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第6章 殺人鬼と逃避行
(16)恋愛
しおりを挟むアントローサは窓ガラスの穴に拳を突き入れた。
「石はかなり大きなものだったな。窓の近くに転がっていたということは、案外、非力な者の仕業かもしれない」
「メラリーかジャネットの線も考えられますね。ふたりに聞きますか」
ふたり……
「ああ、そうしてくれ。いや、ふたりとも非番だろう。他の者に行かせる」
ふたり……
アントローサは、ふたりという単語に反応した。ラナンタータとラルポアは夕べ帰宅していない。
門限無しの太鼓判か
効き目は絶大だな
ラナンタータは
我が儘娘だから
ラルポアを
振り回しているのだろうが
親としては楽しみなことだ
夕べは私も
ショアロナと
ゆっくり過ごした
いつの間にか
寝落ちしていたが
妻を失ってから17年
長かったようだ
私はまるで童貞同然で
ショアロナも……
いやいや
事件解決を優先に……
ショアロナは……
違う
今は事件を……
アントローサは壁に凭れて額に手をやった。その傍でブルンチャスが柄にもなく笑顔になる。キーツにしても喜ばしいことがあったとばかり、にやついて、男三人が事件現場で揃いも揃ってだらしない顔を並べている。
ゴツィーレ警部が現場を訪れて、珍しいものでも見るように目を瞠目いた。
キーツは夕べ遅くに、ロンホア・チャイナの裏口から出てきた龍花を拾って、安月給の集まる居酒屋で食事した。
『私、明日、ドイツに行くよ。ドイツには元彼がいる。あんたは良いのか、私を放っておいても』
キーツの心臓が跳ねた。じっと龍花の目を見て、気が遠くなった。酔ったらしい。気がついたら龍花と同じベッドに寝ていた。
残念ながら着衣に乱れはなく、それは龍花にも確認して『嫌ネ、あんた。私は服着たまましないヨ。もとロマンチクが好きヨ』と言われてがっかりすると同時に安堵した。一線を踏み越えて覚えがないなどと、あるまじき失敗は犯したくない。
フレンチ・キスをして『ドイツから戻ったら……』と再会を約束して、キーツは子供のように浮かれている。
イサドラの赤いマニキュアの長い指先が、トランプのカードをランダムにかき混ぜる。そのカードの山を丸いドーナツにして、真ん中のスペースに、ドーナツ山から引き抜いた一枚を置く。ハートのセブン。ゲームが始まった。
「サニーは何の病気なの」
ラナンタータはダイヤのエイト。
「心臓が原因らしいのだけど、レントゲン博士の弟子だったお医者様に診てもらわなければわからないわ。脳機能の低下もあるらしいの」
「おお、ノーベル賞のレントゲン博士か。亡くなったのは残念だが、偉大な業績は人類を助ける」
カナンデラがスペードのエース。
「エースって、強かったよな」
「ふふ、探偵さんはポジティブね。サニーも助かるような気がするわ」
ラルポアはクローバーのクイーン。続けてイサドラはダイヤのフォー。
「あら、ちっちゃな芋だったかしら」
カナンデラがいきなり笑う。
「わははは。あんたが言うとエッロいな」
「何でちっちゃな芋がエロいの……」
近頃おませなラナンタータが食い付く。
「ラナンタータ、知らなくていいことだからね」
ラルポアが牽制する。イサドラは集めたカードを扇に広げ、口元を隠した。
「あら、確か十九才でしたっけ、ラナンタータ。何にも知らないなんて深窓のご令嬢らしいわ。それとも、奥手なのはラルポアさんの責任かしら。ふふ」
ラナンタータがラルポアを上目遣いに見つめる。
「お嫁に行くまで知らなくていいこともあるよ、ラナンタータ」
「ラルポアさん、そんなことを言って、お嬢様を支配しておきたいのね。お嫁に行かせるつもりはないくせに。ほっほっほ……」
イサドラはカードの扇で口元を隠しながら笑う。ラルポアの眉間に影ができた。
「え、私、お嫁に行かないよ。アルビノだから結婚しない」
イサドラの笑いが止まる。カナンデラとラルポアの視線もラナンタータに集まった。
「ラナンタータ、いつか永遠の伴侶が見つかるよ」
とラルポアが微笑む。
「そりゃあどうかな。ラルが近くにいる限り現れるかな」
カナンデラが呟く。
「ふふ、この国では貴族女性の適齢期は十六才から二十歳までよ。ラナンタータが年をとってしまうわ」
「年をとってもラナンタータはアルビノだ。独りでは生きられない。誰かがずっと傍について守っていなければ……」
ラルポアはラナンタータの手を取りたくなった。
「随分都合の良いお話しよね、ラルポアさん、あなたにとっては」
ラナンタータの手を引いて此の場を立ち去り「嫁に行かなくて良いよ、焦らなくて良いんだ。ずっと傍にいるから」と伝えたい。
しかし、伝えてどうする。
ラナンタータはジョスリンと
キスしたがって
ローランに恋した
滅茶苦茶だ
僕は……
何も変わらない 日常が
続くだけだ
それで十分じゃないか
何事もなく
無事に過ごせたら
それで……
ラナンタータが
飛び立って行く日は
世界が平和で安全に
なっている必要がある
平和で安全な世界……
そんな日が来るのか
「ラルポアは渡さない。イサドラはラルポアが好きなんだね。だから、そんなことを言うんでしょ。私、ふたりの恋愛を絶対に阻止する」
「恋愛……私は人殺しよ。恋愛なんて」
「ラルポアは女殺しだから負けてないもん」
「ぶぁっはははは……ラナンタータ、ジョークのつもりか」
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