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オーナーと私の話
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日々の猫の世話で一番気合を入れて行わなければいけない事は、身体のケアだ。
人間であっても、生活を営む上で散髪をしたり身体を洗ったりといった身体のメンテナンスが必要だ。猫もそれは例外ではない。
ただし、猫と人間では必要となるケアが異なるものもある。
例えば、猫は普段自らの舌で毛づくろいを行う。人間としては見ていると和む光景だが、猫にとっては体調面でも大事な作業だ。猫の唾液には殺菌作用があるため、毛づくろいをすることで猫の身体を清潔に保つ事が出来るのだ。
猫一匹だと届かない場所もあるのだが、猫が複数匹いる環境だと猫同士で身体を舐め合う事が出来る。首の後ろなど、自分ひとりだと舐められないようなところも猫同士で舐め合っている所をよく見る。これは猫たちの親愛の現れの行為らしいが、猫を世話する人間としても喜ばしいものである。身体を清潔に保てる範囲が広がるからだ。
だが、猫に近付くのを嫌がる猫もいる。
そういう子は、人間がケアしてあげる事も必要になる。
「アーニャ」
「みう」
ある日の開店前、私はアーニャを捕まえて片手にブラシを持った。
手早くブラシで毛を梳こうとするも、お手入れされる事を察したアーニャは、ぐねぐねと軟体生物のように身をよじる。
やがて私の腕からぬるりと抜け出した。
「ああ……」
私はため息をつく。
猫は自分が好きな事なら人間に付き合うが、自分の嫌な事は頑としてやらない個体が多い。アーニャはおやつやおもちゃや撫で撫では歓迎するようになったが、身体のケア全般を嫌がるのだ。ブラッシングも少しずつなら出来るが、身体をいじられるのに抵抗があるのか、暫くすると逃げてしまう。
ブラッシングはまだいい。
本当に問題だと思っているのは、爪切りだ。
人間と同様、猫も爪が伸びる。
猫カフェに来るまでは、猫の爪研ぎが人間にとっての爪切りだと思っていた。が、それは勘違いだったようだ。
爪研ぎとは猫の爪を鋭利にするものであって、根本から短くする訳ではないのである。
だから、猫の爪を短くするためには人間が手入れしなければいけない。
爪が長いままだとカーテンなどの布に引っかかって取れなくなる危険があるし、猫カフェでは他の猫や人間を引っ掻いて攻撃してしまう可能性もある。だから、爪は短く保たないといけないのだ。
――いけないのだが、私は今のところ爪を切れた事がない。
ちょっと爪が伸びているなと思って、私はアーニャを抱き上げて爪切りしようとした事がある。
アーニャは抱っこされて満足したのか目を細めてごろごろ喉を鳴らしていたけど、私が爪切りを取り出すと、逃げようと決意したのかもがき始めた。そのままアーニャは逃亡してしまった。
他のスタッフさんに爪切りのコツについて聞いてみたけど、どうやら全員知らないようだった。病院に行った時についでにやってもらったり、かつては宗谷さんがやっていたりして、猫の爪は綺麗に保たれていたようだ。
現時点ではアーニャの爪も問題ない長さになっている。これは恐らく宗谷さんが手入れしてくれたのだろう。
だが、時間が立てばまた爪は伸びる筈だ。
手練の方にお願いするのも一つの手ではあるが、自分で出来るようになれるならば、やり方を学んで習得するようにしたい。
アーニャが爪切りを快く受け入れてくれるようになってくれたら、私にとってもアーニャにとっても過ごしやすくなる筈だが……。
「みゃうみゃう」
「あ、ジロウ」
キジトラのジロウがご機嫌そうに私にすり寄ってくる。
ジロウの大きめの肉球をもみもみしながら、私はジロウの手を見つめる。
ジロウの爪をよく見ると、アーニャよりは伸びている。そろそろ爪を切っていい頃合いだ。
アーニャは気難しくて怯えやすい性格だけど、ジロウはどちらかというと人懐っこくて楽観的な性格に見える。
例えば、ジロウの方で爪切りのやり方を学んで、それからアーニャの方に臨んだほうがいいんだろうか……。
――ピンポーン。
ジロウに触れながら頭を悩ます私の耳に、インターホンの音が鳴り響く。まだ開店前だけど、来客みたいだ。
「はい。あ……」
私は扉を開けて、そこにいた人を認めて目を見開く。
宗谷さんが扉の前に立っていた。
「入るぞ」
「は、はい……」
荷物を持った宗谷さんがカフェの中に入っていく。白金さんが宗谷さんを迎えて、不思議そうな声を出した。
「宗谷くん、どうしたの。まだ俺たち連絡貰ってないと思うんですけど?」
「店をどうするかをはっきりと決めた訳じゃないから、まだメッセージは送っていない。今日は……猫カフェのスタッフの作業をするために来たんだ」
「え?作業?」
「数ヶ月休んで他のスタッフに任せていたが、今日復帰しようと思った。だから来た」
「……はぁ。いや、それならそれで連絡してよ!まあ、シフトが減るよりかはましだけどさ……。じゃあ、今日は俺と舞空ちゃんと宗谷くんの三人シフトって事?」
「そういう事だな」
「フロアにいるにしてはちょっと多いんじゃない?スタッフの方に猫が取られちゃったら、お客さんが手持ち無沙汰になるかもしれないじゃん。それとも、宗谷くんはスタッフルームで作業をしに来たの?」
「いや、フロアに出る予定だったが……。そうか、多いのか。なら、今日は休みを取りたいなら取ってくれてもいい」
「あ、そうなんだ。じゃあ俺、二時頃から休みを取ろっかなー。舞空ちゃんはどうする?」
「私ですか。私は、休みはいいです。今日はアルバイトを一日するつもりだったので……」
白金さんの質問に答えながら、私は宗谷さんの様子を横目で見る。
……今日は宗谷さんと一緒にバイトをする事になるんだ。
宗谷さんは、猫の世話をし続けるのは負担になると以前に言っていた。
それがどこまで解消されたのかはわからないけれど、本人がこう申し出るという事は、何らかの変化があったのだろう。
宗谷さんはゴローが病気になる前はずっとスタッフの作業をしていたらしい。猫たちも宗谷さんとの付き合いが長いのだから、安心して過ごせる事だろう。
それに、私も宗谷さんに聞きたい事がある。
「宗谷さん」
「なんだ?」
「ジロウの爪がちょっと伸びてるみたいなんです。私、今まで猫の爪をちゃんと切れた事が無くて、練習も兼ねてジロウの爪を切ってみようか考えていて……。良かったら、コツを教えていただけませんか?」
「ああ、爪か。そうだな……ん?」
私に応える宗谷さんの足元に、大きな影がすり寄ってくる。
シャークが宗谷さんをじっと見ながら近づいてきた。
シャークはオスのサバ白の猫だ。アーニャは美少女だとか姫だとか称される事が多いが、シャークはこの猫カフェの中でも屈指の男前だと思う。目元がきりっとしていて、写真映えする整ったルックスをしているのだ。
ただし、私とシャークは相性があまり良くなかった。
正確に言うと、私がシャークと遊んだり撫でようとしても、シャークの方が興が乗らないようで去っていってしまうのだ。
もの言いたげなシャークを見つめた宗谷さんは、身をかがめてシャークに接近し――
シャークの尻尾の付け根を勢いよく叩き始めた。
「えっ」
その激しさに私は面食らう。
宗谷さんは、スタッフに復帰するのが久しぶりで猫との接し方がわからなくなっているのでは――。
そんな懸念が浮かんだけど、シャークの様子を見てそれは違うとわかった。
「……シャークさん……気持ちよさそう、ですね」
尻尾の付け根をばしばしと叩かれたシャークは、表情をとろんとさせて腰を上にあげていた。もっとやって欲しいという態度だ。
宗谷さんがババババと叩くのを続行すると、シャークはごろごろと鳴き始めた。
私は驚きの声をあげる。
「……シャークさん、私が相手だと遊んでいてもあんまり楽しそうではないんですよね。でも、宗谷さんが相手だとすごく心を許している感じがします」
「いや、そういう事では無いと思う。シャークは腰を叩かれるのが好きなんだが、音が出るくらい強めにやらないと文句を言ってくるんだ。舞空さんは手加減してるからシャークは物足りないんだと思う。今度からは強めにやればきっとシャークは甘えるようになる」
「そ、そうなんですね……」
「といっても、長くやり過ぎると刺激が強すぎて良くないから、程々にするように」
私は宗谷さんの言葉に頷く。
猫によっては腰を叩かれるのを好む子がいるから私も実践した事はあるが、ここまで強めな方が好きな子がいるというのは初めて知った。猫の習性は千差万別なんだなと改めて思った。
心の中で感心していると、もう一匹近づいてくる猫がいる。ジロウだ。
ジロウも腰を叩かれるのが好きな猫だから、自分もやって欲しいと思って近づいてきたんだろう。そう考えると微笑ましかった。
……そう、思っていたのだが。
「うううう」
「にゃ?うにゃにゃ」
「うるああああ」
「ちょ、ちょっと、シャークさん……?」
宗谷さんに腰を叩かれてとろけていたシャークは、近づいてきたジロウに向かって威嚇の声を出した。ジロウは威嚇を然程気にしていないようで、シャークの近くをうろうろしている。
シャークはやがて立ち上がり、ジロウに向けて前足を鋭く放った。
――猫パンチ、だ。
パンチを受けたジロウは、興奮したように唸りながらシャークに反撃のパンチをする。
殴り合いを始める二匹の猫から周りの猫が一目散に逃げていくのが視界の端に写った。
これは――喧嘩、なのか。
私は心の中で冷や汗をかく。
猫カフェに来たばかりの時のアーニャも、周りの猫を威嚇したり軽く猫パンチする事はあった。だが、アーニャが子猫のメスで攻撃力が低いので、周りの猫を怪我させる懸念はあまり無かった。
ジロウは一歳、シャークは二歳、どちらも若い大人のオス猫だ。つまり力が強く、喧嘩が長引くと怪我をしてしまうかもしれない。加えて、猫カフェという住居の中に喧嘩をしている猫がいると他の猫たちが怯えてしまう。
私は二匹の間に立ち、喧嘩を止めようとした。
「ま、待って、シャークさん……ジロウ……」
「――舞空さん、動かないで。ちょっと待っていてくれ」
宗谷さんが鋭く声を飛ばした。私は彼の指示に従い、立ち止まる。
二匹で絡み合っていたシャークとジロウだが、不意にシャークがピャッと驚きの鳴き声をあげてジロウから離れた。
思わず宗谷さんの方を確認すると、霧吹きのスプレーが彼の手にある。水をシャークに吹きかけたのだろう。
宗谷さんはシャークとジロウの間に立ち、そしてシャークを抱き上げる。
「攻撃を仕掛けたのはお前からだったな。懲罰房行きだな」
「なあああ」
宗谷さんに抱っこされたシャークは、そのままカフェに設置されているケージの前まで連れて行かれる。そしてシャークはケージに閉じ込められた。
不服そうにケージの中でにゃあにゃあ鳴くシャークに背を向け、宗谷さんが戻ってくる。
「興奮している猫を直接止めようとすると、人間も怪我するから。霧吹きで水をかけたり、おやつでおびき寄せたりして、猫の注意を喧嘩相手から離すようにしてくれ。シャークは反省させるために他の猫から隔離させる事にした。落ち着いてきたら今日中にフロアに戻すようにする。あと、さっきジロウの爪を切ろうという話があったな。今やってみよう。
「は、はい」
ジロウの方を見ると、伸びをしながら片手をぺろぺろと舐めていた。先程まで喧嘩していたというのに、もう落ち着いたようだ。ジロウの方はスポーツ感覚でそこまで本気じゃなかったのかもしれないけど。
「ですけど……私、爪を切るのにすごく手間取る事が多いです。もしかしたら開店時間になっても終わらないかも……」
「それなら、二人でやろう」
「二人……?」
「猫の身体を押さえる方と、切る方。俺がジロウを捕まえておくから、舞空さんは爪を切ってくれ」
そう言うと、宗谷さんはあぐらをかいてジロウを抱っこした。
ジロウは抱っこされて満足そうな様子だったが、私が爪切りを見せると逃げる体勢を取った。が、ジロウは宗谷さんの足の上から動かない。宗谷さんがしっかりと身体を押さえているからだろう。
「ジロウの足先を揉んでみてくれ。そしたら爪が出てくるから」
「は、はい」
私は宗谷さんの指示に従いながらパチパチとジロウの爪を切り、やがて爪切りは完了した。宗谷さんから解放されたジロウは、伸びをしてキャットタワーの高いところにあがり、眠る体勢になっている。
「……宗谷さん、すごいです。私、アーニャを爪切りしようとしてもいつもするって逃げられちゃうのに……」
「猫の動きを制限するのにはコツがあるんだ。猫を抱っこする時に背中をしっかり抑え込むようにすると安定感が出る。猫によっては他の体勢の方がリラックス出来る場合もあるから、色々試してみるといい」
「なるほど……」
私は頷きつつ、心の中で考える。
……宗谷さんは、やはり手慣れている。
猫たちの好みを把握している事もそうだが、行動に移す際の迷いがなく、てきぱきと作業をする事が出来るのだ。
爪切りもそうだが、私はひとつの動作に時間をかけてしまう事が多い。猫は飽き性だからやりたい作業はさっと終えた方がいいというのに。
……まだまだ、勉強しないといけない事が山ほどある。
反省すべき事は沢山あるが……、とりあえず、今は猫カフェの開店に備えよう。
そして、自分に出来る事を増やしていこう――そう思った。
「もうそろそろお時間です。よろしいですか?」
「……あ、スタッフさん、僕は帰る時間です!」
「私は延長お願いします!」
「かしこまりました」
店の中には研究員のような風貌をした男性がひとり、私と然程変わらない年齢の女性が何人かいた。そして男性の方が帰る宣言をした。
「ポイントカードを作られますか?」
「はい、作ります!……今回はじめて来て思ったんですが、本当に時間が足りないですね。一時間いたのに一瞬で終わってしまいました。また来て、今回遊べなかった猫ちゃんと会いたいです」
「ふふ、ありがとうございます」
この猫カフェには十匹以上の猫がいる。猫一匹あたり十分遊んだとして、全員と遊ぶ事は出来ないままに店を出る時間になる。
猫と遊んでいると、一時間が五分くらいで過ぎていくというのは私自身覚えがあることだ。入れ替えの時間を知らされて、名残惜しそうにカフェを出るお客様を何回も見送ってきた。
お客様が満ち足りた時間を過ごして帰れるのは、私としても嬉しいことである。
──ピンポーン。
「はい。今参ります!」
私は、カフェに新たに来た客を迎える。
新たに来た客は、白金さんや宗谷さんと同じくらいの年代の男性客だった。
カフェに来るのは初めてということらしいので、私は店での過ごし方やルールを説明する。説明を聞き終わると彼は頷き、一人でソファに座った。
「わー!」
「えっ、すごい!やんちゃだねー」
「どうしよどうしよ、かわいいけど困るー」
私がフロアの掃除をしていると、お客様の声が聞こえてくる。
ちらりと見に行くと、ロングスカートを履いたお客様が嬉しがっているような戸惑っているような声を出している。その視線の先には明るい茶色の尻尾があった。
「こら、きなこ!」
私はきなこの名を呼ぶ。名前を呼ばれるのが好きなきなこは、ひょこりとスカートの裾から顔を覗かせて、私のもとへと走ってきた。私はため息をつきながらきなこをあやす。
「猫ちゃんは、スカートのようなひらひらふわふわしたものを好む習性があります。この子はまだ子猫で好奇心旺盛なこともあって、お客様のスカートが気になってしまうみたいですね。気になるようなら、この子は別の場所に移しますが……」
「いえ、そんな!最初はちょっとびっくりしましたけど、かわいいので大丈夫です!あ、ほら、こんなにふみふみしてくれて……」
「ね、かわいいよね~、その子。いいな、私もスカートで来れば良かったな……」
パンツスタイルのお客様は、羨ましそうに同行者を眺めている。猫好きのお客様ゆえに、猫に集ってもらえるのは羨ましいようだ。
私は、カフェの棚からあるものを取り出して、お客様のもとへと持っていった。
「これは……?」
「ブランケットです。猫ちゃんはふわふわした布が大好きなので、足を伸ばした上に乗せたら乗ってきてくれる事があります。体育座りをした上にブランケットを乗せて猫が隠れられる空間を作ったら、猫が安心して寄ってくる事もあります。試してみてください」
「わ、ありがとうございます!……わ、猫ちゃん来た!かわいい……」
黒猫のうにおがお客様に寄ってきて、ブランケットの上に乗ってふみふみし始めた。お客様達は喜んでくれているようだ。私はその様子に微笑む。
客である人間をどの程度接客するかは猫の気分によるけど、出来る事ならば猫も人も楽しめる時間を作ってあげたい。私は宗谷さんに比べたら知識も経験も足りないだろうから、まだまだ勉強したいものだ。
そう考えた私は、カフェを移動して掃除しつつ店内をぐるりと見渡した。他のお客様にもしてあげられる事が無いか考えながら。
女性のお客様がうにおときなこを撫でながら歓声をあげている。
他の猫たちも興味を惹かれたようにそちらの方を見つめている
男性のお客様は、近くに猫はいないようだが……。
…………。
――。
……まずい。
店を見渡していた私は、ある事に気付いてしまった。
このカフェの中で、放置していたらまずそうな事が起きている。
だが、事を公にすると大変な事になりそうだ。
…………。
悩んだ末、私は該当の客――茂木さんに話しかけることにした。
「すみません。少しお話したいことがあるので、よろしいでしょうか」
「……はい?どうしましたか?」
先程入店した男性客の茂木さんは、私を見て不思議そうに首を傾げる。だが、一応話には応じてくれた。
私は茂木さんをカフェの外に連れ出す。
「どうして外に……俺に用事でもあるんですか?」
「すみません。先程カフェの中を掃除している時、お客様が写真を撮られているところを見たのです」
「写真……え?それ、駄目だったの。俺以外の人もみんな楽しく撮ってると思うんだけど?」
「それは、そうです。ですが……」
そうだ。
お客様の様子を見ているとき、私は目に入ってしまった。
茂木さんが女性客の写真を撮っているところを。
猫カフェに来店した客のうちの多くが猫の写真を撮っていく。猫とのふれあいはカフェから出てしまえばおしまいだけど、写真や動画に残せばずっと楽しむことが出来るからだ。
だが、猫カフェでの写真撮影にはある問題がある。
カフェの中に客が沢山いる時、猫だけでなく人間の客が写り込んでしまうということだ。
私も、もっとカフェの中に人数が多い状態で、たまたま人が写ってしまったような写真ならば見逃しただろう。
だが、先程見た茂木さんのスマホには女性客のみが写っていた。しかも、そんな写真を何枚も撮っていた。
たまたま写ってしまった風を装って、わざと店内の客を盗撮したのではないか――。
私は、そう考えた。
だけど、疑いは疑いでしか無い。本当にたまたま他の客が写り込んでしまった可能性はある。
だから、とりあえず注意だけしてカフェに戻ってもらおうと考えた。
「このカフェの中で写真撮影をすることは許可していますが、それでも店のお客様を無制限に撮っていい訳ではないのです。お客様のもとにいる猫を撮りたい場合はその方に許可を貰ってから撮るようにして下さい」
「……スタッフさん」
「はい」
「俺が店に入る前にさ、客が帰っていったよね。あの客のことも調べた訳?」
「え……」
私は、茂木さんの指摘に狼狽える。
「いえ。あの方には何も……」
「何でだよ。他の客にも注意しろよ。あんたが気づかないだけで、俺の他にも客を写しちゃった人間なんて沢山いたんじゃないの?あんた、鈍臭そうだもんな」
「それは……」
茂木さんの言葉に、私は唇を噛む。
……自分が鈍くさいというのは、私自身ずっと気にしていたことではあるけど……。
彼にそれを指摘されて、一気に気持ちが萎んでいくような気持ちがする。
私が俯いていると、カシャッと音がする。
茂木さんが私にスマホを向けて写真を撮っていた。
「あの、お客様。何を……」
「客を撮るのが駄目なら、スタッフさんを撮るのは問題ないんだよね?」
「え?」
「このカフェの中にいる猫って、スタッフなんだろ?猫スタッフって書いてあったもんな。ならスタッフはみんな撮っても問題ないってことだ」
「それは……そういうことでは……」
「あ?猫は撮ってもいいけど自分は駄目って、スタッフさんは実は猫のこと下に見てるってことなのかな?」
「いえ……それは、違……」
「なに言ってんの?違わないでしょ。……そういえばここって、地図アプリにも載ってる店なんだよなあ。スタッフさん、連絡先教えてよ。教えてくれないなら……ここのスタッフは客への対応が悪いし猫も適当に扱ってたってレビュー載っけちゃおうかな。猫が本当に大事なら、猫に影響するようなことは避けたいだろ?」
茂木さんの言葉を聞いて、私は内心青ざめる。
彼のいう通り、この猫カフェは地図アプリ上で場所を調べられるようになっている。そして、自由にレビューを載せられるようになっているのだ。
現代では飲食店や旅行スポット等でレビューサイトがよく使われているが、猫カフェもレビューを参考にして行く人は存在するだろう。
逆に言うと、レビューに悪いコメントを書かれたら客足が遠のいてしまうかもしれない。
そしたら……猫たちの食事代や、日々の消耗品のお金が稼げない。
今はカフェの中でのびのびと遊んでいる猫たち。その猫たちがお腹を空かせたり、悪い環境で過ごすことになると考えると……。
――いやだ。
そんな事、想像したくもない。私の生活に多少支障が出るとしても、猫たちの暮らしは守りたい。
そう考えると……。
私は、茂木さんの申し出を……。
「ちょっと」
茂木さんの前で固まっていた私の前を、猫カフェの制服を身に纏った人影が遮る。
その人は、険しい顔で茂木さんを見据えている。
「俺はこの猫カフェのオーナーです。お話をさせてください」
「……宗谷さん……」
「舞空さん。この男と何かあったのか?」
「……。いやいや。ちょっとした行き違いで、ねえ。そうですよね、スタッフさん?」
茂木さんは先程の様子を収めて私に呼びかけてきた。
……宗谷さんが出てきたから分が悪いと判断したのか、さっきの事、無かった事にしようとしているんだ。
このままカフェに戻ったら、表向きは何事もなく過ごす事が出来るだろう。
でも……。
私の茂木さんへの疑惑はまだ晴れていない。
またカフェに戻した上で他のお客様を盗撮されたら、他のお客様を守れない事になる。
私はこの猫カフェが好きだ。日常から離れて、癒しの時間を過ごせるこの場所が。
だから……見過ごす事は出来ない。
「このお客様が、さっき他のお客様の写真を撮ったように見えたんです。だから、話し合いをしていました」
「あ?」
私の言葉に、茂木さんはぎろりとこちらを見る。
……怖い。
でも、私がやらなければいけない事だ。
「茂木さん。偶然写ってしまった写真は消してもらって、今後は同じ事をしないようにして貰えたらそれでいいんです。だから……」
「舞空さん……もういい。多分、君が頑張ってもこの男には何も響かない」
宗谷さんは深く息をつき、茂木さんに対峙する。
「あなたの荷物は今持っている分で全部ですよね。では、そのままご退出下さい」
「は?何だよ。出禁にするって事?あんたは俺をクレーマーだって言いたいのか?何を根拠に言ってるんだ!」
「さっき、カフェの店内からそちらの様子が見えた。あなたは、うちのスタッフの写真を無理やり撮っていませんでしたが?」
「…………」
「注意された事を聞き入れようとしているのなら、そんな態度は取らないと思います。うちのスタッフに何をしようとしていたんですか?」
「はあ?……なんだよ。あんた、カフェのオーナーなら売上が一番大事なんじゃないのか。客を無下に扱っていいのか!この事はネットで流すからな!」
「このスタッフは猫達の面倒をよく見ているし、猫達に気に入られてるんです。彼女に負担をかける事はオーナーとして許しません。他の客やスタッフに迷惑をかける人間は客じゃなくていい。帰って下さい」
「……くそっ!」
茂木さんは、カフェに背を向けて走り出した。
彼の姿が見えなくなるまで見つめていると、猫カフェの扉が開く音がする。
「舞空ちゃん、宗谷くん。あのお客さん、何かあったの?」
中から出てきたのは白金さんだ。茂木さんがいなくなった方角を見つめて困ったような顔をしている。
「あいつは問題客だから出禁にした。他のスタッフにも説明して、今後店に来ても入れないようにする」
「へっ?何、どういうこと」
宗谷さんがこれまでの経緯を簡単に説明をすると、白金さんは難しい顔で話に耳を傾ける。
やがて、白金さんは肩を落として言った。
「何というか……宗谷くんや舞空ちゃんには感謝してるよ?これ以上お客様や舞空ちゃんに被害が出る前に追い払えて良かった。それはそれとして……ここで話をするべきじゃなかったかもね。ここってカフェの中の窓から見えるし」
「えっ。そうなんですか」
「現に今店にいるお客様達、何かスタッフが揉めてたのかなってちょっとざわざわしてるし……。宗谷くん達は悪くなくても、怒ってる人を見るだけで周りは緊張するものだから。他のお客様の居心地を良くするっていうのも大切な事だからさ」
「そうなのですか……」
「こういう事は舞空ちゃんというより、オーナーの宗谷くんの方が考えておくべき事だからね。ま、俺もトラブル対応について何も言ってなかったのも悪いと思うけど……」
「む……」
私は白金さんの指摘に、しまった、と思う。白金さんは他に接客業をしていた事もあったみたいだし、私よりも迷惑客の対応には詳しいのだろう。
顔を伏せる私に、白金さんはぱんと手を叩いて朗らかに笑った。
「ま、暫く静かになったら客も気にしなくなるだろう。舞空ちゃん、宗谷くん、どこか行ってきなよ。今日はもうカフェで働かなくていいから。俺が店番しとくよ」
「えっ。……で、でも、白金さんは午後にお休みを取る予定でしたよね?」
「はは。なんかね、今日は珍しくつむぎが営業時間中に起きてるし、ジロウも甘えたそうにしてるし、お客様がいない時間に構ってやるのも悪くないって思ったんだよ。甘えたい時に構ってやらないと後々面倒な事になりそうだしな。だから予定変更しました。という訳で宗谷くん、よろしくね」
「ああ……。わかった」
「あ、そうだ。もし二人で一緒に出かけるんだったら宗谷くんは帽子をかぶった方がいいよ。舞台での宗谷くんを知ってる人がいるかもしれないからね」
白金さんは今後の予定を決め、猫カフェの中に戻っていった。私と宗谷さんも彼の後に続いた。
「ふう……」
私はスタッフの制服から着替え、荷物を持って再び外に出た。
カフェの中がどうなっているか気になっていたけれど、猫たちの接客もあって、お客様たちは楽しんでくれているようだ。きっと後はいつも通りの時間を過ごせる事だろう。
……でも、白金さんに負担をかける事になってしまったのには申し訳ないと思う。この埋め合わせについて後で相談しないと。
開店前に宗谷さんの猫を世話する技術を見て、私も自分に出来る事で貢献したいと思ったのに、結局負担を増やしてしまったな……。
この猫カフェは閉店するかもしれない。だから今いる猫と接する事が出来る時間も限られているかもしれないのに。
次にアルバイトに入れる日は、もっと色々考えて動くようにしなきゃ……。
今日起きた事について考えて俯いていると、後ろの扉が開いた。
「あ、お疲れ様です、宗谷さん……うっ」
現れた宗谷さんの姿を見て、私は内心動揺する。
宗谷さんは黒いキャップを深々と被っていた。
宗谷さんは舞台で人気のある役者との事で、彼のルックスは私の知っている人の中でも整っている部類に見える。だがこうして顔を隠すと少し怖い雰囲気が出てくる――そう思った。
キャップを被っているからというだけではなく、どことなく彼の表情から凄みを感じるような……。
私は内心怯みつつも宗谷さんに声をかける。
「宗谷さん……それは」
「舞空さん。今日はカフェでの仕事は無しになったが……、舞空さんと出掛けたいと思っていた所があるんだ」
「え……」
「舞空さんは元々一日アルバイトをする予定だったんだよな?なら、一緒に来てほしい」
宗谷さんと歩いている時、先程の茂木さんとのやりとりについて聞こうかと思った。だが、宗谷さんはずっと無言で移動を続けていたため、私から何か言うのは憚られた。私は黙々と着いていくことにした。
無言で移動しながらも、私は不思議とこの時間に懐かしさを覚えていた。
宗谷さんにどこかに連れて行かれるのは、これで二回目だ。
私がアルバイトに落ちて宗谷さんに出会って、ビルの中に連れて行かれた……あの時が一回目。
あの時は、どんな目に遭わされるかわからずに戦々恐々としていた。
でも、今は違う。
宗谷さんの雰囲気がいつもと違うような気がするけど、それでも一緒に出掛けられるのは私にとっては喜ばしい事だった。
以前の宗谷さんは猫達の行く末について一人で考えようとしていて、一層追い詰められているように見えた。
カフェにスタッフとして復帰した事といい、宗谷さんが人と一緒に過ごす時間を増やそうとしているのなら、私は嬉しい。
宗谷さんが向かった先は、猫カフェの最寄り駅にあるショッピングモールだった。
その中のある店で宗谷さんは立ち止まる。
店の看板には大きな肉球の飾りがついていた。
「ここは……」
「猫達の道具を最初に揃えた時に使った店だ。今では猫砂や食事は通販で買う事も多いが、グッズは直接触ってみたほうが参考になることもある。舞空さんと一緒に見てみたいと思ったんだ」
「……そうだったんですね」
私は店内をきょろきょろと見回す。ホームセンターのように様々なものが置いてあるけど、よくよく見ると全て犬や猫など動物の為の商品が置いてあるようだ。
今まで猫カフェにある備品で業務をこなしていたけど、こんな風に沢山の製品があるところに来ると、なんとなく心が弾んでくる。
「舞空さん、カフェでも話していた事だけど、このあたりの道具なんてどうだ」
「え?わ……ここ、爪切りのコーナーなんですね」
私は宗谷さんに連れられて店内の一角に来た。
ここには猫をお世話する為のグッズが色々と売られているようだ。爪切り用のハサミもいくつか棚に並べられていた。
「でも、宗谷さん……爪切りの道具は既にカフェにあるのでは」
「それはそうだが、他のメーカーのものを使うともっとやりやすくなるかもしれない。それに、あのカフェの中にあるものは俺から見て使いやすいものを集めたものだ。舞空さんは俺より手が小さいから……これなんてどうだ?」
「わ、かわいい。これ、いつも使ってるやつより小さくて軽いんですね。これなら扱いやすいかも」
「よし。じゃあ籠に入れよう。あと、歯磨き用のグッズも見ておきたい」
「……へえ、歯磨きの道具も色々あるんですね。あ、これなんかは手袋をはめて歯を磨く事も出来るんですね。ブラシよりもこっちの方がやりやすいかも」
人間と同様、猫も歯磨きをする必要がある。だが爪切りと同じく猫が嫌がる事も多い。私が歯ブラシを手に取っただけで弾丸のように逃げ出す猫も中にはいる。歯ブラシの感触が嫌なのかもしれない。
でも、歯ブラシ以外の別の道具を使ったなら抵抗が無くなるかもしれない。
「そうだな。後は、食べるだけで歯のケアを出来る食事も売っている。猫たちが食べるかどうかわからないが、試しに買ってみよう。あと……そうだな。おもちゃ類も見ておくか」
私は宗谷さんの提案に従い、おもちゃコーナーに移動する。
「わあ……すごい。いっぱいありますね」
スタンダードな棒の形のもの、羽根が付いたもの、鈴が付いたもの、釣り竿のように棒の先に紐がついておもちゃが結ばれているもの、新体操で使われるようなリボンがついたもの。おもちゃのコーナーには、大小様々な猫じゃらしが並んでいた。
「自分でもおもちゃを直してみたりはしているんですけど、やっぱり時々壊れてしまうので……もし良かったら買い足したいです」
「そうだな。全種類一つずつ買っていって、猫同士で取り合いになるものがあったらまた追加で買う事にしよう。今おもちゃに反応しない猫も新しいものには反応するかもしれない」
「そうですね。シャークさんやつむぎは私のおもちゃにあんまり反応してくれないんですが、新しく買ったら興味を持ってくれるかも」
「ああ……シャークはカシャカシャ音がするやつが好きみたいだな。つむぎはそもそも他の猫ほど活発な猫じゃないが、羽根がついたやつで遊んでもらうのがいいらしい。あと、遊び方でも反応が変わるな。つむぎは羽根のついたじゃらしを上下に動かすとよく反応してくれる。トーファは蛇が這うように地面にじゃらしを這わせるようにするといい」
「なるほど……」
私は宗谷さんの話を聞きながら、スマホにメモをしていく。
やはり、宗谷さんの話は勉強になる。アーニャをメインで世話しつつ他の猫たちのプロフィールも把握しているつもりだったけど、宗谷さんの知識量とは開きがあるみたいだ。
私の知識不足で、猫たちに今まで不便な生活をさせていたかもしれないな――と反省する。
でも、まだまだ猫たちと仲良くなれるかもしれないんだ。そう考えると、もっと勉強したいと思えた。
宗谷さんが私をここに連れて来たのも、私が知識不足な事を見越して教えに来ようと思ったからだろう。
店内を歩いていると、猫を連れて歩く用の鞄のコーナーがあった。主に動物病院に連れて行く用のものだろう。
私は商品を見てある事に気づく。
「ここはキャリーケースが色々あるんですね。あ、これはアーニャが前入っていたものですね。…………」
ピンクのキャリーケースの隣に、黒のキャリーケースがあった。
私は、宗谷さんに話しかけようとして――踏みとどまる。
このキャリーケースは、かつてゴローが入っていたものだ。
……だけど、ゴローの話を今宗谷さんに振っていいものか、わからない。
宗谷さんは今、少しずつゴローを失った傷を乗り越えようとしている段階なのかもしれない。今は何も言わない方が無難だろう。
そう思って鞄のコーナーを通り過ぎようとすると、宗谷さんが口を開いて呟いた。
「これは、ゴローを入れていたキャリーだな」
「…………」
「ゴローは病院に着くとキャリーから出ないように抵抗するんだが、これは上から開いて猫を取り出す事が出来るから便利だったな。今は値上がりしたようだから、前に猫全員分買っておいて良かった」
「そう……なんですね」
宗谷さんの話を聞いて、私は瞬きをする。
……宗谷さんの方から、ゴローに触れた。
ゴローの話をしても、もう大丈夫。彼はそう伝えたいようだった。
宗谷さんはキャリーケースをじっと見つめた後、私の方に向き直って言った。
「そろそろ会計をしてくる。あと……この後ももう少し付き合ってほしい」
買い物を終えた後、私達はカフェに移動していた。
猫カフェではない普通のカフェに来るのは随分久しぶりだ。
注文したドリンクを見つめて、私はしみじみと感慨に耽る。
「ドリンクに蓋が無くても大丈夫だなんて……。久しぶりにカフェで落ち着いてコーヒーを飲めた気がします」
「そうだな。カーペットに毛も落ちていないし、棚の上に物があっても落とされない。猫がいないと、平和だ」
私は頷く。
猫は人間の飲み物に興味を示すし、物を高い所から落とすのも好きだ。だからドリンクを作る時は猫が飲めないように蓋をするし、落とされたらまずいものは置かないようにしている。
大学や家の中でも思う事だけど、猫がいない空間は平和だ。
でも――猫がいないと、静かだとも言える。
猫がいると大変な事もあるけど、その分楽しい事も沢山増える。
――だからこそ、宗谷さんに話しておかなければいけない事がある。
「宗谷さん」
「うん」
「今日、お客様と揉めた事……すみませんでした」
私は宗谷さんに頭を下げる。
「あんな風にトラブルに繋がるような対応はするべきじゃなかったと思います。猫カフェのお客様に嫌な思いをさせないためにも、最初から白金さんや宗谷さんに相談するべきでした」
「いや。あくまでも悪いのはあの客だ。舞空さんが謝るようなことじゃない……、が、俺に相談して欲しかったというのは確かだな」
宗谷さんは目線を落として呟く。
「覚えているか?俺が舞空さんに最初に声をかけた、あの時……」
「は、はい」
忘れもしない。あの時はアルバイトの面接を受けに行ったと思ったらその場で落とされて、その後に謎の声を聞いて、宗谷さんと出会って、アーニャとゴローと接触した。色々な人生初のイベントが起きた日だったので、宗谷さんの事を抜きにしても思い出深い。
宗谷さんの方はどう捉えているかわからなかったけど、彼も一応覚えてくれていたようだ。
「あの日、面識の無い俺に舞空さんは付き合ってくれた」
「……そうですね」
「あの日について考える事が度々あったんだ。その度に……あれは良くなかったと思っていた」
「えっ」
私は内心で動揺する。
……宗谷さんが覚えてくれていたというのは、悪い意味で覚えていたという事なんだろうか。ゴローに対する触り方が良くなかったとか、そういう事なのかな。
私が縮こまっていると、宗谷さんが厳しい目でこちらを見つめて呟く。
「舞空さんは、あの日初対面だった俺の言葉を聞いてくれた」
「は、はい」
「俺にとっては都合がいい事だったけど……、よく考えてみたら、俺以外の相手であっても舞空さんは着いていく可能性があるという事だ。それは捨て置け無い」
「は……はい?」
思わぬ意見を言われて、私は首を傾げた。
だが、宗谷さんは相変わらず曇った目でこちらを見つめている。
「あの客に色々要求されていたら、舞空さんは従ってしまうんじゃないかと思った。そんな事……俺は考えたくもない」
「…………」
「舞空さん。他の人間に簡単に着いていったりしないで欲しい。迷った時は俺に相談するようにしてくれ。今までの俺の対応が杜撰だったから、すぐには切り替えられないのかもしれないが……これからは改善するように努めるようにする」
私は、宗谷さんの返事を聞いて瞬きをする。
宗谷さん、そんなに心配していたのか。
オーナーとして従業員にトラブルを起こして欲しくないだろうから、私みたいなアルバイトがいたら不安になるんだろうな――、そう考えた。
私は、宗谷さんの心配を晴らしたい。
なんとか彼に納得してもらわなきゃ――。
私は手をぐっと握って答える。
「宗谷さん……。貴方が考えているような事は起きないと思いますよ。私は誰かの命令をそのまま聞いたりはしないです」
「でも、実際俺と最初に会った日は、誰かの言葉を聞いたと言っていただろう?それが気になったと言っていた。だから、君は不意に声をかけられたら着いて行ってしまうんじゃないかと、そう思っている」
「ああ……」
そういえば、そんな事があった。結局誰の言葉だったのかはわからないけれど、私は誰かに呼びかけられたのだ。
年配の男の人の声だった。
あの時は、私の聞き違えか何かかと思ったけれど。
あの声は……。
――。
……そうか。
「宗谷さん……」
「なんだ?」
「今になって思ったんですが……、私が誰に話しかけられたか、わかったかもしれません」
「なに?……聞き違えでは無かったという事か。一体、誰だ?」
「あれは、ゴローの声だったんですよ」
過去に私に話しかけてきた声を思い起こしながら、私は呟く。
猫に関する本を読んでいた時、こんなコラムを見た事がある。
長生きした猫は猫又になる――と。
猫又になった猫は、人間の言葉を喋る事が出来るらしい。
「あの声は、私に向けてこんな風に言っていました。困っている人がいるから助けてやってくれ――と。今思えば、あれは宗谷さんについての事を言っていたんです」
「…………」
「ゴローはお歳を召した猫だったんですよね。だから私に話しかけてきたんだと思います。あのビルでお年寄りの男性を見なかったのが不思議でしたが、ゴローがそうなら納得出来ます。だから……」
「…………」
「……、……?」
宗谷さんが無言で瞬きをしているのを見て、私はある事に気づく。
……私、突拍子もない事を言っている?
そうだ。猫が人語を喋るというのはあくまでオカルトな俗説として言われている事である。そんな事を言われても、こいつは何を言っているのかと一層不安になるだけだろう。
宗谷さんを安心させようとしているのに、どんどん妙な方向に行っているような……。
心の中で焦っていると、宗谷さんの様子が変わった。
宗谷さんは、グラスの中の氷を揺らして微笑んでいる。
彼が笑うところを初めて見たかもしれない――。そう思った。
「いや。その話……折角だから、信じてみよう」
「え……」
「ゴローのやつ、舞空さんを呼び止めてくれたんだな。……随分いい仕事をしてくれたもんだ。ゴローが出来るやつというのはずっと知っていたが……ふふ。……ああ、俺もゴローと話を出来たら良かった。そういう事は、俺には一度も起きなかったな……」
グラスを見つめながら独りごちる宗谷さんを見て、私は慌てて言葉を連ねる。
「……そ、宗谷さん。自分から言い出した事ですが、やっぱりゴローが喋ったのは現実離れしてるかなと思いました。そもそも、そんな事が出来るなら宗谷さんも声を聞いていないとおかしいですし……」
「いや。別におかしいとは思わない。何故なら……舞空さんと出会った頃は、俺はゴローの声を聞かないように努めていたからだ」
「……?」
首を傾げる私を前に、宗谷さんは目を伏せて言葉を続ける。
「ゴローが病気になって、投薬やら注射やらを自宅でやるようになった。ゴローは、薬を飲もうとしなかった。飲ませても吐いてしまう。注射も嫌がって抵抗する。まあ、抵抗する力も弱くなっていたから、世話をする事は出来たんだが。猫の病気を治そうとするのが正しい事なのか、ゴローは今俺に対して何を思っているのか……。今猫の言葉を聞いたら、迷いが生じてしまう。そう思ったから、ゴローの反応は考えないようにしていた。俺には聞けない言葉が、舞空さんに聞こえたとしても……俺は驚かない」
「…………」
ゴローの闘病中の話は宗谷さんにとっては辛いのではないかと思っていたけれど、彼の声色は穏やかだ。色々な葛藤を経た上で、普段どおりに話せるようになったのかもしれない。
「舞空さん」
「はい」
宗谷さんに名前を呼ばれて、私は背を正した。
「君が言った事は、確かに現実離れしているかもしれない。俺は色々な猫を世話してきたが、猫と人が真の意味でコミュケーションを取れるかどうかは、未だにわからない。でも……、人相手ならば、言葉を交わす事が出来る。それは間違いない事だ」
「それは、そうですね」
「人相手ならば、言葉を交わす事が出来る……。それは当たり前の事かもしれないが、俺が今まで疎かにしていた部分でもある。だから、今日は君に話したい事を全て伝えておきたい」
「……それは……何でしょうか」
「猫カフェを閉めるかどうかという話をしていたが……あれから色々考えて、俺は、保護猫カフェとして営業形態を変えようと思った」
「!……という事は……、猫たちの里親を募集するという事ですか?」
「そうなるな」
宗谷さんは頷き、言葉を続ける。
「舞空さんは既に知っている事だろうが……もともとこの猫カフェは保護猫カフェだったんだ。客の中から希望者を募って、猫の里親になってもらった。カフェから猫が卒業したら新たに保護猫をカフェに迎える。そんな風にして猫と客との出会いの場を作っていた。今でも、カフェの中にいる猫たちは保護された猫であるという点は変わりがない」
「……そうだったんですね」
宗谷さんは頷き、そして説明した。
保護猫が保護される経緯は様々だ。
血統書付きの猫は、ペットショップやブリーダーで飼い手が見つからなかった猫である可能性が高い。
雑種の猫は、元々野良猫として暮らしていた可能性が高い。
そして、どちらの猫であっても、家庭で飼われていたのに手放される事になった境遇の猫は多いのだという。
「前のオーナー……俺の父親は里親探しも積極的に行っていたが。俺は今まで里親探しをしようとは考えていなかった。カフェに来ている間だけ対応すればいいのとは違って、今後の事も考えて客と接しないといけない。それが俺には手が余ると思ったからだ」
「……ですが……これからは、違うという事ですか?」
「ああ。最初は、今猫カフェにいる猫たちはゆくゆくは俺が全員引き取ろうと思っていた。でも、ゴローが病気になった事で考えが変わった。俺ひとりではゴローとアーニャを同時に見る事は出来なかった。だから、猫を第一に考えてくれる家族が現れる可能性があるなら、それを探すように動いた方が猫にとってはいいだろうと……」
そこまで話した宗谷さんは、一旦口を閉じて私に向き直った。
「……でも、それは俺一人で出来る事だとは思っていない。舞空さん。君に協力して欲しい」
「え、え?……わ、私ですか?」
宗谷さんは頷き、そして言葉を続ける。
「白金や他のアルバイトは……もともと猫に過度な愛情を持たず、俺にも意見を出す事はあまり無い。俺が無意識のうちでそういう人間を選んでいたんだ。俺は猫の事は好いていたが、人と話し合って何かを進めるのは得意じゃなかったからな。俺の指示に従ってくれそうなアルバイトを優先して選ぶようにした」
「……そうだったんですか」
「君をスタッフに雇ったのだって、言うなればそうだった。俺の指示を聞いてくれそうで、最低限アーニャとうまくやっていけそうな人間なら誰でも良かった。だけど……」
「わっ」
宗谷さんは席を立ち、私の手を取って口を開く。
「舞空さん。今の俺は、前とは考えが変わった。君はアーニャの事を親身に考えてくれたし、客に対しても心を砕いてくれた。今の猫カフェの写真を見たら、猫も客もみんないい表情をしていた。俺だけではここまで出来なかった。だから、俺には君が必要だ。辛い事もあるかもしれないが――これからも猫カフェのスタッフとして、一緒に働いて欲しい」
「…………」
私はごくりと息を呑む。
ああ。
宗谷さんが私に色々と教えてくれるのは、私が頼りないからだと思っていた。
だけど……。
違うのか。
宗谷さんは、私を必要としてくれていたのか。
嬉しさと、照れと、それとは別の心配事が胸に湧き、私の頭はいっぱいいっぱいになる。私は小声で宗谷さんに呼び掛ける。
「そ、宗谷さん。とりあえず座りましょう。……宗谷さんを知っている人がいたら、噂になってしまうかもしれませんから。そうなったら白金さんもきっと心配します」
「あ、ああ……わかった」
宗谷さんは椅子に座って一息ついた。
私はその様子を確認してから、彼に自分の考えを伝える。
「宗谷さん。わ……私も、宗谷さんと一緒に働きたいです。猫の世話のお話も聞きたいですし、それを抜きにしても……宗谷さんと一緒にいれたら、心強いです。私はまだまだわからない事が沢山ありますし、一人では悩んでしまう事もいっぱいあるので、そんな時は相談させてください」
「……うん」
「宗谷さん。これからもよろしくお願いします」
その日の閉店時間後、私達は猫カフェに戻った。
中には白金さんがいて、私達を迎えてくれた。
私達は、カフェで決めた事について白金さんに話した。
「へえ。じゃあ閉店はなしになったんだ。この猫たちとももうちょっと付き合いは続くわけね」
「ああ。白金。出来る事なら、お前には可能な限りここでスタッフを続けて欲しい」
「あ、はあ。そうなの?」
「お前は猫をよく世話してくれているし、俺では気が付かないような接客の事にもよく気づいてくれる。俺は対人の場数を踏んでいないから、白金のようなスタッフがいてくれたら助かる。だから、良かったらこれからも一緒に働いて欲しい」
「……はあ。……そうですか。……。ま、俺は役者の仕事が忙しくなったらすぐに辞めますけどね。それでいいなら、いいよ。アルバイトの中では、稼ぎも悪くないしね」
「ああ。そう言ってくれると嬉しい」
「……しかし、宗谷くんも前より口数が多くなったね。前に共演した子も驚くんじゃない?あはは……」
白金さんは宗谷さんの言葉を聞いて、伸びをして踵を返した。
……何でもないように振る舞っているけど、内心は照れているのかもしれない。白金さんの声がいつもよりも上ずっているような感じがするから。
白金さんはスタッフルームをゆらゆらと歩いた後、椅子に腰掛けて宗谷さんに聞く。
「それにしても、保護猫カフェか。今までとどれくらい運営方法を変える訳?」
「基本は猫カフェの時と変わらない。違いは、里親募集をするという事と、里親が決まって卒業する猫が出てきたら、頃合いを見て新たな保護猫をカフェに迎えるという事だな。里親は何年も決まらない事もあるから、今すぐにカフェの猫が入れ替わるという事は無いと思うが、そのうち変化はあるかもしれない」
「へええ~。じゃあ、猫みんなに里親募集をかけるって事?」
「いや。まだ里親募集をかけない猫もいる。アーニャは対象外だ」
「へえ。アーニャはそうなの。なんで?」
「……なんでですか?」
「アーニャはまだ避妊手術が出来ていないからだ」
宗谷さんは私と白金さんに説明した。
アーニャは、今は生後数カ月くらいの猫だ。
まだまだ身体が大きく育っていないから避妊手術は出来ていないけど、もっと成長したら発情期がくる。
増えやすい動物というと鼠が有名だが、猫もかなり増えやすい部類に入るのだという。
発情期がきた猫を避妊しないまま、去勢しないままにすると、猫は何匹も子猫を孕む事になる。子猫を産ませるかどうかは飼い主の選択に委ねられるが、猫を増やしすぎないようにしたい場合や、猫にマーキング習性をつけないようにしたい場合手術を行う。
猫カフェでは全ての猫に対して避妊・去勢手術を行うようにしている。アーニャ以外の猫は皆手術済みだ。このまま問題なく育ったら、アーニャもその時を迎える事になるだろう。
「避妊手術を終えた後の猫は、体力も消費するし身体が変わった事でショックを受ける事もある。そんな時に住処を変えると猫の負担が大きくなる。だからまだ募集の猫には入れない」
「なるほどねえ。ま、アーニャにとってはその方が良かったんじゃないの。手術の問題を抜きにしてもね」
白金さんの言葉に、私は首を傾げる。
「そういうものでしょうか……」
「アーニャはほら、未だに舞空ちゃんにべったりだからね。引き離されるのは寂しいだろうし」
「うにゃにゃ」
「あ、ほら来た。俺ばっか舞空ちゃんと話してるのイヤかー。ごめんごめん」
スタッフルームに猫用扉を開けて入ってきたアーニャは、白金さんに軽く威嚇をしてから私に何やら喋りかけ、再び猫用扉を出た。
私もアーニャに従ってフロアに出る。
猫が話しかけてくる時は、何かを要求している時か、甘えたい時だ。フロアで何か起きているのかもしれないと思い、私はアーニャの向かう方向へ歩いていった。
フロアは静かで、猫たちも皆眠っていた。
平和だ。
そして、アーニャは私の足に前足で触れて、じっと見つめてくる。
……どうやら、今回の場合は私に甘えたかったようだ。
「アーニャ」
私は座り込み、アーニャを抱っこした。アーニャは私の手にすりすりと頭を擦り付けてくる。
リラックスしているらしいアーニャを見て、私はこっそりと片手でブラシを取り、アーニャの毛をブラッシングする。
アーニャはブラッシングに抗議してうみゃうみゃ言っていたけど、それでも私と触れ合いたいという気持ちの方が勝ったのか、最後までやらせてくれた。
私はブラッシングのお礼におやつをあげる。細い袋に入ったウェットフードだ。アーニャは私にぴったりくっつきながらおやつを食んでいる。
そんなアーニャを見ていて、私は気づく。
出会った当初のアーニャは、私の手のひらで胴を包んでしまえるくらい小さかった。
今のアーニャは、私が指を伸ばしても包む事は出来ない。
アーニャは着実に成長しているんだ。
そして、いずれは手術を受けて、子供を産めない身体に変化する。
……みんなが通る道で、必要な事だからといって、何も感じないかというと決してそんな事は無い。
子供を産めなくなるというのは、生物としては大きな変化になるだろう。アーニャ自身は自分が何をされたかわからないだろうけど、身体を弄られて以前と何かが変わった事にショックを受けてもおかしくはないのだ。
猫の気持ちを人が完全に理解することは難しいかもしれないけど、それでも猫を気遣う心を失わないようにしたいと思う。
アーニャが手術を受ける事になったら、目一杯労ってあげよう。
そんな事を考えているうちに、アーニャがおやつを舐め終わった。
私はおやつの袋をゴミ箱に捨てる。
と、アーニャが袋を追ってゴミ箱をガタガタし始めた。もっと食べたいと思っているようだ。
「やめなさい」
「うう~」
じたばたするアーニャを抑えつつ、私は考える。
このカフェの営業形態が変わろうとしていたり、宗谷さんがスタッフとして復帰したり、色んな事が変化していく。けれど、私はいつだってアーニャのこういう自分をはっきり出す所に癒やされてきたと思う。
いつかはアーニャもつむぎやエリザのように、人といい感じの距離感を取れる大人のレディになるのかもしれないけれど、今はまだ知り合いにはべったりの子供のままだ。
それに、仮に大人猫と呼ばれる年齢になったとしても、アーニャの気質は変わらないかもしれない。
だとしたら――私はいつまでもアーニャとこうして触れ合う事が出来るのかもしれない。
老猫になっても一緒にいた、ゴローと宗谷さんのように。
私はそんな日々を夢想しながら、ゴミ箱からアーニャを引き離すのだった。
日々の猫の世話で一番気合を入れて行わなければいけない事は、身体のケアだ。
人間であっても、生活を営む上で散髪をしたり身体を洗ったりといった身体のメンテナンスが必要だ。猫もそれは例外ではない。
ただし、猫と人間では必要となるケアが異なるものもある。
例えば、猫は普段自らの舌で毛づくろいを行う。人間としては見ていると和む光景だが、猫にとっては体調面でも大事な作業だ。猫の唾液には殺菌作用があるため、毛づくろいをすることで猫の身体を清潔に保つ事が出来るのだ。
猫一匹だと届かない場所もあるのだが、猫が複数匹いる環境だと猫同士で身体を舐め合う事が出来る。首の後ろなど、自分ひとりだと舐められないようなところも猫同士で舐め合っている所をよく見る。これは猫たちの親愛の現れの行為らしいが、猫を世話する人間としても喜ばしいものである。身体を清潔に保てる範囲が広がるからだ。
だが、猫に近付くのを嫌がる猫もいる。
そういう子は、人間がケアしてあげる事も必要になる。
「アーニャ」
「みう」
ある日の開店前、私はアーニャを捕まえて片手にブラシを持った。
手早くブラシで毛を梳こうとするも、お手入れされる事を察したアーニャは、ぐねぐねと軟体生物のように身をよじる。
やがて私の腕からぬるりと抜け出した。
「ああ……」
私はため息をつく。
猫は自分が好きな事なら人間に付き合うが、自分の嫌な事は頑としてやらない個体が多い。アーニャはおやつやおもちゃや撫で撫では歓迎するようになったが、身体のケア全般を嫌がるのだ。ブラッシングも少しずつなら出来るが、身体をいじられるのに抵抗があるのか、暫くすると逃げてしまう。
ブラッシングはまだいい。
本当に問題だと思っているのは、爪切りだ。
人間と同様、猫も爪が伸びる。
猫カフェに来るまでは、猫の爪研ぎが人間にとっての爪切りだと思っていた。が、それは勘違いだったようだ。
爪研ぎとは猫の爪を鋭利にするものであって、根本から短くする訳ではないのである。
だから、猫の爪を短くするためには人間が手入れしなければいけない。
爪が長いままだとカーテンなどの布に引っかかって取れなくなる危険があるし、猫カフェでは他の猫や人間を引っ掻いて攻撃してしまう可能性もある。だから、爪は短く保たないといけないのだ。
――いけないのだが、私は今のところ爪を切れた事がない。
ちょっと爪が伸びているなと思って、私はアーニャを抱き上げて爪切りしようとした事がある。
アーニャは抱っこされて満足したのか目を細めてごろごろ喉を鳴らしていたけど、私が爪切りを取り出すと、逃げようと決意したのかもがき始めた。そのままアーニャは逃亡してしまった。
他のスタッフさんに爪切りのコツについて聞いてみたけど、どうやら全員知らないようだった。病院に行った時についでにやってもらったり、かつては宗谷さんがやっていたりして、猫の爪は綺麗に保たれていたようだ。
現時点ではアーニャの爪も問題ない長さになっている。これは恐らく宗谷さんが手入れしてくれたのだろう。
だが、時間が立てばまた爪は伸びる筈だ。
手練の方にお願いするのも一つの手ではあるが、自分で出来るようになれるならば、やり方を学んで習得するようにしたい。
アーニャが爪切りを快く受け入れてくれるようになってくれたら、私にとってもアーニャにとっても過ごしやすくなる筈だが……。
「みゃうみゃう」
「あ、ジロウ」
キジトラのジロウがご機嫌そうに私にすり寄ってくる。
ジロウの大きめの肉球をもみもみしながら、私はジロウの手を見つめる。
ジロウの爪をよく見ると、アーニャよりは伸びている。そろそろ爪を切っていい頃合いだ。
アーニャは気難しくて怯えやすい性格だけど、ジロウはどちらかというと人懐っこくて楽観的な性格に見える。
例えば、ジロウの方で爪切りのやり方を学んで、それからアーニャの方に臨んだほうがいいんだろうか……。
――ピンポーン。
ジロウに触れながら頭を悩ます私の耳に、インターホンの音が鳴り響く。まだ開店前だけど、来客みたいだ。
「はい。あ……」
私は扉を開けて、そこにいた人を認めて目を見開く。
宗谷さんが扉の前に立っていた。
「入るぞ」
「は、はい……」
荷物を持った宗谷さんがカフェの中に入っていく。白金さんが宗谷さんを迎えて、不思議そうな声を出した。
「宗谷くん、どうしたの。まだ俺たち連絡貰ってないと思うんですけど?」
「店をどうするかをはっきりと決めた訳じゃないから、まだメッセージは送っていない。今日は……猫カフェのスタッフの作業をするために来たんだ」
「え?作業?」
「数ヶ月休んで他のスタッフに任せていたが、今日復帰しようと思った。だから来た」
「……はぁ。いや、それならそれで連絡してよ!まあ、シフトが減るよりかはましだけどさ……。じゃあ、今日は俺と舞空ちゃんと宗谷くんの三人シフトって事?」
「そういう事だな」
「フロアにいるにしてはちょっと多いんじゃない?スタッフの方に猫が取られちゃったら、お客さんが手持ち無沙汰になるかもしれないじゃん。それとも、宗谷くんはスタッフルームで作業をしに来たの?」
「いや、フロアに出る予定だったが……。そうか、多いのか。なら、今日は休みを取りたいなら取ってくれてもいい」
「あ、そうなんだ。じゃあ俺、二時頃から休みを取ろっかなー。舞空ちゃんはどうする?」
「私ですか。私は、休みはいいです。今日はアルバイトを一日するつもりだったので……」
白金さんの質問に答えながら、私は宗谷さんの様子を横目で見る。
……今日は宗谷さんと一緒にバイトをする事になるんだ。
宗谷さんは、猫の世話をし続けるのは負担になると以前に言っていた。
それがどこまで解消されたのかはわからないけれど、本人がこう申し出るという事は、何らかの変化があったのだろう。
宗谷さんはゴローが病気になる前はずっとスタッフの作業をしていたらしい。猫たちも宗谷さんとの付き合いが長いのだから、安心して過ごせる事だろう。
それに、私も宗谷さんに聞きたい事がある。
「宗谷さん」
「なんだ?」
「ジロウの爪がちょっと伸びてるみたいなんです。私、今まで猫の爪をちゃんと切れた事が無くて、練習も兼ねてジロウの爪を切ってみようか考えていて……。良かったら、コツを教えていただけませんか?」
「ああ、爪か。そうだな……ん?」
私に応える宗谷さんの足元に、大きな影がすり寄ってくる。
シャークが宗谷さんをじっと見ながら近づいてきた。
シャークはオスのサバ白の猫だ。アーニャは美少女だとか姫だとか称される事が多いが、シャークはこの猫カフェの中でも屈指の男前だと思う。目元がきりっとしていて、写真映えする整ったルックスをしているのだ。
ただし、私とシャークは相性があまり良くなかった。
正確に言うと、私がシャークと遊んだり撫でようとしても、シャークの方が興が乗らないようで去っていってしまうのだ。
もの言いたげなシャークを見つめた宗谷さんは、身をかがめてシャークに接近し――
シャークの尻尾の付け根を勢いよく叩き始めた。
「えっ」
その激しさに私は面食らう。
宗谷さんは、スタッフに復帰するのが久しぶりで猫との接し方がわからなくなっているのでは――。
そんな懸念が浮かんだけど、シャークの様子を見てそれは違うとわかった。
「……シャークさん……気持ちよさそう、ですね」
尻尾の付け根をばしばしと叩かれたシャークは、表情をとろんとさせて腰を上にあげていた。もっとやって欲しいという態度だ。
宗谷さんがババババと叩くのを続行すると、シャークはごろごろと鳴き始めた。
私は驚きの声をあげる。
「……シャークさん、私が相手だと遊んでいてもあんまり楽しそうではないんですよね。でも、宗谷さんが相手だとすごく心を許している感じがします」
「いや、そういう事では無いと思う。シャークは腰を叩かれるのが好きなんだが、音が出るくらい強めにやらないと文句を言ってくるんだ。舞空さんは手加減してるからシャークは物足りないんだと思う。今度からは強めにやればきっとシャークは甘えるようになる」
「そ、そうなんですね……」
「といっても、長くやり過ぎると刺激が強すぎて良くないから、程々にするように」
私は宗谷さんの言葉に頷く。
猫によっては腰を叩かれるのを好む子がいるから私も実践した事はあるが、ここまで強めな方が好きな子がいるというのは初めて知った。猫の習性は千差万別なんだなと改めて思った。
心の中で感心していると、もう一匹近づいてくる猫がいる。ジロウだ。
ジロウも腰を叩かれるのが好きな猫だから、自分もやって欲しいと思って近づいてきたんだろう。そう考えると微笑ましかった。
……そう、思っていたのだが。
「うううう」
「にゃ?うにゃにゃ」
「うるああああ」
「ちょ、ちょっと、シャークさん……?」
宗谷さんに腰を叩かれてとろけていたシャークは、近づいてきたジロウに向かって威嚇の声を出した。ジロウは威嚇を然程気にしていないようで、シャークの近くをうろうろしている。
シャークはやがて立ち上がり、ジロウに向けて前足を鋭く放った。
――猫パンチ、だ。
パンチを受けたジロウは、興奮したように唸りながらシャークに反撃のパンチをする。
殴り合いを始める二匹の猫から周りの猫が一目散に逃げていくのが視界の端に写った。
これは――喧嘩、なのか。
私は心の中で冷や汗をかく。
猫カフェに来たばかりの時のアーニャも、周りの猫を威嚇したり軽く猫パンチする事はあった。だが、アーニャが子猫のメスで攻撃力が低いので、周りの猫を怪我させる懸念はあまり無かった。
ジロウは一歳、シャークは二歳、どちらも若い大人のオス猫だ。つまり力が強く、喧嘩が長引くと怪我をしてしまうかもしれない。加えて、猫カフェという住居の中に喧嘩をしている猫がいると他の猫たちが怯えてしまう。
私は二匹の間に立ち、喧嘩を止めようとした。
「ま、待って、シャークさん……ジロウ……」
「――舞空さん、動かないで。ちょっと待っていてくれ」
宗谷さんが鋭く声を飛ばした。私は彼の指示に従い、立ち止まる。
二匹で絡み合っていたシャークとジロウだが、不意にシャークがピャッと驚きの鳴き声をあげてジロウから離れた。
思わず宗谷さんの方を確認すると、霧吹きのスプレーが彼の手にある。水をシャークに吹きかけたのだろう。
宗谷さんはシャークとジロウの間に立ち、そしてシャークを抱き上げる。
「攻撃を仕掛けたのはお前からだったな。懲罰房行きだな」
「なあああ」
宗谷さんに抱っこされたシャークは、そのままカフェに設置されているケージの前まで連れて行かれる。そしてシャークはケージに閉じ込められた。
不服そうにケージの中でにゃあにゃあ鳴くシャークに背を向け、宗谷さんが戻ってくる。
「興奮している猫を直接止めようとすると、人間も怪我するから。霧吹きで水をかけたり、おやつでおびき寄せたりして、猫の注意を喧嘩相手から離すようにしてくれ。シャークは反省させるために他の猫から隔離させる事にした。落ち着いてきたら今日中にフロアに戻すようにする。あと、さっきジロウの爪を切ろうという話があったな。今やってみよう。
「は、はい」
ジロウの方を見ると、伸びをしながら片手をぺろぺろと舐めていた。先程まで喧嘩していたというのに、もう落ち着いたようだ。ジロウの方はスポーツ感覚でそこまで本気じゃなかったのかもしれないけど。
「ですけど……私、爪を切るのにすごく手間取る事が多いです。もしかしたら開店時間になっても終わらないかも……」
「それなら、二人でやろう」
「二人……?」
「猫の身体を押さえる方と、切る方。俺がジロウを捕まえておくから、舞空さんは爪を切ってくれ」
そう言うと、宗谷さんはあぐらをかいてジロウを抱っこした。
ジロウは抱っこされて満足そうな様子だったが、私が爪切りを見せると逃げる体勢を取った。が、ジロウは宗谷さんの足の上から動かない。宗谷さんがしっかりと身体を押さえているからだろう。
「ジロウの足先を揉んでみてくれ。そしたら爪が出てくるから」
「は、はい」
私は宗谷さんの指示に従いながらパチパチとジロウの爪を切り、やがて爪切りは完了した。宗谷さんから解放されたジロウは、伸びをしてキャットタワーの高いところにあがり、眠る体勢になっている。
「……宗谷さん、すごいです。私、アーニャを爪切りしようとしてもいつもするって逃げられちゃうのに……」
「猫の動きを制限するのにはコツがあるんだ。猫を抱っこする時に背中をしっかり抑え込むようにすると安定感が出る。猫によっては他の体勢の方がリラックス出来る場合もあるから、色々試してみるといい」
「なるほど……」
私は頷きつつ、心の中で考える。
……宗谷さんは、やはり手慣れている。
猫たちの好みを把握している事もそうだが、行動に移す際の迷いがなく、てきぱきと作業をする事が出来るのだ。
爪切りもそうだが、私はひとつの動作に時間をかけてしまう事が多い。猫は飽き性だからやりたい作業はさっと終えた方がいいというのに。
……まだまだ、勉強しないといけない事が山ほどある。
反省すべき事は沢山あるが……、とりあえず、今は猫カフェの開店に備えよう。
そして、自分に出来る事を増やしていこう――そう思った。
「もうそろそろお時間です。よろしいですか?」
「……あ、スタッフさん、僕は帰る時間です!」
「私は延長お願いします!」
「かしこまりました」
店の中には研究員のような風貌をした男性がひとり、私と然程変わらない年齢の女性が何人かいた。そして男性の方が帰る宣言をした。
「ポイントカードを作られますか?」
「はい、作ります!……今回はじめて来て思ったんですが、本当に時間が足りないですね。一時間いたのに一瞬で終わってしまいました。また来て、今回遊べなかった猫ちゃんと会いたいです」
「ふふ、ありがとうございます」
この猫カフェには十匹以上の猫がいる。猫一匹あたり十分遊んだとして、全員と遊ぶ事は出来ないままに店を出る時間になる。
猫と遊んでいると、一時間が五分くらいで過ぎていくというのは私自身覚えがあることだ。入れ替えの時間を知らされて、名残惜しそうにカフェを出るお客様を何回も見送ってきた。
お客様が満ち足りた時間を過ごして帰れるのは、私としても嬉しいことである。
──ピンポーン。
「はい。今参ります!」
私は、カフェに新たに来た客を迎える。
新たに来た客は、白金さんや宗谷さんと同じくらいの年代の男性客だった。
カフェに来るのは初めてということらしいので、私は店での過ごし方やルールを説明する。説明を聞き終わると彼は頷き、一人でソファに座った。
「わー!」
「えっ、すごい!やんちゃだねー」
「どうしよどうしよ、かわいいけど困るー」
私がフロアの掃除をしていると、お客様の声が聞こえてくる。
ちらりと見に行くと、ロングスカートを履いたお客様が嬉しがっているような戸惑っているような声を出している。その視線の先には明るい茶色の尻尾があった。
「こら、きなこ!」
私はきなこの名を呼ぶ。名前を呼ばれるのが好きなきなこは、ひょこりとスカートの裾から顔を覗かせて、私のもとへと走ってきた。私はため息をつきながらきなこをあやす。
「猫ちゃんは、スカートのようなひらひらふわふわしたものを好む習性があります。この子はまだ子猫で好奇心旺盛なこともあって、お客様のスカートが気になってしまうみたいですね。気になるようなら、この子は別の場所に移しますが……」
「いえ、そんな!最初はちょっとびっくりしましたけど、かわいいので大丈夫です!あ、ほら、こんなにふみふみしてくれて……」
「ね、かわいいよね~、その子。いいな、私もスカートで来れば良かったな……」
パンツスタイルのお客様は、羨ましそうに同行者を眺めている。猫好きのお客様ゆえに、猫に集ってもらえるのは羨ましいようだ。
私は、カフェの棚からあるものを取り出して、お客様のもとへと持っていった。
「これは……?」
「ブランケットです。猫ちゃんはふわふわした布が大好きなので、足を伸ばした上に乗せたら乗ってきてくれる事があります。体育座りをした上にブランケットを乗せて猫が隠れられる空間を作ったら、猫が安心して寄ってくる事もあります。試してみてください」
「わ、ありがとうございます!……わ、猫ちゃん来た!かわいい……」
黒猫のうにおがお客様に寄ってきて、ブランケットの上に乗ってふみふみし始めた。お客様達は喜んでくれているようだ。私はその様子に微笑む。
客である人間をどの程度接客するかは猫の気分によるけど、出来る事ならば猫も人も楽しめる時間を作ってあげたい。私は宗谷さんに比べたら知識も経験も足りないだろうから、まだまだ勉強したいものだ。
そう考えた私は、カフェを移動して掃除しつつ店内をぐるりと見渡した。他のお客様にもしてあげられる事が無いか考えながら。
女性のお客様がうにおときなこを撫でながら歓声をあげている。
他の猫たちも興味を惹かれたようにそちらの方を見つめている
男性のお客様は、近くに猫はいないようだが……。
…………。
――。
……まずい。
店を見渡していた私は、ある事に気付いてしまった。
このカフェの中で、放置していたらまずそうな事が起きている。
だが、事を公にすると大変な事になりそうだ。
…………。
悩んだ末、私は該当の客――茂木さんに話しかけることにした。
「すみません。少しお話したいことがあるので、よろしいでしょうか」
「……はい?どうしましたか?」
先程入店した男性客の茂木さんは、私を見て不思議そうに首を傾げる。だが、一応話には応じてくれた。
私は茂木さんをカフェの外に連れ出す。
「どうして外に……俺に用事でもあるんですか?」
「すみません。先程カフェの中を掃除している時、お客様が写真を撮られているところを見たのです」
「写真……え?それ、駄目だったの。俺以外の人もみんな楽しく撮ってると思うんだけど?」
「それは、そうです。ですが……」
そうだ。
お客様の様子を見ているとき、私は目に入ってしまった。
茂木さんが女性客の写真を撮っているところを。
猫カフェに来店した客のうちの多くが猫の写真を撮っていく。猫とのふれあいはカフェから出てしまえばおしまいだけど、写真や動画に残せばずっと楽しむことが出来るからだ。
だが、猫カフェでの写真撮影にはある問題がある。
カフェの中に客が沢山いる時、猫だけでなく人間の客が写り込んでしまうということだ。
私も、もっとカフェの中に人数が多い状態で、たまたま人が写ってしまったような写真ならば見逃しただろう。
だが、先程見た茂木さんのスマホには女性客のみが写っていた。しかも、そんな写真を何枚も撮っていた。
たまたま写ってしまった風を装って、わざと店内の客を盗撮したのではないか――。
私は、そう考えた。
だけど、疑いは疑いでしか無い。本当にたまたま他の客が写り込んでしまった可能性はある。
だから、とりあえず注意だけしてカフェに戻ってもらおうと考えた。
「このカフェの中で写真撮影をすることは許可していますが、それでも店のお客様を無制限に撮っていい訳ではないのです。お客様のもとにいる猫を撮りたい場合はその方に許可を貰ってから撮るようにして下さい」
「……スタッフさん」
「はい」
「俺が店に入る前にさ、客が帰っていったよね。あの客のことも調べた訳?」
「え……」
私は、茂木さんの指摘に狼狽える。
「いえ。あの方には何も……」
「何でだよ。他の客にも注意しろよ。あんたが気づかないだけで、俺の他にも客を写しちゃった人間なんて沢山いたんじゃないの?あんた、鈍臭そうだもんな」
「それは……」
茂木さんの言葉に、私は唇を噛む。
……自分が鈍くさいというのは、私自身ずっと気にしていたことではあるけど……。
彼にそれを指摘されて、一気に気持ちが萎んでいくような気持ちがする。
私が俯いていると、カシャッと音がする。
茂木さんが私にスマホを向けて写真を撮っていた。
「あの、お客様。何を……」
「客を撮るのが駄目なら、スタッフさんを撮るのは問題ないんだよね?」
「え?」
「このカフェの中にいる猫って、スタッフなんだろ?猫スタッフって書いてあったもんな。ならスタッフはみんな撮っても問題ないってことだ」
「それは……そういうことでは……」
「あ?猫は撮ってもいいけど自分は駄目って、スタッフさんは実は猫のこと下に見てるってことなのかな?」
「いえ……それは、違……」
「なに言ってんの?違わないでしょ。……そういえばここって、地図アプリにも載ってる店なんだよなあ。スタッフさん、連絡先教えてよ。教えてくれないなら……ここのスタッフは客への対応が悪いし猫も適当に扱ってたってレビュー載っけちゃおうかな。猫が本当に大事なら、猫に影響するようなことは避けたいだろ?」
茂木さんの言葉を聞いて、私は内心青ざめる。
彼のいう通り、この猫カフェは地図アプリ上で場所を調べられるようになっている。そして、自由にレビューを載せられるようになっているのだ。
現代では飲食店や旅行スポット等でレビューサイトがよく使われているが、猫カフェもレビューを参考にして行く人は存在するだろう。
逆に言うと、レビューに悪いコメントを書かれたら客足が遠のいてしまうかもしれない。
そしたら……猫たちの食事代や、日々の消耗品のお金が稼げない。
今はカフェの中でのびのびと遊んでいる猫たち。その猫たちがお腹を空かせたり、悪い環境で過ごすことになると考えると……。
――いやだ。
そんな事、想像したくもない。私の生活に多少支障が出るとしても、猫たちの暮らしは守りたい。
そう考えると……。
私は、茂木さんの申し出を……。
「ちょっと」
茂木さんの前で固まっていた私の前を、猫カフェの制服を身に纏った人影が遮る。
その人は、険しい顔で茂木さんを見据えている。
「俺はこの猫カフェのオーナーです。お話をさせてください」
「……宗谷さん……」
「舞空さん。この男と何かあったのか?」
「……。いやいや。ちょっとした行き違いで、ねえ。そうですよね、スタッフさん?」
茂木さんは先程の様子を収めて私に呼びかけてきた。
……宗谷さんが出てきたから分が悪いと判断したのか、さっきの事、無かった事にしようとしているんだ。
このままカフェに戻ったら、表向きは何事もなく過ごす事が出来るだろう。
でも……。
私の茂木さんへの疑惑はまだ晴れていない。
またカフェに戻した上で他のお客様を盗撮されたら、他のお客様を守れない事になる。
私はこの猫カフェが好きだ。日常から離れて、癒しの時間を過ごせるこの場所が。
だから……見過ごす事は出来ない。
「このお客様が、さっき他のお客様の写真を撮ったように見えたんです。だから、話し合いをしていました」
「あ?」
私の言葉に、茂木さんはぎろりとこちらを見る。
……怖い。
でも、私がやらなければいけない事だ。
「茂木さん。偶然写ってしまった写真は消してもらって、今後は同じ事をしないようにして貰えたらそれでいいんです。だから……」
「舞空さん……もういい。多分、君が頑張ってもこの男には何も響かない」
宗谷さんは深く息をつき、茂木さんに対峙する。
「あなたの荷物は今持っている分で全部ですよね。では、そのままご退出下さい」
「は?何だよ。出禁にするって事?あんたは俺をクレーマーだって言いたいのか?何を根拠に言ってるんだ!」
「さっき、カフェの店内からそちらの様子が見えた。あなたは、うちのスタッフの写真を無理やり撮っていませんでしたが?」
「…………」
「注意された事を聞き入れようとしているのなら、そんな態度は取らないと思います。うちのスタッフに何をしようとしていたんですか?」
「はあ?……なんだよ。あんた、カフェのオーナーなら売上が一番大事なんじゃないのか。客を無下に扱っていいのか!この事はネットで流すからな!」
「このスタッフは猫達の面倒をよく見ているし、猫達に気に入られてるんです。彼女に負担をかける事はオーナーとして許しません。他の客やスタッフに迷惑をかける人間は客じゃなくていい。帰って下さい」
「……くそっ!」
茂木さんは、カフェに背を向けて走り出した。
彼の姿が見えなくなるまで見つめていると、猫カフェの扉が開く音がする。
「舞空ちゃん、宗谷くん。あのお客さん、何かあったの?」
中から出てきたのは白金さんだ。茂木さんがいなくなった方角を見つめて困ったような顔をしている。
「あいつは問題客だから出禁にした。他のスタッフにも説明して、今後店に来ても入れないようにする」
「へっ?何、どういうこと」
宗谷さんがこれまでの経緯を簡単に説明をすると、白金さんは難しい顔で話に耳を傾ける。
やがて、白金さんは肩を落として言った。
「何というか……宗谷くんや舞空ちゃんには感謝してるよ?これ以上お客様や舞空ちゃんに被害が出る前に追い払えて良かった。それはそれとして……ここで話をするべきじゃなかったかもね。ここってカフェの中の窓から見えるし」
「えっ。そうなんですか」
「現に今店にいるお客様達、何かスタッフが揉めてたのかなってちょっとざわざわしてるし……。宗谷くん達は悪くなくても、怒ってる人を見るだけで周りは緊張するものだから。他のお客様の居心地を良くするっていうのも大切な事だからさ」
「そうなのですか……」
「こういう事は舞空ちゃんというより、オーナーの宗谷くんの方が考えておくべき事だからね。ま、俺もトラブル対応について何も言ってなかったのも悪いと思うけど……」
「む……」
私は白金さんの指摘に、しまった、と思う。白金さんは他に接客業をしていた事もあったみたいだし、私よりも迷惑客の対応には詳しいのだろう。
顔を伏せる私に、白金さんはぱんと手を叩いて朗らかに笑った。
「ま、暫く静かになったら客も気にしなくなるだろう。舞空ちゃん、宗谷くん、どこか行ってきなよ。今日はもうカフェで働かなくていいから。俺が店番しとくよ」
「えっ。……で、でも、白金さんは午後にお休みを取る予定でしたよね?」
「はは。なんかね、今日は珍しくつむぎが営業時間中に起きてるし、ジロウも甘えたそうにしてるし、お客様がいない時間に構ってやるのも悪くないって思ったんだよ。甘えたい時に構ってやらないと後々面倒な事になりそうだしな。だから予定変更しました。という訳で宗谷くん、よろしくね」
「ああ……。わかった」
「あ、そうだ。もし二人で一緒に出かけるんだったら宗谷くんは帽子をかぶった方がいいよ。舞台での宗谷くんを知ってる人がいるかもしれないからね」
白金さんは今後の予定を決め、猫カフェの中に戻っていった。私と宗谷さんも彼の後に続いた。
「ふう……」
私はスタッフの制服から着替え、荷物を持って再び外に出た。
カフェの中がどうなっているか気になっていたけれど、猫たちの接客もあって、お客様たちは楽しんでくれているようだ。きっと後はいつも通りの時間を過ごせる事だろう。
……でも、白金さんに負担をかける事になってしまったのには申し訳ないと思う。この埋め合わせについて後で相談しないと。
開店前に宗谷さんの猫を世話する技術を見て、私も自分に出来る事で貢献したいと思ったのに、結局負担を増やしてしまったな……。
この猫カフェは閉店するかもしれない。だから今いる猫と接する事が出来る時間も限られているかもしれないのに。
次にアルバイトに入れる日は、もっと色々考えて動くようにしなきゃ……。
今日起きた事について考えて俯いていると、後ろの扉が開いた。
「あ、お疲れ様です、宗谷さん……うっ」
現れた宗谷さんの姿を見て、私は内心動揺する。
宗谷さんは黒いキャップを深々と被っていた。
宗谷さんは舞台で人気のある役者との事で、彼のルックスは私の知っている人の中でも整っている部類に見える。だがこうして顔を隠すと少し怖い雰囲気が出てくる――そう思った。
キャップを被っているからというだけではなく、どことなく彼の表情から凄みを感じるような……。
私は内心怯みつつも宗谷さんに声をかける。
「宗谷さん……それは」
「舞空さん。今日はカフェでの仕事は無しになったが……、舞空さんと出掛けたいと思っていた所があるんだ」
「え……」
「舞空さんは元々一日アルバイトをする予定だったんだよな?なら、一緒に来てほしい」
宗谷さんと歩いている時、先程の茂木さんとのやりとりについて聞こうかと思った。だが、宗谷さんはずっと無言で移動を続けていたため、私から何か言うのは憚られた。私は黙々と着いていくことにした。
無言で移動しながらも、私は不思議とこの時間に懐かしさを覚えていた。
宗谷さんにどこかに連れて行かれるのは、これで二回目だ。
私がアルバイトに落ちて宗谷さんに出会って、ビルの中に連れて行かれた……あの時が一回目。
あの時は、どんな目に遭わされるかわからずに戦々恐々としていた。
でも、今は違う。
宗谷さんの雰囲気がいつもと違うような気がするけど、それでも一緒に出掛けられるのは私にとっては喜ばしい事だった。
以前の宗谷さんは猫達の行く末について一人で考えようとしていて、一層追い詰められているように見えた。
カフェにスタッフとして復帰した事といい、宗谷さんが人と一緒に過ごす時間を増やそうとしているのなら、私は嬉しい。
宗谷さんが向かった先は、猫カフェの最寄り駅にあるショッピングモールだった。
その中のある店で宗谷さんは立ち止まる。
店の看板には大きな肉球の飾りがついていた。
「ここは……」
「猫達の道具を最初に揃えた時に使った店だ。今では猫砂や食事は通販で買う事も多いが、グッズは直接触ってみたほうが参考になることもある。舞空さんと一緒に見てみたいと思ったんだ」
「……そうだったんですね」
私は店内をきょろきょろと見回す。ホームセンターのように様々なものが置いてあるけど、よくよく見ると全て犬や猫など動物の為の商品が置いてあるようだ。
今まで猫カフェにある備品で業務をこなしていたけど、こんな風に沢山の製品があるところに来ると、なんとなく心が弾んでくる。
「舞空さん、カフェでも話していた事だけど、このあたりの道具なんてどうだ」
「え?わ……ここ、爪切りのコーナーなんですね」
私は宗谷さんに連れられて店内の一角に来た。
ここには猫をお世話する為のグッズが色々と売られているようだ。爪切り用のハサミもいくつか棚に並べられていた。
「でも、宗谷さん……爪切りの道具は既にカフェにあるのでは」
「それはそうだが、他のメーカーのものを使うともっとやりやすくなるかもしれない。それに、あのカフェの中にあるものは俺から見て使いやすいものを集めたものだ。舞空さんは俺より手が小さいから……これなんてどうだ?」
「わ、かわいい。これ、いつも使ってるやつより小さくて軽いんですね。これなら扱いやすいかも」
「よし。じゃあ籠に入れよう。あと、歯磨き用のグッズも見ておきたい」
「……へえ、歯磨きの道具も色々あるんですね。あ、これなんかは手袋をはめて歯を磨く事も出来るんですね。ブラシよりもこっちの方がやりやすいかも」
人間と同様、猫も歯磨きをする必要がある。だが爪切りと同じく猫が嫌がる事も多い。私が歯ブラシを手に取っただけで弾丸のように逃げ出す猫も中にはいる。歯ブラシの感触が嫌なのかもしれない。
でも、歯ブラシ以外の別の道具を使ったなら抵抗が無くなるかもしれない。
「そうだな。後は、食べるだけで歯のケアを出来る食事も売っている。猫たちが食べるかどうかわからないが、試しに買ってみよう。あと……そうだな。おもちゃ類も見ておくか」
私は宗谷さんの提案に従い、おもちゃコーナーに移動する。
「わあ……すごい。いっぱいありますね」
スタンダードな棒の形のもの、羽根が付いたもの、鈴が付いたもの、釣り竿のように棒の先に紐がついておもちゃが結ばれているもの、新体操で使われるようなリボンがついたもの。おもちゃのコーナーには、大小様々な猫じゃらしが並んでいた。
「自分でもおもちゃを直してみたりはしているんですけど、やっぱり時々壊れてしまうので……もし良かったら買い足したいです」
「そうだな。全種類一つずつ買っていって、猫同士で取り合いになるものがあったらまた追加で買う事にしよう。今おもちゃに反応しない猫も新しいものには反応するかもしれない」
「そうですね。シャークさんやつむぎは私のおもちゃにあんまり反応してくれないんですが、新しく買ったら興味を持ってくれるかも」
「ああ……シャークはカシャカシャ音がするやつが好きみたいだな。つむぎはそもそも他の猫ほど活発な猫じゃないが、羽根がついたやつで遊んでもらうのがいいらしい。あと、遊び方でも反応が変わるな。つむぎは羽根のついたじゃらしを上下に動かすとよく反応してくれる。トーファは蛇が這うように地面にじゃらしを這わせるようにするといい」
「なるほど……」
私は宗谷さんの話を聞きながら、スマホにメモをしていく。
やはり、宗谷さんの話は勉強になる。アーニャをメインで世話しつつ他の猫たちのプロフィールも把握しているつもりだったけど、宗谷さんの知識量とは開きがあるみたいだ。
私の知識不足で、猫たちに今まで不便な生活をさせていたかもしれないな――と反省する。
でも、まだまだ猫たちと仲良くなれるかもしれないんだ。そう考えると、もっと勉強したいと思えた。
宗谷さんが私をここに連れて来たのも、私が知識不足な事を見越して教えに来ようと思ったからだろう。
店内を歩いていると、猫を連れて歩く用の鞄のコーナーがあった。主に動物病院に連れて行く用のものだろう。
私は商品を見てある事に気づく。
「ここはキャリーケースが色々あるんですね。あ、これはアーニャが前入っていたものですね。…………」
ピンクのキャリーケースの隣に、黒のキャリーケースがあった。
私は、宗谷さんに話しかけようとして――踏みとどまる。
このキャリーケースは、かつてゴローが入っていたものだ。
……だけど、ゴローの話を今宗谷さんに振っていいものか、わからない。
宗谷さんは今、少しずつゴローを失った傷を乗り越えようとしている段階なのかもしれない。今は何も言わない方が無難だろう。
そう思って鞄のコーナーを通り過ぎようとすると、宗谷さんが口を開いて呟いた。
「これは、ゴローを入れていたキャリーだな」
「…………」
「ゴローは病院に着くとキャリーから出ないように抵抗するんだが、これは上から開いて猫を取り出す事が出来るから便利だったな。今は値上がりしたようだから、前に猫全員分買っておいて良かった」
「そう……なんですね」
宗谷さんの話を聞いて、私は瞬きをする。
……宗谷さんの方から、ゴローに触れた。
ゴローの話をしても、もう大丈夫。彼はそう伝えたいようだった。
宗谷さんはキャリーケースをじっと見つめた後、私の方に向き直って言った。
「そろそろ会計をしてくる。あと……この後ももう少し付き合ってほしい」
買い物を終えた後、私達はカフェに移動していた。
猫カフェではない普通のカフェに来るのは随分久しぶりだ。
注文したドリンクを見つめて、私はしみじみと感慨に耽る。
「ドリンクに蓋が無くても大丈夫だなんて……。久しぶりにカフェで落ち着いてコーヒーを飲めた気がします」
「そうだな。カーペットに毛も落ちていないし、棚の上に物があっても落とされない。猫がいないと、平和だ」
私は頷く。
猫は人間の飲み物に興味を示すし、物を高い所から落とすのも好きだ。だからドリンクを作る時は猫が飲めないように蓋をするし、落とされたらまずいものは置かないようにしている。
大学や家の中でも思う事だけど、猫がいない空間は平和だ。
でも――猫がいないと、静かだとも言える。
猫がいると大変な事もあるけど、その分楽しい事も沢山増える。
――だからこそ、宗谷さんに話しておかなければいけない事がある。
「宗谷さん」
「うん」
「今日、お客様と揉めた事……すみませんでした」
私は宗谷さんに頭を下げる。
「あんな風にトラブルに繋がるような対応はするべきじゃなかったと思います。猫カフェのお客様に嫌な思いをさせないためにも、最初から白金さんや宗谷さんに相談するべきでした」
「いや。あくまでも悪いのはあの客だ。舞空さんが謝るようなことじゃない……、が、俺に相談して欲しかったというのは確かだな」
宗谷さんは目線を落として呟く。
「覚えているか?俺が舞空さんに最初に声をかけた、あの時……」
「は、はい」
忘れもしない。あの時はアルバイトの面接を受けに行ったと思ったらその場で落とされて、その後に謎の声を聞いて、宗谷さんと出会って、アーニャとゴローと接触した。色々な人生初のイベントが起きた日だったので、宗谷さんの事を抜きにしても思い出深い。
宗谷さんの方はどう捉えているかわからなかったけど、彼も一応覚えてくれていたようだ。
「あの日、面識の無い俺に舞空さんは付き合ってくれた」
「……そうですね」
「あの日について考える事が度々あったんだ。その度に……あれは良くなかったと思っていた」
「えっ」
私は内心で動揺する。
……宗谷さんが覚えてくれていたというのは、悪い意味で覚えていたという事なんだろうか。ゴローに対する触り方が良くなかったとか、そういう事なのかな。
私が縮こまっていると、宗谷さんが厳しい目でこちらを見つめて呟く。
「舞空さんは、あの日初対面だった俺の言葉を聞いてくれた」
「は、はい」
「俺にとっては都合がいい事だったけど……、よく考えてみたら、俺以外の相手であっても舞空さんは着いていく可能性があるという事だ。それは捨て置け無い」
「は……はい?」
思わぬ意見を言われて、私は首を傾げた。
だが、宗谷さんは相変わらず曇った目でこちらを見つめている。
「あの客に色々要求されていたら、舞空さんは従ってしまうんじゃないかと思った。そんな事……俺は考えたくもない」
「…………」
「舞空さん。他の人間に簡単に着いていったりしないで欲しい。迷った時は俺に相談するようにしてくれ。今までの俺の対応が杜撰だったから、すぐには切り替えられないのかもしれないが……これからは改善するように努めるようにする」
私は、宗谷さんの返事を聞いて瞬きをする。
宗谷さん、そんなに心配していたのか。
オーナーとして従業員にトラブルを起こして欲しくないだろうから、私みたいなアルバイトがいたら不安になるんだろうな――、そう考えた。
私は、宗谷さんの心配を晴らしたい。
なんとか彼に納得してもらわなきゃ――。
私は手をぐっと握って答える。
「宗谷さん……。貴方が考えているような事は起きないと思いますよ。私は誰かの命令をそのまま聞いたりはしないです」
「でも、実際俺と最初に会った日は、誰かの言葉を聞いたと言っていただろう?それが気になったと言っていた。だから、君は不意に声をかけられたら着いて行ってしまうんじゃないかと、そう思っている」
「ああ……」
そういえば、そんな事があった。結局誰の言葉だったのかはわからないけれど、私は誰かに呼びかけられたのだ。
年配の男の人の声だった。
あの時は、私の聞き違えか何かかと思ったけれど。
あの声は……。
――。
……そうか。
「宗谷さん……」
「なんだ?」
「今になって思ったんですが……、私が誰に話しかけられたか、わかったかもしれません」
「なに?……聞き違えでは無かったという事か。一体、誰だ?」
「あれは、ゴローの声だったんですよ」
過去に私に話しかけてきた声を思い起こしながら、私は呟く。
猫に関する本を読んでいた時、こんなコラムを見た事がある。
長生きした猫は猫又になる――と。
猫又になった猫は、人間の言葉を喋る事が出来るらしい。
「あの声は、私に向けてこんな風に言っていました。困っている人がいるから助けてやってくれ――と。今思えば、あれは宗谷さんについての事を言っていたんです」
「…………」
「ゴローはお歳を召した猫だったんですよね。だから私に話しかけてきたんだと思います。あのビルでお年寄りの男性を見なかったのが不思議でしたが、ゴローがそうなら納得出来ます。だから……」
「…………」
「……、……?」
宗谷さんが無言で瞬きをしているのを見て、私はある事に気づく。
……私、突拍子もない事を言っている?
そうだ。猫が人語を喋るというのはあくまでオカルトな俗説として言われている事である。そんな事を言われても、こいつは何を言っているのかと一層不安になるだけだろう。
宗谷さんを安心させようとしているのに、どんどん妙な方向に行っているような……。
心の中で焦っていると、宗谷さんの様子が変わった。
宗谷さんは、グラスの中の氷を揺らして微笑んでいる。
彼が笑うところを初めて見たかもしれない――。そう思った。
「いや。その話……折角だから、信じてみよう」
「え……」
「ゴローのやつ、舞空さんを呼び止めてくれたんだな。……随分いい仕事をしてくれたもんだ。ゴローが出来るやつというのはずっと知っていたが……ふふ。……ああ、俺もゴローと話を出来たら良かった。そういう事は、俺には一度も起きなかったな……」
グラスを見つめながら独りごちる宗谷さんを見て、私は慌てて言葉を連ねる。
「……そ、宗谷さん。自分から言い出した事ですが、やっぱりゴローが喋ったのは現実離れしてるかなと思いました。そもそも、そんな事が出来るなら宗谷さんも声を聞いていないとおかしいですし……」
「いや。別におかしいとは思わない。何故なら……舞空さんと出会った頃は、俺はゴローの声を聞かないように努めていたからだ」
「……?」
首を傾げる私を前に、宗谷さんは目を伏せて言葉を続ける。
「ゴローが病気になって、投薬やら注射やらを自宅でやるようになった。ゴローは、薬を飲もうとしなかった。飲ませても吐いてしまう。注射も嫌がって抵抗する。まあ、抵抗する力も弱くなっていたから、世話をする事は出来たんだが。猫の病気を治そうとするのが正しい事なのか、ゴローは今俺に対して何を思っているのか……。今猫の言葉を聞いたら、迷いが生じてしまう。そう思ったから、ゴローの反応は考えないようにしていた。俺には聞けない言葉が、舞空さんに聞こえたとしても……俺は驚かない」
「…………」
ゴローの闘病中の話は宗谷さんにとっては辛いのではないかと思っていたけれど、彼の声色は穏やかだ。色々な葛藤を経た上で、普段どおりに話せるようになったのかもしれない。
「舞空さん」
「はい」
宗谷さんに名前を呼ばれて、私は背を正した。
「君が言った事は、確かに現実離れしているかもしれない。俺は色々な猫を世話してきたが、猫と人が真の意味でコミュケーションを取れるかどうかは、未だにわからない。でも……、人相手ならば、言葉を交わす事が出来る。それは間違いない事だ」
「それは、そうですね」
「人相手ならば、言葉を交わす事が出来る……。それは当たり前の事かもしれないが、俺が今まで疎かにしていた部分でもある。だから、今日は君に話したい事を全て伝えておきたい」
「……それは……何でしょうか」
「猫カフェを閉めるかどうかという話をしていたが……あれから色々考えて、俺は、保護猫カフェとして営業形態を変えようと思った」
「!……という事は……、猫たちの里親を募集するという事ですか?」
「そうなるな」
宗谷さんは頷き、言葉を続ける。
「舞空さんは既に知っている事だろうが……もともとこの猫カフェは保護猫カフェだったんだ。客の中から希望者を募って、猫の里親になってもらった。カフェから猫が卒業したら新たに保護猫をカフェに迎える。そんな風にして猫と客との出会いの場を作っていた。今でも、カフェの中にいる猫たちは保護された猫であるという点は変わりがない」
「……そうだったんですね」
宗谷さんは頷き、そして説明した。
保護猫が保護される経緯は様々だ。
血統書付きの猫は、ペットショップやブリーダーで飼い手が見つからなかった猫である可能性が高い。
雑種の猫は、元々野良猫として暮らしていた可能性が高い。
そして、どちらの猫であっても、家庭で飼われていたのに手放される事になった境遇の猫は多いのだという。
「前のオーナー……俺の父親は里親探しも積極的に行っていたが。俺は今まで里親探しをしようとは考えていなかった。カフェに来ている間だけ対応すればいいのとは違って、今後の事も考えて客と接しないといけない。それが俺には手が余ると思ったからだ」
「……ですが……これからは、違うという事ですか?」
「ああ。最初は、今猫カフェにいる猫たちはゆくゆくは俺が全員引き取ろうと思っていた。でも、ゴローが病気になった事で考えが変わった。俺ひとりではゴローとアーニャを同時に見る事は出来なかった。だから、猫を第一に考えてくれる家族が現れる可能性があるなら、それを探すように動いた方が猫にとってはいいだろうと……」
そこまで話した宗谷さんは、一旦口を閉じて私に向き直った。
「……でも、それは俺一人で出来る事だとは思っていない。舞空さん。君に協力して欲しい」
「え、え?……わ、私ですか?」
宗谷さんは頷き、そして言葉を続ける。
「白金や他のアルバイトは……もともと猫に過度な愛情を持たず、俺にも意見を出す事はあまり無い。俺が無意識のうちでそういう人間を選んでいたんだ。俺は猫の事は好いていたが、人と話し合って何かを進めるのは得意じゃなかったからな。俺の指示に従ってくれそうなアルバイトを優先して選ぶようにした」
「……そうだったんですか」
「君をスタッフに雇ったのだって、言うなればそうだった。俺の指示を聞いてくれそうで、最低限アーニャとうまくやっていけそうな人間なら誰でも良かった。だけど……」
「わっ」
宗谷さんは席を立ち、私の手を取って口を開く。
「舞空さん。今の俺は、前とは考えが変わった。君はアーニャの事を親身に考えてくれたし、客に対しても心を砕いてくれた。今の猫カフェの写真を見たら、猫も客もみんないい表情をしていた。俺だけではここまで出来なかった。だから、俺には君が必要だ。辛い事もあるかもしれないが――これからも猫カフェのスタッフとして、一緒に働いて欲しい」
「…………」
私はごくりと息を呑む。
ああ。
宗谷さんが私に色々と教えてくれるのは、私が頼りないからだと思っていた。
だけど……。
違うのか。
宗谷さんは、私を必要としてくれていたのか。
嬉しさと、照れと、それとは別の心配事が胸に湧き、私の頭はいっぱいいっぱいになる。私は小声で宗谷さんに呼び掛ける。
「そ、宗谷さん。とりあえず座りましょう。……宗谷さんを知っている人がいたら、噂になってしまうかもしれませんから。そうなったら白金さんもきっと心配します」
「あ、ああ……わかった」
宗谷さんは椅子に座って一息ついた。
私はその様子を確認してから、彼に自分の考えを伝える。
「宗谷さん。わ……私も、宗谷さんと一緒に働きたいです。猫の世話のお話も聞きたいですし、それを抜きにしても……宗谷さんと一緒にいれたら、心強いです。私はまだまだわからない事が沢山ありますし、一人では悩んでしまう事もいっぱいあるので、そんな時は相談させてください」
「……うん」
「宗谷さん。これからもよろしくお願いします」
その日の閉店時間後、私達は猫カフェに戻った。
中には白金さんがいて、私達を迎えてくれた。
私達は、カフェで決めた事について白金さんに話した。
「へえ。じゃあ閉店はなしになったんだ。この猫たちとももうちょっと付き合いは続くわけね」
「ああ。白金。出来る事なら、お前には可能な限りここでスタッフを続けて欲しい」
「あ、はあ。そうなの?」
「お前は猫をよく世話してくれているし、俺では気が付かないような接客の事にもよく気づいてくれる。俺は対人の場数を踏んでいないから、白金のようなスタッフがいてくれたら助かる。だから、良かったらこれからも一緒に働いて欲しい」
「……はあ。……そうですか。……。ま、俺は役者の仕事が忙しくなったらすぐに辞めますけどね。それでいいなら、いいよ。アルバイトの中では、稼ぎも悪くないしね」
「ああ。そう言ってくれると嬉しい」
「……しかし、宗谷くんも前より口数が多くなったね。前に共演した子も驚くんじゃない?あはは……」
白金さんは宗谷さんの言葉を聞いて、伸びをして踵を返した。
……何でもないように振る舞っているけど、内心は照れているのかもしれない。白金さんの声がいつもよりも上ずっているような感じがするから。
白金さんはスタッフルームをゆらゆらと歩いた後、椅子に腰掛けて宗谷さんに聞く。
「それにしても、保護猫カフェか。今までとどれくらい運営方法を変える訳?」
「基本は猫カフェの時と変わらない。違いは、里親募集をするという事と、里親が決まって卒業する猫が出てきたら、頃合いを見て新たな保護猫をカフェに迎えるという事だな。里親は何年も決まらない事もあるから、今すぐにカフェの猫が入れ替わるという事は無いと思うが、そのうち変化はあるかもしれない」
「へええ~。じゃあ、猫みんなに里親募集をかけるって事?」
「いや。まだ里親募集をかけない猫もいる。アーニャは対象外だ」
「へえ。アーニャはそうなの。なんで?」
「……なんでですか?」
「アーニャはまだ避妊手術が出来ていないからだ」
宗谷さんは私と白金さんに説明した。
アーニャは、今は生後数カ月くらいの猫だ。
まだまだ身体が大きく育っていないから避妊手術は出来ていないけど、もっと成長したら発情期がくる。
増えやすい動物というと鼠が有名だが、猫もかなり増えやすい部類に入るのだという。
発情期がきた猫を避妊しないまま、去勢しないままにすると、猫は何匹も子猫を孕む事になる。子猫を産ませるかどうかは飼い主の選択に委ねられるが、猫を増やしすぎないようにしたい場合や、猫にマーキング習性をつけないようにしたい場合手術を行う。
猫カフェでは全ての猫に対して避妊・去勢手術を行うようにしている。アーニャ以外の猫は皆手術済みだ。このまま問題なく育ったら、アーニャもその時を迎える事になるだろう。
「避妊手術を終えた後の猫は、体力も消費するし身体が変わった事でショックを受ける事もある。そんな時に住処を変えると猫の負担が大きくなる。だからまだ募集の猫には入れない」
「なるほどねえ。ま、アーニャにとってはその方が良かったんじゃないの。手術の問題を抜きにしてもね」
白金さんの言葉に、私は首を傾げる。
「そういうものでしょうか……」
「アーニャはほら、未だに舞空ちゃんにべったりだからね。引き離されるのは寂しいだろうし」
「うにゃにゃ」
「あ、ほら来た。俺ばっか舞空ちゃんと話してるのイヤかー。ごめんごめん」
スタッフルームに猫用扉を開けて入ってきたアーニャは、白金さんに軽く威嚇をしてから私に何やら喋りかけ、再び猫用扉を出た。
私もアーニャに従ってフロアに出る。
猫が話しかけてくる時は、何かを要求している時か、甘えたい時だ。フロアで何か起きているのかもしれないと思い、私はアーニャの向かう方向へ歩いていった。
フロアは静かで、猫たちも皆眠っていた。
平和だ。
そして、アーニャは私の足に前足で触れて、じっと見つめてくる。
……どうやら、今回の場合は私に甘えたかったようだ。
「アーニャ」
私は座り込み、アーニャを抱っこした。アーニャは私の手にすりすりと頭を擦り付けてくる。
リラックスしているらしいアーニャを見て、私はこっそりと片手でブラシを取り、アーニャの毛をブラッシングする。
アーニャはブラッシングに抗議してうみゃうみゃ言っていたけど、それでも私と触れ合いたいという気持ちの方が勝ったのか、最後までやらせてくれた。
私はブラッシングのお礼におやつをあげる。細い袋に入ったウェットフードだ。アーニャは私にぴったりくっつきながらおやつを食んでいる。
そんなアーニャを見ていて、私は気づく。
出会った当初のアーニャは、私の手のひらで胴を包んでしまえるくらい小さかった。
今のアーニャは、私が指を伸ばしても包む事は出来ない。
アーニャは着実に成長しているんだ。
そして、いずれは手術を受けて、子供を産めない身体に変化する。
……みんなが通る道で、必要な事だからといって、何も感じないかというと決してそんな事は無い。
子供を産めなくなるというのは、生物としては大きな変化になるだろう。アーニャ自身は自分が何をされたかわからないだろうけど、身体を弄られて以前と何かが変わった事にショックを受けてもおかしくはないのだ。
猫の気持ちを人が完全に理解することは難しいかもしれないけど、それでも猫を気遣う心を失わないようにしたいと思う。
アーニャが手術を受ける事になったら、目一杯労ってあげよう。
そんな事を考えているうちに、アーニャがおやつを舐め終わった。
私はおやつの袋をゴミ箱に捨てる。
と、アーニャが袋を追ってゴミ箱をガタガタし始めた。もっと食べたいと思っているようだ。
「やめなさい」
「うう~」
じたばたするアーニャを抑えつつ、私は考える。
このカフェの営業形態が変わろうとしていたり、宗谷さんがスタッフとして復帰したり、色んな事が変化していく。けれど、私はいつだってアーニャのこういう自分をはっきり出す所に癒やされてきたと思う。
いつかはアーニャもつむぎやエリザのように、人といい感じの距離感を取れる大人のレディになるのかもしれないけれど、今はまだ知り合いにはべったりの子供のままだ。
それに、仮に大人猫と呼ばれる年齢になったとしても、アーニャの気質は変わらないかもしれない。
だとしたら――私はいつまでもアーニャとこうして触れ合う事が出来るのかもしれない。
老猫になっても一緒にいた、ゴローと宗谷さんのように。
私はそんな日々を夢想しながら、ゴミ箱からアーニャを引き離すのだった。
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