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第九話/死別
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あれから、なにをどうしたのか分からない。
俺が通報したのか、はたまた民間人が通報したのか、俺の家の前では警察が忙しげに歩き回り、何人かは共同作業でミカの死体を片付けている。
「とっくん……もう、家に入ろう」
絢音が後ろから俺を心配して、か細い声をかけてくる。 大元の吸血鬼が死んだというのに死者が出ているというのは、想定の埒外だったのだろう。
「……うん」
断る道理もないので、俺は絢音の背中を追って家の中に入っていった。
◇
その後、俺と絢音は近隣住民ということで警察から事情聴取を受けた。
どうやら俺が第一発見者で、覚えていないが警察に通報したのも俺とのことらしい。
三十分ほど事情聴取は続いたが、昨夜の戦いのことも、彼女との関係も、彼女の素性も全て隠し通した。
死体をこんな公にしているのは、例の殺人事件の犯人にしては異質だということから、警察は頭を悩ませている様子だった。
……考えるべきこと、悩むべきことは沢山あるが、そのどれに対しても頭は働いてくれない。 ただ、虚無であった。
絢音の用意してくれた朝食は悪いとは思いつつも一口も手をつけずに終えて、縁側で一人、没我している。 どうせ食べても戻してしまうに決まっている。
なんで、こんなことになったんだ。
◇
あれから昼食も夕食も食べず、申し訳程度に水だけ飲んで、居間でずっと狂ったように俺の気に入っているオルタナティヴ・ロックにカテゴライズされるらしいバンドの音楽を聴いていた。 歌詞やリズムは変わることなく、普遍で不変。 常に同じところにあるから安心させてくれる、落ち着かせてくれるという理由から聴いていたが、その効果は期待していたよりも薄かった。
ただ、音楽の効果か、時の経過によるものか少しだけだが意識に変化が生じた様子。
虚無と絶望の沼から片足だけだが、脱することができた俺は昨晩に見た夢とミカの死の関連性について考えてみることにした。
夢のミカも、現実のミカも、左胸に穴が開けられる形で死亡していた。
これをただの偶然の一致で片付けるのは、違うと思う。
夢と現実。 一見、コインの表裏のように交わることのないこの二つの要素には必ず繋がりがある。
しばらく考え込んでいると、一つの前提を覆す可能性が頭を過ぎる。
それは━━━━━夢が夢でない可能性だ。
俺が夢だと思っていたものは夢なんかではなくて、現実の記憶。 俺がこの手でミカを手にかけたということだ。
そこまで思考が加速したところで、頭にあの記憶が浮かんでくる。
祖父の昭貴が「鬼の子」と言って、俺を切り伏せる記憶。
まさか。
ミカは蒔片家のことを日本に現存する「退魔機構」と言っていた。 それは、きっと普通の人間たちとは何かが決定的に違うということだろう。
それに、俺の自分でもおかしいと思うこの戦闘能力の高さ……考えれば考えるほどに、合点がいく。
考えれば考えるほどに、悪い方向に話が固まっていく。
やはり、ミカを殺したのは……。
「お風呂沸いてるから、入ってきちゃえば?」
絢音の声で思考が打ち切られる。
「……あぁ、入ってくる。 ありがとう」
夢の中でミカの胸を突き刺した感触が手から離れなくて、気持ちが悪くてたまらなかったので、ちょうどいい。
呪いのように体に染み付いた殺人の感覚をさっぱり洗い流さねばなるまい。
「今朝のこと、まだ気にしてるんだね。 自分には関係のないことだとは……割り切れないよね」
割り切れないとも、なにしろ俺はミカのことが好きだったのだから。
「うん、次は自分かもしれないと思うと、夜も眠れない」
俺は嘘をついた。
今回の事件の犯人であるヘイルは死んだのだから、次はない。
それに、自分が新しい殺人者だとすると、自分が一番被害者から遠いところにいるだろう。
「大丈夫、きっと近いうちに治まるから」
その言葉は、絢音は俺と同じく犯人はもう死んだ、今回の事件は屍鬼や吸血鬼とは無関係という前提を持っていて、俺を安心させようという意図のある言葉……だと思うのだが、俺はその言葉に少しだけ違和感を感じていた。
しかし、その違和感の正体には一ミリも見当がつかない。
新しく疑問符が浮かび上がるが、受け入れるだけの余裕がもう器にはない、新たな疑問符は器の外に零れ落ちてゆく。
精神的にも肉体的にもすっかり疲れてしまって、鉛みたいに重い体を動かしてぎぃと軋むフローリング床を歩いていく。
洗面所に着くと緩慢な動作で服を脱ぎ始める。 何をやるにしても活力が着いてこない。
洗面台の鏡には青白い肌をした死人のような男の姿が映っている。 表情こそ違えども、夢の中で血の鏡に反射していた殺人狂の顔とよく結びつく顔だ。
夢の中でのワンシーンを思い出せば思い出すほどに、自分のしでかしてしまったかもしれないことの大きさを意識、強い自罰意識に苛まれる。
俺のこの行為はきっと、誰に罰せられることもない。
だからこそ苦しめられる。 いっそ、誰かが俺を痛めつけてくれれば救われるのに。
否、そんな考えすら許されない。
一生、この償うことのできないこの罪を背負って生きるのだ。
自分の体に染み付いた死の香りを洗い流すように、執拗にごしごしと体と頭を洗う。
泡を流して風呂場を出ると髪を乾かし寝巻きに着替え、早々に布団に入る。 今は、考えるのが苦痛で、なにも考えないでも許される夢の世界に一秒でも早く逃げ込みたかった。
俺が通報したのか、はたまた民間人が通報したのか、俺の家の前では警察が忙しげに歩き回り、何人かは共同作業でミカの死体を片付けている。
「とっくん……もう、家に入ろう」
絢音が後ろから俺を心配して、か細い声をかけてくる。 大元の吸血鬼が死んだというのに死者が出ているというのは、想定の埒外だったのだろう。
「……うん」
断る道理もないので、俺は絢音の背中を追って家の中に入っていった。
◇
その後、俺と絢音は近隣住民ということで警察から事情聴取を受けた。
どうやら俺が第一発見者で、覚えていないが警察に通報したのも俺とのことらしい。
三十分ほど事情聴取は続いたが、昨夜の戦いのことも、彼女との関係も、彼女の素性も全て隠し通した。
死体をこんな公にしているのは、例の殺人事件の犯人にしては異質だということから、警察は頭を悩ませている様子だった。
……考えるべきこと、悩むべきことは沢山あるが、そのどれに対しても頭は働いてくれない。 ただ、虚無であった。
絢音の用意してくれた朝食は悪いとは思いつつも一口も手をつけずに終えて、縁側で一人、没我している。 どうせ食べても戻してしまうに決まっている。
なんで、こんなことになったんだ。
◇
あれから昼食も夕食も食べず、申し訳程度に水だけ飲んで、居間でずっと狂ったように俺の気に入っているオルタナティヴ・ロックにカテゴライズされるらしいバンドの音楽を聴いていた。 歌詞やリズムは変わることなく、普遍で不変。 常に同じところにあるから安心させてくれる、落ち着かせてくれるという理由から聴いていたが、その効果は期待していたよりも薄かった。
ただ、音楽の効果か、時の経過によるものか少しだけだが意識に変化が生じた様子。
虚無と絶望の沼から片足だけだが、脱することができた俺は昨晩に見た夢とミカの死の関連性について考えてみることにした。
夢のミカも、現実のミカも、左胸に穴が開けられる形で死亡していた。
これをただの偶然の一致で片付けるのは、違うと思う。
夢と現実。 一見、コインの表裏のように交わることのないこの二つの要素には必ず繋がりがある。
しばらく考え込んでいると、一つの前提を覆す可能性が頭を過ぎる。
それは━━━━━夢が夢でない可能性だ。
俺が夢だと思っていたものは夢なんかではなくて、現実の記憶。 俺がこの手でミカを手にかけたということだ。
そこまで思考が加速したところで、頭にあの記憶が浮かんでくる。
祖父の昭貴が「鬼の子」と言って、俺を切り伏せる記憶。
まさか。
ミカは蒔片家のことを日本に現存する「退魔機構」と言っていた。 それは、きっと普通の人間たちとは何かが決定的に違うということだろう。
それに、俺の自分でもおかしいと思うこの戦闘能力の高さ……考えれば考えるほどに、合点がいく。
考えれば考えるほどに、悪い方向に話が固まっていく。
やはり、ミカを殺したのは……。
「お風呂沸いてるから、入ってきちゃえば?」
絢音の声で思考が打ち切られる。
「……あぁ、入ってくる。 ありがとう」
夢の中でミカの胸を突き刺した感触が手から離れなくて、気持ちが悪くてたまらなかったので、ちょうどいい。
呪いのように体に染み付いた殺人の感覚をさっぱり洗い流さねばなるまい。
「今朝のこと、まだ気にしてるんだね。 自分には関係のないことだとは……割り切れないよね」
割り切れないとも、なにしろ俺はミカのことが好きだったのだから。
「うん、次は自分かもしれないと思うと、夜も眠れない」
俺は嘘をついた。
今回の事件の犯人であるヘイルは死んだのだから、次はない。
それに、自分が新しい殺人者だとすると、自分が一番被害者から遠いところにいるだろう。
「大丈夫、きっと近いうちに治まるから」
その言葉は、絢音は俺と同じく犯人はもう死んだ、今回の事件は屍鬼や吸血鬼とは無関係という前提を持っていて、俺を安心させようという意図のある言葉……だと思うのだが、俺はその言葉に少しだけ違和感を感じていた。
しかし、その違和感の正体には一ミリも見当がつかない。
新しく疑問符が浮かび上がるが、受け入れるだけの余裕がもう器にはない、新たな疑問符は器の外に零れ落ちてゆく。
精神的にも肉体的にもすっかり疲れてしまって、鉛みたいに重い体を動かしてぎぃと軋むフローリング床を歩いていく。
洗面所に着くと緩慢な動作で服を脱ぎ始める。 何をやるにしても活力が着いてこない。
洗面台の鏡には青白い肌をした死人のような男の姿が映っている。 表情こそ違えども、夢の中で血の鏡に反射していた殺人狂の顔とよく結びつく顔だ。
夢の中でのワンシーンを思い出せば思い出すほどに、自分のしでかしてしまったかもしれないことの大きさを意識、強い自罰意識に苛まれる。
俺のこの行為はきっと、誰に罰せられることもない。
だからこそ苦しめられる。 いっそ、誰かが俺を痛めつけてくれれば救われるのに。
否、そんな考えすら許されない。
一生、この償うことのできないこの罪を背負って生きるのだ。
自分の体に染み付いた死の香りを洗い流すように、執拗にごしごしと体と頭を洗う。
泡を流して風呂場を出ると髪を乾かし寝巻きに着替え、早々に布団に入る。 今は、考えるのが苦痛で、なにも考えないでも許される夢の世界に一秒でも早く逃げ込みたかった。
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