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安綱(坂上田村麻呂)完結
安綱-5
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早朝、まだ日が昇らないうちに朝廷軍は足音を忍ばせて移動を始めた。昨夜は悪黒王の本拠地から宴会の様な声が響き、殆どの者は眠れないでいた。
「畜生、良い思いしやがって。こっちは空腹でたまらないというのに・・・・・・」
「おい、声を大きくするなよ。あいつらに見つかったら全滅するかもしれないぞ。もっとも俺はあちらさんより将軍の血吸の方が怖いがね」
兵士達はぼそぼそと会話する者、頑張って眠ろうとする者と様々だ。しかし山戦の者達は休んでいる兵達とは違い動き回っていた。三人は兵士達の周囲を見回っている。残り四人はじっとして疲れを取り、残りの三人は生木を集め火を付ける位置へと移動させていた。
田村麻呂はその中で護衛達と側近に囲まれ最終的な打ち合わせをしていた。
「後少ししたら全員を起こせ。音を鳴るべく立てさせるなよ。上も静かになったからな。弓兵で夜目の利く者を直ぐに起こし山戦の者に正面の門に案内させろ。生木に火を付けると同時に出来るだけ伏せている弓兵を射殺したい」
田村麻呂の言葉で全員が動き出す。側には護衛兵と側近が二人残るだけだ。
「どうでしょうか? 何とかなりますか?」
側近の問いに田村麻呂は口元をにやりとさせた。
「さあ? 問題は門の強度がどれ位かじゃなぁ。用意した大槌五本に期待するしか無いな」
田村麻呂は部隊の中でも力自慢の者五名を選び大槌を持たせていた。これは門を破壊するための物だ。丸太で叩く方法もあるが三方から降り注ぐ矢をかいくぐるには重すぎる。それで一人一人が運べる木の大槌を用意した。少しでも扉が開き、閂が見えたら血吸で斬り裂く自信がある。それは先日の戦で確信を持っていた。当然五名には報償の話をしてある。危険な任務になるからだ。
「さて、そろそろじゃな」
不安な表情を浮かべる側近を尻目に、田村麻呂は大槌を持つ五人の方へ歩き出した。周辺からごそごそと人が動く音が聞こえてくる。立ち上がった者達はあらかじめ決められた位置へと移動を始める。
「では、行くぞ」
その場から直接攻め上がる部隊二百名を残し、残りはゆっくりと進軍を始める。門へと続く路は狭い。その狭さ名一杯に兵を配置し徐々に登ってゆく。
先頭を歩く山戦の者が手を上げた。暫くすると白い煙が立ち上り、門の付近へと流れ込み始める。風は微風。ゆっくりと門を隠すように煙が巻き始めた。異常に気づいた悪黒王の配下が立ち上がる。その者は直ぐに矢を浴びて倒れる。
それでも無事な者はいて急襲の報を叫び、青銅の鐘を打ち鳴らした。数度鳴ると音が止む。弓兵が撃ち殺したようだ。
「では、行くぞ!」
田村麻呂と五人の槌兵が全速力で坂を駆け上がってゆく。その後に剣と盾を構えた兵士が続く。【どんどんどん】という門を叩く音が響き渡り始めたとき、悪黒王の本拠地は蜂の巣を突いたような騒ぎになった。
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(夜襲? やはり来ましたか)
鈴鹿御前は起き上がると直ぐに鎧を着ける。自分の戦い方に甲冑は向かないので急所を守るための鎧を着けるだけだ。直ぐに着終わると#顕明連_けんみょうれん_#を腰に差し、#大通連_だいつうれん_#と#小通連_しょうつうれん_#を鞘から抜き表に出る。
門の方から大きな音がいくつも鳴っており、直ぐにも突破されそうな勢いだ。煙も立ち上り屋敷全体に拡がりつつある。
(これは・・・・・・火責めではない。生木を燃やして目眩ましにしたのか?)
鈴鹿御前は配下の一人を捕まえると自分の部屋の前に集まるように指示を出す。混乱に陥った屋敷の中は逃げ惑う者達でごった返していた。
(だから言ったのに・・・・・・。わたくしの直属の配下は直ぐに立て直すでしょうが旦那様はどうでしょうか・・・・・・)
鈴鹿御前は旦那がいる場所へは向かわず、自分の部屋の前を動かない。それはこちらの方が門に近いからだ。そして悪黒王の閨は裏門に近い。確認の為、悪黒王の閨の方に視線を巡らせた鈴鹿御前は愕然とする。裏門付近からも煙が上がっているからだ。
(いつの間に裏門まで兵を進めたの? まさかこの山を寝ずに移動したなんて・・・・・・)
さすがの鈴鹿御前も呆気に取られていた。正直この森は深い。しかもここは山の中腹にある。そう簡単には攻め入れない天然の要害なのだ。しかしそれはあっさりと崩れ去った。
「うぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
突然、急斜面になっている方から鬨の声が上がる。あちら側は斜面がきつく直ぐには上がってこられない。それに土塀が巡らせてあり、丸太や石も多く置いてある。それでも鬨の声は数百の単位だ。このとき鈴鹿御前は冷静でいるつもりだったが実際は混乱していた。朝駆けを山の中でやられたことが無かったからの混乱だ。
山の中で声がこだまする。そのことを完全に失念しており相手方の兵数を過大評価していたのだ。
「御前、全て集まりました」
鈴鹿御前が考え込んでいると、配下の者から声が掛かる。すぐに防衛の策を巡らせ始めた。
「三人、王の下に走り門が破られそうだと伝えて配下を借りてきなさい。それと裏手からは脱出しないようにと。既に手が回っているようです。王の閨は畳を全て剥がし、部屋の周りに配置。矢受けにするように。徹底的に防御に回るように伝えなさい」
内容を記憶した三人は直ぐに悪黒王の閨へと走り出す。鈴鹿御前は残った配下に部屋の中の畳を全て庭に出し、立てるように指示を出した。部屋の中にある物全てを引っ張り出させ、畳を立てかけるものにする。
あっという間に簡易陣地が出来上がった。畳の隙間に弓を持つ者を座らせる。同時に鈴鹿御前の部屋の屋根へ数名を上がらせ、矢束を百単位で上げた。手の空いた数人に武器を保管している場所からありったけの矢を持ってくるように指示を出す。それから直ぐに側面になる急斜面を見に行かせる。
そこまで指示を出して鈴鹿御前は一息ついた。それもつかの間、正門の方から大きな音が聞こえ、人の声が迫ってくる。正門が突破されたようだ。
鈴鹿御前は直ぐに矢をつがえさせ、待ち受けた。煙を抜けて盾を構えた数十名が姿を現す。
「放て!」
鈴鹿御前の掛け声と共に畳の隙間から、屋根の上から一斉に矢が放たれる。とにかく狙う必要は無いから撃ちまくれという指示を出していた。つがえ、撃つ、つがえ、撃つ。
勢いよく雪崩れ込んできた朝廷兵は直ぐに足が止まった。盾を構えしゃがみ込む。それでも屋根の上から次々と射られる矢に為す術も無く倒れてゆく。
「がぁぁぁぁぁ」
叫びと音。屋根の上にいた弓使いが一人落ちてきた。身体の数カ所に矢が刺さっている。屋根を見ると既に全員が矢をどこかに受けていた。それでも矢を放ち続けている。
鈴鹿御前は屋根から配下を下ろすかどうか考えていた。後ろから走ってくる足音がする。鈴鹿御前は警戒しながら振り向いた。そこには悪黒王の下に向かった配下の者達が全員いた。手ぶらで・・・・・・。
「矢はどうしたのですか?」
多少の怒気を孕んだ声が配下の者達を襲う。その中の一人がぜいぜいと言いながら信じられない言葉を吐いた。
「矢は出せないそうです。すべて悪黒王様が使うということで追い返されました!」
配下の眼と言葉には怒気が含まれていた。鈴鹿御前は天を見上げ溜息をついた。直ぐに戻ってきた者達に声を掛ける。
「申し訳ございません、事情も知らず声を荒らげてしまいました」
頭を下げる鈴鹿御前を前に配下達は恐縮する。その後直ぐに指示が飛ぶ。
「屋根の上にいる負傷者と矢束を下に降ろして下さい。お願いいたします」
それだけ言って鈴鹿御前は正面を見据えた。帰ってきた配下の者達は呼吸を整える前にすでに屋根へと登り始めていた。討伐兵が当然それを見逃すほど甘くは無い。直ぐに、矢が登ろうとする者を狙う。屋根で満身創痍の者達と畳の後ろの者達が援護の矢を射続ける。矢は徐々に数を減らしてゆく。
屋根から矢束が二つ落ちてくる。鈴鹿御前が視線を向けると、屋根の上にいた者達は全て息絶えているようだった。
鈴鹿御前の眼が怒りに燃える。
「全員、矢を撃ち尽くしたら抜剣しなさい。申し訳がないですが、わたくしに、最後までお付き合い願えませんか?」
鈴鹿御前の言葉に全員が頷いた。矢が尽きた者から剣を抜いてゆく。最後の矢が放たれた後、暫く静寂が訪れる。直ぐに鬨の声が上がり、足音が近づいてきた。気を急いた者が畳の横から飛び出し、直ぐに矢を受け倒れてゆく。朝廷兵が畳を倒した瞬間、鈴鹿御前の配下が一斉に朝廷兵へ遅いかかった。すぐに乱戦が始まる。鈴鹿御前は両手に持った大通連と小通連を振りかざし突破してゆく。狙いは弓兵。その突破力は盾を構えた剣兵をあっさりとなぎ倒す。
「死にたくないのでしたら、お退きなさい!」
乱戦になった瞬間、鈴鹿御前の配下は抜けてきた朝廷兵と戦い始め、後を追おうとはしない。それは経験上のことだった。
『『『巻き込まれてたまるか!!!』』』
全員の心の中は一致していた。正直自分たちが横にいることが邪魔になるのだ。先日のような広い場所での大軍に向かう突破戦術では側にいないといけないのだが、この狭さになると大通連を振るう鈴鹿御前には近づけない。それに特に今は危険だ。怒りにまかせて動く鈴鹿御前に近づくことは死ぬことを意味する。
案の定、鈴鹿御前の進む路は惨いことになっていた。盾で受けた者は盾ごと斬られ、剣で受けた者は剣ごと斬られている。狙って飛んでくる矢は大通連の風圧で弾かれ、また勢いを殺される。避けられないものは体を捻り、鎧で受け止められていた。
さすがの朝廷兵達も危険だと判断したのか迂闊に近づかない。遠巻きに矢を射かけるだけだ。もっとも殆どが弾かれているのだが・・・・・・。
「おう、やはり鈴鹿御前か。うちの兵の足が止まったから何事かと来てみれば・・・・・・」
門の外から嬉しそうに入ってくる甲冑に身を包んだ男、坂上田村麻呂だった。
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「やっぱり、すぐに来たね」
鈴鹿御前は大通連と小通連をゆっくりと構え直した。田村麻呂も血吸を構える。二人の剣気が渦巻き、場の空気が止まる。殺し合いをしていた者達も戦いを中断して全員が二人の方へ視線を向けた。
「あんたが居たにしてはあっさりとここまで来させて貰ったよ」
ゆっくりと間合いを詰める田村麻呂。動かない鈴鹿御前。きっかけは無かった。突然【がちん】という音と蒼い火花が散る。田村麻呂はすぐに飛び退いた。小通連が右脇腹を薙いできたからだ。
「それが本来の形か?」
田村麻呂の問いに鈴鹿御前は返答とばかりに剣戟を繰り出した。素早い太刀捌きで大通連と小通連をいなす田村麻呂。時折鎧の隙間を狙う血吸。上下左右から斬り込む鈴鹿御前。いなしながら突きを混ぜる田村麻呂。両者の戦いは留まるところを知らない。お互いの甲冑、鎧の一部を削り、間から鮮血を撒き散らす。致命傷では無いが軽くも無い。
その様な戦いが延々と続く。既に数十合は打ち合っていた。さすがの両者も肩で息をしている。二人の得物はどちらも欠け一つ無く、次の一撃を期待するように輝いていた。
しかし、次の動きは双方に無かった。再度水を差す言葉と一本の矢が二人の間に飛来したからだ。その矢は鈴鹿御前の肩を掠め二人の間に突き刺さる。それを合図に同時に二人は距離を取った。
「よぅ、おめえが征夷大将軍の坂上田村麻呂か?」
鈴鹿御前の後ろに甲冑に身を包み、刀を帯びた男が配下らしき者達を引き連れて立っている。ここまで追い詰められているというのに口元にはにやにやと笑いが張り付いていた。
「征夷大将軍・・・・・・か。また随分昔の話だな。お前が悪黒王か?」
田村麻呂の返しに悪黒王は顔を顰める。先程までのにやにや顔からは表情が消えていた。どうやら自虐的に征夷大将軍という銘を否定したこと、自分の情報が古いこと、そして現在討伐されかけているはずの自分が征夷大将軍からの討伐では無いことに対して気が触ったからのようだ。
「・・・・・・そうだ、俺が悪黒王だ。おまえ征夷大将軍の役、解かれたのか? それで将軍なのか?」
いらいらした様子の悪黒王。蝦夷討伐が終わり、節刀は返還してあるその時点で征夷大将軍の任は解かれる。そのことを悪黒王は理解していなかった。そもそも征夷という意味を理解していないのだろう。
「将軍・・・・・・か。そうだな、今は将軍では無いな」
その言葉に悪黒王の表情が憤怒に変わる。
「俺には将軍は必要ないと言うことか! それならば将軍が必要になるように都に攻め入ってやろうぞ!!!」
田村麻呂は溜息をつく。同時に鈴鹿御前も溜息をついた。悪黒王の後ろでは戦支度が始まっている。当然朝廷兵も同様だ。
「悪黒王、儂は将軍では無いがお主の討伐依頼は勅命で出ておるのでな。討たせて貰おうか」
次々と悪黒王の本拠地に侵入し隊列を整える朝廷兵。そしてもう一つ歓声が上がる。側面からも朝廷兵が現れたのだ。山戦達が側面を制圧し、下から登っていた二百の部隊を上へ上げるのに成功したようだ。これには悪黒王は顔を青ざめさせ、鈴鹿御前は頭を抱える。
「さて、五百近い精兵が上がってきたわけだが降伏するならここで戦は終わり民の命は保証しよう、どうする?」
田村麻呂は降伏を勧告する。同時に朝廷兵の弓隊が一斉に矢をつがえた。たじろぐ悪黒王の兵達。中には徐々に後ずさりを始め、裏門の方へにじり寄る者もいる。
「ぬぅぅぅ、朝駆けとは卑怯なことをしおってから偉そうにぬかすな!」
「先に夜討ちをかけたのはそちらだろう?」
完全に飲み込まれた悪黒王。そして言ってはならない言葉を発した。
「夜討ちは鈴鹿の独断だ! 俺は知らん! 正面から当たれば負けぬわ!」
この言葉にはさすがの鈴鹿御前も目つきが変わる。ゆらりと身体を悪黒王の方へ向けた。そこには【しまった!】という表情の悪黒王。
田村麻呂はこの状況を利用することにした。
「わかった。ここは退こう。その代わり五昼夜後にこの下の平地、我々の陣地の前で決戦とゆこうでは無いか。勝てるのならば受けるだろう? どうだ?」
その提案に悪黒王は訝しげな表情を浮かべる。
「罠を巡らせるのでは無いのか?」
既に悪黒王は疑うことしか出来なくなっている。この状態では何を言っても疑うことしかしない可能性があった。田村麻呂は再度条件を出す。
「では、そちらが配下を森の手前まで出せば良い。儂らは五昼夜休ませて貰うだけだ。それともこのまま殺り合うか。 妥協点はこれだけだ」
田村麻呂に付く側近はすぐに攻撃を開始するべきだという視線を送ってくる。それでも田村麻呂は悪黒王と鈴鹿御前を見据えたままだ。
暫く無言のまま立ち尽くす悪黒王。その間に側面から上がった部隊の半数が後方へと回った。これで完全に包囲された形になる。
「わかった、五昼夜後だな。その勝負受けよう」
絞り出すような悪黒王の声。その言葉に鈴鹿御前が反対の言葉を出す。
「旦那さま、それでは完全に負けます。今、この坂上を討ち取れば都からの援軍まで刻が稼げます。これは罠です。受けてはいけません!」
これまでに朝廷軍が、悪黒王の配下ですら聞いたことが無い強い口調の鈴鹿御前。それでも悪黒王は譲らなかった。
「ええぃ、黙れ! こやつを蔵に閉じ込めておけ!」
悪黒王の配下は顔を見合わせて近づこうとはしない。鈴鹿御前の直属の配下が鈴鹿御前を取り囲む。
このやり取りを田村麻呂は黙って見ていた。内心では【してやったり】と笑っているのだが。
「すまぬな。この戦闘狂の言うことは聞き流してくれ。五昼夜後は俺自らが出てお主と戦おう。力同士のぶつかり合いだ」
そう言って再度、鈴鹿御前を閉じ込めるように指示を出した。抵抗しようとする配下に何事かを囁いた鈴鹿御前は一歩前に出た。配下の一人が近くの屋敷に入ってゆく。
「悪黒王様、坂上様、このわたくしの配下達は戦闘を放棄します。山を降りることをお許し下さいませ」
坂上は直ぐに分かったと返事をする。悪黒王は苦い表情を浮かべた。鈴鹿御前の配下は精強な者が多い。ただそれは鈴鹿御前が率いた場合の時だ。そして先程悪黒王は鈴鹿御前を捕まえ閉じ込めるように指示を出した。内部で反乱などを起こされたら負ける。
悪黒王の頭はさまざまな状況を計算していた。そして答えを出す。
「鈴鹿は残れ。そしたら配下は出て行っても構わん」
一気に鈴鹿御前の配下から不満が漏れる。それを直ぐに手で制す鈴鹿御前。屋敷の中から戻ってきた配下の手には二振り分の鞘が握られており、背には大きな袋が背負われていた。鞘を受け取り大通連と小通連を鞘に戻す。そして配下へ語りかけた。
「皆様は山を降りて下さい。決して両軍の戦いへ参加しないように。わたくしはここへ残ります。戦いが終わった後、それぞれが好きなところへ行って下さい。 この袋の中に多少の銭が入っています。平等に分けるのですよ」
そう言って大きな袋を他の者に背負わせる。鞘と袋を持って来た者はここへ残るようだ。鈴鹿御前は何か言いたそうな悪黒王を一瞥し、そのまま田村麻呂の方へ向かう。
朝廷兵に緊張が走る。弓は限界まで引き絞られ、剣兵は田村麻呂の前に出ようと動き掛けた。それを両手で制す。
「坂上様。鈴鹿御前の負けの印でございます。この両刀をお納め下さい。もっともわたくしにしかこの大刀は抜けませぬが」
そう言って差し出されたのは大通連と小通連。田村麻呂はその二振りを黙って受け取った。唖然とする悪黒王とその配下達。あの鈴鹿御前が負けを認めたのだ。
「決してわたくしの配下を手に掛けぬようお願いいたします」
(悪黒王の兵は五千まで膨らむでしょう。後ろから攻めます。詳細は矢文で・・・・・・)
口を開かずに小さな声を出す鈴鹿御前。田村麻呂は大きな声で【承知した】と答える。にこりと笑い鈴鹿御前は元の位置まで戻り、坂上について行くよう配下に指示を出す。そして自ら蔵の中に籠もっていった。蔵の前に先程の配下が武器を携え立ちはだかる。
「悪黒王よ。それで良いな。では五昼夜後だ。首を洗って待っておれ」
「坂上、お前こそ俺の恐ろしさを教えてやる。覚悟しておけ」
田村麻呂は朝廷兵に山を降りるように指示を出す。朝廷兵は不満そうな顔をしながらも整然と山道を降りていった。後には相当数を減らした悪黒王の配下が残った。
「ええぃ、近隣の者達に使者を送れ! 目にものを見せてくれるわ!」
悪黒王は鈴鹿御前の閉じこもった蔵を一瞥するとすぐに配下の者達に指示を出し始めた。
「畜生、良い思いしやがって。こっちは空腹でたまらないというのに・・・・・・」
「おい、声を大きくするなよ。あいつらに見つかったら全滅するかもしれないぞ。もっとも俺はあちらさんより将軍の血吸の方が怖いがね」
兵士達はぼそぼそと会話する者、頑張って眠ろうとする者と様々だ。しかし山戦の者達は休んでいる兵達とは違い動き回っていた。三人は兵士達の周囲を見回っている。残り四人はじっとして疲れを取り、残りの三人は生木を集め火を付ける位置へと移動させていた。
田村麻呂はその中で護衛達と側近に囲まれ最終的な打ち合わせをしていた。
「後少ししたら全員を起こせ。音を鳴るべく立てさせるなよ。上も静かになったからな。弓兵で夜目の利く者を直ぐに起こし山戦の者に正面の門に案内させろ。生木に火を付けると同時に出来るだけ伏せている弓兵を射殺したい」
田村麻呂の言葉で全員が動き出す。側には護衛兵と側近が二人残るだけだ。
「どうでしょうか? 何とかなりますか?」
側近の問いに田村麻呂は口元をにやりとさせた。
「さあ? 問題は門の強度がどれ位かじゃなぁ。用意した大槌五本に期待するしか無いな」
田村麻呂は部隊の中でも力自慢の者五名を選び大槌を持たせていた。これは門を破壊するための物だ。丸太で叩く方法もあるが三方から降り注ぐ矢をかいくぐるには重すぎる。それで一人一人が運べる木の大槌を用意した。少しでも扉が開き、閂が見えたら血吸で斬り裂く自信がある。それは先日の戦で確信を持っていた。当然五名には報償の話をしてある。危険な任務になるからだ。
「さて、そろそろじゃな」
不安な表情を浮かべる側近を尻目に、田村麻呂は大槌を持つ五人の方へ歩き出した。周辺からごそごそと人が動く音が聞こえてくる。立ち上がった者達はあらかじめ決められた位置へと移動を始める。
「では、行くぞ」
その場から直接攻め上がる部隊二百名を残し、残りはゆっくりと進軍を始める。門へと続く路は狭い。その狭さ名一杯に兵を配置し徐々に登ってゆく。
先頭を歩く山戦の者が手を上げた。暫くすると白い煙が立ち上り、門の付近へと流れ込み始める。風は微風。ゆっくりと門を隠すように煙が巻き始めた。異常に気づいた悪黒王の配下が立ち上がる。その者は直ぐに矢を浴びて倒れる。
それでも無事な者はいて急襲の報を叫び、青銅の鐘を打ち鳴らした。数度鳴ると音が止む。弓兵が撃ち殺したようだ。
「では、行くぞ!」
田村麻呂と五人の槌兵が全速力で坂を駆け上がってゆく。その後に剣と盾を構えた兵士が続く。【どんどんどん】という門を叩く音が響き渡り始めたとき、悪黒王の本拠地は蜂の巣を突いたような騒ぎになった。
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(夜襲? やはり来ましたか)
鈴鹿御前は起き上がると直ぐに鎧を着ける。自分の戦い方に甲冑は向かないので急所を守るための鎧を着けるだけだ。直ぐに着終わると#顕明連_けんみょうれん_#を腰に差し、#大通連_だいつうれん_#と#小通連_しょうつうれん_#を鞘から抜き表に出る。
門の方から大きな音がいくつも鳴っており、直ぐにも突破されそうな勢いだ。煙も立ち上り屋敷全体に拡がりつつある。
(これは・・・・・・火責めではない。生木を燃やして目眩ましにしたのか?)
鈴鹿御前は配下の一人を捕まえると自分の部屋の前に集まるように指示を出す。混乱に陥った屋敷の中は逃げ惑う者達でごった返していた。
(だから言ったのに・・・・・・。わたくしの直属の配下は直ぐに立て直すでしょうが旦那様はどうでしょうか・・・・・・)
鈴鹿御前は旦那がいる場所へは向かわず、自分の部屋の前を動かない。それはこちらの方が門に近いからだ。そして悪黒王の閨は裏門に近い。確認の為、悪黒王の閨の方に視線を巡らせた鈴鹿御前は愕然とする。裏門付近からも煙が上がっているからだ。
(いつの間に裏門まで兵を進めたの? まさかこの山を寝ずに移動したなんて・・・・・・)
さすがの鈴鹿御前も呆気に取られていた。正直この森は深い。しかもここは山の中腹にある。そう簡単には攻め入れない天然の要害なのだ。しかしそれはあっさりと崩れ去った。
「うぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
突然、急斜面になっている方から鬨の声が上がる。あちら側は斜面がきつく直ぐには上がってこられない。それに土塀が巡らせてあり、丸太や石も多く置いてある。それでも鬨の声は数百の単位だ。このとき鈴鹿御前は冷静でいるつもりだったが実際は混乱していた。朝駆けを山の中でやられたことが無かったからの混乱だ。
山の中で声がこだまする。そのことを完全に失念しており相手方の兵数を過大評価していたのだ。
「御前、全て集まりました」
鈴鹿御前が考え込んでいると、配下の者から声が掛かる。すぐに防衛の策を巡らせ始めた。
「三人、王の下に走り門が破られそうだと伝えて配下を借りてきなさい。それと裏手からは脱出しないようにと。既に手が回っているようです。王の閨は畳を全て剥がし、部屋の周りに配置。矢受けにするように。徹底的に防御に回るように伝えなさい」
内容を記憶した三人は直ぐに悪黒王の閨へと走り出す。鈴鹿御前は残った配下に部屋の中の畳を全て庭に出し、立てるように指示を出した。部屋の中にある物全てを引っ張り出させ、畳を立てかけるものにする。
あっという間に簡易陣地が出来上がった。畳の隙間に弓を持つ者を座らせる。同時に鈴鹿御前の部屋の屋根へ数名を上がらせ、矢束を百単位で上げた。手の空いた数人に武器を保管している場所からありったけの矢を持ってくるように指示を出す。それから直ぐに側面になる急斜面を見に行かせる。
そこまで指示を出して鈴鹿御前は一息ついた。それもつかの間、正門の方から大きな音が聞こえ、人の声が迫ってくる。正門が突破されたようだ。
鈴鹿御前は直ぐに矢をつがえさせ、待ち受けた。煙を抜けて盾を構えた数十名が姿を現す。
「放て!」
鈴鹿御前の掛け声と共に畳の隙間から、屋根の上から一斉に矢が放たれる。とにかく狙う必要は無いから撃ちまくれという指示を出していた。つがえ、撃つ、つがえ、撃つ。
勢いよく雪崩れ込んできた朝廷兵は直ぐに足が止まった。盾を構えしゃがみ込む。それでも屋根の上から次々と射られる矢に為す術も無く倒れてゆく。
「がぁぁぁぁぁ」
叫びと音。屋根の上にいた弓使いが一人落ちてきた。身体の数カ所に矢が刺さっている。屋根を見ると既に全員が矢をどこかに受けていた。それでも矢を放ち続けている。
鈴鹿御前は屋根から配下を下ろすかどうか考えていた。後ろから走ってくる足音がする。鈴鹿御前は警戒しながら振り向いた。そこには悪黒王の下に向かった配下の者達が全員いた。手ぶらで・・・・・・。
「矢はどうしたのですか?」
多少の怒気を孕んだ声が配下の者達を襲う。その中の一人がぜいぜいと言いながら信じられない言葉を吐いた。
「矢は出せないそうです。すべて悪黒王様が使うということで追い返されました!」
配下の眼と言葉には怒気が含まれていた。鈴鹿御前は天を見上げ溜息をついた。直ぐに戻ってきた者達に声を掛ける。
「申し訳ございません、事情も知らず声を荒らげてしまいました」
頭を下げる鈴鹿御前を前に配下達は恐縮する。その後直ぐに指示が飛ぶ。
「屋根の上にいる負傷者と矢束を下に降ろして下さい。お願いいたします」
それだけ言って鈴鹿御前は正面を見据えた。帰ってきた配下の者達は呼吸を整える前にすでに屋根へと登り始めていた。討伐兵が当然それを見逃すほど甘くは無い。直ぐに、矢が登ろうとする者を狙う。屋根で満身創痍の者達と畳の後ろの者達が援護の矢を射続ける。矢は徐々に数を減らしてゆく。
屋根から矢束が二つ落ちてくる。鈴鹿御前が視線を向けると、屋根の上にいた者達は全て息絶えているようだった。
鈴鹿御前の眼が怒りに燃える。
「全員、矢を撃ち尽くしたら抜剣しなさい。申し訳がないですが、わたくしに、最後までお付き合い願えませんか?」
鈴鹿御前の言葉に全員が頷いた。矢が尽きた者から剣を抜いてゆく。最後の矢が放たれた後、暫く静寂が訪れる。直ぐに鬨の声が上がり、足音が近づいてきた。気を急いた者が畳の横から飛び出し、直ぐに矢を受け倒れてゆく。朝廷兵が畳を倒した瞬間、鈴鹿御前の配下が一斉に朝廷兵へ遅いかかった。すぐに乱戦が始まる。鈴鹿御前は両手に持った大通連と小通連を振りかざし突破してゆく。狙いは弓兵。その突破力は盾を構えた剣兵をあっさりとなぎ倒す。
「死にたくないのでしたら、お退きなさい!」
乱戦になった瞬間、鈴鹿御前の配下は抜けてきた朝廷兵と戦い始め、後を追おうとはしない。それは経験上のことだった。
『『『巻き込まれてたまるか!!!』』』
全員の心の中は一致していた。正直自分たちが横にいることが邪魔になるのだ。先日のような広い場所での大軍に向かう突破戦術では側にいないといけないのだが、この狭さになると大通連を振るう鈴鹿御前には近づけない。それに特に今は危険だ。怒りにまかせて動く鈴鹿御前に近づくことは死ぬことを意味する。
案の定、鈴鹿御前の進む路は惨いことになっていた。盾で受けた者は盾ごと斬られ、剣で受けた者は剣ごと斬られている。狙って飛んでくる矢は大通連の風圧で弾かれ、また勢いを殺される。避けられないものは体を捻り、鎧で受け止められていた。
さすがの朝廷兵達も危険だと判断したのか迂闊に近づかない。遠巻きに矢を射かけるだけだ。もっとも殆どが弾かれているのだが・・・・・・。
「おう、やはり鈴鹿御前か。うちの兵の足が止まったから何事かと来てみれば・・・・・・」
門の外から嬉しそうに入ってくる甲冑に身を包んだ男、坂上田村麻呂だった。
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「やっぱり、すぐに来たね」
鈴鹿御前は大通連と小通連をゆっくりと構え直した。田村麻呂も血吸を構える。二人の剣気が渦巻き、場の空気が止まる。殺し合いをしていた者達も戦いを中断して全員が二人の方へ視線を向けた。
「あんたが居たにしてはあっさりとここまで来させて貰ったよ」
ゆっくりと間合いを詰める田村麻呂。動かない鈴鹿御前。きっかけは無かった。突然【がちん】という音と蒼い火花が散る。田村麻呂はすぐに飛び退いた。小通連が右脇腹を薙いできたからだ。
「それが本来の形か?」
田村麻呂の問いに鈴鹿御前は返答とばかりに剣戟を繰り出した。素早い太刀捌きで大通連と小通連をいなす田村麻呂。時折鎧の隙間を狙う血吸。上下左右から斬り込む鈴鹿御前。いなしながら突きを混ぜる田村麻呂。両者の戦いは留まるところを知らない。お互いの甲冑、鎧の一部を削り、間から鮮血を撒き散らす。致命傷では無いが軽くも無い。
その様な戦いが延々と続く。既に数十合は打ち合っていた。さすがの両者も肩で息をしている。二人の得物はどちらも欠け一つ無く、次の一撃を期待するように輝いていた。
しかし、次の動きは双方に無かった。再度水を差す言葉と一本の矢が二人の間に飛来したからだ。その矢は鈴鹿御前の肩を掠め二人の間に突き刺さる。それを合図に同時に二人は距離を取った。
「よぅ、おめえが征夷大将軍の坂上田村麻呂か?」
鈴鹿御前の後ろに甲冑に身を包み、刀を帯びた男が配下らしき者達を引き連れて立っている。ここまで追い詰められているというのに口元にはにやにやと笑いが張り付いていた。
「征夷大将軍・・・・・・か。また随分昔の話だな。お前が悪黒王か?」
田村麻呂の返しに悪黒王は顔を顰める。先程までのにやにや顔からは表情が消えていた。どうやら自虐的に征夷大将軍という銘を否定したこと、自分の情報が古いこと、そして現在討伐されかけているはずの自分が征夷大将軍からの討伐では無いことに対して気が触ったからのようだ。
「・・・・・・そうだ、俺が悪黒王だ。おまえ征夷大将軍の役、解かれたのか? それで将軍なのか?」
いらいらした様子の悪黒王。蝦夷討伐が終わり、節刀は返還してあるその時点で征夷大将軍の任は解かれる。そのことを悪黒王は理解していなかった。そもそも征夷という意味を理解していないのだろう。
「将軍・・・・・・か。そうだな、今は将軍では無いな」
その言葉に悪黒王の表情が憤怒に変わる。
「俺には将軍は必要ないと言うことか! それならば将軍が必要になるように都に攻め入ってやろうぞ!!!」
田村麻呂は溜息をつく。同時に鈴鹿御前も溜息をついた。悪黒王の後ろでは戦支度が始まっている。当然朝廷兵も同様だ。
「悪黒王、儂は将軍では無いがお主の討伐依頼は勅命で出ておるのでな。討たせて貰おうか」
次々と悪黒王の本拠地に侵入し隊列を整える朝廷兵。そしてもう一つ歓声が上がる。側面からも朝廷兵が現れたのだ。山戦達が側面を制圧し、下から登っていた二百の部隊を上へ上げるのに成功したようだ。これには悪黒王は顔を青ざめさせ、鈴鹿御前は頭を抱える。
「さて、五百近い精兵が上がってきたわけだが降伏するならここで戦は終わり民の命は保証しよう、どうする?」
田村麻呂は降伏を勧告する。同時に朝廷兵の弓隊が一斉に矢をつがえた。たじろぐ悪黒王の兵達。中には徐々に後ずさりを始め、裏門の方へにじり寄る者もいる。
「ぬぅぅぅ、朝駆けとは卑怯なことをしおってから偉そうにぬかすな!」
「先に夜討ちをかけたのはそちらだろう?」
完全に飲み込まれた悪黒王。そして言ってはならない言葉を発した。
「夜討ちは鈴鹿の独断だ! 俺は知らん! 正面から当たれば負けぬわ!」
この言葉にはさすがの鈴鹿御前も目つきが変わる。ゆらりと身体を悪黒王の方へ向けた。そこには【しまった!】という表情の悪黒王。
田村麻呂はこの状況を利用することにした。
「わかった。ここは退こう。その代わり五昼夜後にこの下の平地、我々の陣地の前で決戦とゆこうでは無いか。勝てるのならば受けるだろう? どうだ?」
その提案に悪黒王は訝しげな表情を浮かべる。
「罠を巡らせるのでは無いのか?」
既に悪黒王は疑うことしか出来なくなっている。この状態では何を言っても疑うことしかしない可能性があった。田村麻呂は再度条件を出す。
「では、そちらが配下を森の手前まで出せば良い。儂らは五昼夜休ませて貰うだけだ。それともこのまま殺り合うか。 妥協点はこれだけだ」
田村麻呂に付く側近はすぐに攻撃を開始するべきだという視線を送ってくる。それでも田村麻呂は悪黒王と鈴鹿御前を見据えたままだ。
暫く無言のまま立ち尽くす悪黒王。その間に側面から上がった部隊の半数が後方へと回った。これで完全に包囲された形になる。
「わかった、五昼夜後だな。その勝負受けよう」
絞り出すような悪黒王の声。その言葉に鈴鹿御前が反対の言葉を出す。
「旦那さま、それでは完全に負けます。今、この坂上を討ち取れば都からの援軍まで刻が稼げます。これは罠です。受けてはいけません!」
これまでに朝廷軍が、悪黒王の配下ですら聞いたことが無い強い口調の鈴鹿御前。それでも悪黒王は譲らなかった。
「ええぃ、黙れ! こやつを蔵に閉じ込めておけ!」
悪黒王の配下は顔を見合わせて近づこうとはしない。鈴鹿御前の直属の配下が鈴鹿御前を取り囲む。
このやり取りを田村麻呂は黙って見ていた。内心では【してやったり】と笑っているのだが。
「すまぬな。この戦闘狂の言うことは聞き流してくれ。五昼夜後は俺自らが出てお主と戦おう。力同士のぶつかり合いだ」
そう言って再度、鈴鹿御前を閉じ込めるように指示を出した。抵抗しようとする配下に何事かを囁いた鈴鹿御前は一歩前に出た。配下の一人が近くの屋敷に入ってゆく。
「悪黒王様、坂上様、このわたくしの配下達は戦闘を放棄します。山を降りることをお許し下さいませ」
坂上は直ぐに分かったと返事をする。悪黒王は苦い表情を浮かべた。鈴鹿御前の配下は精強な者が多い。ただそれは鈴鹿御前が率いた場合の時だ。そして先程悪黒王は鈴鹿御前を捕まえ閉じ込めるように指示を出した。内部で反乱などを起こされたら負ける。
悪黒王の頭はさまざまな状況を計算していた。そして答えを出す。
「鈴鹿は残れ。そしたら配下は出て行っても構わん」
一気に鈴鹿御前の配下から不満が漏れる。それを直ぐに手で制す鈴鹿御前。屋敷の中から戻ってきた配下の手には二振り分の鞘が握られており、背には大きな袋が背負われていた。鞘を受け取り大通連と小通連を鞘に戻す。そして配下へ語りかけた。
「皆様は山を降りて下さい。決して両軍の戦いへ参加しないように。わたくしはここへ残ります。戦いが終わった後、それぞれが好きなところへ行って下さい。 この袋の中に多少の銭が入っています。平等に分けるのですよ」
そう言って大きな袋を他の者に背負わせる。鞘と袋を持って来た者はここへ残るようだ。鈴鹿御前は何か言いたそうな悪黒王を一瞥し、そのまま田村麻呂の方へ向かう。
朝廷兵に緊張が走る。弓は限界まで引き絞られ、剣兵は田村麻呂の前に出ようと動き掛けた。それを両手で制す。
「坂上様。鈴鹿御前の負けの印でございます。この両刀をお納め下さい。もっともわたくしにしかこの大刀は抜けませぬが」
そう言って差し出されたのは大通連と小通連。田村麻呂はその二振りを黙って受け取った。唖然とする悪黒王とその配下達。あの鈴鹿御前が負けを認めたのだ。
「決してわたくしの配下を手に掛けぬようお願いいたします」
(悪黒王の兵は五千まで膨らむでしょう。後ろから攻めます。詳細は矢文で・・・・・・)
口を開かずに小さな声を出す鈴鹿御前。田村麻呂は大きな声で【承知した】と答える。にこりと笑い鈴鹿御前は元の位置まで戻り、坂上について行くよう配下に指示を出す。そして自ら蔵の中に籠もっていった。蔵の前に先程の配下が武器を携え立ちはだかる。
「悪黒王よ。それで良いな。では五昼夜後だ。首を洗って待っておれ」
「坂上、お前こそ俺の恐ろしさを教えてやる。覚悟しておけ」
田村麻呂は朝廷兵に山を降りるように指示を出す。朝廷兵は不満そうな顔をしながらも整然と山道を降りていった。後には相当数を減らした悪黒王の配下が残った。
「ええぃ、近隣の者達に使者を送れ! 目にものを見せてくれるわ!」
悪黒王は鈴鹿御前の閉じこもった蔵を一瞥するとすぐに配下の者達に指示を出し始めた。
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