呟き

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金砕棒(とある農民)

金砕棒-3

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 「お主、馬には乗れるか?」
 
 景虎は善吉に話しかける。善吉は黙って首を振った。
 
 「そうか・・・・・・、誰か! こやつを後ろへ乗せてやれ!」
 
 景虎が大声で叫ぶ。暫くすると先程の老将が馬を近づけてきた。
 
 「景虎様、儂が乗せましょう」
 
 にやりと怖い笑みを浮かべながら宇佐見と呼ばれた男が近づき馬から降りた。どう見ても老人という程なのに動きは軽やかだ。

 「さあて、乗せるとするかのぅ」
 
 宇佐見は鼻捻りをぴしゃりと自らの手に打ち付ける。それを見た善吉は頬を引き攣らせながら後ずさりする。
 善吉が一歩下がると宇佐見は三歩分近づいてきた。
 
 「逃げられんぞぃ」
 
 【にぃ】と笑い近づいてくる宇佐見を前に善吉が景虎の方を見ると、気の毒そうな表情を浮かべ【従った方が身のためだ】と身振りで合図をする。近くにいる兵達も気の毒そうな表情を浮かべていた。 
 
 「ほうれ、さっさと乗らんかい。その得物は・・・・・・。貸してみぃ」
 
 宇佐見はあっという間に善吉の側へ寄り善吉の手から得物を奪う。宇佐見は奪った得物を片手で持ち上げ【ぶんぶん】と振り回した。

 「金砕棒か・・・・・・。しかし重いのぅ。よくこれで戦っていたものじゃな」
 
 善吉は目の前の光景に唖然としていた。目の前の男、老人は自分の頭二つ分ほど丈が小さい。それが村の男達は両手でやっと、自分はある程度片手で振り回すことが出来る代物を軽々と振り回している。悪夢にしか見えない。そして老人が口にした得物の名前。

 「金・・・・・・砕棒?」
 
 善吉は自分の使っていた得物の事を知らなかった。昔襲ってきた野伏が持っていた物を奪って使っていただけだ。唯の木の幹ではなく立派な鉄が付いた得物。そして自分の怪力が生かせる得物だったから使っていた、唯それだけなのだ。

 「なんじゃぃ、これ・・のことを全く知らんと使っておったのか。よくそれであやつを殺せたものじゃのぅ」

 宇佐見は金砕棒を地に置き、善吉が縊り殺した野伏を見つめる。
 
 「まぁ良いわ。早う乗れ、ほれ」
 
 左手に握られていた鼻捻りが善吉の尻を叩く。善吉は必死になって馬にまたがろうとする・・・・・・が見事に背中から落ちた。周りから笑いが起こる。よく見ると景虎も苦笑を浮かべていた。それを見て善吉は再度挑戦する。ぎりぎり登り掛けたところで体勢を崩し、また滑る。しかし今度は落ちることは無かった。
 下から尻を支える手があったからだ。
 
 「重いわ! 早う乗らんか! 年寄りに負担を掛けるな!」
 
 宇佐見の大声が響く。善吉はその声にもう一度腰を入れ一気に馬へとまたがった。足が地から一尺有るか無いかだ。宇佐見は呆れた顔でそれを見て、【そのまま動くな】と言い金砕棒を別の者に持たせる。金砕棒を渡された者は顔を顰め、馬の首の付け根と鞍の間にそれを置き、両手で支えた。馬が嫌そうに嘶く。

 「さあて、動くなよ」
 
 善吉の前に宇佐見が歳を感じさせない動きでひらりと乗る。そのまま宇佐見は景虎の横に馬を並べた。

 「で、お主といつまでも言うのはなんなのだ。名を聞かせて欲しいのだが?」
 
 景虎が善吉の方を向き話しかけてきた。善吉は先程名乗らなかった事を思い出した。
 
 「あ、あ、すみません。俺は善吉と言います。よろしくお願いいたします」
 
 次の瞬間、善吉の脹脛を痛みが襲った。思わず顔を顰める。
 
 「善吉とやら、お館様になんという口の利き方をするか!」
 
 またしても大声が上がる。先程の痛みは宇佐見の鼻捻りのようだ。善吉はびくりと身体を震わせ馬から降りようとする。それを宇佐見が後ろ手で手首を握り、止めた。善吉は全力で引き離そうとする。しかし離れない。
 今まで気は弱かったが力では誰にも負けたことは無かった。しかし前に座っている宇佐見の手はびくともしない。善吉の額に汗が浮かぶ。同時に宇佐見の手にも力が籠もった。

 「ええぃ、止さぬか二人とも!」

 笑っていた景虎がさすがに止めに入る。善吉は力が抜けるのを感じた。それは自分の力もそうだが宇佐見の手の力も同時に抜けた。
 景虎の威圧。
 歴戦と思われる老将と気の弱い農民の気を削ぐのに十分な物だった。
 
 「こ、これはお館様。申し訳ございませんでした。なれど・・・・・・」
 
 善吉にはあの宇佐見が小さく見えた。それほど景虎の姿が大きく見えたのだ。
 
 「まぁ、良いでは無いか。善吉は農民、言葉遣いもそれ相応のものだろう? これからだ。 このまま我が配下になるならばな。 それよりも先に本陣へ戻らないとあいつらがうるさいぞ」

 景虎の言葉に宇佐見は【そうですな】と呟いた。
 
 「では、善吉。少し早めに動くから宇佐見に掴まり落ちるなよ」
 
 しぶい表情を浮かべる宇佐見を背に景虎の号令の元、半数の兵が駆け出してゆく。善吉は一度だけ後ろを振り返り、燃え尽きる村と残された者達に視線を送ると宇佐見の腰を思いっきり抱き締めるのであった。

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 「な、なんだ・・・・・・、ありゃぁ」
 
 善吉は唖然とした顔で声を上げた。村から暫く走ると黒い山が蠢いていたのだ。景虎を中に置き、善吉達は徐々にその山に近づいていく。善吉がそれ・・が人の集まりだと気がつくのに多少の時間を必要とした。

 大軍勢
 
 善吉はこれ程のものを見たのは初めてだった。見ても数十程の集団が最大。人・人・人・馬・馬。様々な旗がはためき、先程村の女達に渡した【毘】の旗も見える。景虎達はその中でも最も大きな【毘】の旗の下へと向かっていたのだ。そしてその下へと到着すると地に膝を付くきらびやかな甲冑を纏う男達がいた。

 「お館様、お帰りなさいませ!!!」
 
 大人数の揃った聲。善吉はそれを聞いただけで心が折れ掛かっていた。正直少し前に縊り殺した野伏が可愛いと思う。
 その中の一人が進み出てくる。
 
 「お館様、どこへお出でになっていたのでしょうか? それに定満様もご一緒とは?」
 
 あれだけの威圧を放っていた景虎がそっぽを向いている。そしてあの宇佐見も何とも言いがたい表情を浮かべていた。

 「軍勢を全て放って何処へ行かれていましたのでしょうか? 虎千代様?」
 
 虎千代? 善吉は頭を捻る。進み出た男の視線は真っ直ぐ景虎を見つめていた。
 
 「・・・・・・すまん。村が野伏に襲われておったようでな。つい・・・・・・」
 
 非難の視線を向ける男と、その後ろに付く男達。お互いの間に沈黙が流れる。
 
 「もう良いでは無いか、実綱。儂も無事、本陣も無事、後詰めも無事なのであろう? それに真田もまだ迫っていない様だしな」

 景虎は【にやり】と笑う。実綱と呼ばれた男と後ろで膝をつく男達は納得できないがそれ以上は特に何も言えないという表情を浮かべていた。
 その頃には善吉は宇佐見に馬から下ろされていた。得物である金砕棒も返されている。
 
 「ところでその者は?」
 
 実綱と呼ばれた男が怪訝そうな表情で口を出す。それはそうだろう。いくら歴戦の老将が付いていようとも主君の横にぼろを纏い、巨大ななりで、威圧感のある金砕棒を持つ男がいるのだ。質問の一つや二つは出るのは当然だ。

 「ん?あぁ、この者は善吉という。先の村で拾った若者だ。儂が話してみたくなったので今は客人として来てもらっている。言葉遣いなど・・・・・・咎めるでないぞ」

 景虎は【じっ】と宇佐見の方を見るが宇佐見は【しれっ】と明後日の方角を見ていた。
 
 「とりあえず善吉、付いて来い」
 
 景虎が陣幕の中に誘うので善吉はそのまま付いていくのであった。
 
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 「ったく、どんな馬鹿力じゃぃ」 

 宇佐見は具足を緩め腰の辺りを確認していた。老齢とは思えないほどの締まった肉が付いている。その周囲は赤く腫れていた。丁度、胴と草摺の間に手を回されていたとはいえ間にはさらしが巻かれ、短刀も刺していた。宇佐見の胴にはその短刀の拵えの跡さえ付いている。

 (この宇佐見定満、齢七十まで生きて初めての怪力者に出会うたわい)
 
 一度緩めた具足を再度着用するのは困難なので一度全て外す。それからすぐに具足を締め直した。

 (どうせ、この戦を最後に隠居するつもりであったからのぅ。あのわっぱ、育ててみるか・・・・・・)

 宇佐見はさっさと具足を付け直し、二人のいる陣幕へと向かって歩き出した。
 
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 「さて、善吉。儂はお主を買っておる。どうじゃ、儂の家臣にならぬか?」
 
 陣幕に入り対面に座った最初の一言がそれだった。両方の背後に控える者達から驚きの声が上がる。
 今、陣幕の中で景虎と善吉は床几に腰掛け対面で話していた。当然景虎の配下達からは非難の声が上がったが景虎がそこは押さえた。
 善吉は額から汗を流しながら心の中で必死に考えを巡らせていた。
 
 (お、おれを何故家臣なんかに? 俺は人殺しは苦手だ。それに武士や野伏は怖い・・・・・・)
 
 この場でも善吉は縮こまっていた。強者と呼ばれるような者達が十名以上で取り囲んでいるからだ。しかもかなり体格の良い、丈も善吉より少し低い程度の者達もいる。もっともその者達は腹が出て太っていたが。後に善吉はこの者達が力士隊と呼ばれ、様々な戦場で恐れられる者達だと知ることになる。

 「あ、お、俺、人殺しは無理です・・・・・・。怖いです」
 
 絞り出すような善吉の声。それを聞いた景虎はきょとんとした表情になった。暫くして口を開く。

 「善吉。お主の戦いは見せて貰った。この得物を持つ者と金砕棒で打ち合い、縊り殺すような者が怖いというのか?」

 景虎が手を上げると陣幕の外から長柄の得物が持ち込まれる。善吉には見覚えのある物だ。そう、最後に縊り殺した者が持っていた得物だ。
 周囲の者達もその得物を見て驚いた表情になる。柄だけで七尺。その先に二尺を越える刃が付いていた。

 大長刀おおなぎなた
 
 しかも大長刀の中でも桁外れの大きさだ。そして同時に持ち込まれた善吉の得物の金砕棒。両者ともかなりの力のあるものでは無いと振り回すことさえ出来ない代物だ。

 「ほぅ。これをこの若者、善吉と言いましたか? この者が使っていたのですか?」
 
 先程景虎と口を利いていた男が声を上げた。男の低音の声に善吉はびくりと身体を震わせそちらを見る。自然と目が合った。

 「善吉と申したな。儂の名は直江実綱という。どうじゃ、儂の所に来ぬか?」
 
 突然の誘い。それには善吉も唖然とし、それ以前に景虎が唖然としていた。
 
 「こっ、こら。善吉には儂が目を付けたのじゃ。横取りするな」
 
 景虎が実綱に詰め寄る。実綱はにやにやと笑うだけだ。
 
 「良いでは無いですか。うちには兼次がおりますゆえ。良い競争相手になるのではないでしょうか?」

 実綱の言葉に景虎は【うぬぬ】と唸る。その唸り声と勝ち誇る顔に冷や水が浴びせられた。
 
 「その者、善吉は儂が預かり申したい!」
 
 大声を出し陣幕の中に入ってきたのは宇佐見定満であった。   
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