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金砕棒(とある農民)

金砕棒-8

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 「善吉、お主の口からその言葉が出ようとはのぅ」

 景虎は善吉を見ながら呟く。
 直江実綱なおえさねつねとお辰も同様だ。
 何しろ二年前、この春日山に来た当初は、【人殺しは無理です、怖いです】と答えていた。それは最近まで変わることはなかった。それがたった一刻の出来事で変わったのだ。
 善吉にとってどれほどの衝撃だったのだろう。
 ここしばらくの善吉の様子を知っていた景虎と実綱は、前向きになったのは良いが【危ういな】と心の中で思う。

 「善吉、まあそうくな。 もう少し養生しても良いのではないか? それにお主はお辰を嫁に貰うと言ったではないか。 
少し落ち着いてからでも良いであろう?」

 口を開いた景虎に実綱も頷いて同意する。

 「いや、しかし……」

 善吉が何かを言おうとするが実綱がそれを遮る。

 「それに善吉、お主の今の俸禄ほうろくでお辰を養えるのか?」

 お辰の視線が善吉に向く。善吉は【あっ】という表情を作り頭を掻いた。

 「まあ、俸禄ほうろくに関してはお主が今見ている村五つをお主が管理するように取り計らおう。それで俸禄ほうろくを加増できる。人は幾らでも欲しいからな。
それとお主の配下である彦二と彦三もそれぞれ一人で自分を養える程度の俸禄を出そう。まぁ、今後に関しては頑張り次第ではあるがな。
 あ、二人には言うなよ。こちらから呼び出して言う。
 武に関しては、そうだな、一度儂の力士隊とで今の実力を測ってみよう。それからどのような訓練をするかを話し合おうではないか。
当然暫く実戦無しだ。
 あとはお辰が今までの任をどうするかだな。引退して後進の育成に進むか、現役として任を続けるかだな」

 今度は善吉がお辰を見る。

 「お館様。
 私は今の任を暫くは続けようと思います。 そうですね、ややこが出来るまでは何とか……。
それからは後進の育成に努めたいと思います。よろしいでしょうか?」

 お辰の言葉に景虎と実綱は頷く。

 「そちの村、村長むらおさの説得にはこちらから口も出す。だが、お主も、善吉も一度話し合いに行かねばなるまいて。
当然一人、二人で行くことは無しだ。儂か実綱が付いてゆく。そうしないと不幸な事が起こりうるからの。
主に里の方に……」

 景虎は真っ直ぐお辰の方を見る。実綱はじとっとした目でお辰を見る。

 「承知いたしました。
とりあえず、今後を善吉と話し合った後、再度ご相談いたします」

二人の視線にお辰は、後者の目には抗議の視線を向けながらも頭を下げた。

 「不幸な出来事があったが、なんにせよ今後良き方向へと向かうことを儂は望むよ」

 そう言って景虎は席を立ち、実綱も後に続いて部屋を出るのであった。

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 「善吉……」

 離れに戻ってすぐ、お辰は善吉に声を掛けた。部屋には昨夜の遺香いこうがあり、善吉はお辰を座らせると外に面した障子を開ける。

 「何?」

 善吉は障子を開け終えるとお辰の頭を軽く撫で、対面へと座る。

 「あたしの今やっている任についてだけど……」

 言いにくそうに口ごもるお辰に善吉は何も言わない。ただ黙って笑みを浮かべている。

 「あたしはさ、善吉が知っているかどうか知らないけどくさと呼ばれている。この長尾家に代々仕えている暗殺や諜報を専門にしている者だよ」

 お辰は俯いたまま自分の事を語りだし、自分の今までやってきた仕事と過去を話し始めた。それは一刻・二刻と続き、日が傾き始めたころ終わった。その間善吉はじっと聞いているだけであった。

 「善吉、聞いているよね? ……寝てないよね?」

 あまりにも反応がない善吉の様子にお辰は善吉ににじり寄る。善吉に手が触れるほどに近づいたとき、善吉の大きな手がお辰の頬を撫でた。

 「大変だったんですね。 色々と心に溜まったものがあったんでしょう。 少しは気が晴れましたか?」

 善吉は優しい目でお辰の目をじっと見つめる。包み込むような視線は今までのせいを語ったお辰の瞳から一筋の涙を流させた。涙が善吉の指を濡らす。

 「え、あ、あれ? なんで? なんで?」

 突然流れ出した涙にお辰は戸惑い、あわてて袖で目を拭おうとするが、その前に善吉の指がそっと目の下を這う。
 暖かく太い善吉の指が何度も何度も目の下を拭うと、それに合わせたようにお辰の目からはめどなく涙があふれだした。

 「無理に泣きまないでください。 こういう時は泣いたほうが良いですよ」

 善吉の片腕に力が入りお辰は腕の中へと吸い込まれる。お辰の顔は善吉の胸にうずまるようになった。そのまま顔を押し付け肩を震わせ小さな鳴き声を上げる。
その声は二人だけの空間に静かに響くのであった。

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 「く~」

 「お腹が空きましたね」

 善吉の言葉にお辰は顔を真っ赤に染める。

 「う、うるさいよ!」

 にこにこと笑っている善吉の顔を見たお辰は、ぽかぽかと善吉の身体を叩く。最初は軽く、徐々に力が籠ってきて善吉は慌ててお辰の身体を放した。

 「い、痛いですよ。 お辰さん」

 「うるさい! あんたが悪い!」

 恥ずかしそうに顔を真っ赤にして、お辰は明後日の方向を向く。

 「とりあえず日も暮れ始めましたので夕餉にしませんか?」

 薄暗くなった部屋の外を見た善吉は立ち上がると行灯あんどんに火を入れる。
 
 「さあて、彦二と彦三と四人で夕餉ゆうげを取りましょう」

 そう言うと善吉はお辰の手を取って厨へと歩き出すのであった。

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 「という訳で、わたしはお辰さんと夫婦めおとになることにしました」

 善吉達四人はくりやにある囲炉裏いろりを囲んで夕餉を食べていた。

 「やはりそうなりましたか。おめでとうさんです」

 彦三が粥を椀に注ぎながら祝いの言葉を述べる。一応善吉が大将になるのだが殆ど上下関係は無い。普段はこのようなものだ。もっともお春が死んだときのような場合は二人が主従をしっかりと分けてくれるから成り立っている。
 
 「で、屋敷はどうするんで?」

 彦二は少量の酒を飲みながら鹿肉をつまみ、善吉とお辰を見る。

 「うん、まだそこら辺の話は詰まっていないのだけど、とりあえずここを出て家を借りるつもりです」

 善吉は今日は祝いということで彦二が買ってきた酒を少量飲みながら返す。ちなみに酒を注いでいるのはお辰だ。当然注いでいる本人は飲んでいない。

 「あ~、だったら私らも家を借りなければいけませんな。……俸禄ほうろくだけでは足りないかな」

 今の二人の俸禄ほうろくは善吉の懐から出ているからだ。今は三人で一つの家に住んでいるので食い扶持などは善吉が纏めて支払っているから生活が出来ている。
しかし善吉達が夫婦めおととなったらそうはいかない。
善吉以外の二人も若い、若いのだ。
 そして借り上げるための俸禄ほうろくも無い。それを考えたからの言葉である。

 もっとも俸禄ほうろくは増えることが分かっているのだが、口にはできない。彦三の言葉に善吉は曖昧あいまいな表情を浮かべる。

 「まあ、俸禄ほうろくは増やせると思うけど……。 役職が大きくなった分、俸禄ほうろくも増やしていただけるらしいから」
 景虎に言われた通り、二人の俸禄の加増については口にしない。今の俸禄の払い方のまま話を繋ぐ。
俸禄が増えることに彦二と彦三は歓喜していた。

 住むところに関しては善吉の中には腹案があった。
 善吉が管理する予定の村までは最低半日、一番遠くて一日離れている。そこで春日山より離れて、管理している村の一つに住むことを考えていた。
 武を教えてくれる者がこの春日山にいるとしたら通うのは数日に一度になるが、統治という面に関して言えば村の方にいたほうが良い。
 それに、春日山の城下に比べると圧倒的に借地代が安いのだ。
 このことはまだお辰にも話してないので善吉はこの場では言葉を濁す。

 「まあ、すぐに動くわけではないから色々とゆっくり考えよう」

 善吉の中途半端な締めに三人が呆れた表情を一瞬浮かべ、善吉だなと思いながら夕餉を食べるのであった。
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