4 / 6
太陽の国編
第一話
しおりを挟む
窓から見える景色は、圧巻の一言に尽きた。
まさか、本当に鉄の塊が飛ぶとは。エリは隣でグロッキーになっているメリサを尻目に、その光景を目に焼き付けた。
ムーンアクトの国内では一切飛行機のようなものは飛んでいない。今では箒でのみ低空飛行を許可するという法も施行されており、移動自体にはそこまで困っているわけではないからだ。
しかし、それだけではなかった。近年では魔法によるテロが横行し、飛行機では格好の的になってしまう。東と西を隔てる広大な湖を渡る船でさえ、実力のある魔法使いを同伴させないと出航しない始末だ。
雲海を眺める日が来るなど、少し前までは一度も考えたことがなかった。キーンという耳の奥に響くような音は不快であったが、美しいこの光景を見ればだいぶ楽になる。
「しっかりしなさいよ」
「鼓膜がずっと痛い……。わはー、本当無理」
いつになくげんなりとした様子のメリサに水を渡すと、彼女はそれを力なく受け取った。とはいっても喉が渇いていたのだろう。あっという間に飲み干してしまった。
機内は静かだ。乗客もパースと、メリサとエリ、そして一部の生徒のみであった。あまり面識の無い生徒ばかりであったため話すことも特に無い。
元々、十年前までは一般に使用されていた乗り物のため随分と快適であった。現在では海外に行く人は一部の者のみである。言葉の通り、雲上人の待遇が良いのは当たり前だった。
力なくメリサが尋ねる。
「あとどれくらいで……着く?」
「あと五時間くらい……」
言いかけてエリは口を閉じた。メリサはとうとう力尽きたようだ。数字にショックを受けてこうなったのか、それとも単純に寝てしまったかどうかは計り兼ねた。
小さく微笑み、エリは薄い毛布をメリサの肩の辺りにかけた。
「おやすみ」
「着いたー!」
メリサはいっぱいに背伸びして、呼吸を整えた。まだ頭が圧迫されるような感覚があるが、さして問題では無い。
「では、皆さん。行きましょうか~」
パースは抑揚の無い調子で告げると、自ら先頭に立ち歩き始めた。その足取りはどこかおぼつかない。しかし、彼女の表情はいたって平然としている。察したようにエリはパースの横に歩み寄り、人に聞かれないように囁いた。
「パース学長。乗り物酔いですか?」
パースは頬を赤くし、一旦袖の辺りに手を伸ばした。が、その動作を止めてから呟いた。
「恥ずかしながら……。こればかりはどうしようもないですね」
国の代表として行くわけだ。粗相の無いようにしなければならない彼女は気丈に振舞う必要があった。
深呼吸をして、パースは一つため息を吐いた。一瞬の出来事であったが、まるで大きな変化が生じたように、彼女の顔色は良くなっていた。
「もう大丈夫です。心配をかけましたね」
そう言ったパースの穏やかな笑みは有無を言わせなかった。
その後、空港で荷物を受け取ったメリサは一目散に先頭へ駆けだした。一番早く、太陽の国というものを実感したかったのだろう。
入国ゲートの先は、まるで違う世界だった。人々が溢れかえり、活気に満ちた表情を携え、足早に過ぎ去っていく。見た目や服装こそ違うが、人々は満ちた瞳だった。
「凄い……。本当に来たんだ、私たち」
月の国で嗅いだことのないような不思議な香りがした。太陽の国は多民族だと聞いていた。しかし、ここまでの賑わいがあるとは思わなかった。
すると、パシャリという音と共に目の前が鋭い光に包まれた。何事かと思いメリサは思わず顔をしかめたが、すぐにその正体を悟った。
カメラだ。それも大勢の人々が同時にこちらに向けている。焚かれるフラッシュの数だけ頭が真っ白になった。
リポーターが興奮したような口調でまくしたてる。我先にと溢れかえる人の群れをものともしない頑健そうな男だった。
「今回の留学について、意気込みなどお言葉をぜひ!」
国際交流の一環だということがすっかり頭から抜け落ちていたメリサは狼狽えた。
「わはー! 恥ずかしい、助けてエリちゃん!」
エリの方へ慌てて駆け寄ったメリサはそのまま背後に隠れた。一方、リポーターにマイクを向けられたエリも困惑したように引いた笑みを浮かべている。
すると、パースが毅然と歩み寄ったことで、報道陣の注目はそちらに集まった。美人の彼女はきっとテレビで映えるだろう。
リポーターも思わず声を漏らした。
「なんと美しい……まるで女神のようです」
パースが口元をわずかに上げ、軽く手を振ると人々が歓声をあげた。太陽の国のあまりもの熱狂ぶりにメリサとエリは驚いたが、すぐに苦笑した。
歓迎ムードということには違いない。しかし、収まることのない群衆に彼女たちはかなりの足止めを食らうこととなった。
空港を出るとすぐさま豪華な車に乗せられ、そのまま都心部の方へと移動となった。その際、メリサとパースはすぐさまダウンしてしまい、今は寝ている。話し相手がいなくなり暇そうにしていると、無駄に声が大きな運転手が様々な話を聞かせてくれた。
なんでも都心部はビル群になっているらしく、飛行機が離着陸出来る場所が無いという。「都市はどんなところですか」と尋ねると、「どこもかしこもカラフルですよ!」とだけ大声を張り上げた。
どこへ向かっているのだろう、と思った。他の生徒たちはこれから都市近郊に存在する名門校に行くらしいが、自分たちはただ都市部へ向かうとだけしか伝えられていない。パースのお付きという目的も、飛行機の荷物の運び入れをした程度だ。それらしい仕事もしていない。
そんなことをぼんやりと考えていると、運転手が唐突に話しかけてきた。
「電脳都市『ライジング』。我々、太陽の国の人々にとっては象徴のような所です。きっと、驚きますよ!
何せ、私も初めて訪れた時は腰をぬかしましたから」
何が面白いのか、自分で笑い始めた。
「は、はぁ」
「あ、お嬢さんがた。そろそろ着きますよ」
そう言うと、目まぐるしい景色で酔わないように窓を覆っていた黒い幕が引かれた。
外の光景に目を奪われ、しばらくの間エリは時を忘れた。
なんて、なんて世界がこの世にはあったのだろうか。目の前に広がる世界は、あまりにも色めき、これまでの人生はモノクロだったのではないかとさえ思えた。
建ち並ぶビル。摩天楼が無限にそびえたち、まるで巨大な森を作っているかのようだった。それを囲む白いドーナツのような浮遊した建築物は道路のように見える。こちらの方にも一本通っている。
昼間にも関わらず輝いて見えるのは錯覚だろうか。否、太陽光が絶妙に反射し、都市全体を照らしているのだった。
思わずビルにステンドグラスでも敷き詰められているのかと思った矢先、パースが億劫そうに頭を持ち上げた。弱弱しく、呟く。
「あれは、ガラスにもともと色がついているわけでは、ありません。よく観察することもまた勉強です」
パースは再びぐったりとシートに身体を預けた。エリは言われた通り、じっくりと眺めると、色は一つの塔から放たれているということに気がついた。
どの建物より太陽に近く、どの建物にも属さない塔が天を穿っている。その先端に見えるダイヤ型の結晶がプリズムのような役割を果たしているのだろう。
すると、元気のなかったメリサもこの光景を一目見るために起き上がり窓から見上げた。
「綺麗……」
そう呟いたメリサの瞳に、かつての影は姿を消していた。純粋な、無垢な瞬きだった。
「えぇ。本当に……」
その後、何事もなく都心へと送られた彼女たちは着くなりまたもや衝撃を受けた。凄まじい人の数である。国土が広い割に人口が少ない月の国では、一斉に人が集まることはない。
過ぎ行く人々もまた多種多様であり、空港で見た時と同じであった。しかし、大半の人々はスーツに身を包み、無個性に、そして無感情を演じているようでどこか不気味だった。
三人は格好も髪の色も含めてかなり悪目立ちしていたが、人々はちらりと視線を滑らせるだけにとどめている。
すると、パースはそんな状況に構うことなく、「行きましょう」と囁いた。彼女はまるで馴染みの通りを歩くように進むと、あっという間に塔の真下にまで辿り着いてしまった。
メリサは自らの動悸の高まりを感じた。期待や希望で胸がはち切れそうだった。
「この塔ですか」
エリが至って冷静な口調でそう呟くと、パースが笑みを浮かべる。
「ご不満ですか~?」
「いえ、滅相もないです。むしろ、凄く楽しみです」
嘘偽りのない正直な気持ちを述べると、パースは満足そうに頷いた。そして、自身の腕時計を一瞥すると、目の前に建つ巨大な塔を仰いだ。
「……現地時間的にもそろそろでしょうか」
不意にパースは杖をとりだし、荷物持ちをしていたメリサに自分のキャリーバックを渡すように伝えた。メリサが不思議に思いながら渡すと、パースはそれを軽々と持ち上げると宙へ放った。
「えぇ!」
呆気にとられ、二人は素っ頓狂な声をあげた。
「月の魔法を見せてくれと約束されていましたから~」
パースが杖で軽く薙ぐと、彗星のごとく青白く閃いた。
まず初めにパースの体がふわりと空を舞うと、キャリーバックを含める周辺のものが同じようにふわふわと浮かび始めた。メリサ達もその例外でなく、突然足が地に届かなくなった。
「うわわ……」
メリサが情けない声を上げると、空中でエリに腕を掴まれた。足も着かないような不安定な状態にも関わらず、彼女はかなり自在に動いていた。
「月光魔法《空転》よ! こんな広範囲で発動するなんて……」
三大魔法にはそれぞれ性質がある。太陽の陽光魔法ならば『増幅』、大地のツクモと呼ばれる魔法形態ならば『干渉』。そして、月光魔法は『反転』させる性質を有している。
パースが発動した魔法は、自分たちにかかる重力という概念ごと捻じ曲げる強大なものだった。
「なんでこんな派手なことを……」
重力という枷を失った彼女たちは風船のように宙を漂い続けている。エリが疑問符を浮かべ続ける中、パースは少し眉をあげると柔らかな表情を浮かべた。
「初めましてですね、ゼロ」
そう呟いたパースの真意が読み取れず、思わずエリは怪訝そうに眉をひそめた。しかし、その数秒後に意味を理解することとなった。
都市の象徴である塔が一瞬、雷が駆け巡ったように光を放った。そのタイミングに合わせたかのように、辺りの空気が重々しくなる気配が立ち込めた。そして、まるで煙が空気に溶け込む刹那を逆再生するかのように何もない空間から、ゆっくりと人の姿が現れた。突拍子もない出来事にエリだけでなく、メリサまでもが目を丸くする。
鼻筋の通っている端正な顔立ちをした、爽やかな印象の男だった。澄み切った淡い空色の瞳はどこか達観している。若そうな出で立ちではあったが、年齢がいまいち読み取れず、底知れない妖しさを秘めていた。
そもそも魔法による無重力状態、さも当然かのように静止しているので只者では無いことはすぐに理解出来た。
第一声は、軽やかな調子の挨拶だった。
「やぁ、パース。初めましてだね」
まさか、本当に鉄の塊が飛ぶとは。エリは隣でグロッキーになっているメリサを尻目に、その光景を目に焼き付けた。
ムーンアクトの国内では一切飛行機のようなものは飛んでいない。今では箒でのみ低空飛行を許可するという法も施行されており、移動自体にはそこまで困っているわけではないからだ。
しかし、それだけではなかった。近年では魔法によるテロが横行し、飛行機では格好の的になってしまう。東と西を隔てる広大な湖を渡る船でさえ、実力のある魔法使いを同伴させないと出航しない始末だ。
雲海を眺める日が来るなど、少し前までは一度も考えたことがなかった。キーンという耳の奥に響くような音は不快であったが、美しいこの光景を見ればだいぶ楽になる。
「しっかりしなさいよ」
「鼓膜がずっと痛い……。わはー、本当無理」
いつになくげんなりとした様子のメリサに水を渡すと、彼女はそれを力なく受け取った。とはいっても喉が渇いていたのだろう。あっという間に飲み干してしまった。
機内は静かだ。乗客もパースと、メリサとエリ、そして一部の生徒のみであった。あまり面識の無い生徒ばかりであったため話すことも特に無い。
元々、十年前までは一般に使用されていた乗り物のため随分と快適であった。現在では海外に行く人は一部の者のみである。言葉の通り、雲上人の待遇が良いのは当たり前だった。
力なくメリサが尋ねる。
「あとどれくらいで……着く?」
「あと五時間くらい……」
言いかけてエリは口を閉じた。メリサはとうとう力尽きたようだ。数字にショックを受けてこうなったのか、それとも単純に寝てしまったかどうかは計り兼ねた。
小さく微笑み、エリは薄い毛布をメリサの肩の辺りにかけた。
「おやすみ」
「着いたー!」
メリサはいっぱいに背伸びして、呼吸を整えた。まだ頭が圧迫されるような感覚があるが、さして問題では無い。
「では、皆さん。行きましょうか~」
パースは抑揚の無い調子で告げると、自ら先頭に立ち歩き始めた。その足取りはどこかおぼつかない。しかし、彼女の表情はいたって平然としている。察したようにエリはパースの横に歩み寄り、人に聞かれないように囁いた。
「パース学長。乗り物酔いですか?」
パースは頬を赤くし、一旦袖の辺りに手を伸ばした。が、その動作を止めてから呟いた。
「恥ずかしながら……。こればかりはどうしようもないですね」
国の代表として行くわけだ。粗相の無いようにしなければならない彼女は気丈に振舞う必要があった。
深呼吸をして、パースは一つため息を吐いた。一瞬の出来事であったが、まるで大きな変化が生じたように、彼女の顔色は良くなっていた。
「もう大丈夫です。心配をかけましたね」
そう言ったパースの穏やかな笑みは有無を言わせなかった。
その後、空港で荷物を受け取ったメリサは一目散に先頭へ駆けだした。一番早く、太陽の国というものを実感したかったのだろう。
入国ゲートの先は、まるで違う世界だった。人々が溢れかえり、活気に満ちた表情を携え、足早に過ぎ去っていく。見た目や服装こそ違うが、人々は満ちた瞳だった。
「凄い……。本当に来たんだ、私たち」
月の国で嗅いだことのないような不思議な香りがした。太陽の国は多民族だと聞いていた。しかし、ここまでの賑わいがあるとは思わなかった。
すると、パシャリという音と共に目の前が鋭い光に包まれた。何事かと思いメリサは思わず顔をしかめたが、すぐにその正体を悟った。
カメラだ。それも大勢の人々が同時にこちらに向けている。焚かれるフラッシュの数だけ頭が真っ白になった。
リポーターが興奮したような口調でまくしたてる。我先にと溢れかえる人の群れをものともしない頑健そうな男だった。
「今回の留学について、意気込みなどお言葉をぜひ!」
国際交流の一環だということがすっかり頭から抜け落ちていたメリサは狼狽えた。
「わはー! 恥ずかしい、助けてエリちゃん!」
エリの方へ慌てて駆け寄ったメリサはそのまま背後に隠れた。一方、リポーターにマイクを向けられたエリも困惑したように引いた笑みを浮かべている。
すると、パースが毅然と歩み寄ったことで、報道陣の注目はそちらに集まった。美人の彼女はきっとテレビで映えるだろう。
リポーターも思わず声を漏らした。
「なんと美しい……まるで女神のようです」
パースが口元をわずかに上げ、軽く手を振ると人々が歓声をあげた。太陽の国のあまりもの熱狂ぶりにメリサとエリは驚いたが、すぐに苦笑した。
歓迎ムードということには違いない。しかし、収まることのない群衆に彼女たちはかなりの足止めを食らうこととなった。
空港を出るとすぐさま豪華な車に乗せられ、そのまま都心部の方へと移動となった。その際、メリサとパースはすぐさまダウンしてしまい、今は寝ている。話し相手がいなくなり暇そうにしていると、無駄に声が大きな運転手が様々な話を聞かせてくれた。
なんでも都心部はビル群になっているらしく、飛行機が離着陸出来る場所が無いという。「都市はどんなところですか」と尋ねると、「どこもかしこもカラフルですよ!」とだけ大声を張り上げた。
どこへ向かっているのだろう、と思った。他の生徒たちはこれから都市近郊に存在する名門校に行くらしいが、自分たちはただ都市部へ向かうとだけしか伝えられていない。パースのお付きという目的も、飛行機の荷物の運び入れをした程度だ。それらしい仕事もしていない。
そんなことをぼんやりと考えていると、運転手が唐突に話しかけてきた。
「電脳都市『ライジング』。我々、太陽の国の人々にとっては象徴のような所です。きっと、驚きますよ!
何せ、私も初めて訪れた時は腰をぬかしましたから」
何が面白いのか、自分で笑い始めた。
「は、はぁ」
「あ、お嬢さんがた。そろそろ着きますよ」
そう言うと、目まぐるしい景色で酔わないように窓を覆っていた黒い幕が引かれた。
外の光景に目を奪われ、しばらくの間エリは時を忘れた。
なんて、なんて世界がこの世にはあったのだろうか。目の前に広がる世界は、あまりにも色めき、これまでの人生はモノクロだったのではないかとさえ思えた。
建ち並ぶビル。摩天楼が無限にそびえたち、まるで巨大な森を作っているかのようだった。それを囲む白いドーナツのような浮遊した建築物は道路のように見える。こちらの方にも一本通っている。
昼間にも関わらず輝いて見えるのは錯覚だろうか。否、太陽光が絶妙に反射し、都市全体を照らしているのだった。
思わずビルにステンドグラスでも敷き詰められているのかと思った矢先、パースが億劫そうに頭を持ち上げた。弱弱しく、呟く。
「あれは、ガラスにもともと色がついているわけでは、ありません。よく観察することもまた勉強です」
パースは再びぐったりとシートに身体を預けた。エリは言われた通り、じっくりと眺めると、色は一つの塔から放たれているということに気がついた。
どの建物より太陽に近く、どの建物にも属さない塔が天を穿っている。その先端に見えるダイヤ型の結晶がプリズムのような役割を果たしているのだろう。
すると、元気のなかったメリサもこの光景を一目見るために起き上がり窓から見上げた。
「綺麗……」
そう呟いたメリサの瞳に、かつての影は姿を消していた。純粋な、無垢な瞬きだった。
「えぇ。本当に……」
その後、何事もなく都心へと送られた彼女たちは着くなりまたもや衝撃を受けた。凄まじい人の数である。国土が広い割に人口が少ない月の国では、一斉に人が集まることはない。
過ぎ行く人々もまた多種多様であり、空港で見た時と同じであった。しかし、大半の人々はスーツに身を包み、無個性に、そして無感情を演じているようでどこか不気味だった。
三人は格好も髪の色も含めてかなり悪目立ちしていたが、人々はちらりと視線を滑らせるだけにとどめている。
すると、パースはそんな状況に構うことなく、「行きましょう」と囁いた。彼女はまるで馴染みの通りを歩くように進むと、あっという間に塔の真下にまで辿り着いてしまった。
メリサは自らの動悸の高まりを感じた。期待や希望で胸がはち切れそうだった。
「この塔ですか」
エリが至って冷静な口調でそう呟くと、パースが笑みを浮かべる。
「ご不満ですか~?」
「いえ、滅相もないです。むしろ、凄く楽しみです」
嘘偽りのない正直な気持ちを述べると、パースは満足そうに頷いた。そして、自身の腕時計を一瞥すると、目の前に建つ巨大な塔を仰いだ。
「……現地時間的にもそろそろでしょうか」
不意にパースは杖をとりだし、荷物持ちをしていたメリサに自分のキャリーバックを渡すように伝えた。メリサが不思議に思いながら渡すと、パースはそれを軽々と持ち上げると宙へ放った。
「えぇ!」
呆気にとられ、二人は素っ頓狂な声をあげた。
「月の魔法を見せてくれと約束されていましたから~」
パースが杖で軽く薙ぐと、彗星のごとく青白く閃いた。
まず初めにパースの体がふわりと空を舞うと、キャリーバックを含める周辺のものが同じようにふわふわと浮かび始めた。メリサ達もその例外でなく、突然足が地に届かなくなった。
「うわわ……」
メリサが情けない声を上げると、空中でエリに腕を掴まれた。足も着かないような不安定な状態にも関わらず、彼女はかなり自在に動いていた。
「月光魔法《空転》よ! こんな広範囲で発動するなんて……」
三大魔法にはそれぞれ性質がある。太陽の陽光魔法ならば『増幅』、大地のツクモと呼ばれる魔法形態ならば『干渉』。そして、月光魔法は『反転』させる性質を有している。
パースが発動した魔法は、自分たちにかかる重力という概念ごと捻じ曲げる強大なものだった。
「なんでこんな派手なことを……」
重力という枷を失った彼女たちは風船のように宙を漂い続けている。エリが疑問符を浮かべ続ける中、パースは少し眉をあげると柔らかな表情を浮かべた。
「初めましてですね、ゼロ」
そう呟いたパースの真意が読み取れず、思わずエリは怪訝そうに眉をひそめた。しかし、その数秒後に意味を理解することとなった。
都市の象徴である塔が一瞬、雷が駆け巡ったように光を放った。そのタイミングに合わせたかのように、辺りの空気が重々しくなる気配が立ち込めた。そして、まるで煙が空気に溶け込む刹那を逆再生するかのように何もない空間から、ゆっくりと人の姿が現れた。突拍子もない出来事にエリだけでなく、メリサまでもが目を丸くする。
鼻筋の通っている端正な顔立ちをした、爽やかな印象の男だった。澄み切った淡い空色の瞳はどこか達観している。若そうな出で立ちではあったが、年齢がいまいち読み取れず、底知れない妖しさを秘めていた。
そもそも魔法による無重力状態、さも当然かのように静止しているので只者では無いことはすぐに理解出来た。
第一声は、軽やかな調子の挨拶だった。
「やぁ、パース。初めましてだね」
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説

いっとう愚かで、惨めで、哀れな末路を辿るはずだった令嬢の矜持
空月
ファンタジー
古くからの名家、貴き血を継ぐローゼンベルグ家――その末子、一人娘として生まれたカトレア・ローゼンベルグは、幼い頃からの婚約者に婚約破棄され、遠方の別荘へと療養の名目で送られた。
その道中に惨めに死ぬはずだった未来を、突然現れた『バグ』によって回避して、ただの『カトレア』として生きていく話。
※悪役令嬢で婚約破棄物ですが、ざまぁもスッキリもありません。
※以前投稿していた「いっとう愚かで惨めで哀れだった令嬢の果て」改稿版です。文章量が1.5倍くらいに増えています。
私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜
月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。
だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。
「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。
私は心を捨てたのに。
あなたはいきなり許しを乞うてきた。
そして優しくしてくるようになった。
ーー私が想いを捨てた後で。
どうして今更なのですかーー。
*この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?
みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。
ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる
色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

婚約者が私以外の人と勝手に結婚したので黙って逃げてやりました〜某国の王子と珍獣ミミルキーを愛でます〜
平川
恋愛
侯爵家の莫大な借金を黒字に塗り替え事業を成功させ続ける才女コリーン。
だが愛する婚約者の為にと寝る間を惜しむほど侯爵家を支えてきたのにも関わらず知らぬ間に裏切られた彼女は一人、誰にも何も告げずに屋敷を飛び出した。
流れ流れて辿り着いたのは獣人が治めるバムダ王国。珍獣ミミルキーが生息するマサラヤマン島でこの国の第一王子ウィンダムに偶然出会い、強引に王宮に連れ去られミミルキーの生態調査に参加する事に!?
魔法使いのウィンロードである王子に溺愛され珍獣に癒されたコリーンは少しずつ自分を取り戻していく。
そして追い掛けて来た元婚約者に対して少女であった彼女が最後に出した答えとは…?
完結済全6話

もう死んでしまった私へ
ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。
幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか?
今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!!
ゆるゆる設定です。
「不細工なお前とは婚約破棄したい」と言ってみたら、秒で破棄されました。
桜乃
ファンタジー
ロイ王子の婚約者は、不細工と言われているテレーゼ・ハイウォール公爵令嬢。彼女からの愛を確かめたくて、思ってもいない事を言ってしまう。
「不細工なお前とは婚約破棄したい」
この一言が重要な言葉だなんて思いもよらずに。
※約4000文字のショートショートです。11/21に完結いたします。
※1回の投稿文字数は少な目です。
※前半と後半はストーリーの雰囲気が変わります。
表紙は「かんたん表紙メーカー2」にて作成いたしました。
❇❇❇❇❇❇❇❇❇
2024年10月追記
お読みいただき、ありがとうございます。
こちらの作品は完結しておりますが、10月20日より「番外編 バストリー・アルマンの事情」を追加投稿致しますので、一旦、表記が連載中になります。ご了承ください。
1ページの文字数は少な目です。
約4500文字程度の番外編です。
バストリー・アルマンって誰やねん……という読者様のお声が聞こえてきそう……(;´∀`)
ロイ王子の側近です。(←言っちゃう作者 笑)
※番外編投稿後は完結表記に致します。再び、番外編等を投稿する際には連載表記となりますこと、ご容赦いただけますと幸いです。

婚約破棄されたら魔法が解けました
かな
恋愛
「クロエ・ベネット。お前との婚約は破棄する。」
それは学園の卒業パーティーでのこと。
……やっぱり、ダメだったんだ。
周りがザワザワと騒ぎ出す中、ただ1人『クロエ・ベネット』だけは冷静に事実を受け止めていた。乙女ゲームの世界に転生してから10年。国外追放を回避する為に、そして后妃となる為に努力し続けて来たその時間が無駄になった瞬間でもあった。そんな彼女に追い打ちをかけるかのように、第一王子であるエドワード・ホワイトは聖女を新たな婚約者とすることを発表する。その後はトントン拍子にことが運び、冤罪をかけられ、ゲームのシナリオ通り国外追放。そして、国外へと運ばれている途中に魔物に襲われて死ぬ。……そんな運命を辿るはずだった。
「こんなことなら、転生なんてしたくなかった。元の世界に戻りたい……」
あろうことか、最後の願いとしてそう思った瞬間に、全身が光り出したのだ。そして気がつくと、なんと前世の姿に戻っていた!しかもそれを第二王子であるアルベルトに見られていて……。
「……まさかこんなことになるなんてね。……それでどうする?あの2人復讐でもしちゃう?今の君なら、それができるよ。」
死を覚悟した絶望から転生特典を得た主人公の大逆転溺愛ラブストーリー!
※毎週土曜日の18時+気ままに投稿中
※プロットなしで書いているので辻褄合わせの為に後から修正することがあります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる