鬼子の嫁

白木 犀

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第十一話/殺人鬼

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がばっと布団から飛び起きる。

反射的に時計を見ると、二本の針は八時四十七分を差している。
あれから、七時間ほど眠ったのか。

それにしても厭な夢を見た。
否、これは夢なのか?

自分は絢音が屍鬼を狩っているのを目撃した後に布団に潜り込んで、眠りに就いたと思っていたが……。

それに、なによりも、夢の最後に現れたのはどう見ても━━━━絢音だった。

まさか、絢音も殺してしまったのではないかと歪な妄想が頭を浮かんで、心臓の鼓動を激しくさせてくるや否や、それは否定される。

「起きたー?」

台所から、絢音の声が聞こえてきたのだった。
よかった。 ふぅと胸を撫で下ろす。

「起きたよ」

寝室から離れた台所に届くように、意識声を大きくして答える。

「布団を片付けたら、一緒にスーパーに行きましょう。 朝ごはんを用意する食材がないの」

スーパー、その単語に眉を顰めてしまう。
絢音が生きているのだから、そんなことはないのだろうけれど、昨日の例がある。 胸の中に複数の不安の種が投げ込まれて、それが体の水分を吸って育ち、胸がどんどん苦しくなっていくような感覚を覚えた。

そんな気持ちを抱えながらも、布団を畳んでいく。
あまりに不謹慎だけど、色々ありすぎて、ミカが家の前で死んでいたことが夢のように感じられてしまう。
昨日の精神状態のままだったら、スーパーには行けなかっただろう。

良くも悪くも、時の経過は俺に変化を与えた。
ミカの死に折り合いをつけるのは難しいけど、彼女の死を悲しむことと同時並行してやらなければならないことが沢山ある。
彼女の死の真相を暴き、それを受け入れることもその一つだ。

布団を畳んで、寝巻きを着替えて玄関に移動する。
ぎぃと軋む音を立てて絢音がやってくる。 いつかの紺色の外套を羽織って。

玄関を開けると、二人で広い庭を抜けて歩いていく。

スーパーへの道は五分以上十分未満というところ、半分ほど進んだところで、違和感に気付いた。

なんだか、スーパーの周囲が忙しげだ。
人々の色めき立つ雰囲気のようなものを感じる。

そして俺たちの横を二台のパトカーが過ぎ、歩くのを越していく。

まさか……。

絢音も騒がしい空気とパトカーで悟ったのか、険しい顔を浮かべると、少し早足でスーパーへと向かっていった。

スーパーに続く一直線に出て、俺は悟る。
やはり、夢が現実になってしまったのだと。

スーパーの周りには人集り、駐車場の辺りには黄色い線が引かれ、複数台のパトカーが駐車。
複数人の警察官が執拗にある特定の範囲内を隠している。
彼らはその周囲でざわめく人々に注意喚起をしている。

気付くと、俺は絢音の手を振り切って現場へと駆けていた。

「え……ちょ、とっく━━━━」

数秒後には俺は絢音の驚きの声も聞こえないくらい遠くにいた。
人混みをかき分け、警察官の足元を潜り抜け、現場に入る、と━━━━

全身の皮が剥がされたみたいに血肉が露出、その周囲にはぐちゃぐちゃになった臓物。 もはや原型を留めていない死体。
俺だけが元の姿を知っている男だったモノがあった。

その隣に、絢音くらいの背丈のカーキ色のトレンチコートを着た、老人のような死体。 全身に血管が浮かび上がり、すっかり痩せ細り、土色の肌。
その中で、驚きに目を剥いたまま停止している顔が印象的だった。
服から覗ける肩口からは血の滴った跡。

「あ━━━━」

一瞬で血の気が引く。
骨を抜き取られてしまったかのように、全身の力が抜けて地面にへたりと座り込む。

「君! いきなり入ってきてなんのつもりだ!」

警察官の怒声も、頭の中で処理されない。

また、やってしまった。

ただ、ばくばくと自分の心臓の音だけがする。

二人の警察官に腕を拘束されるのを振り解き、目的地もなく走っていく。

スーパーを通り過ぎて、様々な店の構えてある通りを超えて、小学校の辺りまで走って、辿り着いたところではぁはぁと息が切れる。

はぁはぁと再び走るのに必要なだけの最低限の酸素を供給すると、行ったことのない道に向かって駆けていった。



俺はそれから三十分ほど全速力で走った。
何から逃れるためかは言うまでもないが、それは追ってくるものではない。
なんなら、既に俺の心を捕まえて離さない。
人を殺めてしまったという意識。

すっかり、日は落ちている。

俺はかれこれ四時間近くずっと色んな公園のベンチを行き来していた。

絢音は心配しているだろうが、帰る場所はない。

━━━━俺生きていることが罪になる。
それは、食肉を食らっている人間。 のし上がるために他者を振り落とす人間。 そう、この世の中のほとんどの人間が当てはまるのだろうけれど、俺はその中でも浮いている。

人と対話し、社会を構築する程度の知性を持った動物を殺すのは、わけが違う。

こんな時間になるまで、何回か自殺を試みたが、絢音の顔が浮かんできて、なかなか実践することはできなかった。
彼女は、少なくとも俺の前の彼女はどこまでも優しい。 そんな彼女を傷付けるような選択はできなかった。

ぐぅと腹が鳴る音。
辺りはすっかり暗くなってしまっている、朝からなにも食べていないし、当然だろう。

生きるか、死ぬか。
そのどちらかを選択するだけの勇気がないまま、時だけが流れていく。

空腹と疲れの蓄積した空っぽの体で目的もなく夜の住宅街を歩いていた。 今夜も、絢音は屍鬼狩りに出るのだろうか。

屍鬼狩りといえば……街に未だに屍鬼が出ることの理由も分かっていないのだった。

そんな時、つかつかと、いう音。
そして、五感を警戒に全集中させる獣の臭い。 死の気配。

つかつかと、前から屍鬼と同じ、男の姿形をした化け物が歩いてくる。

ただ、それは屍鬼とはなにかが、決定的に違っている。
可視化できないが、人間にあるものがなくて、人間にないものがある。 そんな違和感。

俺は怯えるのもほどほどに、パーカーのポケットに入りっぱなしになっていた折り畳みナイフを構える。

逃げるという選択肢はなかった。
否、できなかった。 簡単に逃亡を許してくれる気配ではない。

まさか……。

一つの可能性が頭を過ぎる。
どうにかしている。 なんでか、今まで全く気が付かなかった可能性だ。
ヘイルと同時並行、またはヘイルをミスリードに活動していた吸血鬼がいたのではないか? と……。
それならヘイルが死亡しても屍鬼が街に巣食っているのに説明がつく。

つかつかと、シルエットだけだった化け物の姿がはっきり見えるくらい近付いてくる。

男は黒い外套のフードを被り、包帯で目と口元以外が隠れるように顔をぐるぐる巻きにしていた。 手には骨を削って作ったような、非常に歪なフォルムの凶器が握られている。

つかつかと、俺との距離が十メートルに満たなくなるや否やというところで男の鳶色の虹彩が紅色に変化、瞳孔が縦長に拡張する……!

やっぱり、こいつが━━━━

俺が吸血鬼の急所、六つの心臓と脳を穿つ動作に入る。 しかし、その前に、男は大きく地面を跳躍、体はGに任せて凶刃を構え、俺に向かってくる。

きぃんという二つの金属がぶつかる音が閑散とした住宅地に響く。
どうやら一見、骨のように見えた武器も金属でできていた模様。

「くっ……!」

身体能力には自信があるとはいえ、人外と切り合うのはわけが違う。

案の定、すぐに押されはじめた。

俺は相手に戦闘経験があまり無いことを期待した上で、足払いに出ようと考える。 失敗すれば、より一層ピンチに追い込まれるが、このまま切り合っていても一向に戦況は悪くなるばかりだ。

賭けに出る━━━━横から膝に全力を尽くした足払いを喰らわせる。

期待していた通り、男は体勢を崩して前方に倒れかかる。

今がチャンスだ━━━━!

俺は間抜けにもこちらにやってきた頭蓋に短刀を向け、突き刺さんとする、が━━━━男はその姿勢から前方転回を狙う。

脚を首に絡めて俺を組み伏せるつもりか……!

男の狙いを読んだ俺は後方転回で対抗、二回転し大きく後退。 再び、距離を取る。

一度は足蹴りを許したとはいえ、なかなかの手練の様子だ。
侮れない。

俺が構え直すのと時を同じくして、男は地面を蹴り、俺に肉薄する━━━━前から迫る凶刃を横からナイフを出して遮る、再び鍔迫り合いという形になる。

これは、まずい。
再び足払いが通じるということはもうないだろう。

包帯の奥の目が俺を嘲るように細まる。

人外の圧倒的な膂力に押されはじめる。
こちらは手が震えるほどに力を込めているというのに、男は余裕な様子。 段々と凶刃が首元に近付いてくる……。

ナイフは男の力に押し負け弾かれ、回転するとコンクリート地面に突き刺さった。
男はそれを見ると口元をにやりと歪め、凶刃を構え直し俺の首を切り落とさんとする。

殺られる……!

そう思うや否や━━━━突然、吹いてきた激しい風に思わず目を瞑る。

と、ぎゅんぎゅんとエンジンが唸るような音。
風にも慣れてきたので、その正体を確かめるべくゆっくりと目を開くと、眼前には見覚えのある「煌々と輝く橙色の球体」があった。
男はそれを忌々しげに睨みつけている。

これは……。

音はその球体から発せられていた。
その音は加速度的に大きくなって、目を凝らして見ると球体の中で炎のようなものが渦巻いていて、それが回転することで音を発している様子。

かっと球体が強く光ったので、再び目を瞑る。
ぎゅ━━━━ん、と音がして、ぐわぁと男の低い蛮声。

なにが、起きたというのだ。
ゆっくり目を開くと、そこには━━━━包帯や外套のみならず皮膚までもが焼け焦げ、体から煙をあげている"俺とよく似た顔"の男の姿があった。

俺の前にあった球体は段々と小さくなっていくと、音もなく消えてしまった。
屍鬼を倒したように、この球体からエネルギー波のようなものが発せられて、男を焼いたのだろう。

それにしても、なんなんだ、この俺と酷く似通った顔をした男は。

「邪魔をするな! 絢音!」

体から煙をあげながらも生きていた男が叱咤するように闇に向かって叫ぶ。

「え━━━━」

なんで、そんな名前がこの男の口から、出てくるのだ。

つかつかと、闇から名前を呼ばれた少女が姿を現す。

「……」

闇から現れた少女は紛れもなく絢音だった。
数珠を両手首に回し、揺らし、じゃらじゃらと音を立てている。

男はそれを見るとちっと舌打ちをして、大きく跳躍。
五十メートルくらい先に跳んでいってしまった。

「絢……音」

絢音の視線が遠くに消えていった男から俺に向くと、彼女は申し訳なさそうな顔色を浮かべた。

「とっくん……」

つかつかと顔を俯けたまま近付いてくると、絢音はなにも言わずに俺を抱き締める。

「もう……お家に帰ろう」

彼女の声は弱弱しくて、少しの刺激で崩れてしまいそうだった。

「うん……」

とてもじゃないが、どんな理由があってもそんな彼女のことを拒絶することはできない。
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