時雨太夫

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第三十二話 犬好きの方若干注意

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 冷静さを取り戻した時雨しぐれは刀を抜いた。
 男達の首が床に落ちる。腰はまだ動き続けている。女の上に血か落ち、顔を赤黒く染めてゆく。それを気にもせずに女は嬌声きょうせいを上げ続け、腰を振り、頭を動かし続けた。
男達の身体が動きを失い徐々に倒れ、女に覆い被さる。
部屋の半分は男達の血で染められていた。
東雲とううん時雨しぐれの方を向いたまま動かない。

東雲とううん先生!」

 時雨しぐれ東雲とううんの近くに寄り、小声で名を呼び、身体を揺さぶる。
東雲とううんの目は虚ろだった。
身体はふるふると震えている。身体から微かに阿芙蓉あふようの香りがした。

「薬にやられたか……」

 時雨《しぐれ》は、どうすべきか迷っていた。東雲とううんは生き証人である。生かしたまま連れて帰る方が良いが、正気に戻る可能性は微妙な所だ。
 それに世話になった人だ。斬りたくはない。
 時雨しぐれは特に反応をしない東雲とううんを放置し近くにある物を確認する。
 赤い液体が入った筒と透明な液体が入った筒、そして配合の割合を記した本がいくつかある。
 時雨しぐれは、赤と透明の液体の入った筒を数本ずつと、紅笑芙蓉こうしょうふようと書かれた場所の調合方法のみ破り、着物の中にしまい込んだ。
そして、東雲とううんの首に手を回し、気を失わせる。
そのまま担ぎ、倉の外に出た。
吉原よしわらの方の空はまだ赤く染まっていた。時雨しぐれは、先程と同じ道を東雲を肩に担いだまま走り出した。

(!)

時雨しぐれは反射的に飛び退いた。棒手裏剣が地面に突き刺さる。屋根の上を見ると暮色|《くれいろ》の服に身を包んだ者が口に笛らしき者を咥えている。

(まずい!)

 時雨しぐれは刀を引き抜き、相手に投げつけた。
暮色くれいろの服に身を包んだ者は首を押さえて倒れ、地面へと落下した。大きな音が響く。
時雨しぐれはそのまま走り出した。
追っ手が現れるのは時間の問題だ。すぐに門の近くまで来た。
見張りは二人。
時雨しぐれが一息ついたとき、その気配は後ろから凄まじい速度で迫ってきた。
時雨しぐれが振り返った瞬間、2つの影は時雨の両足に喰らいつこうとした。慌てて、後ろへ飛ぶ。

(犬か!)

 時雨しぐれは屋根の上の者が口にしていた物の正体を瞬時に把握した。
 犬笛いぬぶえ
 人には聞こえない音で犬を呼ぶための笛だ。しかし、めったにお目にかかれるものでは無い。
前に大型の犬が二匹、後ろに門番が二人。
 時雨しぐれ東雲とううんを肩から下ろすと、犬との距離を一気に詰めた。右手の人差し指と中指を曲げ、片方の犬の目にねじ込んだ。不意打ちを喰らった犬はよろめく。
 すかさず、首を腕で抱き込み、後ろへ捻り上げる。骨が軋み、不気味な音を立ててへし折れた。もう一匹の犬は多少距離を取り、いつでも動けるように後ろ足に力を入れている。
 同時に動いた。
犬は低姿勢で突っ込んで来る。
時雨しぐれが牽制の蹴りを放つと、その足を器用に踏み台にして、喉元を狙ってきた。時雨しぐれは大きく開いた犬の口に腕を無理矢理ねじ込んだ。地面に叩きつける。犬の頭部は完全に原型を留めていなかった。そのまま犬の死骸を担ぎ、門番の方へ走る。
 気がついた門番が、声を上げる瞬間、時雨しぐれはその死骸を投げつけていた。
それは門番の一人にあたり、血で濡らしてゆく。
微かな悲鳴が上がった。
呆然としているもう一人に肉薄すると、顎を掴み、腰に下がったさやを引き抜いた。そのまま門番の口へさやねじり込む。さやは門番の顎を砕き、喉の奥へ深く侵入した。
不気味な音が響き、口から鞘を生やした門番は気を失った。
 犬を投げつけられた門番は、まだ犬の死骸と格闘していた。そこに時雨しぐれが迫る。顔を掴むとそのまま、地面に後頭部を叩きつけた。門番は二・三度痙攣するとそのまま動かなくなる。
時雨しぐれは門番が動かなくなるのを確認すると、身体のあちこちにこびりついた血を拭くこともなく、東雲とううんを担いで門の外へ出た。
そして、そのまま、闇の中へ消えていった。
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