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第6章 殺人鬼と逃避行
(22)矢のつがえ方
しおりを挟むサニーの移動が始まった。
大勢の白衣を着た医療従事者がサニーのベッドを囲み、数人でベッドから車輪の付いた医療用移動式ベッドに移しかえて輸液のイルリガートルを大切そうに持ち、飛行船から出ていく。
1927年の点滴システムは、生理食塩水やリンゲル液は既に開発されていたとはいえ、今のようなポリエチレンのソフトバッグやガスバリアのフィルムバッグといった扱いやすい物ではなかった。
ガラス瓶のアンプルとそれに繋げるゴム菅とでできたイルリガートルセットは割れやすく、大切に持ち運びしなければならない。
イサドラは目深に被った帽子の奥から視線を寄越して、ラナンタータに微笑みかける。
「三日間は何処へでも自由に行って遊んでいらっしゃい。はぐれないでね、ラナンタータ。多分、皆さんドイツには土地勘がないでしょうから。それと、三日後のお昼までには戻ること。飛行船で帰れるように手配してあるわ。じゃあね、オールボワール」
「オールボワール。サニーのことは私も祈ってる」
「おいらも、速やかな回復を願うぜ」
「サニーに神のアガペーを祈るよ」
「有り難う、皆さん。楽しかったわ」
イサドラは微笑んで別れた。
「カッコいいよね、イサドラって。美人だし。ヤバいことに、殺人鬼には思えなくなってきた」
仁王立ちで呟くラナンタータに、カナンデラが鼻息を荒くした。
「サニーに関してはイサドラを応援するが、おいら、国に帰ったらイサドラ逮捕に全力を尽くすね」
「なに、殺人鬼にまでフラれたの。オカマのふりするからでしょ」
「お前ぇぇ、探偵には使命があるのだっ」
デルタン通りの
アパルトマンの殺人事件
二件のうち一件は
イサドラ犯行の可能性が高い
この国に
あんな真似の出来る殺人鬼が
他にいるとなれば
恐ろしいことだ
カナンデラは残忍な犯行現場を思い出してムカつく。
「ラナンタータ、カナンデラ所長の言う通りだよ。イサドラは殺人鬼だ。カッコいいなんて……」
ラルポアが諌める。
「ラルポア、お母さんにならないで。カナンはシャンタンだけだよ。イサドラでさえサニーに尽くしてるのにカナンはシャンタン置いてきぼりにしてドイツ観光だもんね。ねーっ」
「全く、その通りさ。シャンタンのいない夜は……おっと……ははは……お前ら、元気か」
「うん、元気っ。これ以上ないくらいに元気だよ。ね、ラルポア」
「まあ、元気だけど、でも、イサドラ逮捕に関して不純な動機を感じるんだけど」
「ははは。ラナンタータの言う通りさ。ま、シャンタンも連れてくるべきだったよ。ドイツだぜ、ドイツ。シャンタンのお爺様の生まれ故郷だ」
ゴヅィーレ警部は、若草色のストールの女について周辺に聞き込みを広げた。
ブルンチャスが出て行ってから、チャビーランはあれこれと考え込んで気がつくと昼前になっている。
普段なら夜遅くに戻って震えているか、朝帰りして夕方近くまでベッドの陽の当たる場所で丸まって寝ている。
サリョーカのストールが
問題のストールだったら
サリョーカのクロスボウが
もしもなら……
試してみよるべきよね
サリョーカは実は少し歩けるもの
トイレに行けるくらいは……
多分犯人は
あの窓ガラスの割れた穴から
クロスボウを使って
ドリエンヌの額を狙ったのよ
ドリエンヌが
ドアに向かって倒れたのは
廊下に逃れようとしての
ことかもしれない
サリョーカなら……
だって
クロスボウって
使ったことないから
わからないんだけど
ベッドから飛び起きて部屋着の上に草臥れたコートを引っ掛けた。その姿で部屋を出る。
「サリョーカ。ティラナだけど、良いかしら……」
内側からドアが開く。
「ティラナさん、どうぞ」
カイラー・ショーンの彼女がドアを開けた。若くてみずみずしい肌に、きらきら光る瞳。三編みにした金髪が両肩に垂れる。
「あの、サリョーカ。具合はどう」
サリョーカは瞼を閉じて返事はない。
「さっき寝たばかりなのよ。ご用は私で良ければ」
「そうね。サリョーカのクロスボウを貸してほしいの」
「クロスボウ……それは勝手に貸すことはできないわ。何をするの」
「練習したいの。私の仕事はわかるでしょ。デルタン川で大勢が死んだわ。私はむざむざ殺されたくはないから、変態を撃退するために、クロスボウは使えるかなと思っただけなの」
「わかったわ。あなたならサリョーカも貸すと思う。でも、直ぐに返してね。私の勝手な一存なのだから」
「ええ。有り難う」
チョコレート色の十字架に似たクロスボウを抱えて「大事に使って」と渡される。
「直ぐに返すから大丈夫よ。矢のつがえかたを教えてくれるかしら」
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