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85 ニックネーム
しおりを挟む軽いパニックを通り越してお父さんの反応が気になった。多分、お母さんは喜ぶ。女性の感覚だから。
「愛……ですか」
戸惑う。波流と言う名前も、保育園から『ハルちゃん』と呼ばれて女の子扱いされていたのに『愛ちゃん』になったらどうするんだ。男として立つ瀬がない。
お父さん、あなたの息子は今、人生の岐路に立たされています。
ああ……
「波流君は不満なの」
チョコちゃんママが覗き込む。
「いいえ、ちょっと可愛すぎるかなと」
「あら、お化粧して女の子に化けるのだから可愛いニックネームの方が合うんじゃないの、ね、音理」
チョコちゃんはコンパクトを開けてクッションファンデーションのパフに手を掛けた。
「私は波流君に任せる。ゴリ子でもワニ美でも、波流君が気に入れば良いから」
「ゴリ子って、あははは。それよりは愛君が良いわ。ね、波流君。愛君に決めよ」
「まあ、ゴリとかワニよりは」
チョコちゃんが笑った。
「へへへ。チョコだってゴリ君とかワニ君なんて、波流君のこと呼びたくないよ」
チョコちゃん親娘に押しきられた感じが否めないけれど、僕は決して気の弱い方ではないつもりだ。言うべきことははっきり言う。
この場合は完全な納得ではないにしろ「愛君」に対抗する名前が思い浮かばないから、仕方なく受け入れざるを得ないと思った。
「じゃあ、撮影続行するから、ゴーサインから続けて」
チョコちゃんママは映画監督みたいに指示を出して三台のスマホの一時停止を解除した。動画撮影が始まった。
「波流……愛君、目を閉じて」
チョコちゃんがファンデーションのパフを僕の頬に当てる。顔の三ヶ所に軽く置いてから優しく滑らせた。
「愛君、色白だから」
短時間の草むしり以外は外に出ないからね。あまり広い庭ではないから少しずつしなきゃあやることがなくなる。
「コンシーラーいらない」
「コンシーラーって何」
「くすみを隠すやつ」
パフが顔を撫でる。
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