鬼子の嫁

白木 犀

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第十二話/真実

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二人、何の会話もせずに、まるで初めて会った時のように家へと帰ってきた。

庭を超え、玄関を解錠すると、絢音が口を開く。

「とっくんには、ずっと隠していたことがある。 ……だけど、もう隠していられなくなっちゃったから話すね」

彼女はそう言うと、ぎぃと軋む床を歩いて居間へと向かっていった。
俺も彼女の背中を追って居間に入る。

俺の好きな彼女の静かな雰囲気が、この状況においては緊張感を何倍にも増長させる。

先に部屋に入っていた絢音はちゃぶ台の奥でこの世の終わりみたいな顔で座っていた。

俺は彼女と対面になるように座った。 ちゃぶ台を二人、囲むということとなる。
状況は日常から大きく逸脱しているが、普段と同じ風景だ。

「まず、最初に聞くけど。 どこまで気付いているのかな?」

尾行していたことは、気付いていたよ。 と付け加えて問うてくる。

今更、嘘をつく理由もないので、率直に言う。

「絢音がさっきのヤツ……吸血鬼を追っていたってことだけだよ。 吸血鬼がいきなり俺に襲いかかってきたのは検討もつかない、血を吸うってより、明らかに殺すって感じだったから」

「そう……本当にそこまで?」

絢音はなにかが腑に落ちないのだろう、そう問うてきた。

「知っていることはそれだけだけど、ミカっていう唯一神教から派遣された魔を狩る処刑人……つい先日、家の前で死んでいた女の子と一緒に絢音を尾行していたんだ。 その途中でヘイルっていう、この殺人事件の元凶じゃないかって言われてる吸血鬼を倒したりした」

俺は一小節置くと、頭の中の情報を処理して口に出す。

「それで、もしかしたら関係あるかもしれないから言うけど……俺が、俺が殺してしまったかもしれないんだ、ミカのことを。 そのヘイルってやつを倒して別れた帰りにミカの左胸を刺して殺す夢を見たんだ……そしたら、翌朝、外に出ると夢で見たのと全く同じミカの死体があって……そうして、昨晩も人を殺す夢を見て、それをスーパーの前で見てしまって、俺は人殺しなんじゃないかって思って……夢の中でじいじに「鬼の子」って言われて、斬られることもあって……」

そこまで話したところで、俺は喉がしゃくり上がって、話せなくなった。
ミカがこの世から消えてしまったことを思い出すと、いつもこうだ。
現実から乖離して、全てが嫌になって、涙がぽろぽろ流れてきて話したいことも話せない。

絢音はそんな俺の涙をティッシュペーパーで拭き取ると、よしよしと額を撫でてくれた。

「うん、わかった。 じゃあ今度はこっちの番だね……少し、いやかなりツラい話になるけど、こんなことにならなくたって、いつかは知らなければいけない話だから、覚悟して聞いてね」

うんと俺を泣きべそをかきながら首肯した。
真実を知る覚悟なんか全くできていないっていうのに。

「結論から言うと、この街で連続殺人事件を起こしているのは"あなたの父親"である「蒔片 晴昭(はるあき)」なの。色々な人を殺す記憶が流れ込んでくるのは、父と息子という非常に高い魂の繋がりがあるから。 一先ず、あなたが人を殺したということだけはないから、安心してほしい」

ミカを殺したのは自分ではないということ。
この事件の犯人が、既に他界したという俺の父親「晴昭」であること。
あまりにも、情報が大きくて、それでいて入ってくるのが急すぎて情緒が追いつかない。

「酷な話だから、そんなに簡単に受け入れろとは言わない。 話の続きを聞く覚悟ができたら言って」

絢音は俺が当惑しているのを察しているのか、ゆっくりと話してくれた。

だけど、絢音が想定しているよりも、ショックは小さい。
父親と密接に交流があった、俺が彼のことを慕っていたというのならまだしも、俺が物心つく前に死んだとしか聞かされていない。
彼との記憶は一切ないのだから。

「大丈夫、続きを話してくれ」

いずれ知るというのなら、情報の一端を知ってしまったのなら、もうこの際に全て知っておいた方が気持ち的にも楽だ。
俺は絢音に続きを話すよう促す。

「蒔片 晴昭はあなたと違って生まれながらに退魔の素養がなかったの。息子である蒔片 巴も生まれた時は素養がない風だった。  そのため妹にして嫁である香苗との相性が悪いのではないかと考えた祖父の昭貴によって、養子として蒔片の分家「七曜」に引き取られた私と彼が巡り合わされた。 退魔の遺伝子を次世代に遺すためにね」

妹にして嫁……つまり、蒔片は近親相姦によって代を重ねてきたということか。

香苗、晴昭、自分の三人の顔が頭に浮かんでくる。
たしかに細部や雰囲気に違いこそあれど、全員が全員血が繋がっていると言われて納得のいく顔の造りをしている。

「だけど、あなたは父とは違って、歳をとるごとに素養を現していった。 幼い頃から父に存在を否定され、力と承認に飢えていた晴昭は己の息子に父としての威厳を、親族の注目を奪われることを恐れた。その結果、蒔片家に封印されていた外法「アバラ経典『魔傾の頁』」に手を出してしまった」

「その結果……吸血鬼になったと」

「多分、厳密にはとっくんの思っている吸血鬼と違う。 けど、血を吸う鬼という点ではそうだね。 蒔片の一族には長男長女に「蒔片家先代「蒔片 憂璃(ゆうり)」からの魂の記憶、性質が平等に継承される」という性質があるらしくて、鬼と交わった先祖がいて、その鬼の表層化する可能性のある陰の因子が継承されているっていうことらしいから、先祖返りに近いみたい」

絢音はそこまで語ると、少し怖い顔をする。

まるで、仇敵の話でもしているよう。

しかし「平等に魂の記憶、性質が継承される」という言葉を脳に送り込むが、なかなか処理してくれない。

近親相姦によって、先祖の遺伝構造が希薄されずに子孫に受け継がれるという解釈であっているだろうか。

もっとも、なんで蒔片の一族にそんな性質が宿っているのかは知る由もないのだが。 知る由はないが、受け入れることはできた。
吸血鬼や屍鬼に処刑人……そういったフィクションじみたものとは密接にあったからである。

鬼と吸血鬼の違いは分からないし分かろうとも思わないが、どうやら俺の祖先には人外がいて、俺にも人外の血が色濃く流れているらしい。
それが一番の驚きだった。

「そんな晴昭も実父の昭貴によって殺されたはずだった。 だけどどういうことか、ちょうど一年くらい前からこの冬霞市で晴昭が配下を使って魂を集めはじめた」

段々と、話の要点だけだが掴めてきた。
となると、絢音がこの街に住んでいたのはもしかすると……

「昭貴を派遣しようにもとっくに死去していて、蒔片の女性は殺傷能力のない異能を扱えるだけで戦闘能力を有していない。 消去法的に蒔片の長男こと「近衛」の右腕である「姫」としての役割を全うできるように、下級ではあるけど攻撃に応用できる魔術の教育も受けていた私が滅ぼすということになったの」

「近衛と姫っていうのは?」

率直な疑問だった。
二つの単語は理解しているが、多分、この会話の中で使われているそれらは固有名詞であろう。

「蒔片家は先代の次の代から魔を退ける退魔の血族になったらしいの。 姫である長女が魔を感知したり特定して、近衛である長男が魔を狩るという役割を持っていた。 しかし、どうしたことか晴昭は身体能力も技術も継承されなかったために退魔、近衛の素養がないとされていたの」

「そういうことか、分かったよ。 続きを話してくれ」

完全ではないが、大体は理解できた。

絢音は変わらず仇敵でも見るような目をしたまま、うんと言うと咳払いをして話の続きをはじめた。

「それで、今に至るって感じだよ。 晴昭は血を吸うことでどんどん血族を増やし、魂を蒐集して、自分を強化していった」

絢音はそこで一旦、話を区切る。

「俺の方から聞きたいことがあるんだけど、いいかな」

俺は張り詰めた空気の中、勇気を振り絞って質問をする。

「ええ、どうぞ。 私が分かる範囲内なら」

「俺の首元には刀で斬られたような傷痕があるんだ、それは夢の中でじいじに斬られたところと一致してる。 俺に親父の記憶が流れてきてるっていうのは分かるんだけど、この傷痕はなんなんだ?」

ちょっと見せて、と言って服の端っこを掴んでくる。
どうやら脱がせるつもりらしい。
女の子に脱がされるのはこんな状況下でも少し、いやかなり恥ずかしかった。
なので自分から脱いでしまうことにする。

すっとカットソーを脱ぐと、惨たらしい傷痕が露わになる。

「たしかに……刀で斬られたような傷だけど。 これは私の推測でしかないんだけど多分、措置ね。 晴昭に血を吸われたことを思い出させないために、噛み跡を新たな傷で上書き、隠蔽した」

なるほどと彼女の推測に納得。
思わず、顎を指で擦る動作をとる。

だが、一つの答えが解決したことで、疑問は新たにもう一つ生まれた。

「あと、一つだけ疑問なんだけど、なんで俺はそんなことを今日まで忘れていたんだ? 俺は血を吸われた時は五歳だったから、覚えているのが普通だと思うんだけど」

大体、父親の記憶や写真が一切ないのもおかしなことなのに、自分は今日までそれを疑問に思わなかった。
自分は俺が思っている以上に愚鈍なのではないかと思う。

「それは、さっきの推測でも言ったように、晴昭の存在を完全に忘れさせるために記憶を消す措置が取られたの。 蒔片の異能の一つ「洗脳」によって記憶を消去、父親の記録に関心を持たないように脳の構造を一時的、限定的に改変されていたの」

「なんで、そこまでして親父の記憶を消したいんだろう」

率直な疑問を発露した瞬間だった。
すると……絢音は申し訳なさそうな顔を浮かべて、もじもじとしはじめた。
これは、なにか知っていそうだ。

「それは……」

「この際なんだ、全部教えてくれ。 全部知っていた方が、親父と殺り合う時にも都合がいいだろう?」

それを聞くと、絢音は悲しそうな顔色を浮かべたあとに視線を俺から逸らす。
だけど、諦めがついたのか嘆息を漏らすと話し出した。

「とっくんは……晴昭に九割方、魂を吸われたから、もう"寿命がない"んだよ。 もってもあと五年ってとこなんだ」

「な━━━━」

想定していたよりも、今までに聞いてきたどんな真実よりもそれは深く俺の心を抉った。
俺の反応を見てか絢音は俯いていて、表情が掴めない。 はたして、どんな顔をしているのだろうか。

あと五年のうちに死ぬ……。
五年後、生きていたとしても十三歳、中学生だ。
まだ酒も煙草も楽しむことができなければ、哲学も人格も浅いまま死んでいく。

悲しいというよりは、力の抜ける感覚を覚えた。
ああ、これからどんなに必死に泥にまみれて生きようが、俺はあと五年で無に帰すのか、と。

人は、否、形あるモノはいつかは死ぬ。
だけど、五年なんてのは早すぎる……この人生、蝉と人間だったら蝉の方が近いじゃないか。
なんなら蝉の方が短いが、充実した生涯を終えることができるだろう。

だが、これもいずれは受け入れなければいけなかった事実。 俺に限っては、死ぬ直前になって伝えられるよりかは全然いい。

そんなのは当座のフォロー、詭弁に過ぎないが、今はそれでいい。
五年……成すべきことを成すには、十分すぎる時間だ。

「これじゃ、許嫁の意味がないな」

俺は場を和ませるように笑ったつもりが、自然、自分を嘲るような形となってしまった。
絢音も返す言葉がないのだろう、沈黙している。

「でも、きっと元凶を倒せば持っていかれた魂を取り戻せるはず。 本来なら魂を空っぽにされていたところを妨害されただけだから、普通に血を吸われたのとは訳が違うはずだと思う」

絢音が俺の目ではなく、腹の辺りを見ながら言う。

「……そんなのは、あくまでも可能性だろ」

「でも……賭けるだけの価値はあると思う」

「そうか? 勝てないのに挑んで、かえって死期を早めたり絢音を巻き込むだけじゃないのか?」

彼女を傷付けることも考えられず、矢継ぎ早にそんな言葉たちが口から出ていった━━というわけではない。
なんだか、話を聞いている限りは彼女は一人で俺の親父と戦うらしい。 だけど、母親が俺をこの街に送り込んだ理由はきっと俺と親父で殺し合わせるためだ。

自意識過剰かもしれないけど、分かってしまう。 絢音は俺が命を落とすリスクを背負って戦うことを許さない、と。

そして、きっと自分の命を引き換えにしてでも俺を救おうとしている。
俺はそんなことは、許せない。
二人でこの家で暮らすことができなければ、俺の生涯に意味はないのだ。

それならいっそ、考えたくないけど……きっと、これは自分の本心ではないのだろうけど。 自分の五年間と引き換えに絢音を蒔片の因縁から切り離して、別の人と幸せになってもらった方が幾分かマシだ。

少なくとも、俺は……彼女のいない世界に意味は無いと思っている。
それに蒔片の養子とはいえ、絢音は他人のようなものだ。 血縁の人間がケリをつける方が道理に適っている。

だから、ここで彼女を突き放しておくのが、きっとツラくても正解なんだ。

「とっくんは聡いから気付いちゃうって知ってたよ」

言われて、背中に血液の循環する暖かくて、いい匂いのする身体が預けられる。
気付いちゃう……というのは、自分が一人で戦おうとしていることだろうか。

「一人で、背負い込まなくてもいいんだよ。 私たちは夫婦なんだから、なんでも二人で頑張っていこうよ」

小さな肩に首が預けられて、しばらくすると啜り泣く声が聞こえてくる。

「……うん、俺が間違ってた。 二人で、頑張って倒そう」

言って、絢音は俺の体に体重をかけて、胸の前で腕を結ぶ。
少しして、それが解かれると俺と対面になって、首に手を回し顔を近付ける━━━━そして、唇が重ねられる。 それから少しだけ間を置いて、ぬらぬらとした熱い舌が口の中に入ってきて、自分の味を広げるように、相手の味を確かめるように全体を舐り回す。

これ以上ないくらいの愛情表現だ。

俺にはまるで、これが最後だから極限まで愛を訴えておこうという風に捉えてしまう。

二人で、頑張って倒そう。 俺は自分すら騙せない薄っぺらい嘘をついた。
だが、それは絢音も同じだ。

双方、一人で決着をつけるつもりでいる。

半年という短い、いや長い時間の中でやっと気が付いたことだが、絢音はどこまでも自罰的というか、自分のために行動することを極端に嫌っているきらいがある。 それはつまり、自分のことを愛せないということだろう。

もし、彼女に自分のことを愛せる瞬間があったとしても、それはきっと俺を愛していることを通してだろう。 所謂、依存というやつだ。

そんなことは、きっとよくない。

そんな彼女には、自分を愛するという当たり前のことすら出来ない彼女には、普通の人以上に、今までのマイナス分を返しても余るほど幸せになってもらいたい。
そう、俺以外の前でも、笑えるように━━━━。

それが夫としての、絢音を愛する一人の男としての責務だ。

どういう意図か知らないが、親父が俺に攻撃を仕掛けてきたということは決戦の時は近いことだろう。
これが俺の人生の最大の試練にして意義だと思う。
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