呟き

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金砕棒(とある農民)

金砕棒-5

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 「はぁ、すごいですね……」

 善吉は馬上で呟いた。
 陣を出て十日目、景虎の軍は景虎の支配する地へと入っていた。いくつもの立派な砦を通過したが、それは本城ではなかった。
 善吉は一つの砦に差し掛かる度に、お辰へ【ここが春日山ですか?】と尋ねていた。
 
 「あんたねぇ、これで何度目だい? あと半里で春日山に着くから大人しくしてな!」

 ちなみにこの移動の間に善吉はかなりの知識を得ていた。色々な事にお辰が答えていくからである。
 お辰は善吉の馬を引きながら大きな溜息をつく。なにしろ越後の地へ入り、もう十以上も同じことを聞かれていたからだ。
 この地は何しろ砦が多い。数里ごとに数個の砦が存在しているからだ。これは今に始まったことではなく、代々の守護代が作り上げてきたやり方を踏襲しているからである。
 しかもその砦の密度は春日山へ近づくにつれ更に増していた。
 現在春日山から半里ほどになるが春日山まではあと四~五の砦がある。
 お辰はこれ全てで同じ質問をされることが嫌だったから先ほどのように怒鳴ったのだ。
 その言葉に善吉は馬上で大きな身を縮こまらせた。善吉達の後ろについてきている村の者たちは善吉の様子にただ笑うだけであった。

 「すみませんねぇ、お辰さん。 善吉は昔からこうでね。 今後とも・・・・何かと世話を焼いていただけませんかねえ」

 お辰の横に並び歩いていた春がにやにやと笑いながら話しかける。

 「い、え、いや、あ……」

 突然、何かに期待したような眼差しと笑みにお辰はしどろもどろになり顔を真っ赤に染め下を向く。善吉はきょとんとした顔で二人を見る。
 その様子にまた、村の者たちから笑いが起こるのであった。

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 昨夜、善吉は景虎の元を訪れていた。理由は今後のことについての報告である。

 「色々と考えてみました」

 お辰に取次を頼み、景虎に会えたのは夜の休止時であった。
 
 「ふむ、で、どうするかの」

 景虎の陣幕で床几に腰かけ二人、向かい合っていた。当然二人きりという訳ではなく、周りには直江実綱他、主だった武将、力士隊の者たちが並んでいる。
 因みに宇佐美はいない。この面会は評定の後だったのだが、善吉が姿を見せた途端、不機嫌そうな表情で去っていったのだ。
 
 「俺、いや、私は何も出来ません。 ただ、学が欲しいです」

 善吉の言葉に場がざわりと動く。

 「善吉、もう少し具体的にの」

 景虎の言葉に善吉は額に汗をかき、視線を彷徨わせながらゆっくりと話し始めた。

 「ご無礼な事を言います。 
 私は畑と猟以外何も知りません。村長むらおさがどのように税を納めていたか、どのように村を動かしていたか……などです。
ここまでの道のりで村の生き残りの女達と話し合いました。
そこで言われたのが、【折角誘ってもらっているのだから出会いを大切にしなさい。そして村を治められるくらいになってから私たちを会わせて欲しい】という言葉でした。俺たちのあの村はなくなりましたが、いつか気心が知れた者たちと会いたいという思いがみんなにはあるようです。
 俺が景虎様の下で学び、村を興すことが出来るかどうかはわかりません。それに、景虎様に益が生まれるとは到底思えません。
それでも宜しければ景虎様の下に置いていただければと……。 働きますので……。
なんか、あ~」

 善吉はそこまで言って恥ずかしそうに、言ったことを後悔したように顔を伏せる。その様子を見た景虎及び陣幕の者たちは驚いた表情を浮かべていた。
唯一人を除いて。

 「……お辰の入れ知恵か……な?」

 ぼそりと実綱が呟くと善吉はびくりと身体を震わせた。全員が【あぁ】という表情を浮かべる。
 農民だった者からのこの言葉。最初全員が【才気ありか!】という表情で見ていたが実綱の種明かしでほっとした表情を浮かべる。
 正直それだけ考え、語れるのならば、それほど学ぶことはないのだ。ただの村長ならば。

 「ふぅむ、よかろう。 まあ、何もしないで飯を喰うのも気分が悪いようじゃからなぁ、働きながら学べば良い」

 景虎はにこりと笑いながら立ち上がり、善吉の肩に手を置く。

 「これより、この善吉は我が家臣とし、所定の数村を管理させる」

 いきなりの言葉に目を白黒させる善吉。周りの者たちは皆笑っていた。

 「はぁ、御屋形様の悪い癖だ。 善吉、安心せい。 いきなり一人でやらせはせぬよ。
然るべき者の下に付けるのでしっかり学べ」

 善吉は実綱の言葉に安堵の表情を浮かべ笑顔になる。そうして善吉は景虎の家臣団の一員となった。

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 「ここがあんたの住むところだよ」

 春日山へ入った景虎一行。当然善吉や村の者たちも一緒である。
春日山の全貌が見え、それをお辰が伝えたとき、善吉は馬から落ちた。なまじ頑丈な身体をしているため、怪我などは一切なかったが。

 春日山。
 その山、そのものが砦であった。そして春日山の上から通って来た場所を見たとき、善吉はその通り過ぎてきた砦すべてがこの春日山と一つの城であったことを知る。
当然善吉にはそのような知識は無い。ただ、何となく全身で感じ、そう納得した。それだけだ。
 全体を見てぶつぶつと呟いてた善吉の言葉を後日、お辰は景虎と実綱に伝えたとき、二人は心底驚いた表情をしていた。お辰もそれには同感だった。
 
 「あ、ああ。 ここが……」

 圧倒されたまま山腹にある御殿まで通され、そして部屋へと案内される善吉。今まで住んでいた家とは全くの別世界。
 土の匂い、の臭いは全くせず、木と草の匂いが充満する巨大な家。それが善吉の思ったことだった。
 善吉は周りをきょろきょろと見ながらお辰に案内され一つの部屋へとたどり着く。
景虎とは夕餉を一緒にとるということで先に部屋へ、そして湯あみするようにと言われていた。
 
「部屋はここだよ、善吉様」
 
 微妙な言葉使いで話しかけてくるお辰に善吉は顔を顰める。昨日、善吉が長尾家に仕えることが決まってからこの口調だ。お辰にしてみれば当然、からかっているだけなのだが。
 善吉は開けられた障子の外から部屋の中を見て数歩後ずさった。
今までに見たことの無い部屋がそこにはあった。当然まだ何もない部屋なのだが、善吉が今まで暮らしてきた板と土のみの部屋とは似ても似つかないのだ。
 下は緑色のものがある。部屋の奥には長い台のようなものがあり、その上には棒が置いてあり皿が乗っている。何がどのようなものなのか全く分からないのだ。
 しばらく様子を見ていたお辰が善吉の背中を押す。

 「惚けてても仕方ないだろ。 さっさと入りな!」

 善吉はたたらを踏んで部屋の中へ入った。今までにない感触が足裏を刺激する。柔らかいふわふわとしたそれは妙に心地よかった。
 
 「これは畳って言うんだよ。 材料は草だ。 そしてそれが机。 あんたがものを書いたりするところだ。 そしてそれは夜に明かりを灯すものだよ。 まあ、分からないだろうから夜にでも見せてあげるさ」

 お辰は善吉の荷物を運び込む。最初善吉は自分で持つと言ったのだが、お辰は善吉の得物、金砕棒よりはそちらが良いといったのだ。
今善吉は金砕棒のみを持っている。但し下ろそうとはしない。こんなものを置いたら下が大変なことになると思っているからだ。
それを見たお辰は大きく息を吐く。

 「ちょいと待ってな。 今何か敷物を持ってくるよ。 あと、蒲団と……」

 そう言って善吉を残したままお辰は部屋を出て行った。当然善吉は一人で部屋にいることになる。どうにも落ち着かない善吉。
暫くすると数人の女を連れてお辰は戻ってきた。
 
 「とりあえずこれに置いておきな」

 鹿の皮をなめしたものだろう。それが二枚、畳の上に敷かれる。善吉はこのような立派なものの上に金砕棒を置くのをためらったが、お辰の視線に気圧され仕方なしに置いた。ちなみに陣幕で金砕棒を置いていた敷物は皮でも毛皮であり、今置いた敷物は革である。
 その間にも他の女たちが何やら色々なものを運び込み、部屋へと置いて行く。たちまち生活できる空間が整う。
 蒲団と革、その他色々なものを持ってきた女たちは用事が済むとすぐに部屋から出ていき、後には善吉とお辰だけが部屋に残った。
 お辰は何かをしており、善吉はそれをのぞき込む。椀の中には緑色の液体が入っていた。善吉の初めて見るものだ。
それからは湯気が立ち上り、なんとも言えない香りを放っている。 思わず鼻をくんくんとさせる善吉にお辰は笑みを浮かべる。

 「茶は初めてだよね?」

 お辰の問いに善吉は黙って頷いた。

 「善吉、とりあえず座りなよ。 そこに立っていられると気が散ってしょうがないんだけどね」

 お辰の指さした座布団に座る。ふかりとした感触に善吉は思わず立ち上がり、すぐに座りなおした。
なぜか正座である。

 「……あんた、楽におしよ。 その座り方じゃあきついだろう。 それに折角の茶と菓子が美味しくないよ」

 先ほどの緑の液体が入った椀が善吉の目の前に置かれ、お辰の差し出した手の先には七寸ほどの黒い台に白いものが敷かれ、その上に薄桃色の何かが二つ乗っていた。

 「これは菓子というものだよ。 あたしらも滅多に食べられないものさ。 とりあえず食べてみな、おいしいよ」

 善吉は恐る恐る菓子に手を伸ばす。 それは手に取ると善吉が今まで体験したことがない感触のものだった。 やわらかい、それでいて少し硬い。 なんとも言えないその感触を善吉が楽しんでいると、横からお辰が背中を叩く。

 「こら、食べ物を粗末に扱うんじゃあないよ。 それに急かすつもりはないけど、早く食べないとあたしがもらうよ」

 お辰の言葉に善吉は慌てて菓子を口の中に放り込む。 そして詰めた。
思わず胸を叩き、慌てて茶と言って出されたものを口に含む。
で、吹いた。

 それは今までに味わったことの無いものだった。
 確かに森で採った薬草や野草の中にはにがいものもあるが、それは覚悟をきめて飲むものであるから問題はなかった。しかし今回は慌てて飲んだ。甘いものを口に含んでいたせいもある。 それ以前にこのような苦いものが出されると思っていなかった善吉の油断であった。
 げほげほと咽せながら、それでも詰まった菓子を茶で流し込んだ善吉はふと顔を上げて真っ青になる。
 目の前で茶を滴らせる女がそこにいた。若干肩が震えているように感じる。

 「善吉? 何かな? これは?」

 お辰の地の底から湧き上がるような声に善吉は慌てて平伏した。 ごそごそと布の擦れる音だけがその場に響く。

 「善吉? あと一つは貰っても良いよね?」

 顔を上げた善吉の目の前には笑う鬼がいた。
思わず手で先を促す善吉。
暫くすると液体を啜る音が小さく聞こえる。 顔を恐る恐るあげると、茶碗を傾けるお辰の姿があった。

 「さて、善吉」

 呼びかけられた善吉はびくりと身体を震わせる。

 「風呂、に行こうかね」

 善吉は唯々首を縦に振るしかできなかった。
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