呟き

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安綱(坂上田村麻呂)完結

安綱-1

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 私の銘は安綱。童子切安綱と呼ばれている。最初に名付けられた銘を呼ぶ者は今は少ない。
 今の時代では平安という時代の末、延暦年間に伯耆国の刀鍛冶安綱によって打ち出された存在ものだ。
 今は東京国立博物館というところで快適に暮らしている。
 私が生まれたとき、世は荒れ果てていた。
当時、私を産みだした安綱は私を時の大将軍に献上した。
 その者の名は坂上田村麻呂。蝦夷という、朝廷のある地より遙か北にいた民族を数度に渡り攻めた将軍だ。
 今日はその者と歩んだ刻を見せてやろう・・・・・・。
 
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
 
 「将軍、悪黒王あくこくおう鈴鹿御前すずかごぜんとはどのような存在ものなのでしょうか?」
 
 騎乗した兵士が話しかけてきた。儂は暫し空を見つめる。正直どのような者かなど噂や想像しかしたことが無い。ただ儂はこう返事をした。
 
 「その者に会ったことも無いのでな。会わないことには何とも言えぬのぅ」
 
 噂では悪黒王は鬼か盗賊の頭、鈴鹿御前は天女、女盗賊の首領と様々だ。ただ、それらが住む鈴鹿山近辺では盗賊が横行し、荒んでいるとは聞いている。
 儂が軍を率いて都を出たのも鈴鹿山周辺を平定するためだ。しかし儂は思う。本当にそれで解決する問題なのか?
 都は賑わっておるが地方はまだまだ安定はしていない。盗賊が蔓延る世。それは天子様、朝廷の治政に問題があるのでは無いのか?
 しかしそれを儂が口にすることは出来ぬ。それを口にすると高家の者達がここぞとばかりに出しゃばってくる。それだけならば良い。それを盾に儂を将軍の座から降ろし傀儡の将軍を立てるだろう・・・・・・。
 
 都を発ち五昼夜。そろそろ鈴鹿山の付近だ。これ以上進むと兵を休ませる場所が無くなる。それに五千の軍が夕闇の中、山中を動くのは危険極まりない。儂は先程の者に声を掛け、この場所で野営をする旨を伝える。
 兵達はそれぞれに火を興し始め野営の準備を始める。軍は円状になり、儂が中央に、それから重装の歩兵部隊、弓隊、軽装歩兵が最外周となる。騎兵は数が百程度なので儂の周囲に配置だ。狼や野犬はこの数では襲っては来ない。もし来るとしたらそれは悪黒王くらいだろう。
 そこ以外でこの方面に強大な力と勢力を持つ集団の情報は無い。もし悪鬼の類いがれば別であろうが・・・・・・。
 
 さて、儂は腰から太刀を外し、甲冑も外す。全てを外すわけでは無い。それでも身体が軽くなる。儂も鍛えてはいるし、軍を率いる身。そうそう疲れはせぬ。それでも甲冑を外す時の爽快感と言ったら気持ちが良いものだ。
 儂は軽装になると腰に佩いていた太刀を抜く。これは安綱という刀工から献上された物だ。すらりと鞘から抜くと腰の所から【くん】と折れた刀身が優美に先端まで伸びている。先は細く、刃の文様は小さく乱れている。非常に美しい。
 しかしそれは外観だ。これの真価はそれでは無い。儂はこの太刀で初めて人を斬ったとき驚嘆した。少し長めのこの太刀を最初に使ったのは咄嗟の出来事だった。
 ある盗賊退治の時、護衛の隙間から賊が斬りつけてきた。儂は馬上。まともに戦える状況では無かった。咄嗟に引き抜いたこの太刀で賊を引き剥がす為に振るった一太刀。それでその賊の命は散った。肩口から入ったやいばは何の抵抗もなく賊の身体をすり抜けた。そう、骨までも断ち斬ったのだ。折ったのではない。
 その時の賊の行動。上半身を傾けながら儂の乗る馬の横を駆け抜けて行きよった。そして奴は倒れた。それでも足は止まることが無く、ばたばたと動いておった。
 正直あれは肝を冷やうしたわ。この太刀の斬れ味。恐れすら抱く物であった。儂はその盗賊平定の後、献上して来た鍛冶師安綱を訪ね対価を払おうとした。しかし彼の者は首を振って受け取らない。そして奴は言った。
 
 「それは坂上田村麻呂様に使っていただきたく献上けんじょう致した物でございます。お代などはいただけません。私が無心で作り出した傑作を末永くお使いいただき、天下太平のお役に立てていただければ幸いです」
 
 儂は、もはやそれ以上対価の事には触れず、ただ礼を述べ天下太平に成るよう尽くすとだけしか答えなかった。彼の者もただにこりと笑って頭を下げよった。その後、彼の者にこの太刀の手入れの方法などを聞きその地を辞した。
 それから今日まで、儂はこの太刀以外使ってはおらぬ。何故か。それはこの太刀だけで事足りるからだ。
 
 「相変わらず危ういかがやきよのう」
 
 儂は魅入られたのやも知れぬ。この太刀には人の心を引きつける力がある。眺めていたら飽きることが無い。戦が無き時は常にこの太刀を見つめているからだ。
 
 「田村麻呂様、お食事の用意が整いました」
 
 陣幕の外から声が掛かる。儂は見惚れていた太刀を素早く手入れして腰に佩く。そのままの格好で陣幕を出た。
 
 「今宵は肉を用意してあります。数頭の鹿が取れましたゆえ」
 
 都では肉など滅多に食べることは出来ぬ。高家の者達は「不浄」だの「卑しい」だのと言って山の山菜、米、穀物、野菜などしか食べぬからのぅ。儂も都ではそのような生活だ。正直不満でならぬのだが、たまに狩りなどに行き雉子や鴨などの野鳥や鹿などを取って喰うのが何よりも楽しみじゃ。儂にはまだ妻がおらぬからのぅ・・・・・・。
 
 陣幕から出ると【ぬわっ】とした野趣溢れる肉の焼ける匂いが儂の鼻を通り抜けた。うむうむこれよこれこれ。これが良いのじゃ。
 儂は側近と護衛達の輪の中に入りどかりと腰を下ろす。護衛の一人が焼けた肉を渡してきた。ぽたりぽたりと滴る汁。それは火に当たりてらてらと光っていた。ゆっくりと口に運び一気に噛み千切ると口の中に芳醇な香り、そして涎を水のように生み出す味が拡がった。
 
 「うむ、うまい。さあ皆も喰え! 明日からはいつ戦になるやも知れぬ! 存分に喰って鋭気を養うが良い!」
 
 儂の言葉に皆は歓声で答えた。そして一瞬の静寂。すぐに方々の火の周りで談笑が始まった。儂はひとしきり食べると儂の輪の者達が食べ終わるのを待ち、立ち上がる。皆をそのまま陣幕の中に引き入れ明日の打ち合わせに入るのであった。

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 夜、宿営が静かになる。当然、目的地付近のため警戒の歩哨は数が多い。それを森の中からじっと伺う者達がいた。

 「鈴鹿御前、今度ばかりは不味いかも知れませんね」
 
 部下の一人がそっと呟いた。鈴鹿御前は何も答えない。
 今回の夜討ちに連れてきた兵は百程度。配下の中でも精強な者が十名、中堅が三十名、残りは経験が浅い者達だ。ここのところの饑饉で村を棄てた者達が相当数合流している。あまりにも膨らみすぎた戦力に自分の旦那である悪黒王は都を狙うとまで言い出していた。何度も止めてはいるが二人の間には徐々に溝が深まり、最近は疎遠になりかけている。鈴鹿御前自体も悪黒王の考えに辟易し始めていた。
 最近は閨を共にすることも少なく、悪黒王も流れ入った流民や部下の女に手を出している。鈴鹿御前は最初は少し頭にきていたがそれでも我慢していた。最近はもうどうでも良いと思っている。
 それでも夫婦という形態を崩さないのは悪黒王の【統治のために鈴鹿御前の力が必要】という打算と、鈴鹿御前の【全ての部下達や流れ込んだ流民達の生活を守りたい】という打算があるからだ。
 悪黒王はそれなりには戦に強いが突出しているわけではない。その代わり統治する能力は高い。鈴鹿御前は圧倒的な個人、集団戦闘指揮を得意とし、人望もあるが悪黒王ほど統治能力は無い。
 今の集団は二人がいて初めて成り立っているようなものなのだ。
 
 
 鈴鹿御前は迷っていた。夜討ちを掛けるか一度引くか。全体を探らせた部下達の目測で五千はいる。引くことも可能だがここで少しでも相手の兵を減らし、疲労を蓄積させたかった。明日にはこれだけの数が、拠点としている山に入ってくる。
 山で戦うのも良いが引き込みすぎると拠点が見つかる可能性もある。そこには幼い子供、動けない老人達もいるのだ。悪黒王は説得・・してその者達をその場に残し移動するだろう。鈴鹿御前にはそれは心情的に出来ない。
 鈴鹿御前はやはりここで時間を稼ぐ必要があるとの結論に達した。
 
 「一度ここで夜討ちをかけます。相手は防御円陣を組んでいますので最初にここから普通の矢を放ち、その後八ヶ所から同時に火矢を打ちかけます。相手に当てずに物を目がけて五本打ったら森の入り口まで後退しなさい」

 鈴鹿御前は地面に木の枝で簡単な図を書く。弓を持つ者達は三名一組。中堅の者一人が弓を持ち、中堅の者と経験が浅い者が護衛に付く。
 それぞれの配置を指示し移動の準備をさせる。五本打った後は即後退。森の入り口で木に登る様に指示をした。護衛の者達は待ち伏せ位置に移動することになる。

 「さて、こちらはいつも通りです。一人三名、殺しても殺さなくても傷を負わせれば良いです。もし可能ならば馬を狙いなさい。馬は殺さずに斬りつけ暴れさせるのが目的ですから間違えないように。くれぐれも死なないようにしてください」

 鈴鹿御前が合図を出すとすぐに弓部隊が音も出さずに散ってゆく。これが鈴鹿御前が創り上げた悪黒王の戦闘部隊の実力だ。 

 「さて、わたくしが先頭、中心で陣形はいつも通りです。十五名の層を四段、残った弓兵と護衛兵は最初に三射、突撃開始後五射で森の入り口まで後退。我々が退くときに援護をお願いします」

 各小部隊の隊長に指示を出すと全員が動き出す。陣形はすぐに整った。
 鈴鹿御前が腰に佩いた太刀をゆっくり抜き、頭上に掲げ、さっと振り下ろす。火矢では無い矢が静寂の闇空を斬り裂いて行く。
 相手の陣営ではすぐに混乱が起こっていた。一本の火矢が空高く撃たれる。それを合図に八方から小さな炎が相手の円陣に向かっていく。あちらこちらから叫び声が聞こえて来た。

 「さあ、行きますよ。突撃!!!」
 
 鈴鹿御前の声に十五名四段に別れた兵達は一切の乱れを出さずに全力で走り出した。後方から風を切る音が次々に起こる。十五名四段の頭上を矢が通過し、次々と円陣の前に立つ当直兵が倒れて行く。そして進みながら矢の先端の形を形成した精兵達が円陣に喰らいついた。

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 「夜討ち、夜討ちだー!」
 
 それは軍議が終わり田村麻呂が眠りについてすぐのことだった。混乱した声が外から上がり、慌ただしく周りが動きだす。
 田村麻呂もすぐに起き上がる。
 
 「失礼いたします」
 
 声と同時に数名の護衛が入ってきた。一人が田村麻呂の前に立ち、他の者は甲冑を用意し始めた。

 「夜討ちです。四方八方から矢が飛んで来ます」
 
 目の前の護衛が完結に状況を述べた。田村麻呂は手を広げ、部下に甲冑を着けて貰いながら質問をする。

 「相手の数は? 矢だけかのぅ? 矢の数は?」
 
 田村麻呂の言葉に【数は不明。今は矢と火矢が飛んでいる。数はそれほど多くは無い】と返答が返ってきた。報告を聞き田村麻呂は思案を始める。

 (夜討ちにしては数が少ない? 矢は陽動か? 火矢は混乱を誘うためか兵の分散目当てか・・・・・・)

 甲冑を着けながら思案していると外から声が上がった。乱戦の声だ。すぐに護衛が入ってきた。目の前の護衛は入れ替わりに外に出る。

 「申し上げます。敵が山側から円陣に喰らい付きました。外円が突破されつつあります」
 
 焦って早口に捲し立てる護衛に田村麻呂は【落ち着け】と声をかけた。
 
 「ふむ、本命はそこだな。突破されている方に全ての兵を向ける。他の場初から飛んでくる矢は無視して良い。但し火は消すように数人は残せ。円陣から多層陣に組み替える。速度がいるぞ、走れ!」

 田村麻呂の言葉に報告に来た護衛はすぐに外へ走り出した。甲冑を着け終わったと報告が入る。田村麻呂は枕元に置いた太刀を手に取った。

 「さて、これを振るうことが無ければ良いがのぅ・・・・・・」
 
 ぽそりと呟くと田村麻呂は甲冑を着せてくれた護衛と共に戦場へと出て行くのであった。 
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