートソースのペンネをつつきながらアヨウが言った。そういうことならばと、ユハはチーズバーガーを口に運ぶ。一部を食いちぎりかみ砕くと、口の中にパティの肉汁とチーズのうまみが広がった。
(美味しい……!)
そのまま勢いで二口、三口と続ける。瞬く間にチーズバーガーを半分ほど平らげたところで、添え物のポテトにも手を付ける。口に入れるとポテトのほくほくとした触感と程よい塩味が広がりそのまま矢継ぎ早に一気に平らげてしまう。ポテトでぱさぱさになった喉を潤すためにコーラを流し込む。甘い。先ほどまでのポテトの塩味がコーラの甘味を一層引き立てていた。炭酸のぱちぱちした刺激も心地よい。
「ゲフゥ……」
コーラを一気に飲むとユハは人目も気にせずげっぷをしてしまった。アヨウはそんなユハ様子を見て若干引いていたようだが。
「……喜んでもらえてるみたいで何よりだ」
そう言うとリンゴをがりりと一かじりした。
(しまった!食事に夢中になってる場合じゃない!)
ユハは当初の目的を思い出し、食べる手を止めた。
「それで、あの……僕のノート……」
ユハは本題を切り出した。
「ああ、今はボーガン教授が預かってる。この後彼のオフィスに行ってノートを返してもらう約束をしてる」
「なんでそのボーガン教授って人が僕のノートを?」
ユハは合点がいかず尋ねた。
「それがさぁ、教授ったらひどいんだぜ。俺がノートをなくしましたって言ったら、ほんとは実験サボっててノートなんてないんだろ?とか言ってさ、嘘ついてないことの証明としてノートを確認するって君のノートを持って行っちゃったんだ」
よくぞ聞いてくれました、とでも言いたげな調子でアヨウが答えた。
「それで……」
「そう!おかげでこんな面倒なことになっちゃって、ホントごめんね」
どうやらこれから会うボーガン教授は少し厄介な人物らしい。ユハは彼に会うのが少し不安になった。怖い人だったらどうしよう。
「ねえ?昨日のって技みたいなのってなに?」
本題の話を終え手持無沙汰になったユハが聞いた。昨日のアヨウに取り押さえられてしまったのが合点がいかなかった。自分の方が強いはずなのに。
「技?ああ、あれは国で習ってた格闘技というか護身術みたいなものかな」
「格闘技……強いの?」
「へへへ……まーちょっと。ほんとはあんまり使っちゃダメなんだけど、あの時は必至だったから」
どうやら腕に自信ありということらしい。身体的に強健ならそれは標的にする価値ありだ。
「あ、あれから腕は大丈夫?痛み出したりとかしてない?」
「大丈夫」
「ならよかった……また痛んだり違和感を感じるようなら教えてね」
「うん……大丈夫」
アヨウはあくまでユハの心配をする。その様子にユハは胸がうずくような感覚を覚えた。
「あと、ボーガン教授だけど君のノートを見て君のこと興味持ったみたいでね、もしかしたら変なこと言われたりするかもしれないけど真に受けなくていいからね」
「君がこの植物図鑑の著者かな?」
総白髪のヒメーリアンの老人が言った、待ち合わせの相手であるボーガン教授だ。老人だが彼の眼鏡の奥の目はらんらんと輝いていて面白いものを見逃すまいとしているようだ。
「は……はい」
ユハは思わずたじろいだ、いったい何を言われるのだろう?
「大変興味深い。都市に自生する草本に対する緻密な観察、独自の視点にもと基づいた分類。実に生き生きとしている」
ユハは彼の意外な好反応に驚いた。口汚く罵られることも覚悟していたのに。
「え……でもここにあるやつとかが本当なんじゃ?」
「大学にいる偉い学者が決めた名前や分類の方が正しいと言いたいのかな?」
「……だってそうでしょう?すごく勉強してるし、ここにある凄い道具を使って難しい実験とかしてるから」
それはこの大学に来るようになってからユハが常々思っていたことだ。自分のやっていることはここにいる人たちからしたら文字通り子供のお遊びだと。ボーガン教授のオフィスには分厚い本や、よくわからない機材、難しい事のかかれた資料が所狭しと並んでいた。自分のノートとは大違いだ。
「ふむ、確かに君の独自研究の分類の系統は現在主流とされるものからは外れている。しかしながらだ、その”主流な分類”とやらは新しい発見や調査の手法の確立によって何度も書き換えられてきた。君の言う勉強や実験でな」
「そうなの?」
「うん、例えば、この、ワーム種の竜は見た目の特徴からタルタロス広原以東に生息するこの、ロン種の竜と近縁、つまり親戚だと長く考えられていたけど、最近になってむしろこっちのワイバーン種に近いって言われてるんだ」
アヨウが補足した、自分の端末に画像を映しながらユハにもわかるように説明する。
「え……でも見た目は……あ……でも鱗はこっちとこっちのが似てるかも」
ワーム種もロン種も蛇のような外見をしていて似ているが、鰐のような鱗をしているワームとワイバーンに対してロンは魚のような鱗をしているように見える。
「近年は遺伝子の解析が主だが、そういった観察が新たな発見につながることもある。それに……」
「こういった分類分けは結局のところ人間が勝手につけたものに過ぎない。我々が文明社会と呼ぶ領域から一歩外に出てみればそこには異なる観点によって体系づけられた独自の種の分類が存在している、丁度君の植物図鑑のように、だ。それを未開人の無知と呼ぶものもいるが私にはそれは驕りにしか見えない。なぜなら、そも、我々科学者は”種”の定義すら明確にはできていないからだ」
「”種”がわからない?」
意外過ぎる話だ、ここにいるような科学者たちは何でもわかっていると思ったのに。
「そう、先ほど言った通り種の分類は人間が決めたものに過ぎない。それゆえに考え方の違いによってその分け方、すなわち”種の概念”も変わる。たとえば最も単純な生物学的概念では生物の生殖能力に従って分類を分ける、自然下において交配する個体群を一つの種であるとみなす考え方だが、これは多分に問題を含んでいる。まず第一に単為生殖に対応できていない。君の図鑑で言うこの草体は種を作らず専ら株分けで繁殖するが、それをもって種にあらずということにはできないだろう?それにヒメーリアンとタルタリアンのようにしばしば他の種と交雑する……」
「ボーガン教授。その辺にしておきましょう。いきなり抗議を始められては、ユハが困惑していますよ」
よくない方向に話が進みそうなのをアヨウが止めた。さすがのボーガン教授も当事者が目の前にいるとは夢にも思わない。
「ふむ?そうかね少し話過ぎてしまったかな。ユハ、君のやっていることは立派な研究だ。どうかこれに懲りず今後もその素晴らしい営みを続けていってほしい」
「ユハ、どうした?食欲がないのか?」
皿に匙を突っ込んだまま考え込んでいるユハを見かねて、アジュダハが聞いた。
「うん今食べるよ」
そう答えるとユハは流し込むように夕食を掻きこんだ。
スプーンを握ったまま固まって動かなくなっているユハの様子を訝しんで男児のうちの一人が聞いた。
「え?いや……食べるよ」
そう答えユハは今日の食事に目をやった。今日の食事は肉や野菜の切れ端やパンなどのごっちゃ煮のシチューのようなもので、夜回りで回収してきた肉や野菜やパンの切れ端を適当に切って消毒の為に煮込んだものだった。ユハはほぼ毎日これを食べてきたが、これの名前を知らなかった。きっと名前何てないのだろう。
「ケチャップ使わないの?」
男児の一人が聞いた、味付けなんてしていないので後から調味料を加えて味を付ける。調味料は貴重なので皆で分け合って大切に使うのだが、余りが出た場合は争奪戦になる。冷蔵庫がないので保存しておけないからだ。
「どうぞ……」
いつもなら自分の分け前を人に譲ることはないのだが、今日は違った。昼回りでの出来事が頭をもたげて食欲がわかなかった。
「これ……本当にもらっていいの?」
ユハは目の前におかれたチーズバーガーとポテトを前にたじろいでいた。チーズバーガーなぞ廃棄品の形でしか見たことのないユハにとっては出来たてのそれは高級食材に等しい。給仕しれたばかりでまだ温かいそれらからはポテトの香ばしい香りと、パティの肉汁の匂いが漂っておりユハの食欲をそそった。脇に置かれたコーラからは炭酸のはじけるかすかな音がしている。
ユハとアヨウは二人が最初に会ったカフェテリアに来ていた。できることならすぐにノートを返してほしかったユハだが、どうしてもお礼がしたいというアヨウの頼みを断り切れずアヨウのおごりで昼食を食べることになった。
「もちろん。昨日のお礼とお詫びだ。遠慮なんかしなくていいぜ」
ミートソースのペンネをつつきながらアヨウが言った。そういうことならばと、ユハはチーズバーガーを口に運ぶ。一部を食いちぎりかみ砕くと、口の中にパティの肉汁とチーズのうまみが広がった。
(美味しい……!)
そのまま勢いで二口、三口と続ける。瞬く間にチーズバーガーを半分ほど平らげたところで、添え物のポテトにも手を付ける。口に入れるとポテトのほくほくとした触感と程よい塩味が広がりそのまま矢継ぎ早に一気に平らげてしまう。ポテトでぱさぱさになった喉を潤すためにコーラを流し込む。甘い。先ほどまでのポテトの塩味がコーラの甘味を一層引き立てていた。炭酸のぱちぱちした刺激も心地よい。
「ゲフゥ……」
コーラを一気に飲むとユハは人目も気にせずげっぷをしてしまった。アヨウはそんなユハ様子を見て若干引いていたようだが。
「……喜んでもらえてるみたいで何よりだ」
そう言うとリンゴをがりりと一かじりした。
(しまった!食事に夢中になってる場合じゃない!)
ユハは当初の目的を思い出し、食べる手を止めた。
「それで、あの……僕のノート……」
ユハは本題を切り出した。
「ああ、今はボーガン教授が預かってる。この後彼のオフィスに行ってノートを返してもらう約束をしてる」
「なんでそのボーガン教授って人が僕のノートを?」
ユハは合点がいかず尋ねた。
「それがさぁ、教授ったらひどいんだぜ。俺がノートをなくしましたって言ったら、ほんとは実験サボっててノートなんてないんだろ?とか言ってさ、嘘ついてないことの証明としてノートを確認するって君のノートを持って行っちゃったんだ」
よくぞ聞いてくれました、とでも言いたげな調子でアヨウが答えた。
「それで……」
「そう!おかげでこんな面倒なことになっちゃって、ホントごめんね」
どうやらこれから会うボーガン教授は少し厄介な人物らしい。ユハは彼に会うのが少し不安になった。怖い人だったらどうしよう。
「ねえ?昨日のって技みたいなのってなに?」
本題の話を終え手持無沙汰になったユハが聞いた。昨日のアヨウに取り押さえられてしまったのが合点がいかなかった。自分の方が強いはずなのに。
「技?ああ、あれは国で習ってた格闘技というか護身術みたいなものかな」
「格闘技……強いの?」
「へへへ……まーちょっと。ほんとはあんまり使っちゃダメなんだけど、あの時は必至だったから」
どうやら腕に自信ありということらしい。身体的に強健ならそれは標的にする価値ありだ。
「あ、あれから腕は大丈夫?痛み出したりとかしてない?」
「大丈夫」
「ならよかった……また痛んだり違和感を感じるようなら教えてね」
「うん……大丈夫」
アヨウはあくまでユハの心配をする。その様子にユハは胸がうずくような感覚を覚えた。
「あと、ボーガン教授だけど君のノートを見て君のこと興味持ったみたいでね、もしかしたら変なこと言われたりするかもしれないけど真に受けなくていいからね」
「君がこの植物図鑑の著者かな?」
総白髪のヒメーリアンの老人が言った、待ち合わせの相手であるボーガン教授だ。老人だが彼の眼鏡の奥の目はらんらんと輝いていて面白いものを見逃すまいとしているようだ。
「は……はい」
ユハは思わずたじろいだ、いったい何を言われるのだろう?
「大変興味深い。都市に自生する草本に対する緻密な観察、独自の視点にもと基づいた分類。実に生き生きとしている」
ユハは彼の意外な好反応に驚いた。口汚く罵られることも覚悟していたのに。
「え……でもここにあるやつとかが本当なんじゃ?」
「大学にいる偉い学者が決めた名前や分類の方が正しいと言いたいのかな?」
「……だってそうでしょう?すごく勉強してるし、ここにある凄い道具を使って難しい実験とかしてるから」
それはこの大学に来るようになってからユハが常々思っていたことだ。自分のやっていることはここにいる人たちからしたら文字通り子供のお遊びだと。ボーガン教授のオフィスには分厚い本や、よくわからない機材、難しい事のかかれた資料が所狭しと並んでいた。自分のノートとは大違いだ。
「ふむ、確かに君の独自研究の分類の系統は現在主流とされるものからは外れている。しかしながらだ、その”主流な分類”とやらは新しい発見や調査の手法の確立によって何度も書き換えられてきた。君の言う勉強や実験でな」
「そうなの?」
「うん、例えば、この、ワーム種の竜は見た目の特徴からタルタロス広原以東に生息するこの、ロン種の竜と近縁、つまり親戚だと長く考えられていたけど、最近になってむしろこっちのワイバーン種に近いって言われてるんだ」
アヨウが補足した、自分の端末に画像を映しながらユハにもわかるように説明する。
「え……でも見た目は……あ……でも鱗はこっちとこっちのが似てるかも」
ワーム種もロン種も蛇のような外見をしていて似ているが、鰐のような鱗をしているワームとワイバーンに対してロンは魚のような鱗をしているように見える。
「近年は遺伝子の解析が主だが、そういった観察が新たな発見につながることもある。それに……」
「こういった分類分けは結局のところ人間が勝手につけたものに過ぎない。我々が文明社会と呼ぶ領域から一歩外に出てみればそこには異なる観点によって体系づけられた独自の種の分類が存在している、丁度君の植物図鑑のように、だ。それを未開人の無知と呼ぶものもいるが私にはそれは驕りにしか見えない。なぜなら、そも、我々科学者は”種”の定義すら明確にはできていないからだ」
「”種”がわからない?」
意外過ぎる話だ、ここにいるような科学者たちは何でもわかっていると思ったのに。
「そう、先ほど言った通り種の分類は人間が決めたものに過ぎない。それゆえに考え方の違いによってその分け方、すなわち”種の概念”も変わる。たとえば最も単純な生物学的概念では生物の生殖能力に従って分類を分ける、自然下において交配する個体群を一つの種であるとみなす考え方だが、これは多分に問題を含んでいる。まず第一に単為生殖に対応できていない。君の図鑑で言うこの草体は種を作らず専ら株分けで繁殖するが、それをもって種にあらずということにはできないだろう?それにヒメーリアンとタルタリアンのようにしばしば他の種と交雑する……」
「ボーガン教授。その辺にしておきましょう。いきなり抗議を始められては、ユハが困惑していますよ」
よくない方向に話が進みそうなのをアヨウが止めた。さすがのボーガン教授も当事者が目の前にいるとは夢にも思わない。
「ふむ?そうかね少し話過ぎてしまったかな。ユハ、君のやっていることは立派な研究だ。どうかこれに懲りず今後もその素晴らしい営みを続けていってほしい」
「ユハ、どうした?食欲がないのか?」
皿に匙を突っ込んだまま考え込んでいるユハを見かねて、アジュダハが聞いた。
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