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2 誘拐
しおりを挟む「できる」
即座に彼は断言する。
「お前はすべてあきらめて、無力感に打ちひしがれるだけだろうがな」
横目で私を見ながら言い、彼は舟の端へと移動する。
「先週、この周辺で地震があっただろう。封印する儀式があれば呼び起こす儀式もある、そう思わないか」
ある予感が、頭に浮かんだ。
「あ……。まさか」
私も彼を追って、舟の上から下界をみおろす。
国全体に巨大な魔法の円陣が描かれている。それが紫色に発光していた。
「住民どもの魔力を媒介に、怪物を呼び覚ます」
少年は言い、両手の中指以外をむかいわせるおかしな印をむすぶ。
すると暗雲がたちこめ、風が強くなる。舟が揺らぎ、私の心臓も恐怖ですさまじく荒れた。
「実にいい。俺の力は悲しみを根源とする」
海が暴れはじめ、津波へと変わる。
堤防を破壊し、川を逆流する。水面が信じられないほど大きくふくれあがる。怪物が来る。
大きな黒い体。あらゆる海洋生物を取りこんだかのように異様な形状をしている。まさに海の神、というべき人外の出で立ちだった。
はじめは離れたところにいた。だが一歩が大きく、あっという間にサヴェリは岸へとたどりつく。
神、というのは本来人間が関与できない超常的で圧倒的な力のことを言うのだ、という話を思い出した。そのとおりで、サヴェリは私たちの信仰する神、あるいは期待していたものとはちがい海岸から城壁まで、あらゆるものを破壊し踏みつぶし始めた。
風が冷たく吹きすさぶ。空からは、国民たちが束になって逃げまどう姿が目のあまり良くない私にもはっきり見える。
父さんと母さんは、どうなってしまったかな。まず考えたのはそれだった。
まさか、私が助かるなんて。もう死ぬしかないと思っていた。こんなことが起きるなんて予測できるはずもない。
もしまだ両親が生きているなら、会いたい。だけどそんなことが許されるのだろうか。
責務(せきむ)を果たせなかった私にはそんな資格がないし、うらまれているかも……
それに……絶望は、さらに大きな絶望によってぬりかえられた。この少年の手によって……
「お前にもう用はない。家族のもとでもどこへでも行くんだな」
冷たい声で、その彼は言う。すでに視線はサヴェリのほうだけを見ている。サヴェリが嵐と共に国をいままさに破壊しようとするさまを。
「帰る場所なんて……もうないよ。家族も……なにもできなかった私は、どんな顔して会えばいいか……」
生きていたとしても、役割を果たせなかった私には会わせる顔がない。
「いい悲しみだ」
彼はこちらを一瞥(いちべつ)し、心地よさそうに述べる。
そうしてまた怪物に目をもどすと、彼は目を見開き叫んだ。
「おお……! あれは……まさか」
息を呑み、心底驚愕している様子で、「三大秘宝のひとつ……ホロウクラウン」と風のなかつぶやく。
私もしずかに流れる涙をぬぐいながらサヴェリ様を見たが、それらしきものは見つけられない。
「秘宝……? どこにそんなものが?」
「やつの体内のなかだ。なるほど、伝説では海底にしずんだとなっていた……あながち間違いではなかったのか」
彼は怪物の体内にあるものがまるで見えているように言う。
だが私の知りうるあらゆる常識の外にいる彼には、そんなことも不可能ではないのかもしれない、と思い始めていた。
「手にした者は全知全能の神に等しい力を手に入れると言う」
そう、教えてくれる。定かではないようだが本当ならだれもあの怪物に太刀打ちできないのは無理もないわけだ。
「俺ならば……ただしく使うことができる。あの怪物よりも」
不穏な言葉を口にして、彼は荒れ狂う風を受けながら舟から飛び降りる。
その光景も衝撃だったが、下をのぞきこむと少年は怪物の鼻の上に着地しており、さらにおどろかされる。
青色の数珠(じゅず)を自分の顔の前にかまえ、なにか呪文のように口にする。すると彼の周りから闇と水のまざったような、怨念(おんねん)のこもったような負の空気が発現する。
それを見ているだけで吐き気をもよおしてくるような醜悪(しゅうあく)な魔法であるのを直感で感じ取った。おそろしい。彼のまとうものからは、悲しみや怒り、恨みといったものの呪いの叫びがまさしく聞こえてくるのである。
怪物の肉体をそれら念が覆(おお)いつつみ、皮膚のなかに染みこんでいく。怪物はもがき苦しんだ後全身の体中から血液を噴出させ、少年の立っていた顔のあたりは重力が変わったかのように急激にへこみ、そこに亀裂が走り王国の守り神にして死の怪物の四肢は、八方に爆散した。
本来の質量から考えるとごくわずかなサヴェリだったものの破片。それとともに、少年は落下していく。
すると、舟にも異変が起こった。だれも操作していないのに、ひとりでに下降していくのである。燃料切れかと焦ったが、どちらかというとなにかに呼び寄せられるかのようにゆっくりと斜めに移動していた。
そのさきは、少年の落ちた辺りである。彼がそうさせている。もはや確信さえした。
船の上から街を見たが人の姿は見つけられない。いや、もし知り合いのだれかが私を見たらどういうんだろう。それを思うとなんとも言えない異なる暗い気持ち二つが心中で入り混じった。
船はくずれた大聖堂のあたりに突っ込み、乱暴に着地した。煙のなかはいあがると、瓦礫の山に人が立っているのを見た。
あの少年が、勝ち誇るような態度、恍惚(こうこつ)とした目で手中のクラウンをながめていた。
あれが秘宝、とやらなのだろうか。王冠にしては、不思議なデザインをしている。まるでおとぎ話の要請がつけていそうな冠だ。
「よろこべあわれな女。冥土(めいど)のみやげに神が誕生する瞬間を見せてやる。……まあ力の余波で貴様は死ぬだろうがな。せめてもの報いというものだ」
少年はすすだらけになった私を見下ろして言う。
「お前は……似ていたからな」
「似ていたって、だれに?」
なかば投げやりに返事を返す。
「同じ目をしたやつに会ったことがある。むかつくから殺したがな」
彼の声と、ときどき壁がくずれたり破片が転がるような音がする以外は、ほかにほとんどなにも聞こえてこない。ほかの民はどうなったのだろう。
思い出せば、みな、私を避けていた。イケニエに決まってからは。向こうも、気まずかったのだろう。でもそれまでは良好とまではいかなくともそれなりに付き合いのあった人たちだ。やはり心配にもなる。
「そこまでだ」
崩壊した教会に、だれかの低い声が響く。
そちらを見ると長身で髪をうしろに逆なでにおろした男が、少年に向かって銃をかまえていた。
そして、まばたきした時にはもう銀色の大きな拳銃から銃弾がはなたれていた。
目の冷たい――私を閉じ込めていた兵士たちと同じ、闘争の世界に身を置く人間のそれをしていた。この人のものは、さらにそれより深く暗い。
しかし兵士とは恰好がちがう。コートを着て、どこかの検察官のようないで立ちだった。しゃべりかたも、この国の人間でもなさそうだ。
謎の訪問者だが、彼が少年を止めに来たことはわかった。
本当にあの少年がこれから成すことが叶うのなら、だれかが止めなければ世界は終わるのかもしれない。それを止めるための力、あるいは存在そのものという気がした。
「もう遅い。すべてを終わらせる」
銃弾が届くより先に、少年は王冠をそのちいさな頭の上にかかげる。
まばゆい青色の光がそこから放たれ辺りを照らし、私は目を手でおおう。
が、予期しないことがおきた。怪物の死骸、おそらく頭部にあたるであろうものの上に少年は立っていたためにガレキの足場がくずれると、そのままうしろに倒れていった。
光が強すぎて見えなかったが、少年は王冠を身に着けていたように思う。全知全能の神とはなんなのか、そしてあの破壊を人生の最上の目的とする彼がそうなってしまったらどうなるのか、恐怖で体がすくんだ。
「最悪の……破壊の神が生まれやがった……!」
憎々しそうにコートの男が言う。少年はバランスを崩して姿を消したので、彼の銃弾が当たったかはわからない。しかしこの男の人の反応を見るに手ごたえはなかったのだろう。
崩れて背の低くなったガレキの山に、幼く短い手が這(は)い伸びる。
ついに少年、あるいは全知全能の存在が姿をあらわさんとする。
「……ふにゃ……?」
目を丸めて、赤ん坊のようにつぶらな瞳でこちらを見つめてくる。
姿は少年のままだが、前とはあきらかになにかがちがっていた。それも、私たちの予想とはまったくちがう風に。
「え……あなたたち、だぁれ……?」
幼児のように首をかしげて、不思議そうに少年は言う。口元に指をあてて、以前とは様子が変わっている。
私の後方にいるコートの男も、言葉をうしなっているようだった。
少年の演技か悪ふざけか、とも思ったが、少年がおぼつかない動きで瓦礫の山からこちらに転がっておりてきたのを見て、本当に異変が起きたのだと確信した。
あの少年と一緒にいて、すでにわかっていることもある。すこし前の彼からはまるで子供のような態度やしぐさを見受けることがなかった。殺伐としていて、疲れ切った大人のようだった。それが今はどうだろう。
「えっと……どうしたんですか? 全知全能になったんだよね……?」
転がって落ちて来て混乱している様子だったので、恐怖をかかえながらも私はつい心配して声をかけてしまった。
「ぜんち……? それが僕の名前……?」
力のない表情でそう問いかけてくる。前とは違い、まるで純粋さのかたまりのような人間になっていた。
あまりに変わりすぎている。落ちた時に頭でも打ったのか、それともクラウンという秘宝の影響なんだろうか。
「もしかして……記憶喪失……?」
つぶやくと、少年はこちらをじっと見つめる。
「あなたは、僕のしりあい?」
きかれて私はとまどう。知り合いと言えば、そうかもしれないけど……
「もしかして……おねえちゃん?」
きゅむきゅむと音が鳴りそうなたどたどしい足取りで、少年が近づいてくる。なにをされるのかと私は後ずさったが、彼は私のそばにひっついてそでを引っ張ってくるばかりだった。
こちらの顔を見上げて、目をきらきらさせている。混乱しすぎて、答えにつまる。
「え、えっと」
「答えを教えてやる。お前は、存在してはいけない者だ」
私の後ろで――さきほどよりもすぐ近くから、男のささやく声がした。
「ふぇ?」
口を開ける少年の顔に、カチャリと音を立てて銃口が向けられる。
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