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金砕棒(とある農民)

金砕棒-6

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 春日山に入ってから一季節が過ぎたころ、村の生き残りたちは数名の大人と孤児たちが春日山の城下で暮らすことを選んだのみで、残りは南西へと旅立っていった。
 それから二つの年を跨いだ頃には、善吉は春日山の周りにある村を、とある武士の補助として任されていた。
ある日、善吉は景虎に呼び出される。

 「善吉、最近はどうじゃ? 何か掴むことが出来たか?」

 景虎の部屋に招かれた善吉は、相変わらず身体は大きいが昔みたいなぼろではなく立派な着物を着ている。立ち居振る舞いも中々のものだ。

 「はい、景虎様。 この二年間様々なことを学ばせていただき、やっと村々の運営方法が分かってまいりました」

 善吉の問いに景虎はにっこりと笑い頷く。

 「そうか、頑張っておるようじゃな。 
 そういえばお主の村の者たちは数名はこの春日山に残ったようであるが、ほかの者たちはある程度まとまって……、南西であったか? そちらのほうへ移住したと記憶しておるが、会っておるのか?」

 「いえ、そちらとは会っておりませぬ。 
 春日山に残った者たち、特に私よりも幼かった者達とはよく会っておりますが、今は学ばせていただいている時期でございます。
 そうそう遠出できるわけではございませぬ」
 
 そこまで言って善吉は【あっ】と表情をこわばらせ平伏する。

 「申し訳ござりませぬ。 その、休みがないなどというつもりでは……」

 段々と小さくなっていく善吉の声に景虎は大きな笑い声をあげた。

 「良い良い。
しかしまあ、仕事は出来るようになっておるとは聞いておるが、その気の弱さは相変わらずかのぅ。
まあ、それが善吉らしいといえば善吉らしいのであるがな。 
そうだな、確かにお主はここ暫く碌に休みも取れておらぬからの」

 景虎は暫くじっと善吉を見て頷く。

 「少し休みをやろう。 お主の村の者たちに顔を見せてこぬか?」

 突然の景虎の問いに善吉は微妙な表情を浮かべる。何しろ仕事が忙しい。補助的な仕事とはいえ五つの村を見ているのだ。今は夏の初めなので税の事は考えずとも良いのであるが、村々の作付けの様子などは見に行かなければならない。
そのことを考えると休みを取ることなどは出来ないのだ。

 「善吉、顔に出ておるぞ。 休むことはできないと考えているのであろう?
まあ、その気持ちは良いのであるがな。
人は休み、心をいたわらねば良き仕事は出来ぬものだ。こちらのことは心配せずとも良いので、とにかく少し休め」

 景虎のまっすぐな視線は善吉を労わろうとする気持ちを伝えていた。
暫く沈黙が部屋の中に漂う。

 「分かりました、ありがたく頂戴いたします」

 善吉の答えに景虎は破顔する。

 「おお、そうじゃ。 ついでに彦二・彦三も連れて行け」

 そう、善吉には部下がいる。
とは言ってもたった二人なのだが。二人は善吉が春日山に来た少し後に、景虎の力士隊の見習いとして入ってきた兄弟だ。
 暫くは力士隊の方で訓練をしていたのだが体格、怪力はともかくとして体質が弱かった。通常の兵としても行軍に耐えきれるものではなく、春日山の守備隊へ回ることになっていたところ、直江実綱が【村々を視察に行く善吉の恰好を付けるため】という名目で配下へと組み込んだのだ。
 最初は渋っていた二人も【自分より強ければ】という条件を出し、善吉と立ち会ったところあっさりと負け、配下に加わることを承諾した。
 因みに勝負は相撲である。

 「私では銭を賄いきれませんので……」

 三人で行くとなれば当然行程に対する金子も発生する。正直善吉の貰っている金子では賄いきれない。かと言って配下である彦二と彦三に出させるという選択肢はなかった。これは善吉の性格である。
 正直部下の二人が付いて来てくれれば心強いし、村の者達にちょっとだけ良い顔ができると善吉は思う。
 しかしやはり先立つものがなければそれもままならない。ちょっとだけ見栄を張りたい気持ちがあった善吉であるが諦めることにしたのだ。

 「ああ、こちらの指示で赴くのだ、そちらは気にするでない。 善吉ならそう言うと思って用意しておいたぞ」

 景虎が合図をすると力士隊の一人が袋に包まれたものを善吉の前に置く。

 「往復に必要な金子は入っておる。 好きに使うがよい。
ああ、それとな」

 景虎の口元が笑み。

 「すまぬがお辰は付けてやれぬ。 少し用事があってな……」

 その言葉に部屋の中にいたもの達から笑いが起こる。もっとも愉快な笑いであるが。それほど二人は一緒にいる時間が長いのだ。誤解されても仕方がないほどに……。一方の善吉はきょとんとしている。
 そう、善吉とお辰は特に何があるわけではないが春日山全体に認知されている二人だ。お辰はそこそこよい歳なのだが、縁談などの話は一切出ない。実際は草の中で話は出ていたのだがお辰自体が首を縦に振らないのだ。
 一度は長からの指示で草同士で夫婦になるように言われたのだが、普通では有り得ないことに、逆に力で捻じ伏せて断ってしまった。それを知り、春日山でのお辰と善吉のことを知る景虎が間に入り話をまとめたのだ。もっともこのことは善吉が知らぬところで行われていた。

 「いや、なんですか? 皆さん。 その笑いは?
私とお辰さんはそのような仲ではありませんよ?」

 報われないお辰である。

 「まあ、良い。 とりあえず明日、明後日ほどから行ってこい。 良いな」

 景虎の言葉に善吉は頭を下げるのであった。

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 「お辰……、報われぬなぁ」

 善吉が去ったあと、部屋には景虎と実綱が残った。実綱が手を叩くとすぐに床が開き一人の女が這い出してきた。
 這い出してきたお辰だが顔はむくれている。

 「まあ、もう少し待て。 間は必ず取り持ってやる」

 その言葉にお辰は僅かに微妙な表情を浮かべた。

 「何か……、不安でもあるか?」

 お辰の表情の小さな変化を見た景虎が声を掛ける。お辰は【特には】と言葉を濁す。

 「ああ、もしや、何と言ったか? お春であったか?」

 実綱の言葉にわずかだがお辰の身体が震えた。

 「ふぅむ、あのお辰が女になっておるわ」

 景虎と実綱はお互いに顔を見合わせ軽く噴き出す。

 「揶揄からかわないでください!」 

 顔を真っ赤にして声を上げるお辰。その後小さな声で慌てて【申し訳ございません】と呟いていた。景虎と実綱はひとしきり笑った後、真剣な表情を向ける。

 「さて、本当にその方はいかが致す? 流石に草を抜けるとなるとそちらの長達の面子が立つまい。 他国へ逃げるとしても追手がかかるであろう。 儂でもそれは抑えることは出来ぬ」

 「そうじゃな。 それにそちが抜けるとなると善吉も必然的に抜けるよな。 それももったいのうてな」

 二人の言葉にお辰は笑う。

 「お二方とも気が早うございます。 まだ善吉が私を受け入れてくれるかすらわかりません。 それにそのようなことになっても草を抜ける気はございません。
もし、そのようなことになりそうならば全てを善吉に伝え、それから決めてもらいます。決裂すれば……、善吉の事です、少し脅しておけば口を噤むでしょう」

 お辰はそう言って笑った。
今度は景虎と実綱が微妙な表情を浮かべる。

 「ま、まあ、そちがそれでよいのならばそれで良い。 それでじゃな、話は変わるが此度は南へと向かってほしい。 どうも武田が仕掛けてきそうな気配がある……」

 その後、三人の密談は夜半まで続いた。

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 善吉と彦二・彦三は春日山から南西へと向かっていた。
春日山から五夜、明日には春達が移住した村へと着く。

 「二人とも大丈夫か?」

 善吉が顔色の悪い二人へ声を掛けた。二人は先程まで草むらで唸っていたのだ。

腹下し。

 この二人が行軍に向かなかった理由である。もともと頑丈な身体と立派な体躯を持つ二人なのだが何故かよく腹を下す。そのせいで長期間の行軍が出来ないのだ。最近は春日山から出ても往復一日という場所にしか出向いていなかったのでそれほどでもなかった。
しかし、今回は往復だけで十夜。しかも野宿である。
当然蒲団など暖かいものは無い。夏の初めといえども冷えることは冷えるのだ。特にこの地方は。

 「ま、まあ、なんとか?」

 腹に布を巻き冷やさぬように焚火に当たる二人は傍から見ても痛々しい。しかし、善吉に出来ることはただ、芋がら縄を湯で溶いたものを用意してやることであった。

 夜が明け、日が天の中頃に達した頃、三人は村の方角へと歩き出した。げっそりとしている二人とは裏腹に善吉の足取りは軽い。
 三人が森を抜け半刻、突然彦三が声を上げた。

 「善吉さま、あれって目的の村の方角では?」

 彦三の慌てた声に善吉は顔を上げた。視線の先には黒煙が立ち昇っている。

 「彦二っ! 彦三っ!」

 善吉は大声を上げると二人を見ることもせず走り出す。その背を慌てて追う二人。煙の位置までは目測で一里あるかどうか。
三人はそのまま全力で村へ向かって疾走するのであった。

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 「はっはぁ! 男は殺せ! 女は攫えっ!」

 突然村を襲ってきた男たちは次々と村の男たちを殺してゆく。当然男達も鍬や鎌を持ち抵抗するが手慣れた様子の野伏に唯々殺されてゆくだけであった。
その様子を春は絶望の表情で見つめていた。数年前の悪夢がまた目の前に再現されている。

(あの時は、あの時は善吉がいた……。 でも、でも今は……)

 この後何が起こるかが判るだけ絶望に染まる。春は全身を震わせながら女達の前に立ち、近くにあった鎌を握り締めていた。
男たちを殺し終えた野伏たちが数名、固まっている女たちのほうへ歩いてくる。

 「へぇ、逃げれば逃げられたかもしれなかったのになぁ」

 「そんなものでどうにかなると思っているのかい? たっぷりと可愛がってやるさ」

 刀や槍を手にした野伏たちはへらへらと笑いながら近づいてくる。

 (もう、駄目。 善吉、会いたかったなぁ)

 「みんなっ! ばらばらに逃げなっ!」

 大声で叫んだ春が男たちに向かい走り出す。春の背にいた女達は一瞬戸惑った後、すぐに走り出した。

 「この女は殺すなっ! 俺のだ!」

 春達に向かって来ていた男たちの先頭を歩いていた男が春に向かって走り出す。同時に他の野伏達も走り出した。
 慌てて野伏の進路を邪魔するように手に持った鎌を振り回す春。しかし春は急に崩れ落ちた。
 春が足元を見ると太腿から大量の血が噴き出し、半分程から折れ曲がっていた。すぐに鎌を持つ手にも痛みが走り、鎌を落とす。

 「まあ、こんなものだろう。 さて、楽しませてもらうか」

 真っ青な顔で野伏を見つめる春。春の片足は使い物にならず、利き手の指は半分が失われ、後は凌辱されて殺されるのみ。
鎌も無くなり死ぬことすら叶わぬ春は、せめて他の女たちが、酷い目にあってでも生き残ってくれることだけを願いながら最後に野伏を睨みつける。

 その春の目に、顔に突然水が降りかかり、全身が真っ赤に染まる。

 何が起こったか判らない春は、ゆっくりと春の横に倒れ込んだ野伏の後ろに巨大な影をとらえる。
その手には見覚えのある金砕棒ものが握られていた。

 「春さん!」

 聞き覚えのある声。暖かい大きな手が春の肩をそっと抱きしめた。

 「ぜ、善吉かい?」

 血が抜け、力が抜け、寒気がしていても春はその暖かさを身体で感じていた。最後に会いたかったと願っていた男が目の前にいた。
 思わず涙ぐむ春。

 「もう、もう大丈夫です。 みんなの方は私の部下が守ります」

 その善吉の言葉に春は涙を流す。

 「あんた……、立派になったんだねぇ」

 春の言葉に善吉は頷きながら、いきなり斬られた片足を縛り上げた。

 「いったいっ~!!! いきなりなにすんだいっ!」

 善吉の顔に春の平手打ちが飛ぶ。善吉はそれをものともせずに春の足を縛り上げてゆく。春は悲鳴を上げながらも泣き笑いを浮かべ、善吉の厚い胸板を拳で叩き続けるのであった。
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