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第十四話
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時雨は暑い日差しの中で目を覚ました。薄らと目を開けると眼が潰れるような光が飛び込んでくる。
「ねぇ、大丈夫?」
冷たい液体が時雨の額を覆う。ひんやりとした冷たさが時雨の体温をゆっくりと下げてゆく。時雨はその心地よさに身も心も委ねていた。
(どれくらい斬ったのだろう。春を連れて帰らなくっちゃ)
そう思った時雨だったが、自分のいる場所、格好に違和感を持った。
時雨は一気に跳ね起き、普段太刀を置いている場所と腰に手をやる。しかしそこには太刀は無い。腰を沈めすぐに自分の置かれた状況を確かめる。
木々の生い茂った森の中、見覚えのある小僧が立っていた。その腕の中には時雨の大切な二本の太刀が抱きしめられている。
「……小僧」
時雨の雰囲気に小僧は少し後ずさった。目と顔に恐怖の表情が浮かんでいる。時雨が一歩踏み出すと、小僧は二歩下がる。それを二・三度繰り返したあと、時雨は小僧の目の前に立っていた。小僧は何が起こったのか分かっていない。十分に距離を取っていたはずなのに時雨が側に立っていたからだ。
逃げ出そうとする小僧の襟首を時雨は掴んだ。時雨の手から逃れようと小僧は足をじたばたとさせている。それでも太刀は放そうとしない。時雨は溜息をつき小僧を後ろから抱きすくめた。小僧の背中に時雨の豊かな胸が押しつけられる。
「ねぇ、何もしないからそれ、返してくれない?」
時雨は出来るだけ優しい声を出して小僧の耳元で囁いた。小僧がゆっくりと振り返る。
「ほ、本当に何もしない? 殺さない? 昨日のようにみんなを殺したようにしない?」
「……何のことだ?」
時雨はそっと小僧を離すと少しだけ距離を取る。小僧はそのままゆっくりと振り返り時雨の顔を見た。そして安心したような表情を浮かべる。
「あぁ、もう怖くないや。 覚えてないの? 昨日の夜は凄かったんだから……」
小僧はゆっくりと歩いてくると太刀を時雨に渡し、そのまま時雨の横に座った。
時雨が横に腰を下ろすと小僧は昨夜のことを語り始める。時雨の記憶は一人の侍が仲間を犠牲にして突き込んできたところまでしか残っていなかった。
あの後時雨は庭に出ていた用心棒や侍を皆殺しにしたようだ。そして、母屋にいた小僧を除く全員を皆殺しにしたということだった。当然、宿場中から応援が入ったがまったく意味をなさなかったそうだ。
入って来た者は全て斬り捨て、女、子供、全てを斬り捨て、最後に小僧を掴んで宿場の中を疾走し山の中に走り込んだということだ。
そしてこの場で時雨は倒れ込み、小僧が今まで介抱していたということだ。
「どうして逃げなかった? 役人に知らせようとは思わなかったの?」
時雨はふと疑問を口にした。小僧は黙って宙を見つめていた。
「たぶん、逃げてたら殺されていたと思うから……かな」
小僧は真剣な目をしていた。少しだけ身体が震えている。
「どうしてそう思う?」
「だって、……だって昨日のお姉さんを視たら誰だってそう思うよ!」
時雨は小僧の真剣な視線を受け溜息をついた。
どうやら昨夜は完全に理性が飛んだようだ。時雨は自分が幼い頃に住んでいた国を追い出された時を思い出していた。同時にまたやってしまったという気持ちが心を支配する。
昨夜はどれだけの人を殺めたのだろう。
「そういえば名前は?」
「小吉」
時雨は小吉の頭にぽんと手を乗せた。小吉は黙って時雨の顔を見つめる。
「御免ね。怖かったでしょ。もう、宿場に戻って……」
その言葉に小吉は複雑そうな顔をする。その表情に時雨は小僧の目をじっと見つめた。静かな刻が流れる。暫くして小僧が口を開いた。
「もう戻れないよ。たぶん見世の人はみんな死んじゃったから」
小僧は口減らしのため奉公に出されたそうだ。そこで箱根の薬種問屋に奉公に出て三年。故郷の村は先年の飢饉で全滅したということだった。時雨は吉原にいた頃、西国から来た武士に飢饉の様子を聞いていた。
(どうしたものかな? このまま小吉を放り出すのもなぁ……)
小吉の住処、仕事を奪ったのは時雨だ。意識してやったことではないにしろ多少の責任は感じていた。かといって金を渡して済む問題でも無い。それに昨夜のことを見ていた者がいないとは限らない。今頃は箱根の宿場は大変なことになっているだろう。
さすがの時雨もあれだけの人数の侍と足軽を相手にするつもりはなかった。正面からは。
(いっそ一度江戸に戻って古巣の喜瀬屋に預けるか)
時雨が小吉のことで悩んでいると小吉の方が口を開いた。それは時雨の大きな悩みの種となる一言だった。
「ねぇ、お姉さん。旅してるんだろ。僕も連れて行ってよ」
「ねぇ、大丈夫?」
冷たい液体が時雨の額を覆う。ひんやりとした冷たさが時雨の体温をゆっくりと下げてゆく。時雨はその心地よさに身も心も委ねていた。
(どれくらい斬ったのだろう。春を連れて帰らなくっちゃ)
そう思った時雨だったが、自分のいる場所、格好に違和感を持った。
時雨は一気に跳ね起き、普段太刀を置いている場所と腰に手をやる。しかしそこには太刀は無い。腰を沈めすぐに自分の置かれた状況を確かめる。
木々の生い茂った森の中、見覚えのある小僧が立っていた。その腕の中には時雨の大切な二本の太刀が抱きしめられている。
「……小僧」
時雨の雰囲気に小僧は少し後ずさった。目と顔に恐怖の表情が浮かんでいる。時雨が一歩踏み出すと、小僧は二歩下がる。それを二・三度繰り返したあと、時雨は小僧の目の前に立っていた。小僧は何が起こったのか分かっていない。十分に距離を取っていたはずなのに時雨が側に立っていたからだ。
逃げ出そうとする小僧の襟首を時雨は掴んだ。時雨の手から逃れようと小僧は足をじたばたとさせている。それでも太刀は放そうとしない。時雨は溜息をつき小僧を後ろから抱きすくめた。小僧の背中に時雨の豊かな胸が押しつけられる。
「ねぇ、何もしないからそれ、返してくれない?」
時雨は出来るだけ優しい声を出して小僧の耳元で囁いた。小僧がゆっくりと振り返る。
「ほ、本当に何もしない? 殺さない? 昨日のようにみんなを殺したようにしない?」
「……何のことだ?」
時雨はそっと小僧を離すと少しだけ距離を取る。小僧はそのままゆっくりと振り返り時雨の顔を見た。そして安心したような表情を浮かべる。
「あぁ、もう怖くないや。 覚えてないの? 昨日の夜は凄かったんだから……」
小僧はゆっくりと歩いてくると太刀を時雨に渡し、そのまま時雨の横に座った。
時雨が横に腰を下ろすと小僧は昨夜のことを語り始める。時雨の記憶は一人の侍が仲間を犠牲にして突き込んできたところまでしか残っていなかった。
あの後時雨は庭に出ていた用心棒や侍を皆殺しにしたようだ。そして、母屋にいた小僧を除く全員を皆殺しにしたということだった。当然、宿場中から応援が入ったがまったく意味をなさなかったそうだ。
入って来た者は全て斬り捨て、女、子供、全てを斬り捨て、最後に小僧を掴んで宿場の中を疾走し山の中に走り込んだということだ。
そしてこの場で時雨は倒れ込み、小僧が今まで介抱していたということだ。
「どうして逃げなかった? 役人に知らせようとは思わなかったの?」
時雨はふと疑問を口にした。小僧は黙って宙を見つめていた。
「たぶん、逃げてたら殺されていたと思うから……かな」
小僧は真剣な目をしていた。少しだけ身体が震えている。
「どうしてそう思う?」
「だって、……だって昨日のお姉さんを視たら誰だってそう思うよ!」
時雨は小僧の真剣な視線を受け溜息をついた。
どうやら昨夜は完全に理性が飛んだようだ。時雨は自分が幼い頃に住んでいた国を追い出された時を思い出していた。同時にまたやってしまったという気持ちが心を支配する。
昨夜はどれだけの人を殺めたのだろう。
「そういえば名前は?」
「小吉」
時雨は小吉の頭にぽんと手を乗せた。小吉は黙って時雨の顔を見つめる。
「御免ね。怖かったでしょ。もう、宿場に戻って……」
その言葉に小吉は複雑そうな顔をする。その表情に時雨は小僧の目をじっと見つめた。静かな刻が流れる。暫くして小僧が口を開いた。
「もう戻れないよ。たぶん見世の人はみんな死んじゃったから」
小僧は口減らしのため奉公に出されたそうだ。そこで箱根の薬種問屋に奉公に出て三年。故郷の村は先年の飢饉で全滅したということだった。時雨は吉原にいた頃、西国から来た武士に飢饉の様子を聞いていた。
(どうしたものかな? このまま小吉を放り出すのもなぁ……)
小吉の住処、仕事を奪ったのは時雨だ。意識してやったことではないにしろ多少の責任は感じていた。かといって金を渡して済む問題でも無い。それに昨夜のことを見ていた者がいないとは限らない。今頃は箱根の宿場は大変なことになっているだろう。
さすがの時雨もあれだけの人数の侍と足軽を相手にするつもりはなかった。正面からは。
(いっそ一度江戸に戻って古巣の喜瀬屋に預けるか)
時雨が小吉のことで悩んでいると小吉の方が口を開いた。それは時雨の大きな悩みの種となる一言だった。
「ねぇ、お姉さん。旅してるんだろ。僕も連れて行ってよ」
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