呟き

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金砕棒(とある農民)

金砕棒-7

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 「粗方片付きました」

 彦二と彦三が女達を連れて戻ってくる。しかしその表情は微妙なものであった。何しろ戻ってきたら善吉が女と抱き合っているのだ。
春日山での善吉とお辰の様子を見ていた二人は複雑な気持ちになっても当然だった。もっともそれは手当をした時の痛みで暴れた春をこれ以上暴れさせないために拘束しただけだったのだが……。

 「善吉様……、何やってるんですか?」

 偶然にも抱き合うような形になっていた二人は慌てて微妙に距離を取る。当然、動けない春から少し離れたのは善吉だ。
 そして……。

 「善吉っ!」

 動くことが出来ないほどの傷を負った春が突然立ち上がり、善吉を押し退け脇を抜ける。慌てて振り向く善吉の目には春の胸から生えた一本の矢が映った。
 力が抜けたように善吉に寄り掛かってくる春を力なく受け止める善吉。その二人の横を彦二と彦三が駆け抜け、次の矢をつがえようとした野伏を斬り倒す。
二人はすぐに善吉を前と後ろから囲むように移動し、周囲を警戒する。

 「お春さん……、なんで……」

 善吉の胸元に寄り掛かる春の顔はすでに真っ白だ。

 「善吉ぃ・・・、最後にあんたに会えてさぁ、よかったよ……。 お辰さんと幸せに……ねぇ」

 にこりと微笑み春の全身の力が抜ける。善吉はその春の身体を後ろから力の限り抱きしめた。

 「なんで、なんでぇ、せっかく、せっかく、会えたのにさぁ……。 がんばったんだよ、おれ……。 なんでさぁ」

 小さな声で囁く善吉。その声は身体の震えとともに徐々に大きくなり、善吉は辺り憚ることなく慟哭するのであった。

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 「善吉!」

 善吉が春の住んでいた村から帰って三十の夜が過ぎたある日の夜、けたたましい足音が近づいてきたかと思うと突然部屋の障子が開く。
 けほけほと咳き込む音と勢いよくくうを吸い込む音が混じり、全身を震わせる者が善吉の方をのぞき込んでいた。善吉は読んでいた書物から顔を上げると突然開いた障子の方を向く。そこには上気し真っ赤になった顔で、目に涙を溜めた女がいた。

 「ああ、お辰さん……、このような夜半に大きな声を出したり騒いだりしてはいけませんよ。 ここが離れだったから良いものの……」

 困惑した表情でお辰を見つめる善吉の顔を見たお辰は、そのままその場に座り込んだ。

 「ぜ、善吉、大丈夫なのかぃ」

 震える声で善吉に呼びかけながら四つん這いでにじり寄ってくるお辰を、善吉はゆっくりとその大きな腕で抱え込んだ。

 「ああ、心配していただけたのですね。 私は大丈夫です」

 善吉のやんわりとした言葉にお辰は顔を上げ、突然善吉の口に吸いついた。突然の行動に目を白黒とさせ一瞬こわばった善吉であったが、すぐに力を抜くと腕にのみ少し力を入れお辰の身体を抱き寄せる。

 結局、お春を死なせてしまった善吉は、虚ろな状態のまま、それでもしっかりと埋葬を済ませ春日山へと戻ってきていた。
 十夜程の記憶が曖昧であった善吉は、【その時の様子はまるで幽鬼ゆうきの如くだった】と直江実綱なおえさねつねから聞いていた。その様子を心配した景虎と実綱によって離れに部屋をもらい暫く養生していたのだ。
 ここ二、三日で善吉は大分良くなっていたのだが、それまでは世話をしてもらわないと食事すら、用を足すことすらしないほどであった。そのような様子を出先で聞いたお辰は、仕事を済ませた後、全力で春日山へ戻り、そのまま今の様子を聞かずに善吉の部屋へと飛び込んだのだ。
 因みに善吉の護衛として離れの入口に立っていた彦二と彦三は、暗闇から走ってくるお辰を止めようとして一瞬でされていた。
 善吉の胸の中で肩を震わせ唇を貪りながら涙を流すお辰の背中を善吉は優しく撫でる。暫くそうして宥めていると数名が近づいてくる足音が聞こえてきた。

 「善吉! くせも……」

 開いたままになっていた障子の外から、太刀を握った力士隊数名に守られた景虎が、自らも抜身の太刀をぶら下げたまま二人を眺めている。
 その数名の視線に善吉は微妙な目線で笑いを浮かべることしかできなかった。

 「ああ、その、なんだ。 ……すまん。 明日、昼餉に来い」

 二人の様子を見て、表情が緩んだ景虎はそのまま障子を閉じて戻っていった。後にはいまだに唇を合わせたままの二人が残るのであった。 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 「「申し訳ございませんでした」」

 景虎の前で善吉とお辰は畳にひたいが付くほどに頭を下げていた。その先には微妙な表情の景虎が座っている。当然、部屋の中も微妙な空気が流れていた。

 「まあ、まあ、良い。 気にするな。 それより昼餉じゃ」

 景虎の言葉に善吉は顔を上げ、お辰は顔を伏せたまま立ち上がる。

 「ああ、お辰も食べてゆけ。 今後の話もしておかねばならぬであろう?」

 びくりと身体を震わせ顔を上げたお辰の表情は半泣きの状態であったが口元は緩んでいた。

 「まあ、幸せそうであるな」

 表情を変えずに実綱が呟く。その声に流石に口元を緩ませていたお辰も表情を引き締め……失敗した。
 その様子に部屋の空気が緩む。

 「まあ、良いではないか、実綱。 今は何を言っても無駄よ」

 景虎の言葉に実綱はわざとらしく大きな溜息を吐く。

 「そうですな、下手につついたらこちらの命にかかわりますな」

 真剣な表情で答える実綱の目は娘の幸せを祝福するような優しい視線であった。



 「それで、今後二人はどうする?」

 昼餉が終わり部屋の中にいるのは、景虎、実綱、善吉、お辰のみである。本来なら護衛として張り付いている力士隊は部屋の外だ。

 「はあ、どうすると言われましても……、放逐ほうちくですか……」

 昨夜のこと、それ以前にこの三十夜ほど離れから出ることがなかった善吉は放逐されても仕方がないと思っていた。善吉の答えに昨夜の件に関しては同罪のお辰も身体を小さくして縮こまる。

 「ああ、先程も言ったように問題ない。別にこの程度で放逐などはせぬよ。 そんなことよりもお主が今後どうしていくかを確認しておきたくてな。
 きついかもしれぬが、お主の一番親しかった者が死んだ。 これからお主がどのように生きたいかを聞いておきたくてな。
 それに、お辰との事も……な。ここを出るにしろ、このまま続けるにしろ、お辰の事ははっきりとさせぬと色々と面倒でな。
 どうする?」

 景虎の問いは真剣なものであった。
 善吉は自分の横で小さくなり、ちらちらと時折善吉の顔を盗み見ているお辰に視線を移すとすぐに顔を上げ景虎の目をしっかりと見る。

 「まず、お辰さんのことですが……、できれば夫婦めおととして生きていけたらと思います」

 身体を縮こまらせ様子を伺っていたお辰の気配が一瞬で変わる。善吉はそれを肌で感じてはいたが目を向けることはなかった。
 善吉を見あげたお辰は、今までに無いほど真剣で真っ直ぐな視線を景虎へ向ける善吉を見る。

 善吉の言葉に景虎と実綱はにこりと微笑み頷いている。

 「うむうむ、お辰をめとってくれるか。 目出度めでたいのぅ。 これで売れ残……、そう睨むな……、言葉の綾じゃ」

 冷やかそうとした実綱がお辰の視線に耐え切れず弁解する。

 「それとわたくしですが……、宜しければこのままでお願いしたいです。 ただ、お願いもございます」

 雰囲気が悪くなりかけたことには構わず、善吉は言葉を続ける。

 「し、して願いとは? あまり無茶なことで無くば大抵のことは聞こうではないか」

 景虎も実綱と同様、お辰の剣呑けんのんな雰囲気にのまれたのか話題を変えようとして善吉に先を言うように促す。

 「今までがくを身に着けさせていただきました。 それで、今回の件で考えたのですが、武を教えていただける方を紹介願いたいのでございます」

 背筋を伸ばし真っ直ぐ景虎の目を見る善吉に、その場にいた三人は息を飲むのであった。
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