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3.1000年の眠りから 前編

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「……さて、ここでひとつ、とある少年の話をしようか。

 この世界にもね、まだ倫理観を大事にしていた時代があったんだよ。個人を尊重し、人格を持つことの許される時代がね。僕が今から話すのは、そんな時代に生きていた――いや、厳密に言うと『今も生きている』んだけど、そこはまあ置いておいて。……とにかく、君が先程まで見ていた世界より大分昔に生きていた少年の話だよ。

 そうだね……その少年は確か、一七歳だったかな。特に人に誇れることのないような人生を生きていたけど、それでも彼は家族と一緒に日々を過ごせるだけで幸せだった。
 彼には母親と妹がいてね。父親は彼が幼い頃に蒸発してしまったんだとか。まったく、倫理観の残っている時代の話なのに、酷い話だよね?
 
 おっと、話が逸れそうだな。ごめんね、つい。
 で、彼にはその時まで本当に何も起きなかった。平凡で、平穏で、平坦な日々。それでもその時代には娯楽とかも色々あったわけだし、一応退屈せずに生きてはいられたのさ。

 でもね、ある日を境にすべてが一変した。……彼の体は、病魔に蝕まれていたのさ。
 最初は本人も全く気づかなかった。短時間の目眩が続くな、とか、息切れしやすくなったな、とかその程度だったらしいんだよ。それが延々と治まらないし、悪化していく一方になってようやく母親が無理矢理病院に連れて行ったんだ。そしたら医者はね、彼にこう言ったんだ。
 『君の病気は、現代科学で治せる方法が存在しない』ってね。
 その時代でも十分に科学技術は進んでいたんだよ。それなのに、彼の病気は治せないときた。
 僕も医療的な知識があるわけじゃないから、的確に病名で表すことはできないけど……確か、何もしないでもどんどん心臓の活動が緩やかになっていってしまう、そして最後には完全に停止してしまうっていう感じの病気じゃなかったかな。仕組みはよくわからないけど、心臓が動けば動くほど完全な心停止へのカウントダウンが進んでいくんだって。
 母親は泣き崩れて、それを盗み聞きしていた妹は部屋に割入ってきてしまった。本人は、呆然としていたようだよ。そりゃそうだよね、多分そんな話、僕が同じ立場で聞いたとしてもそうなると思うから。

 で、匙を投げたように見えた医者だけどね。ある程度はしっかりした医者だったんだろうね、ちゃんと彼が生きれる道も探してくれていた。
 それがね、『クライオニクス』。コールドスリープが人体を低温による仮死状態で眠らせて保存する技術なら、クライオニクスは『一旦完全に死亡が認められた後に』進展した技術で蘇生を行うというやり方だ。その時代ではコールドスリープの成功率はほぼ百パーセントだったのだけれど、彼の病の場合は中途半端に生かしておくとただただ心臓が弱っていくだけだったから、後者の方が確実だろうとは当時の医者の談だ。
 でも当然、莫大なお金がかかる。彼の家庭は片親だけだったから、負担はかなり大きかっただろうね。
 更にもっと問題があった。それは、家族が生きているうちにもう一度目覚められる保証もないってこと。
 まあ……人間の寿命ってせいぜい百年だろうから、母親とも会いたいなら五〇~六〇年以内に、妹とだけでよかったとしても、そうだな……八〇年が限界かな。つまり、その間に技術が彼の病を根本的に治療できるようになり、そして死んでいる彼を蘇生することが出来るようにならなければ、クライオニクスによって眠りについた時が、彼と家族の永遠の別れになる、ってことだね。
 これは彼らとその家族にとって、あまりにも大きすぎる問題だった。莫大な金が必要な上に、もう一度生きて会える保証もない。君たちは、こんな選択を迫られて最良の答えを出せるかい?

 結局、彼も家族も全てを未来に託すことに決めた。
 彼は愛する母親と妹、そして学校のクラスメイト達に見送られながら、クライオクニス用の装置に入っていった。そして、緩やかな冷気に包まれながら、ゆっくりと眠るように意識をなくしていった……。

 …………え? それで、彼がその後どうなったかって?
 最初に言ったろ、『今も生きている』って。そう、生きているんだよ。今もね。ああいや、でももっと正しく言えば『まだ死んでいる』んだけどさ、『今から肉体が蘇る』んだよ。

 ああ、ほら、そろそろ彼も目が覚める頃なんじゃない? 今、解凍作業と薬の投与が終わったみたいだからさ。
 じゃ、ここからは彼自身の話になるね。僕の長ったらしい語りはここまでにして、次はちゃんと生きている彼の話を聞いておいで――――」





 最初に聞こえたのは、空気の抜けていくような音だった。
 ぷしゅう……と言う音以外、何も耳に入ってこない。というか、まだ目が覚めているとも言い難い状態なのか、手足を動かすことはおろか瞼を持ち上げる力もない。
 だけど一分、二分と空気の抜ける音を聞いているうちに、頭の中だけは鮮明になってきた。

 俺の名前は神崎 春斗(かんざき はると)。一七の頃に、当時の医療では手も足も出ないような重い病にかかって、クライオニクスという方法で治療の出来るはずの今日までずっと眠っていた。
 ……眠っていた、というか多分死んでいたのかもしれない。そういえば、説明を聞いたときにそんな言い方をされたような気もする。もう記憶も曖昧だ。
 ……とにかく、こうやって俺の意識が鮮明になりつつあるということは、俺はちゃんと生きている、ということだ。
 ああ、俺がここに入ってからいったいどのくらい経ったんだろう……? まだ瞼が自分の力では開かなくて、周りの状況は把握できない。
 五〇年ぐらいだったらいいんだが、もし百年、二百年、千年なんて過ぎてしまっていたら、俺はどうしたら良いんだろう……? そんなに時間が経っていたら、母さんも春香も生きてはいないだろうし、俺はどこで何をどうやって生きればいいんだろう。……というか、もしもう人類がすっかり俺の知っているものと変わり果ててしまっていたら、どうしよう?
 考えれば考えるほど、不安は尽きない。……いいや、それでも俺は生き返って、目が覚めてしまったんだ。なんとかこの時代に適応していくしかない。
 そう思うしかないんだ、と反芻していたら、ガチャリ、と音がして、装置が僅かに揺れ出す。やがて、小さな駆動音とともに蓋が開いていく。
 ああ神様、できれば母さんと春香が生きている時代でありますように! もしそうじゃないのなら、人類がせめて俺の認識できる「人間」の形を留めていますように!
 まだ少しだけぼやけた頭で、ヤケクソに祈りながら俺は意を決したように目を大きく開いた。

「目覚めました」
 俺の視界に真っ先に映ったのは、黒髪に黒目の純日本人と言える、特に際だった個性もない男。手術用のガウンを纏っていること以外に、と特に説明できることもない。……だが、次に俺の視界に入ってきた奴の顔を見て、そして言葉を聞いて俺は驚愕する。
「おはようございます、No.000001。意識は鮮明ですか?」
 ――同じ顔だ・・・・
 二人並んでいる男たちは、どちらも寸分違わず顔の造形が同じなのだ。もしかすれば、声も髪型もほぼ同じかもしれない。
 それに……俺のことを「No.000001」だって!? 俺には「神崎 春斗」っていう名前があるのに、コイツはなんで人のことを実験体みたいに呼んでるんだ!?
 目覚めてすぐの不明瞭な頭では、その疑問をぶつける言葉を紡げない。絶句している俺に「意識は鮮明か」と問うた方の男はまた言葉をかける。
「私の声、聞こえていますか?」
 どうやら俺の返答がなければ次の話には進まないらしい。声を出そうとしたが長年使っていないせいか上手く出ない気がしたので、首を縦に振ることで肯定の意思を示すことにする。
「それはよかった。先程から表情筋もしっかり動いていますし、意識レベルは良好ですね」
 目の前の男が話している間に、彼の後ろを通る人影。それらも全て同じ顔に同じ身長で、同じ服を……。男の話す俺の状態などほぼ耳に入らないまま、俺は愕然としていた。
「貴方が蘇生されるまで、約1000年程度経ったと思っていただければ。世界はかなり様変わりしましたが、この世界は安定して回っています。この世界、場所は”現代における楽園(アルカディア)”と呼ばれています」
 1000年……。その言葉を聞いて、俺は何も反応することができなかった。そうか、それじゃあ母さんも春香も、もうとっくの昔に……。というか、俺を知っている人も誰も残っていないのか……。
 ……というか、俺自身が古代の遺物みたいなものなのか。化石とか、そんなレベルじゃないか? 色々考えれば考えるほど訳が分からなくなってくる。何の反応も返せず、呆然としている俺に男はさらに語りかける。
「ですが、そう……困ったことに、この世界では『個人の人格』というものは必要がなくて。ここで生まれ育った者はみな、楽園の一柱となるべく教育を施され、そして貢献するようになるのですが。正直な所、私達は貴方の扱いに倦ねています」
 起こしておいて「倦ねる」、困り果てているとは……と突っ込みたくなったが、それより先に何故か悪寒が走るのを感じた。
「ですので。貴方には、この世界をよりよくする為のサンプルになっていただきたい。今の人間が持たぬ感情の起伏や考え方、また1000年前の倫理観など、それらのデータを取る為の、サンプルとして。貴方を直接楽園に組み込むことは出来ませんが、知識や情報としては糧にしたいので」
 
 ――何を言っているんだコイツは。サンプル? 楽園に組み込む? 
 コイツら、確かに人の形をして俺の理解できる言語で喋ってはいるが、色々おかしい。色々というか、何もかも全てがおかしい。
 よくわからないが、俺はこのままここにいたら未来人の実験台にされる、という認識でいいのだろうか。……そのことをハッキリ頭で認識した瞬間、俺は反射的に装置の外へ飛び出していた。
 しかし、当然ながら長らく動かしていない脚や体が上手いこと動くはずもなく、装置のすぐ前でぐしゃりと倒れ込んでしまった。
 ――逃げなくては。でもどうやって?
 それに、例え逃げたとしても行き場がなければどうしようもない。どこに逃げる? というか、一一〇〇年後の世界の地理なんて知らない。逃げる場所なんて思いつかない。いやそもそも、思ったように手足を動かせない……!
 男と、もう一人全く同じ顔をした男が俺を両脇から掴みあげる。抵抗――しても、してないようなものと同じだ。

 ……嘘だろ。せっかく、目が覚めたのに。いや……俺はここで未来人のサンプルとして飼い殺されるためだけに、目覚めさせられただけなのか。だったら、あの時に母さんと春香に看取られて死んでいたほうがマシだった。
 母さんたちと俺の決断が、こんな最悪な形に結びついてしまうなんて……。
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