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金砕棒(とある農民)
金砕棒-2
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どどどどどど
山が崩れるような音が聞こえてくる。呆けていた善吉は音のする方にゆっくりと顔を向けた。馬の男が殺されたことに憤り、女や食べ物を放り出して善吉の方へ走りだそうとしていた野伏達も振り返る。
深い森の中から数十の馬が走り出してきた。その上には甲冑を身につけた者達が乗っている。
「殲滅せよ!」
鎧に白い布を被った男の声に他の男達が【応!】と答え、野伏達を次々と屠り出す。女達は逃げる事も出来ずにへたり込み、粗相をしている者までいる。森の中から出てきた者達は器用に女達と食料を避け、野伏を蹂躙して行く。逃げる者も徹底的に追う。
善吉はその様子を黙って眺めていた。短い時間でこの村を廃村に追い込んだ野伏達が、一瞬で壊滅してゆく。
(あぁ、この人達がもっと早く来てくれていたら・・・・・・)
善吉は手に持った得物を力の限り握り締めた。
「そこの者、名は?」
突然、目の前に白い馬に乗った男が声を掛けてきた。先程の白い布を頭に巻いた男だ。肩に担ぐ刀には血は付いていない。その男は善吉を興味深そうに眺めていた。
「・・・・・・なんで、なんでもっと早く来てくれなかったんだよ!!!」
善吉は握り締めた得物を頭の上に振りかざし大声を上げた。男の後ろにいた者達が慌てて白い馬の男と善吉の間に割って入ろうとする。しかしその行動は白い馬の男に制止された。
白い馬の男を睨み付ける善吉。その視線を何とも言えない表情で見つめる白い馬の男。村の中を馬が駆け回る音と時折上がる悲鳴の中、二人の間には何とも言えない静寂があった。
「・・・・・・すまない・・・・・・」
白い馬の男が呟き頭を下げた。白い馬の男の後ろに控える男達は唖然とし、また憤っていた。しかし前に出ることは無い。善吉はひとつ大きな溜息をつくと得物を地につけた。
「お主はこの村に残り村を再建するのか?」
暫くの沈黙の後、白い馬に乗る男が善吉に声を掛けた。善吉は白い馬に乗る男の言葉に視線を彷徨わせる。彷徨う視線の先ではあちらこちらで生き残った女達が手当を受けている。どうやらこの男の配下の者のようだ。
村は殆どの家が燃え続けている。消火のために家を倒せる者はいない。そしてこの男達もそこまではしてくれないようだ。
「・・・・・・難しいと思う。それよりもか・・・・・・、感謝致します。先程はご無礼を言いました。 もう我々には何も差し上げる物はございません。娘達はお目こぼしを・・・・・・、どうかお目こぼしを・・・・・・」
善吉は身体を震わせていた。張り詰めていた気が抜け、持ち前の気の弱さが前面に出てきたのだ。
それともう一つ。白い馬の上の男の凄まじい威圧。先程までは気を張っていたので気がつかなかったが、先に縊り殺した男とは明らかに格が違うのだ。そのような男に得物を振り上げ怒鳴ったのだ。殺されても仕方が無い。全身を冷や汗が流れ、動くことさえ出来ない。ただ震えるだけだ。先程の言葉はやっとの思いで絞り出した言葉だった。
「ふぅむ。そうだな・・・・・・。どうだ、生き残りを連れて我が領地に来ぬか?」
白い馬の上の男から声が掛かる。その言葉に善吉は目の前が暗くなった。領地? 豪族? 大名? 混乱する善吉。慌てて地に頭をつけようとするが身体が言うことを聞かない。先程の無礼だけならば善吉が殺されるだけで済む。しかし領地持ちの集団ということになると、ここで頭を下げ、先程の無礼な物言いを訂正しないと折角生き残った村人が皆殺しになる。
そのような考えが善吉の心を支配していた。
「そう怯えるな。何もせぬ。そろそろ我が軍の先陣が来る。村人はその者達に運ばせよう。ただしお前は儂と来い。話がしたい」
善吉は考える。もし自分が抜けた後、本当に約束を守ってくれるのか? 他の村人が皆殺しにならないのか? 女達ばかりなので慰み物になるのではないか?
善吉は動かずに黙って俯いていた。
「うん? どうした? やはりここに残るか・・・・・・?」
「なんじゃぁ! 根性無しか! さっさと返事をせぬかぁ!」
突然、白い馬の男の後ろから大音声が響き渡る。後ろにいた男達をかき分け初老の男が現れた。白い髭にかなりの歳の男。男は白い馬の男に一礼すると【すっ】と前に出てきた。
「ぬしゃぁ何の心配をしておる。このままここを動かなければ武田の先遣隊が来る。相手は真田幸綱ぞ! はよう決めて移動するぞ! それに殿は全員を救うと言われておるのだ、素直に従わんか!」
善吉は身を縮こまらせ目を瞑る。
「まぁまぁ、宇佐見殿。そう馬上から怒鳴り散らすのはこの若者に失礼ですぞ。どうせ武田の先鋒は真田。用心深い奴だ。まだ飯富が動いておらぬから早めに飯山へ入れば良い」
白い馬の男の言葉に宇佐見と呼ばれた老将は【ぬぅ】と唸った。どうやらこの軍は敗れたか何かで撤退しているようだ。善吉はこの付近は高梨某が治めていたと記憶している。その者の城の一つに入ると言うからには更に偉いのだろう。暫く四つの目に晒され、善吉は言葉を発した。
「少々お待ちいただきますか。生き残った女達と相談してきますので・・・・・・」
声がぷるぷると震えている。やはり気の弱さは拭えないようだ。
「なんじゃと! まだ待たせるか! お館さ・・・・・・」
宇佐見という爺が怒鳴り散らすがそれを白い馬の男が手で制す。やんわりとした動きだが反論を許さない迫力があった。
「うむ。それはそうであろうな。ただ、あまり時間は取れぬ。早めにな」
白い馬の男は宇佐見という男に向き直り色々と指示を出し始める。憤怒の形相の宇佐見は善吉をじろりと睨むと白い馬の男の指示を黙って聞き、その場を去って行った。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
「な、なぁ、どうする? あの方が付いて来いとおっしゃっているが・・・・・・」
今、善吉は生き残った村の女達の所に来ていた。皆、疲労と悲しみで疲れ果てている。手足にさらしを巻いたり、白い馬の男の配下から水を貰ったりしていた。
「ぁああ、善吉、生き残ったのかい? あんた、野伏の大将殺したみたいだね・・・・・・」
虚脱と非難するような視線を向ける女達の中から比較的元気な女が声を掛けてくる。村で一番の器量の女だ。先程の襲撃で夫を無くしている。
女は善吉の引き摺ってきた得物を視て、また混乱の中、善吉が野伏の大将を縊り殺す場面をしっかりと視ていた。それに助けてくれた何者かとも堂々と話をしていた。それで他の女達とは違い、非難の視線を向けていない。
善吉は白い馬の男から提案された内容を全員に伝える。当然、自分がこの村の女達から暫く離れることも伝えた。
「ん・・・・・・、まぁ。そ、それでどうします? 早く決めろと言われているのですが・・・・・・」
善吉の言葉に数名の女達から非難の声とここを離れないという言葉が上がる。
【はぁ】という溜息と共に善吉は空を見上げた。上手く纏めきれない。これは善吉の気の弱さが起因していた。昔から女にも強く言えない善吉。その善吉を助けたのはやはり先程の元気な女、春であった。
「あんたら、いい加減にしな! 善吉はしっかりやってくれたじゃあないか。善吉を非難するのはお門違いだよ! それにどうせここに残っても男は善吉しかいないんだ。あの大将に旦那達の埋葬を頼んでここを離れた方がまだ幸せになるさね。 ・・・・・・私はそうするよ。まだ幼い娘もいるしね」
春は非難めいた視線を送る女達を一喝し、白い馬の男と指さした。善吉はびびって声も出ない。
「いいね! 全員で付いていくよ。 行かない奴は手を上げな!」
春が女達を見回すが誰も手を上げる者はいない。誰もがもうこの村は駄目だと分かっているからだ。それでも返事をしない声を出さないのは先祖代々、昔からこの村で育ってきたからだ。
「じゃあ決まりだ。善吉!あの大将に【付いていく】と話を付けてきておくれ」
春は娘を撫でながらやんわりとした笑みを浮かべる。春も夫を亡くしたすぐのはずなのに気丈に振る舞っていた。
善吉は自分がびびっている訳にはいかないと震える身体に気合いを入れ、白い馬の男の元へと戻る。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
「宜しいでしょうか?」
善吉は白い馬の男の前まで来ていた。手には得物を握ってはいるがそれを引き摺っている。身体と心の限界が近く、力が入らないのだ。
「おぅ、決まったかな?」
にこやかに話しかけてくる白い馬の男。善吉は黙って頷くと【ついて行く】と短く答えた。男は満足そうに頷く。
「安心しろ。女達は無事に飯山まで連れて帰る。そこまで行くと女達も落ち着くだろう。身の振り方はそれからじっくりと考えさせれば良い。お主は儂に付いて来い」
男の言葉に善吉は保証が欲しい事と死んだ者達の埋葬を願うと返事を返した。死んだ者達は正直諦めるつもりだ。
それよりも女達の集団だ。自分が説得に行き、その自分が皆と別れる。その後約束が破られ慰み物にされるのを善吉は警戒したのだ。目の前の男とその配下は自分たちを助けてくれた。だが、この争いの絶えない世の中、何が起きるか分からない。正直保証と言ってもそれが護られる可能性は少ない。
それでも善吉はけじめとして白い馬の男から言質を取ろうとしていた。白い馬の男は少し考え込むと後ろに控えている、甲冑に身を包んだ男の背中に刺さっている旗を寄越すように言う。男はそれを受け取り善吉に渡した。
それには文字らしき物が書いてある。善吉は文字が読めない。それを察したのか白い馬の男が説明を始めた。
「それは【毘】という文字だ。我が崇める毘沙門天の一字を書いた物だ。我が心。我が軍の心がその文字に籠もっている。我は毘沙門天に誓う。絶対に女達の安全は護る。死者達は・・・・・・すまぬ」
善吉はその言葉を聞き終わると、旗を持って一度春達の元へと戻り、決まった事を話、旗を渡して戻ってきた。死者が弔われないことについて、生き残った者達の非難の視線が刺さるが自分の小心を心の中に閉じ込め耐える。
「あの、その、それではお願いいたします。私は善吉と言います。よろしくお願いいたします」
善吉は震える声で白い馬の男に声を掛けた。男はにこりと笑い名を名乗った。
「儂の名は長尾景虎。ここより遙か北の方の土地を収めている者だ。よろしくな」
これが善吉と長尾景虎、後の上杉謙信との出会いであった。
山が崩れるような音が聞こえてくる。呆けていた善吉は音のする方にゆっくりと顔を向けた。馬の男が殺されたことに憤り、女や食べ物を放り出して善吉の方へ走りだそうとしていた野伏達も振り返る。
深い森の中から数十の馬が走り出してきた。その上には甲冑を身につけた者達が乗っている。
「殲滅せよ!」
鎧に白い布を被った男の声に他の男達が【応!】と答え、野伏達を次々と屠り出す。女達は逃げる事も出来ずにへたり込み、粗相をしている者までいる。森の中から出てきた者達は器用に女達と食料を避け、野伏を蹂躙して行く。逃げる者も徹底的に追う。
善吉はその様子を黙って眺めていた。短い時間でこの村を廃村に追い込んだ野伏達が、一瞬で壊滅してゆく。
(あぁ、この人達がもっと早く来てくれていたら・・・・・・)
善吉は手に持った得物を力の限り握り締めた。
「そこの者、名は?」
突然、目の前に白い馬に乗った男が声を掛けてきた。先程の白い布を頭に巻いた男だ。肩に担ぐ刀には血は付いていない。その男は善吉を興味深そうに眺めていた。
「・・・・・・なんで、なんでもっと早く来てくれなかったんだよ!!!」
善吉は握り締めた得物を頭の上に振りかざし大声を上げた。男の後ろにいた者達が慌てて白い馬の男と善吉の間に割って入ろうとする。しかしその行動は白い馬の男に制止された。
白い馬の男を睨み付ける善吉。その視線を何とも言えない表情で見つめる白い馬の男。村の中を馬が駆け回る音と時折上がる悲鳴の中、二人の間には何とも言えない静寂があった。
「・・・・・・すまない・・・・・・」
白い馬の男が呟き頭を下げた。白い馬の男の後ろに控える男達は唖然とし、また憤っていた。しかし前に出ることは無い。善吉はひとつ大きな溜息をつくと得物を地につけた。
「お主はこの村に残り村を再建するのか?」
暫くの沈黙の後、白い馬に乗る男が善吉に声を掛けた。善吉は白い馬に乗る男の言葉に視線を彷徨わせる。彷徨う視線の先ではあちらこちらで生き残った女達が手当を受けている。どうやらこの男の配下の者のようだ。
村は殆どの家が燃え続けている。消火のために家を倒せる者はいない。そしてこの男達もそこまではしてくれないようだ。
「・・・・・・難しいと思う。それよりもか・・・・・・、感謝致します。先程はご無礼を言いました。 もう我々には何も差し上げる物はございません。娘達はお目こぼしを・・・・・・、どうかお目こぼしを・・・・・・」
善吉は身体を震わせていた。張り詰めていた気が抜け、持ち前の気の弱さが前面に出てきたのだ。
それともう一つ。白い馬の上の男の凄まじい威圧。先程までは気を張っていたので気がつかなかったが、先に縊り殺した男とは明らかに格が違うのだ。そのような男に得物を振り上げ怒鳴ったのだ。殺されても仕方が無い。全身を冷や汗が流れ、動くことさえ出来ない。ただ震えるだけだ。先程の言葉はやっとの思いで絞り出した言葉だった。
「ふぅむ。そうだな・・・・・・。どうだ、生き残りを連れて我が領地に来ぬか?」
白い馬の上の男から声が掛かる。その言葉に善吉は目の前が暗くなった。領地? 豪族? 大名? 混乱する善吉。慌てて地に頭をつけようとするが身体が言うことを聞かない。先程の無礼だけならば善吉が殺されるだけで済む。しかし領地持ちの集団ということになると、ここで頭を下げ、先程の無礼な物言いを訂正しないと折角生き残った村人が皆殺しになる。
そのような考えが善吉の心を支配していた。
「そう怯えるな。何もせぬ。そろそろ我が軍の先陣が来る。村人はその者達に運ばせよう。ただしお前は儂と来い。話がしたい」
善吉は考える。もし自分が抜けた後、本当に約束を守ってくれるのか? 他の村人が皆殺しにならないのか? 女達ばかりなので慰み物になるのではないか?
善吉は動かずに黙って俯いていた。
「うん? どうした? やはりここに残るか・・・・・・?」
「なんじゃぁ! 根性無しか! さっさと返事をせぬかぁ!」
突然、白い馬の男の後ろから大音声が響き渡る。後ろにいた男達をかき分け初老の男が現れた。白い髭にかなりの歳の男。男は白い馬の男に一礼すると【すっ】と前に出てきた。
「ぬしゃぁ何の心配をしておる。このままここを動かなければ武田の先遣隊が来る。相手は真田幸綱ぞ! はよう決めて移動するぞ! それに殿は全員を救うと言われておるのだ、素直に従わんか!」
善吉は身を縮こまらせ目を瞑る。
「まぁまぁ、宇佐見殿。そう馬上から怒鳴り散らすのはこの若者に失礼ですぞ。どうせ武田の先鋒は真田。用心深い奴だ。まだ飯富が動いておらぬから早めに飯山へ入れば良い」
白い馬の男の言葉に宇佐見と呼ばれた老将は【ぬぅ】と唸った。どうやらこの軍は敗れたか何かで撤退しているようだ。善吉はこの付近は高梨某が治めていたと記憶している。その者の城の一つに入ると言うからには更に偉いのだろう。暫く四つの目に晒され、善吉は言葉を発した。
「少々お待ちいただきますか。生き残った女達と相談してきますので・・・・・・」
声がぷるぷると震えている。やはり気の弱さは拭えないようだ。
「なんじゃと! まだ待たせるか! お館さ・・・・・・」
宇佐見という爺が怒鳴り散らすがそれを白い馬の男が手で制す。やんわりとした動きだが反論を許さない迫力があった。
「うむ。それはそうであろうな。ただ、あまり時間は取れぬ。早めにな」
白い馬の男は宇佐見という男に向き直り色々と指示を出し始める。憤怒の形相の宇佐見は善吉をじろりと睨むと白い馬の男の指示を黙って聞き、その場を去って行った。
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「な、なぁ、どうする? あの方が付いて来いとおっしゃっているが・・・・・・」
今、善吉は生き残った村の女達の所に来ていた。皆、疲労と悲しみで疲れ果てている。手足にさらしを巻いたり、白い馬の男の配下から水を貰ったりしていた。
「ぁああ、善吉、生き残ったのかい? あんた、野伏の大将殺したみたいだね・・・・・・」
虚脱と非難するような視線を向ける女達の中から比較的元気な女が声を掛けてくる。村で一番の器量の女だ。先程の襲撃で夫を無くしている。
女は善吉の引き摺ってきた得物を視て、また混乱の中、善吉が野伏の大将を縊り殺す場面をしっかりと視ていた。それに助けてくれた何者かとも堂々と話をしていた。それで他の女達とは違い、非難の視線を向けていない。
善吉は白い馬の男から提案された内容を全員に伝える。当然、自分がこの村の女達から暫く離れることも伝えた。
「ん・・・・・・、まぁ。そ、それでどうします? 早く決めろと言われているのですが・・・・・・」
善吉の言葉に数名の女達から非難の声とここを離れないという言葉が上がる。
【はぁ】という溜息と共に善吉は空を見上げた。上手く纏めきれない。これは善吉の気の弱さが起因していた。昔から女にも強く言えない善吉。その善吉を助けたのはやはり先程の元気な女、春であった。
「あんたら、いい加減にしな! 善吉はしっかりやってくれたじゃあないか。善吉を非難するのはお門違いだよ! それにどうせここに残っても男は善吉しかいないんだ。あの大将に旦那達の埋葬を頼んでここを離れた方がまだ幸せになるさね。 ・・・・・・私はそうするよ。まだ幼い娘もいるしね」
春は非難めいた視線を送る女達を一喝し、白い馬の男と指さした。善吉はびびって声も出ない。
「いいね! 全員で付いていくよ。 行かない奴は手を上げな!」
春が女達を見回すが誰も手を上げる者はいない。誰もがもうこの村は駄目だと分かっているからだ。それでも返事をしない声を出さないのは先祖代々、昔からこの村で育ってきたからだ。
「じゃあ決まりだ。善吉!あの大将に【付いていく】と話を付けてきておくれ」
春は娘を撫でながらやんわりとした笑みを浮かべる。春も夫を亡くしたすぐのはずなのに気丈に振る舞っていた。
善吉は自分がびびっている訳にはいかないと震える身体に気合いを入れ、白い馬の男の元へと戻る。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
「宜しいでしょうか?」
善吉は白い馬の男の前まで来ていた。手には得物を握ってはいるがそれを引き摺っている。身体と心の限界が近く、力が入らないのだ。
「おぅ、決まったかな?」
にこやかに話しかけてくる白い馬の男。善吉は黙って頷くと【ついて行く】と短く答えた。男は満足そうに頷く。
「安心しろ。女達は無事に飯山まで連れて帰る。そこまで行くと女達も落ち着くだろう。身の振り方はそれからじっくりと考えさせれば良い。お主は儂に付いて来い」
男の言葉に善吉は保証が欲しい事と死んだ者達の埋葬を願うと返事を返した。死んだ者達は正直諦めるつもりだ。
それよりも女達の集団だ。自分が説得に行き、その自分が皆と別れる。その後約束が破られ慰み物にされるのを善吉は警戒したのだ。目の前の男とその配下は自分たちを助けてくれた。だが、この争いの絶えない世の中、何が起きるか分からない。正直保証と言ってもそれが護られる可能性は少ない。
それでも善吉はけじめとして白い馬の男から言質を取ろうとしていた。白い馬の男は少し考え込むと後ろに控えている、甲冑に身を包んだ男の背中に刺さっている旗を寄越すように言う。男はそれを受け取り善吉に渡した。
それには文字らしき物が書いてある。善吉は文字が読めない。それを察したのか白い馬の男が説明を始めた。
「それは【毘】という文字だ。我が崇める毘沙門天の一字を書いた物だ。我が心。我が軍の心がその文字に籠もっている。我は毘沙門天に誓う。絶対に女達の安全は護る。死者達は・・・・・・すまぬ」
善吉はその言葉を聞き終わると、旗を持って一度春達の元へと戻り、決まった事を話、旗を渡して戻ってきた。死者が弔われないことについて、生き残った者達の非難の視線が刺さるが自分の小心を心の中に閉じ込め耐える。
「あの、その、それではお願いいたします。私は善吉と言います。よろしくお願いいたします」
善吉は震える声で白い馬の男に声を掛けた。男はにこりと笑い名を名乗った。
「儂の名は長尾景虎。ここより遙か北の方の土地を収めている者だ。よろしくな」
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