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イヴンゼリクスの影武者王子は何故宮殿に戻らなかったか

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あなたは、世界に名だたるJ&M陶器会社発祥の物語をご存じだろうか。それは大昔のちょっと込み入った話。


当時のイヴンゼリクス皇帝国の皇帝は、建国英雄の血を重んじて兄弟婚を強制されていた。

ある年、実妹である寵妃と実姉である下位妃から同じ日の同時刻に瓜二つの王子たちが生まれた。

寵妃の息子を第二王子、下位妃の息子は第三王子。王子たちはすくすくと育ち、平和に暮らしていたが、ある時、下位妃は騎士のひとりと出奔し、森で捕らえられ宮殿に連れ戻された。

実の兄である皇帝は下位妃に「お前の望みを叶えてやる」と約束した。本来なら投獄の後斬首刑に値する裏切りを、廃妃追放刑として国外への逃亡を許すと言うのだ。廃妃となれば皇帝や後宮との関わりもなくなる。しかも国外へ安全に逃れられる。

その代わりとして、王は、寵妃の生んだ第二王子そっくりの第三王子を必要な時に影武者として差し出すようにと命令した。

下位妃は死を覚悟で断ったが、十三才になっていた第三王子自身が承諾した。母親と思い人の騎士を国外に逃れされて新生活を送らせたい。そのためなら第二王子の影武者として甘んじることもできる。

第三王子は病死したことになって、下男に成り済まして母親と共に王宮を出た。


廃妃と騎士は帝国の属国であるノーベスラウナの首都エルダヨの郊外に落ち着いた。騎士の実家がそこで焼物屋を営んでいたからだ。

騎士と第三王子は、森外れで粘土を掘り、それを町まで運び、台に打ち付けて叩きのめし踏みつけて、陶器職人が使えるようになるまで柔らかくするのだ。全身運動でへとへとになるまで粘土と格闘する。

粘土は、生活の様々な器物に変貌した。食器、花瓶、痰壺、便器、タイル、庭の置物など、あらゆるものに使われた。

エルダヨは大きな町だったから、陶器の需要も大きい。二人は毎日のように粘土を掘りに出かけ、人目のない森の中で、騎士は少しの剣術を第三王子に伝授した。

呑み込みの早い第三王子はメルケエルと言った。


「メルケエル王子、私が教えることはもう何もありません。あなたは優秀な剣士です」

「メルで良いと言うのに。あなたは私の父ではありませんか」

「嬉しいお言葉ですが、王子は本当ならばイヴンゼリクス帝国の第三王位継承者です。このような田舎で埋もれているのは口惜しい」

「ダネル。いえ、お父さん。ここに来てもう半年過ぎました。イヴンゼリクス帝国は揺るぎない威光を浸透させて、平和を維持しています。私は一般市民として家族一緒に平和に暮らせればそれで良いのです」


ところが一年過ぎた頃に、皇帝の使いがやって来た。


「メル、私は心配だわ。いくらあなたと第二王子がそっくりだと言っても、妹、いえ、寵妃様までは騙せないわ。宮殿でひと月も何をさせると言うのかしら」

「母上、私なら知恵も体力もあります。剣もダネル父さん直伝ですから心配いりません。誰にもバレないようにします」


ひと月の間、二人の王子は入れ替わることを命じられ、メルケエルは宮殿へ、第二王子ジョブスはエルダヨの外れの焼物屋にやって来た。


「私は今日からメルケエルなのだな。宜しく、母上、父上。至らないことがあれば教えてくれ」


ジョブスは目を輝かせて何にでも興味を持った。しかし、ジョブスは陶工としては体力がなく、毎日へとへとで、一年前のメルケエルのようだった。

宮殿に戻ったメルケエルは、寵妃のテリトリーの広さに驚き、その豪華さに舌を巻いた。


(違いは認識していたものの、ここまでの差別とは思わなかった。皇帝は、私の母上のどこがいけなかったと言うのだ。あんなに美しく優しい母上なのに)


メルケエルの母親は寵妃と血を分けた実の姉だが、感覚的には平民に近い暮らしぶりだ。

商売で富を得た大富豪は貴族以上に豊かに暮らしているという。下手に働けない貴族よりも自由に見えた。

その点にジョブスも疑問をもった。


(何故、爵位を持つ者たちは、労働を規制されているのだろう。労働を卑しいと思うのは間違っている)


毎日朝早く、ダネルと空の荷馬車で森の奥まで行き、粘土を山ほど掘って剣術を習い、昼御飯前に荷馬車で帰ってくる。その時に見える空は美しい。宮殿で見ていた空と同じ空とは思えない。


「ダネル。この荷馬車は新しいのだな」

「はい、王子様。私とメルケエル様が粘土掘りを担うようになって器物が多く作れるようになり、その分、売れたからで御座います。それで、ダネル様がこられることがわかって、急遽、購入しました」

「では、メルケエルはどのようにしていたのだ」

「大きなリュックを担いで歩きました。一日一往復ですが、お昼ご飯を旨そうに食べてくださるので、ついついそのままにしていたのです」

「で、では、私もリュックを担ぐぞ」

「いいえ、王子様。そのようにはされないでください。折角の馬車が」

「そうか。そうだな。私がメルケエルにライバル心を抱くのは間違っている。何でも彼のようにできなければならないと思うのも間違っているのかもしれない。いくらそっくりでも、違う人間なのだからな」


ダネルには、どう答えれば良いのかわからなかった。


メルケエルもジョブスも戸惑うことが多かったが、一年に三度、ひと月の入れ替りはスムーズに行れた。背丈も延びたが見かけに差異はなく、入れ替わることで二人は驚くほど人間的な成長を見せた。三年経つ頃には、互いに入れ替わることを楽しみに感じるようになった。


「メル、お水を組汲んできて貰える」

「お母さん、お水ならもう汲んできたよ」

「まあ、気が利くわね。今日は兎肉のストゥよ」

「わあい。宮殿では出ないから楽しみにしていたんだ」

「あら、やだ。私ったらメルと間違えちゃった。ごめんなさい王子様」

「お母さん、僕はもうお母さん息子のつもりだよ」

「ふふふ、嬉しい。有り難う、メル」


ジョブス王子がこんなに懐いているように、メルケエルも寵妃に懐いてしまったかしら。そう思うと、邪魔してやりたいような落ち着かない気分になる。


その年のやがて入れ替わりのひと月が終える頃に戦争が起きた。メルケエルは十七歳になっていたから、軍事デビューとして最後尾に配属された。

広大な国を軍馬で戦地に赴く。重い甲冑を着こんで思うことは母親の安全だけだった。


(ダネル父さんがいるから大丈夫だ。ジョブス王子も私の母を守ってくれるだろう)


戦場で弓部隊や槍部隊と騎馬が入交り、血深泥の殺戮が行われた。

将軍と並ぶメルケエルの目には、神をも畏れぬ人間の恐ろしさが焼き付いた。そして、戦火はメルケエルの目の前まで迫り剣を抜いて敵軍に立ち向かうことになった。


「ジョブス、母上を頼むぞ。ダネル父さん、母上を頼む。イヴンゼリクス皇帝陛下、母上を頼みます。エルダヨの皆さん、母上を。神様、母上をどうかっ」


  祈りながら戦い血深泥になった。敵軍に国境付近まで追い込まれて息も絶えるかと思ったメルケエルに「あなたが第二王子でないことは存じております。二度と宮殿に戻らないと誓えばお命をお助け申す」と剣を喉元に突きつけられた。


「殺せ。私は第二王子ジョブスだ」

「いいえ、あなた様は私を知らない。でも私はあなた様の秘密を知っているのです。メルケエル第三王子様」

「違う。私は」

「では、私との約束を覚えておりますか」

「約束、な、何だったっけ。あまりにも凄まじい戦いだったから、何もかも忘れてしまった。済まん」

「ははは、どうやってもあなた様は偽物です。いいえ、理由はどうあれお助けしますよ。それを恩に思うのであれば私を殺さずにエルダヨの外れの家までお連れください。そうすれば何もかもお分かりになるでしょう」

「何故、エルダヨを」


メルケエルは傷の手当てをしてもらい、肩を貸してもらって半月後、エルダヨ付近の村に辿り着いた。


「ジョブス様」

「お、お前はっ」


第二王子と敵兵はがっしり抱き合って濃厚なキスをした。

異様な物音に家から出てきた母親が鎧を着た息子に「メルケエル、メルケエルなのっ」と叫ぶ。ダネルが道の向こうから走ってくる。


「母上……ダネル父さん」

「王子様」

「父さんっ」


敵兵は、第一王子軍の将軍の息子だった。第一王子と第二王子が聖女ヴーゥァレネを巡って争っているうちに、貴族の間に派閥ができた。それが退っ引きならない戦争にまで発展するとは第二王子も予想できなかったことだ。

しかし第二王子は聖女ヴーゥァレネよりも大切に思う相手ができて、その相手をこっそり村に呼び出すつもりだった。が、いきなり始まった戦火に紛れて連絡が取れずにいたのだ。


「連絡などくださらなくても参るつもりでした。あの約束を果たして頂くために」

「生きていてくれて良かった。皆さん、私は第二王子の位を捨てます。そしてこの者と一緒になります」

「まあっ、まあっ、まあっ。息子が三人になったわ」



暫くして、第一王子が謀反を起こし処刑された。それでもジョブスは宮殿に戻らずにメルケエルの実家を増築して仲良く暮らしていた。

今ではノーベスラウナから時々豪華な馬車が焼き物を買い付けに来る。その馬車には皇帝の寵妃が乗っており、親子の会話を楽しむのだ。


ほんの暫く後にあるひとりの英雄が新皇帝として即位すると、前皇帝と寵妃はノーベスラウナのエルダヨの付近、イヴンゼリクス国境の領地で暮らすようになった。


「自分の息子たちが戦うとは思わなかったが、私も支持してくれる貴族のために血の繋がった兄弟と戦ったのだった。何と馬鹿げたことか。新皇帝には、兄弟同士で争うなら皇位継承権を消失させるように国法を改正させるつもりだ。兄弟婚も廃止だ」


ところで、イヴンゼリクスの影武者王子はどうなったか。この話には続きがあって、元第三王子メルケエルはイヴンゼリクス皇帝国の新皇帝マルベノの側近として宮殿に呼び戻されたが、両親と離れることを苦にして陶器職人の道を選んだ。

宮殿育ちのジョブスとメルケエルの造る陶器は、気品がありつつも斬新で、発展していく都市エルダヨだけでなく、故郷イヴンゼリクス皇帝国の貴族からもどっさり注文が来るようになった。

これが世界に名だたるジョブス&メルケエル陶器会社発祥の物語。命あっての物種よ、めでたしめでたし。

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