呟き

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安綱(坂上田村麻呂)完結

安綱-3

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 金属のぶつかり合う耳障りな音が辺りに響き渡る。篝火に照らされてはいるがときは真夜中。辺り一面に蒼白い光が一瞬弾け消えてゆく。大大刀を小さめに振り切った一撃は、上段から全力で振り切られた太刀とまともにぶつかった。
 片方は頑強な男。もう片方は細身の女。一撃目での決着、田村麻呂の斬撃の速度と体躯を見る限り当然のように思われていた。鈴鹿御前の配下の者達もこれは不利だと認めざるを得なかった。それでも今まで信じて付いてきた強者だ。不快な音が鳴った瞬間には目を閉じ、無事を祈るばかりであった鈴鹿御前の配下達は次の不快な音で目を開く。そこには二合、三合と斬り合う鈴鹿御前の姿があった。そして驚愕に目を見開く朝廷兵達。
 不快な金属音と豪雨の刻に現れるような蒼い光。それは何合何十合と続く。鈴鹿御前は左右からの斬り下ろしを上手くいなし、田村麻呂は時折来る鋭い足下を狙った払いや突きを体を入れ替えながら躱す。時折お互いの得物が身体を掠め貫き、少量の血が流れ出す。先に驚いたのは田村麻呂の方だった。

 (甲冑を掠っただけで貫くのか・・・・・・)
 
 鉄製の甲冑を掠っただけで貫通する大大刀。一振りで甲冑ごと人を斬り裂けるこの太刀と真正面から打ち合える大大刀。そしてそれを数十合、息も切らせずに振るう目の前の女。四十を超えて妻を娶っていなかった田村麻呂にはある種の感情が芽生え始めていた。

 (ぬう、何とか、何とかならぬものかのぅ)
 
 別の思考に捕らわれながらも染みついた武技は振るわれ続ける。それは思考が離れても身体が危険を察知していたからだ。
 そしてもう一つ、その思考が鈴鹿御前にも現れていたからであった。田村麻呂は知る由も無い。普段の武技から若干劣った攻めをしていることに鈴鹿御前も気がついていなかった。周囲から気づかれることも無い。
 突然、鈴鹿御前の動きが変わる。静の状態で斬り合っていたものを突然、動に変化させたのだ。急に二足で支えていた重心が一足に変わる。全力で打ち込み続けていた田村麻呂は虚を突かれた形になった。
 斬撃が田村麻呂の左腕、肩口を斬り裂く。甲冑の袖が見事に斬り裂かれ、それは肉まで達していた。一旦距離を取ろうとする田村麻呂。それに舞うように追いすがり次々と斬撃を振るう鈴鹿御前。甲冑の破片が飛び、徐々に田村麻呂は押され始めた。
 両陣営から歓声や悲鳴が上がり、一段と場は盛り上がる。そしてついに田村麻呂は膝を付いた。眼に微妙な表情を浮かべた鈴鹿御前は止めとばかりに上段から大振りの一撃を放つ。

 (むぅ。ここまでか。心ここに在らずとなった儂の敗北か・・・・・・。だが、足掻いて見せようぞ!)
 
 ばちん
 
 金属のぶつかる音とはまた違った不快な、不思議な音が上がる。田村麻呂は片膝立ちから太刀の峰に手を添え、己の持てる最大の力で迫り来る大大刀を弾いた。これで完全に体勢は崩れる。死を覚悟した田村麻呂は何故か安綱という刀工に【使いこなせず申し訳ない】という気持ちが沸いていた。それは打ち払った手応えが無かったからだ。同時に鈴鹿御前に畏敬の念を払う。
 しかし刃は襲ってこない。痛みも無い。田村麻呂は死とはそういうものかと思い、最後に自分を討ち果たした鈴鹿御前の顔を目に焼き付けようと視線を送る。そこには半分になった大大刀を唖然とした表情で見つめる鈴鹿御前の姿があった。

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 (なんと、このような剛の者が朝廷にはいるのか)
 
 鈴鹿御前は目の前の武将、坂上田村麻呂と真正面から打ち合っていた。自分の武技には三つの要素がある。一つは男と面と向かい合い打ち合うだけの力。もう一つは相手を翻弄しながら斬り裂く技。最後に一定の型通りに動き虚を突く技。
 今は力で対抗している。何故か? 
 減らしたとはいえ四千以上の兵が残っている朝廷の軍を怯え、退かせるには力でねじ伏せてみせる必要があったからだ。
 いつも通りの作業。しかし打ち合って初めて気がついた。自分と同等の力を持つ者。悪鬼と呼ばれている自分も所詮は人。それでも今まで力で互角、ましてや打ち勝った者はいない。その自分が力押しできない相手であった。
 それとこの状況を作り出す要因に、自分の持つ大大刀と見事なまでに打ち合える大刀。自分の持つ大大刀とは形状が違う大刀は折れることも無く、斬れることも無く斬撃に付き合っていた。鍔元からぐいっと反り、先端まで優美な曲線を描いている、一見華奢にも見えるその大刀は姿に見合わぬ存在感を持っている。
 この大大刀もある刀工が打った傑作だ。自分の持つ大通連だいとうれん小通連しょうとうれん顕明連けんみょうれんに次ぐ斬れ味を誇る。甲冑は問題なく斬れている。ということは大刀の力だろう。
 田村麻呂という武将は力と速度はあるが正直、技は無い。上手く力を逸らせてはいるがそれはあの大刀の力と形もあるだろう。
 それともう一つ。自分がこの武将に何故か惹かれ始めていることに気がついた。全力で振り抜いているつもりだが何故か釈然としない。それは頭で考えても分からないが身体が、肉が思考を無視しているのだ。自分は悪黒王の妻。それは持ってはいけない感情だ。流されてはいけない。
 そこで自分は動きを変えた。戦に勝つためには力でねじ伏せるのが一番だが、この武将を殺すには、勝つには、想いを断ち切るには動きを変える必要があった。相手に合わせる必要は無い。後はどうとでもなる。
 案の定、田村麻呂は自分の動きに付いていけずどんどん傷ついてゆく。次々と身体を覆う甲冑は弾け飛び、最後には片膝を付かせることが出来た。そして止めを刺すため最上段から斬り下ろす為に手を上げる。朝廷兵達からは絶望の声が上がる。
 一瞬だけ膝を突いた坂上の顔を見て躊躇いの心が生まれる。それでも感情に流されずに最後の一刀を振るうことが出来た。全力の振り切り。田村麻呂も膝立ちから全力で刃を合わせてきた。
 そして・・・・・・、大大刀が半ばから斬れた・・・。ここ暫く共に戦ってきた大大刀が・・・・・・。唖然と見つめるしか無かった。

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 戦いの場には静寂が訪れていた。戦っていた二人が共に唖然とした表情をして動かないからだ。当然周囲で観戦していた者達も同様だ。
 
  「おぉぉぉぉぉ!!」
  
 突然、山の方から鬨の声が上がる。同時に周囲に大量の矢が降り注いだ。慌てて離れる両者。一斉に動き出す両陣。しかし鈴鹿御前達はぼほ包囲された状態だ。鈴鹿御前の大大刀も半ばから折れ本来の力は出せない。鈴鹿御前の部下最悪の状況の中、円陣を組んで主を守ろうとする。

 「坂上殿、仕組んではいない!」
 
 鈴鹿御前の声がゆっくりと後退する円陣の奥から響く。朝廷軍は剣から槍に変えたようで前面に槍を構え、側面から円陣に向かって矢を放とうとしている。それはすぐに田村麻呂の言葉で押さえられた。

 「分かっておるわ! お主のことは剣合わせで理解できた。大方、悪黒王が痺れを切らしたのであろう。そち達はそのまま退くがよい。また剣合わせをしようぞ!」

 田村麻呂はそう言い放つとすぐに陣形を変化させる。闇の中、後退していく鈴鹿御前の円陣の後ろから粗末な剣や槍、甲冑を着けた者達が躍り出てきた。たちまちその場は乱戦状態になる。
 水を差された、実質負けていた田村麻呂は憂さ晴らしとばかりに前線で太刀を振るう。先程大大刀を斬ったばかりの太刀は刃こぼれも無く目の前に立つ相手を骨ごと断ち斬っていた。鬼神のような働きに田村麻呂の部下達は護衛にすら付けずにいる。当然総大将が一人になっているのを見ると全ての敵が総掛かりになる。先端で猛威を振るう田村麻呂が相手を引き込み、その両脇から朝廷兵が包み込む半包囲陣が出来上がっていた。
 さすがに不味いと思ったのか悪黒王の配下達は退却の動きを見せる。それでも田村麻呂の進撃は止まらない。次々と目の前の敵を斬り捨て太刀は血を吸ってゆく。いつの間にか田村麻呂に近づく相手はいなくなっていた。
 突然、我に返った田村麻呂は戦場全体を見渡す。悪黒王の配下が徐々に森の中へと消えてゆくのが見えた。それを追って朝廷兵は突出し、先端は森の入り口に近づき過ぎていた。

 「まずい! 兵を呼び戻せ!」
 
 尚も前進しようとする兵を見た田村麻呂は慌てて側近に声をかける。しかしそれは遅すぎた。森の中から打ち出される矢。次々と森の前と後陣の中間地点にいる朝廷兵達が倒れてゆく。特に弓兵が集中的に狙われていた。慌てて伝令を走らせるがその伝令が真っ先に狙われる。暗闇から放たれる矢に後陣の進撃は止まり、引き返そうとする中陣は背を打たれ続けた。
 矢で援護しようにも先陣が森の入り口で立ち往生しているので打ち込めない。朝廷兵の被害は甚大なものと化していた。

 「いかがなさいますか?」
 
 側近が慌てた様子で田村麻呂の近くによる。田村麻呂は血みどろになった太刀を拭いながら真正面を見据えていた。

 「弓兵を中陣付近まで前進させ森の木を目がけて一斉射撃をさせよ! その間に後陣全軍で進撃し中陣と先陣を救い出す。 矢は無駄討ちになっても構わんからとにかく森の木を狙え! 乱射で構わぬ」

 田村麻呂が見ていたのは矢の本数だ。数十の矢が飛んでくるが、それは決して多い数では無い。そして伝令が走ると先陣、中陣を狙う矢数は減り、一斉に伝令兵に向かう。そこから森に潜む弓兵は少数と判断したのだ。
 作戦はすぐに実行される。後陣に残っていた弓兵がすぐに前進し森の中へ一斉に矢を放つ。森からの弓の圧力が一瞬弱まった瞬間、朝廷軍の後陣は一気に前進を始めた。後退する中陣と前進する後陣が交叉する。後退する中陣の弓兵はその場で留まらされ、後陣の弓部隊に組み込まれる。
 後陣の兵はそのまま先陣がいる森の入り口へと全速力で向かってゆく。一旦後退した中陣の歩兵も後方で再編を始めた。

 「先陣後退!」
 
 次々と放たれる矢の下で、到着した後陣と先陣が入れ替わる。その時には森から放たれる矢の数は激減していた。

 「後陣後退!」
 
 先陣が後退したことを確かめると今度は後陣が後退を始める。それは隙間無く並んだ状態でじりじりという後退だ。最初は森の中から突出して追撃をしようとした悪黒王の配下達もいたが次々と打たれ、森から一定距離離れた段階で追撃は無くなった。同時に矢も降らなくなる。

 「弓隊、待機!」
 
 待機の掛け声と共に朝廷軍の弓兵も乱射を止める。その後朝廷軍は陣地まで防御方陣を組んだまま後退し続けた。
 陣地まで全ての兵が交代し終えた時、空は青く白み始め、朝が来たことを告げるのであった。 
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