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『始まりの日』-2-
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意味がわからず、微妙な間が出来ると、流れを変えるようにパースがこほんと呟いた。そして、唐突に袖から杖を取り出すと、目の前に弧を描くように振って見せた。先端に粘液のような膜が纏わりつき、徐々に光を帯びていく。
小さな光の粒たちが一斉に跳ね返り、輝いた。それはあっというまに薄い紙のような形になり、パースに掴まれ、実体化した。
「どうでしょうか~、交換留学です。私の自作ポスターですよ。自信作ですから見てください」
広げられたポスターを眺めると、エリとメリサの二人は一斉に顔をしかめた。お世辞にも上手いとは言えない絵であった。クマのような生物が他大陸を指さしている。
「初等部の子に書かせたんですか?」
正直にそう言ったメリサの頭を軽くはたき、エリが世辞を加えるように喋る。
「えーと、あの私は凄く良いと思います。あの、こう……いいと思います」
すぐに言うことがなくなり、口を開くのを断念したエリを見届けると、くすくすとパースが笑い始めた。
「冗談ですよ~、冗談。ジョークです。本当はこちらです」
そう言って、懐から何の工夫もなく取り出されたのは簡素な書類だった。皺ひとつないそれらを受け取ったエリは、素早く目を通した。内容は、海外に行くにあたっての、同意書のようなものだった。仮に怪我をしてもというものから死亡、それに保険に関するものも目についた。同じ書類が何枚分か見える。
「これって……」
言いかけたエリを制するように、唇に人差し指を立てた。
「それは、同行者のための書類です」
「同行者?」
「ええ。要は、私のお付きですね。準備の時間も必要でしょうし早めに声をかけたのです」
この瞬間、突然溢れてきたように実感が湧いてきて、メリサは思わず身震いした。
自分が、他の国に……。
メリサが呆けたように笑みを浮かべる中、エリは冷静に思考していた。
「しかし、なぜ私たちなのでしょうか。もっと、強い生徒はたくさん……」
「お付きですからね。私の趣味でしょうか~」
あっさりとそう言い切ったパースに対し、「はぁ」と適当に相槌を打つほかなかった。そして、「それに……」と加えて話し始めた。
「正直、私の方の仕事に付いてきてもらうだけなので、あまり楽しくないかもしれませんね。しかし、それだけ他の人と違う体験が出来て有意義だと思いますが、どうでしょう。私が一人で仕事するときには、勝手に街で遊んでもらっていても構いませんよ」
この人は最初から、私たちが断ることを考えていない。そう思った、エリが視線を投げると、潤んだ目でこちらを見ていた。
やはり、本当は行きたかったのだろう。今まで押し隠していた気持ちが一気に氾濫し、決壊したようだった。少し頬も紅潮している。
そう、断る理由などどこにもないのだ。彼女が望んだ、海外を見るまたとない機会が目の前に落ちているのだ。
メリサが何度も何度も頷く。火照ったような、幸せそうな表情だった。
「行きます。絶対、行きます! 行かせてください!」
パースが目の前でパンと手を合わせ、それから頬杖をついて笑みを浮かべた。
「素晴らしい。エリさんはどうされますか~?」
エリが一瞬ためらったように考える仕草を見せると、不意に横脇からグッと抱き寄せられた。メリサが腕を引っ張っている。
「行こうよ、エリちゃん!」
上目で見つめられ、観念したようにエリが頭を縦に振った。そんな曇りの無い眼で見つめられたら断ることが罪のようなものだった。
「……そうね。私も問題ないです」
パースは満足気に頷くと、二人に書類を帰ったらすぐに書くようにと言った。幸いなことに、午後の日程はない。
あとで聞きそびれることが無いように、エリは再び書類に目をやった。すると、どうしても埋められない項目があり、眉をひそめた。
「あの……」
喜びで文字通り弾んでいるメリサに気が付かれないよう、小声でパースを呼び止めた。パースは嫌な顔一つ見せず、エリの横に立った。
「何でしょうか~?」
「この項目です。この保護者のサインっていうのは」
すぐに合点がいったように、パースは目を一層細めた。メリサに親はいない。今の時代、決して珍しいことではなかった。
『始まりの日』から数年の間、世界は恐怖に満ちていた。それまで、既にメディアはかなり発達しており、テレビやラジオの類も存在した。しかし、魔法が世界を覆ってからは違った。魔力を有していない電気は、乱反射するように狂った動作を見せ、ほとんどの機械が使えなくなった。
そこからは衰退を辿る一途であった。根も葉もない噂が流布し、魔女狩りが始まった。その際にメリサの両親も正義の御旗のもとに処刑されてしまったと聞かされている。
エリが初めてメリサに出会ったとき、二人はまだ十歳そこらだった。初等部の終わりに編入してきた彼女は、いつも笑みを絶やさない少女に見えた。しかし、突如として見せる空虚な瞳は、いつか身投げでもしそうな危うさを孕んでいた。
メリサはそんな自分の境遇を受け入れ、懸命に自分の生き方を探している。他国への強い関心もその一環だろう。
今は、見守るしかない。
パースはしばらく考える素振りを見せた後、すぐに微笑んだ。
「私が適当に誤魔化しましょう。書類の改ざんならお手の物です」
「改ざ……。ありがとうございます」
学長がそのようなことをしても大丈夫なのだろうか。ぽつりと浮かんだ常識的な考えを捨て、パースの心遣いに感謝をした。
小さな光の粒たちが一斉に跳ね返り、輝いた。それはあっというまに薄い紙のような形になり、パースに掴まれ、実体化した。
「どうでしょうか~、交換留学です。私の自作ポスターですよ。自信作ですから見てください」
広げられたポスターを眺めると、エリとメリサの二人は一斉に顔をしかめた。お世辞にも上手いとは言えない絵であった。クマのような生物が他大陸を指さしている。
「初等部の子に書かせたんですか?」
正直にそう言ったメリサの頭を軽くはたき、エリが世辞を加えるように喋る。
「えーと、あの私は凄く良いと思います。あの、こう……いいと思います」
すぐに言うことがなくなり、口を開くのを断念したエリを見届けると、くすくすとパースが笑い始めた。
「冗談ですよ~、冗談。ジョークです。本当はこちらです」
そう言って、懐から何の工夫もなく取り出されたのは簡素な書類だった。皺ひとつないそれらを受け取ったエリは、素早く目を通した。内容は、海外に行くにあたっての、同意書のようなものだった。仮に怪我をしてもというものから死亡、それに保険に関するものも目についた。同じ書類が何枚分か見える。
「これって……」
言いかけたエリを制するように、唇に人差し指を立てた。
「それは、同行者のための書類です」
「同行者?」
「ええ。要は、私のお付きですね。準備の時間も必要でしょうし早めに声をかけたのです」
この瞬間、突然溢れてきたように実感が湧いてきて、メリサは思わず身震いした。
自分が、他の国に……。
メリサが呆けたように笑みを浮かべる中、エリは冷静に思考していた。
「しかし、なぜ私たちなのでしょうか。もっと、強い生徒はたくさん……」
「お付きですからね。私の趣味でしょうか~」
あっさりとそう言い切ったパースに対し、「はぁ」と適当に相槌を打つほかなかった。そして、「それに……」と加えて話し始めた。
「正直、私の方の仕事に付いてきてもらうだけなので、あまり楽しくないかもしれませんね。しかし、それだけ他の人と違う体験が出来て有意義だと思いますが、どうでしょう。私が一人で仕事するときには、勝手に街で遊んでもらっていても構いませんよ」
この人は最初から、私たちが断ることを考えていない。そう思った、エリが視線を投げると、潤んだ目でこちらを見ていた。
やはり、本当は行きたかったのだろう。今まで押し隠していた気持ちが一気に氾濫し、決壊したようだった。少し頬も紅潮している。
そう、断る理由などどこにもないのだ。彼女が望んだ、海外を見るまたとない機会が目の前に落ちているのだ。
メリサが何度も何度も頷く。火照ったような、幸せそうな表情だった。
「行きます。絶対、行きます! 行かせてください!」
パースが目の前でパンと手を合わせ、それから頬杖をついて笑みを浮かべた。
「素晴らしい。エリさんはどうされますか~?」
エリが一瞬ためらったように考える仕草を見せると、不意に横脇からグッと抱き寄せられた。メリサが腕を引っ張っている。
「行こうよ、エリちゃん!」
上目で見つめられ、観念したようにエリが頭を縦に振った。そんな曇りの無い眼で見つめられたら断ることが罪のようなものだった。
「……そうね。私も問題ないです」
パースは満足気に頷くと、二人に書類を帰ったらすぐに書くようにと言った。幸いなことに、午後の日程はない。
あとで聞きそびれることが無いように、エリは再び書類に目をやった。すると、どうしても埋められない項目があり、眉をひそめた。
「あの……」
喜びで文字通り弾んでいるメリサに気が付かれないよう、小声でパースを呼び止めた。パースは嫌な顔一つ見せず、エリの横に立った。
「何でしょうか~?」
「この項目です。この保護者のサインっていうのは」
すぐに合点がいったように、パースは目を一層細めた。メリサに親はいない。今の時代、決して珍しいことではなかった。
『始まりの日』から数年の間、世界は恐怖に満ちていた。それまで、既にメディアはかなり発達しており、テレビやラジオの類も存在した。しかし、魔法が世界を覆ってからは違った。魔力を有していない電気は、乱反射するように狂った動作を見せ、ほとんどの機械が使えなくなった。
そこからは衰退を辿る一途であった。根も葉もない噂が流布し、魔女狩りが始まった。その際にメリサの両親も正義の御旗のもとに処刑されてしまったと聞かされている。
エリが初めてメリサに出会ったとき、二人はまだ十歳そこらだった。初等部の終わりに編入してきた彼女は、いつも笑みを絶やさない少女に見えた。しかし、突如として見せる空虚な瞳は、いつか身投げでもしそうな危うさを孕んでいた。
メリサはそんな自分の境遇を受け入れ、懸命に自分の生き方を探している。他国への強い関心もその一環だろう。
今は、見守るしかない。
パースはしばらく考える素振りを見せた後、すぐに微笑んだ。
「私が適当に誤魔化しましょう。書類の改ざんならお手の物です」
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