エレメント ウィザード

あさぎ

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第3章

鬼ごっこ

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 目を開けることすら、意識しないと無理だった。瞼は重く、身体に力は入らない。当然、起き上がることができないセリカは、河原に吹く風にその身を委ねていた。

 「おーい。死んだかー?」

 遠くから声が聞こえる。返答を一切期待していないその質問に、しかし怒りは湧かない。思考にたどり着かないほどに身体が疲弊しているのだ。

 ヴァースキに預けられて1年4か月が経過した。母を探してすぐに戻ってくると言っていた父は、これまでずっと音信不通だ。
 魔障痕による影響で魔法が使えなくなったセリカにとって、この1年と4か月は苦痛の時間だった。今まで当たり前に出来ていたことが出来ない。何より、幼い頃からいつも一緒だった精霊の気配を感じ取れなくなったことは何にも耐えがたいものだった。
 その間、慣れない環境と両親に置いて行かれた不安から、何も実行できぬまま無駄に4か月を過ごすことになる。

 時間と経過と共に募る両親への想いと、枯れた魔法の切望は日に日に膨らみ、どうにか現状を打破したいと望んだセリカは、突然生活を共にすることになったヤニ臭い男に知恵を借りようと訴えた。

 「力を付けろ。そして周辺の精霊の気を常に感じ取れるようになれ。」

 男は事もなげに言った。

 「私は使えなくなった魔法を取り戻したいの。」

 魔法が使えなくたった状況は理解していた。自分の鼓動とは違う気味悪く疼く魔障痕は、自分の胸部から腹部にかけ圧倒的な存在感を放っている。
 ただ当時は、魔法力の器が作用する精霊の使役をよく理解していなかったのだろう。今思えば、出来ないものは出来ないと一蹴されてもおかしくなかった。
 しかし、男は違った。「もうお前は、魔法が使えないんだ。」と言わなかったのだ。

 「今の体力じゃ話にならん。無知なおつむもな。」

 男は人差し指を自分のこめかみに当てながら言う。セリカはカッとなった。

 「じゃあ、どうやったら魔法が使えるようになるか教えてよ!」
 「人にものを頼む態度じゃねーな。」

 横柄な男の態度にセリカは唇をかみしめる。

 「まずは考えろ。自分に何ができるか、何をすればいいか。」

 鋭い眼差しにセリカは一瞬怯む。しかし、拳を強く握りしめた。パパもママも精霊も諦められないのだ。

 「だったら・・・私に課題を出して。」
 「あん?」
 「あなたが出した課題をやり遂げる。出来たら、魔法を使えるようにして。」

 セリカの瞳に曇りはない。ヴァースキはニヤリと笑った。

 (条件に俺を利用しやがったか。悲観しているかと思いきや、冷静に自分の状況を受け入れているようだな。課題と称したオレからのヒントを効率よく吸収するつもりか。・・・さすが、ジストの娘、というところか。)

 「面白い。」

 ヴァースキは立ち上がると、人差し指をクイッと上げる。

 「あっ!」

 セリカの髪の毛を結っていた赤いリボンが音もなく解けると、風に乗りヴァースキの手元にスルリと落ちた。

 「ママがくれたリボン!返してっ!!」

 ヴァースキは、早口で詠唱を口にすると1匹の蛇を発現した。そして素早くその蛇にリボンを括り付ける。

 「水の蛇・・・?ちょっと、何をするのっ!?」
 「お前の言うとおり課題をやる。まずは、コイツを自力で捕まえろ。リボンを取り戻したら、魔法が使える方法を教えてやる。」
 「え・・・?」
 「捕まえ方は自由だ。ただし、期間は3カ月。今日から3カ月経っても取り返せなかったら、ここから出て行ってもらう。施設に行くなり、一人で生きるなり好きにしろ。」
 「え、ちょ、ちょっと・・・それはあんまりよ。魔法も使えないし、何を頼れば――」
 「このオレに課題を出せと言ったのはお前だ。四の五の言わず、捕まえてみろ。」

 有無を言わせぬ迫力に、目の前の男が本気で言っているのが分かった。自分はとんでもないことを言ったのかもしれない。
 セリカの瞳が揺れた先には、小さな頃から身に着けていたお気に入りのリボンがやわらかく揺れている。

 「オレは優しいからな。投げ出せない理由を与えてやるよ。それとも、保険と言って欲しいか?」

 ニヤリと笑う男にセリカに怒りが噴き上がる。
 大事な物を条件に使われるだけで、この課題は強制だ。逃げ出すことすら許されない。
 一方的な優位性を露呈されセリカは、体が熱くなるのを感じた。

 「分かったわよっ!捕まえればいいんでしょ!!やってやるわよ、この性悪男っ!!」
 「はは。威勢がいいねー。まぁ、頑張れや。コイツは速いぞ。」

 リボンを括り付けた蛇を放すと、それは素早い動きであっという間に森へと姿を消してしまう。

 「くっ・・・!!!」

 セリカも走り出す。

 (いつか絶対ぶん殴るっ!)

 そう思い駆け出した足跡は、これからの壮絶な修行への第一歩だった。


 


 木に刻んだ傷は、73個になった。ヴァースキはその下に新たに傷を付ける。1つ目の傷は表面が乾き、割れたささくれが時の経過を物語っていた。タバコを取り出すと、火を付けゆっくりと深呼吸をする。肺に煙が充満していくのが分かった。
 生意気な小娘とは、あれから食事以外にほとんど顔を合わせていない。貴重とも言えるその時間に、しかしセリカは常に仏頂面で一言も言葉を発しなかった。
 用意された食事を一気に掻きこむと、口をムグムグと動かしながらすぐに立ち上がり姿を消す。日に日に変わっていく精悍な顔つきは、現役のジストを彷彿とさせる、とヴァースキは冷えたウィスキーを舐めた。
 自分が発現した蛇に括り付けたリボンにより、セリカの気配を察知することができるヴァースキは、その成長速度に少なからず驚いていた。
 この山の地形を素早く把握し、蛇の生態も心得ている。さらにヴァースキが最初に言った、精霊の気配を感じ取ることを本能的に理解しているようだった。

 (魅いられ受け止めし者だった母親の影響、そして魔法構築の使い手だった父親の知識。なるほど、期待のサラブレットだな。)

 ヴァースキは、拳を何度も握ったり開いたりする。そろそろ頃合いのはずだ。
 
 背後から投げつけられた物は、ヴァースキに届く前でパシャッと土に消えた。それは74日前にヴァースキが発現した水蛇だった。

 「攻撃するなんて聞いてなかったわ。」

 振り向くと、頭に赤いリボンを付けたセリカがヴァースキを睨んでいる。

 「攻撃しないなんて言ってないからな。」

 ニヤリと笑うヴァースキは、目の前の傷だらけの少女を見据えた。
 森の枝や木々、険しい山道、変わりやすい山の気候、さらに捕まえようとする蛇による反撃などによる環境の中で、2カ月と少しの間、ずっと追いかけごっこをしていたセリカの身体は、著しい変化を見せていた。体力はもちろん、筋力や肺活力、瞬発力と機敏さも各段に底上げされている。期間を数週間残した結果も、想像以上だと言っていいだろう。

 「よく投げ出さなかったな。」
 「何度も諦めかけた。でも、このリボンを人質にしたあんたをどうしても殴りたいと思ってね。」
 「ははは。いいねー。怒りを攻撃に変換できている。」
 「課題はクリアした。これで満足かっ!!」

 セリカはヴァースキに思い切り殴りかかる。しかし、その拳は呆気なく空を切り、セリカはそのまま態勢を大きく崩した。
 態勢を崩したセリカをヴァースキは思い切り蹴り上げる。その容赦の無い力に、セリカは受け身を取ることなく吹き飛ばされてしまった。

 「ぅあぁ゛ぁっっ!!」
 
 視界がチカチカする。蹴られたところが熱く、猛烈な痛みに情けない嗚咽が混じった。

 「ゴホッ・・・・いた、っ、な、何すんの・・・よ・・・」

 涙目になりながら、それでもセリカはヴァースキを鋭く睨んだ。

 「ちょっと体を鍛えたくらいでオレを殴れると思ったか、愚か者。」
 「っ・・・!」
 「だが、そんなにオレを殴りたいなら付き合ってやるよ。」
 「な、に・・・?」
 「次はオレと殺し合いしようぜ。」

 ヴァースキは立ち上がり、挑発するように指を動かした。
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